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番外編
② @杉本 喜久乃
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10年ぶりに見たあの人はあの時みたいに泣いているわけでもなかったし、多分他の人が見たら少し疲れて見えるくらいだろう。だけどオレには無理をしているようにしか見えなくて、記憶の中のあの人と同じで辛そうに見えた。10年経ってもちっとも癒されてなんかいなかったのだ。
どうにかしてあの人と言葉を交わして力づけたい。花に癒されて貰いたい。その為にオレはここにいるのだから。
そう思うのにあの人はふらりと店内に入って来たもののオレが声をかけるとすぐに出て行こうとしていた。オレは慌てて「またいらしてくださいねーっ」とあの人の背中に向って大声で叫ぶ事しかできなかった。
それからあの人が店の前を何度も通るのを見かけたけど、店の中へは来てくれなかった。前回は声をかけて失敗したのでできるだけ気づいていないフリをしたけどダメだった。何週間経っても状況は変わる事はなかった。
オレは何とかきっかけが欲しくて花束を作りあの人に渡した。俺のフェロモンに似た香りのするデイジーの花束だ。自分を贈るみたいで恥ずかしかったけど、せめて花だけでもあの人の傍にいたかった。
花束を目にしてもあの人は驚きはしていたけど、心配していたような嫌悪感はないように見えてひとまずは安心した。
その時思いがけずあの人に大事な人はいないと知る事ができ、嬉しいという気持ちとあの人の心の傷の深さとあれから誰もあの人の支えになるような人が現れなかったのかと胸が苦しくなった。やっぱりオレではダメなのだ。
勇気を出して花束を渡して良かった。せめてこの花があの人を癒してくれますように――。
それからあの人は毎日のように店に来てくれるようになって、決まってデイジーの花束を買い求めてくれた。少しずつあの人の表情が穏やかになっていくのと、デイジーの花束を褒められるたびにまるで自分の事を褒められているようで、自分があの人を癒してるみたいでとても嬉しかった。
そんなやり取りが続き、俺はつい口に出してしまった。
「オレ、あなたの事が好きです」
付き合いたいとかそんな身の程知らずな事は思っていなかった。多分あの人はΩであるオレの事を受け入れてはくれない。Ωのオレが傍にいてはかえって苦痛を与えてしまう可能性だってあった。
あの時オレは分かってしまったんだ。オレもΩだから、去って行くほっそりとした項に浮かぶ噛み跡、あの人が『運命』に番を奪われた事を――。
αのあの人にはΩと番う事が普通の事だ。だけど愛して番ってもまたあの時のように『運命』に奪われるかもと怖くないわけがない。たとえオレがそんな事は絶対にしないと伝えたところで信じられるはずもない。だからオレは自分の事をβだと伝えた。βであれば番う事も選んで貰う事もないとは分かっていたけど、あの人の事を大事に想っているヤツがいる事だけ知って貰えるだけで充分だったからだ。
デイジーの花束を褒められてオレが嬉しいと感じたように、あの人にも嬉しいと思ってもらえたら、それでもっともっと元気になってくれたら――。
なのに、あの人は付き合おうと言ってくれた。オレの事を受け入れてくれたのだ。花ではなくオレ自身があの人の傍にいる事を許されたのだ。嬉しくて思わずあの人に抱き着いて、抱きしめて貰った。ずっとずっと想像していたよりあの人の腕の中はとても温かかった。
へへへ。もう明日死んでもいいってくらい幸せ。この幸せをあなたも感じてくれているといいな――。
*****
けれど、そんなにうまい話なんてあるはずがなかった。次の日からあの人が店に来なくなってしまったのだ。連絡先は交換していたので簡単なメッセージのやり取りはあるものの、「仕事が忙しくてすまない」と謝罪ばかり。未来の話はひとつもなかった。
こんなの嫌でも気づいちゃうよ。付き合おうと言ってはみたもののひとりになって冷静になってみると間違いだったと気づいたに違いなかった。
だってオレには何の魅力もない。あの日あの人の元から去った人はとても美しくて――今にも消えてしまいそうなくらい儚げだった。オレみたいに雑草じゃダメなんだ。
もしもまたあの人が会いに来てくれたら……いつでもオレは身を引く事を伝えよう。ただそれまでは傍にいさせて欲しいってお願いしてみよう。
あなたの心の傷を癒すお手伝いをさせて欲しい――――。オレはそれだけでいい。
それがオレの幸せ。
どうにかしてあの人と言葉を交わして力づけたい。花に癒されて貰いたい。その為にオレはここにいるのだから。
そう思うのにあの人はふらりと店内に入って来たもののオレが声をかけるとすぐに出て行こうとしていた。オレは慌てて「またいらしてくださいねーっ」とあの人の背中に向って大声で叫ぶ事しかできなかった。
それからあの人が店の前を何度も通るのを見かけたけど、店の中へは来てくれなかった。前回は声をかけて失敗したのでできるだけ気づいていないフリをしたけどダメだった。何週間経っても状況は変わる事はなかった。
オレは何とかきっかけが欲しくて花束を作りあの人に渡した。俺のフェロモンに似た香りのするデイジーの花束だ。自分を贈るみたいで恥ずかしかったけど、せめて花だけでもあの人の傍にいたかった。
花束を目にしてもあの人は驚きはしていたけど、心配していたような嫌悪感はないように見えてひとまずは安心した。
その時思いがけずあの人に大事な人はいないと知る事ができ、嬉しいという気持ちとあの人の心の傷の深さとあれから誰もあの人の支えになるような人が現れなかったのかと胸が苦しくなった。やっぱりオレではダメなのだ。
勇気を出して花束を渡して良かった。せめてこの花があの人を癒してくれますように――。
それからあの人は毎日のように店に来てくれるようになって、決まってデイジーの花束を買い求めてくれた。少しずつあの人の表情が穏やかになっていくのと、デイジーの花束を褒められるたびにまるで自分の事を褒められているようで、自分があの人を癒してるみたいでとても嬉しかった。
そんなやり取りが続き、俺はつい口に出してしまった。
「オレ、あなたの事が好きです」
付き合いたいとかそんな身の程知らずな事は思っていなかった。多分あの人はΩであるオレの事を受け入れてはくれない。Ωのオレが傍にいてはかえって苦痛を与えてしまう可能性だってあった。
あの時オレは分かってしまったんだ。オレもΩだから、去って行くほっそりとした項に浮かぶ噛み跡、あの人が『運命』に番を奪われた事を――。
αのあの人にはΩと番う事が普通の事だ。だけど愛して番ってもまたあの時のように『運命』に奪われるかもと怖くないわけがない。たとえオレがそんな事は絶対にしないと伝えたところで信じられるはずもない。だからオレは自分の事をβだと伝えた。βであれば番う事も選んで貰う事もないとは分かっていたけど、あの人の事を大事に想っているヤツがいる事だけ知って貰えるだけで充分だったからだ。
デイジーの花束を褒められてオレが嬉しいと感じたように、あの人にも嬉しいと思ってもらえたら、それでもっともっと元気になってくれたら――。
なのに、あの人は付き合おうと言ってくれた。オレの事を受け入れてくれたのだ。花ではなくオレ自身があの人の傍にいる事を許されたのだ。嬉しくて思わずあの人に抱き着いて、抱きしめて貰った。ずっとずっと想像していたよりあの人の腕の中はとても温かかった。
へへへ。もう明日死んでもいいってくらい幸せ。この幸せをあなたも感じてくれているといいな――。
*****
けれど、そんなにうまい話なんてあるはずがなかった。次の日からあの人が店に来なくなってしまったのだ。連絡先は交換していたので簡単なメッセージのやり取りはあるものの、「仕事が忙しくてすまない」と謝罪ばかり。未来の話はひとつもなかった。
こんなの嫌でも気づいちゃうよ。付き合おうと言ってはみたもののひとりになって冷静になってみると間違いだったと気づいたに違いなかった。
だってオレには何の魅力もない。あの日あの人の元から去った人はとても美しくて――今にも消えてしまいそうなくらい儚げだった。オレみたいに雑草じゃダメなんだ。
もしもまたあの人が会いに来てくれたら……いつでもオレは身を引く事を伝えよう。ただそれまでは傍にいさせて欲しいってお願いしてみよう。
あなたの心の傷を癒すお手伝いをさせて欲しい――――。オレはそれだけでいい。
それがオレの幸せ。
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