83 / 87
番外編
② @杉本 喜久乃
しおりを挟む
10年ぶりに見たあの人はあの時みたいに泣いているわけでもなかったし、多分他の人が見たら少し疲れて見えるくらいだろう。だけどオレには無理をしているようにしか見えなくて、記憶の中のあの人と同じで辛そうに見えた。10年経ってもちっとも癒されてなんかいなかったのだ。
どうにかしてあの人と言葉を交わして力づけたい。花に癒されて貰いたい。その為にオレはここにいるのだから。
そう思うのにあの人はふらりと店内に入って来たもののオレが声をかけるとすぐに出て行こうとしていた。オレは慌てて「またいらしてくださいねーっ」とあの人の背中に向って大声で叫ぶ事しかできなかった。
それからあの人が店の前を何度も通るのを見かけたけど、店の中へは来てくれなかった。前回は声をかけて失敗したのでできるだけ気づいていないフリをしたけどダメだった。何週間経っても状況は変わる事はなかった。
オレは何とかきっかけが欲しくて花束を作りあの人に渡した。俺のフェロモンに似た香りのするデイジーの花束だ。自分を贈るみたいで恥ずかしかったけど、せめて花だけでもあの人の傍にいたかった。
花束を目にしてもあの人は驚きはしていたけど、心配していたような嫌悪感はないように見えてひとまずは安心した。
その時思いがけずあの人に大事な人はいないと知る事ができ、嬉しいという気持ちとあの人の心の傷の深さとあれから誰もあの人の支えになるような人が現れなかったのかと胸が苦しくなった。やっぱりオレではダメなのだ。
勇気を出して花束を渡して良かった。せめてこの花があの人を癒してくれますように――。
それからあの人は毎日のように店に来てくれるようになって、決まってデイジーの花束を買い求めてくれた。少しずつあの人の表情が穏やかになっていくのと、デイジーの花束を褒められるたびにまるで自分の事を褒められているようで、自分があの人を癒してるみたいでとても嬉しかった。
そんなやり取りが続き、俺はつい口に出してしまった。
「オレ、あなたの事が好きです」
付き合いたいとかそんな身の程知らずな事は思っていなかった。多分あの人はΩであるオレの事を受け入れてはくれない。Ωのオレが傍にいてはかえって苦痛を与えてしまう可能性だってあった。
あの時オレは分かってしまったんだ。オレもΩだから、去って行くほっそりとした項に浮かぶ噛み跡、あの人が『運命』に番を奪われた事を――。
αのあの人にはΩと番う事が普通の事だ。だけど愛して番ってもまたあの時のように『運命』に奪われるかもと怖くないわけがない。たとえオレがそんな事は絶対にしないと伝えたところで信じられるはずもない。だからオレは自分の事をβだと伝えた。βであれば番う事も選んで貰う事もないとは分かっていたけど、あの人の事を大事に想っているヤツがいる事だけ知って貰えるだけで充分だったからだ。
デイジーの花束を褒められてオレが嬉しいと感じたように、あの人にも嬉しいと思ってもらえたら、それでもっともっと元気になってくれたら――。
なのに、あの人は付き合おうと言ってくれた。オレの事を受け入れてくれたのだ。花ではなくオレ自身があの人の傍にいる事を許されたのだ。嬉しくて思わずあの人に抱き着いて、抱きしめて貰った。ずっとずっと想像していたよりあの人の腕の中はとても温かかった。
へへへ。もう明日死んでもいいってくらい幸せ。この幸せをあなたも感じてくれているといいな――。
*****
けれど、そんなにうまい話なんてあるはずがなかった。次の日からあの人が店に来なくなってしまったのだ。連絡先は交換していたので簡単なメッセージのやり取りはあるものの、「仕事が忙しくてすまない」と謝罪ばかり。未来の話はひとつもなかった。
こんなの嫌でも気づいちゃうよ。付き合おうと言ってはみたもののひとりになって冷静になってみると間違いだったと気づいたに違いなかった。
だってオレには何の魅力もない。あの日あの人の元から去った人はとても美しくて――今にも消えてしまいそうなくらい儚げだった。オレみたいに雑草じゃダメなんだ。
もしもまたあの人が会いに来てくれたら……いつでもオレは身を引く事を伝えよう。ただそれまでは傍にいさせて欲しいってお願いしてみよう。
あなたの心の傷を癒すお手伝いをさせて欲しい――――。オレはそれだけでいい。
それがオレの幸せ。
どうにかしてあの人と言葉を交わして力づけたい。花に癒されて貰いたい。その為にオレはここにいるのだから。
そう思うのにあの人はふらりと店内に入って来たもののオレが声をかけるとすぐに出て行こうとしていた。オレは慌てて「またいらしてくださいねーっ」とあの人の背中に向って大声で叫ぶ事しかできなかった。
それからあの人が店の前を何度も通るのを見かけたけど、店の中へは来てくれなかった。前回は声をかけて失敗したのでできるだけ気づいていないフリをしたけどダメだった。何週間経っても状況は変わる事はなかった。
オレは何とかきっかけが欲しくて花束を作りあの人に渡した。俺のフェロモンに似た香りのするデイジーの花束だ。自分を贈るみたいで恥ずかしかったけど、せめて花だけでもあの人の傍にいたかった。
花束を目にしてもあの人は驚きはしていたけど、心配していたような嫌悪感はないように見えてひとまずは安心した。
その時思いがけずあの人に大事な人はいないと知る事ができ、嬉しいという気持ちとあの人の心の傷の深さとあれから誰もあの人の支えになるような人が現れなかったのかと胸が苦しくなった。やっぱりオレではダメなのだ。
勇気を出して花束を渡して良かった。せめてこの花があの人を癒してくれますように――。
それからあの人は毎日のように店に来てくれるようになって、決まってデイジーの花束を買い求めてくれた。少しずつあの人の表情が穏やかになっていくのと、デイジーの花束を褒められるたびにまるで自分の事を褒められているようで、自分があの人を癒してるみたいでとても嬉しかった。
そんなやり取りが続き、俺はつい口に出してしまった。
「オレ、あなたの事が好きです」
付き合いたいとかそんな身の程知らずな事は思っていなかった。多分あの人はΩであるオレの事を受け入れてはくれない。Ωのオレが傍にいてはかえって苦痛を与えてしまう可能性だってあった。
あの時オレは分かってしまったんだ。オレもΩだから、去って行くほっそりとした項に浮かぶ噛み跡、あの人が『運命』に番を奪われた事を――。
αのあの人にはΩと番う事が普通の事だ。だけど愛して番ってもまたあの時のように『運命』に奪われるかもと怖くないわけがない。たとえオレがそんな事は絶対にしないと伝えたところで信じられるはずもない。だからオレは自分の事をβだと伝えた。βであれば番う事も選んで貰う事もないとは分かっていたけど、あの人の事を大事に想っているヤツがいる事だけ知って貰えるだけで充分だったからだ。
デイジーの花束を褒められてオレが嬉しいと感じたように、あの人にも嬉しいと思ってもらえたら、それでもっともっと元気になってくれたら――。
なのに、あの人は付き合おうと言ってくれた。オレの事を受け入れてくれたのだ。花ではなくオレ自身があの人の傍にいる事を許されたのだ。嬉しくて思わずあの人に抱き着いて、抱きしめて貰った。ずっとずっと想像していたよりあの人の腕の中はとても温かかった。
へへへ。もう明日死んでもいいってくらい幸せ。この幸せをあなたも感じてくれているといいな――。
*****
けれど、そんなにうまい話なんてあるはずがなかった。次の日からあの人が店に来なくなってしまったのだ。連絡先は交換していたので簡単なメッセージのやり取りはあるものの、「仕事が忙しくてすまない」と謝罪ばかり。未来の話はひとつもなかった。
こんなの嫌でも気づいちゃうよ。付き合おうと言ってはみたもののひとりになって冷静になってみると間違いだったと気づいたに違いなかった。
だってオレには何の魅力もない。あの日あの人の元から去った人はとても美しくて――今にも消えてしまいそうなくらい儚げだった。オレみたいに雑草じゃダメなんだ。
もしもまたあの人が会いに来てくれたら……いつでもオレは身を引く事を伝えよう。ただそれまでは傍にいさせて欲しいってお願いしてみよう。
あなたの心の傷を癒すお手伝いをさせて欲しい――――。オレはそれだけでいい。
それがオレの幸せ。
0
お気に入りに追加
127
あなたにおすすめの小説

好きなあいつの嫉妬がすごい
カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。
ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。
教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。
「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」
ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」
泣き虫な俺と泣かせたいお前
ことわ子
BL
大学生の八次直生(やつぎすなお)と伊場凛乃介(いばりんのすけ)は幼馴染で腐れ縁。
アパートも隣同士で同じ大学に通っている。
直生にはある秘密があり、嫌々ながらも凛乃介を頼る日々を送っていた。
そんなある日、直生は凛乃介のある現場に遭遇する。

金色の恋と愛とが降ってくる
鳩かなこ
BL
もう18歳になるオメガなのに、鶯原あゆたはまだ発情期の来ていない。
引き取られた富豪のアルファ家系の梅渓家で
オメガらしくないあゆたは厄介者扱いされている。
二学期の初めのある日、委員長を務める美化委員会に
転校生だというアルファの一年生・八月一日宮が参加してくれることに。
初のアルファの後輩は初日に遅刻。
やっと顔を出した八月一日宮と出会い頭にぶつかって、あゆたは足に怪我をしてしまう。
転校してきた訳アリ? 一年生のアルファ×幸薄い自覚のない未成熟のオメガのマイペース初恋物語。
オメガバースの世界観ですが、オメガへの差別が社会からなくなりつつある現代が舞台です。
途中主人公がちょっと不憫です。
性描写のあるお話にはタイトルに「*」がついてます。


龍神様は大事な宝玉を昔無くしたらしい。その大事な宝玉、オートマタの俺の心臓なんですけど!?
ミクリ21 (新)
BL
オートマタの俺は、普通の人間みたいに考えたり喋ったり動く。
そんな俺の心臓はとある宝玉だ。
ある日、龍神様が大事な宝玉を昔無くしたから探しているとやってきた。
……俺の心臓がその宝玉だけど、返す=俺終了のお知らせなので返せません!!

たしかなこと
大波小波
BL
白洲 沙穂(しらす さほ)は、カフェでアルバイトをする平凡なオメガだ。
ある日カフェに現れたアルファ男性・源 真輝(みなもと まさき)が体調不良を訴えた。
彼を介抱し見送った沙穂だったが、再び現れた真輝が大富豪だと知る。
そんな彼が言うことには。
「すでに私たちは、恋人同士なのだから」
僕なんかすぐに飽きるよね、と考えていた沙穂だったが、やがて二人は深い愛情で結ばれてゆく……。

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる