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第二章 青年 (青年視点)

一話 ※人死に、流血

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 俺はこれほど自分のことを情けなく思ったことはなかった。いくら後悔してみても過去が変わることはなく、失ったものが戻ってくることはないのだ。そんな誰もが知る、分かりきったことを本当の意味で理解した。


*****

 本来領主である父の跡を継ぎ、ブライトマン伯爵になるのは年の離れた兄のソーマだった。将来俺は、領主になった兄を手伝い、一緒にブライトマン伯爵領を盛り上げていくつもりだった。だが父もまだまだ若い、だからまだ先のことだと思っていた。一度しかない人生だ。兄に比べると色々な意味で身軽な俺は、遊べるうちは遊ぼうと思っていた。兄は優秀な上に努力家で、昔から本で勉強するだけじゃなく実際に父の仕事を早くから手伝っていた。他にも剣の稽古もしていて、遊ぶ暇なんてろくになかったのを知っていたから申し訳ない気もするが、バカな俺はそれが長子に生まれなかった特典のように思っていた。
 あの日も俺は兄に手伝って欲しいことがあると言われていたのに、友人との約束を優先させて出かけてしまった。

「そうか。それならいいよ。楽しんでおいで」

 そう言って兄は俺を責めることもせず、にこりと笑って快く送り出してくれた。だから俺も罪悪感を抱くこともなく、笑顔で手を振って出かけることができたのだ。
 友人との約束は、友人が新しく手に入れた弓を持って一緒に狩りにいくというものだった。友人が自慢するようにその弓は実用性が高く、素早い兎を連続で何羽も仕留めていた。俺も父に頼んで新しい弓を買ってもらおうかと本気で思うくらい素晴らしい弓だった。まぁ今使ってる弓が壊れたわけでもないから買ってはくれないことは分かっていた。だが想像するくらいは自由だ、と呑気にそんなことを考えて笑っていた自分を俺は許せない。


 俺が獲物を手に上機嫌で帰ると、なぜか屋敷内はざわざわとして落ち着かず、ピリピリとした空気も漂っているように思えた。誰も出迎えにこないことを不思議に思っていると、真っ青な顔をした乳姉妹のズイが現れて、俺は獲物を自慢しようとして、ズイに遮られてしまった。

「ノイア、様……っ」

 その声はなぜかひどく震えていて、嫌な胸騒ぎがした。

「──旦那様、と……ソーマ様、が……お亡くなりに、なり……ました──」

「──────は?」

 最初はなにを言っているのか分からなかった。いや、言葉の意味は分かったが心がそれを拒絶した。ズイの性格からいってあり得ないとしてもきっと冗談だと思いたくて俺は笑った。

「冗談、だろ。ほら笑えよ。今なら怒らないからさ」

 だがズイは俯き、肩を震わせ泣いていた。

「冗談だって言えよっ! ズイっ!!」

 俺は堪らずズイの両肩を掴み叫んだがズイの止まることのない涙で、冗談でも嘘でもない本当のことなんだと分からされた・・・・・・。それでもこの目で見なければ信じられなかった。
 ズイを伴い、父と兄が眠る・・執務室へと向かった。執務室で作業中にズイが少しの間席を外しているときに襲撃を受けたそうだ。執務室の重い扉を開けると、父と兄は二台あるソファーの上にそれぞれ寝かされていた。床にそのまま寝かせておくことは憚られたのだろう。生気を失った父と兄、それぞれ左胸には剣による刺し傷があり、そこを中心とした服に広がる赤いシミと床や壁、あちこちに赤い飛沫痕が見られた。俺は執務室に初めて入ったというわけでもないのに急に見知らぬ場所にきたみたいに不安な気持ちになった。大好きだった父と兄のことも急に他人みたいに思えて怖いと思った。それが許せなくて唇を噛み締めた。

「──誰に……」

「──領民を偽った……恐らく騎士階級の者でしょう……。おふたりを亡き者にして油断していたのでしょう……異変に気付き戻った私が──」

「そう、か……」

 俺は床に転がったままの父とも兄とも違う死体を見下ろし、目を細めた。

「──ありがとう……」

 正直できればこの手で敵を討ちたかったという気持ちはある。だが俺は父と兄の危機に間に合わず、しかもちょうどその頃狩りを楽しみ、間抜け面して笑っていたのだ。賊を逃すことなく敵を討ってくれたことを感謝するべきなのだ。

「──母上は? 母上はどちらにおられる? 母上はご無事なのかっ??」

 もっと早く気づくべきだった。本当に俺は愚かだ。俺は声を荒げてズイに詰め寄った。

「だ、大丈夫でございますっ。ただ……奥様はショックのあまり自室で休んでおいでです……」

「そ、そうか……。それは仕方ないだろう。今は母上だけでもご無事だったことを喜ばなくては──」

 自分で言っていた吐き気がした。喜ぶ? 喜べるものか。俺は母に合わせる顔がない。どう償えばいいのだ。父と兄の刺し傷を見れば賊の剣の腕は相当なものだったのだろう。俺が遊びにいかずこの場にいたとして、なんとかなったとは思えないが、賊はひとりのようだし俺を盾にすれば父か兄のどちらかは守れたはずだ。俺の命などふたりの命に比べられるわけがないのだ。
 だが俺は生き残ってしまった。ならば母を守り、そして父のように兄のように立派な領主となることがせめてもの償い──。
 意味はないかもしれないが、まずは『俺』から『私』に変えることで過去の甘えた自分を捨てようと思った。









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