79 / 87
番外編
②
しおりを挟む
「――――え」
きつい口調ではないものの予想外の事をはっきりと言われてしまい驚いた。
俺の『運命』、考えなかったわけではなかった。俺はαだから今こうしていてる瞬間も俺の『運命』に出会ってしまう可能性は否定できない。
だけど及川さんからそんな風に言われるとは思ってもいなかった。そんな突き放すように冷たく――――、と眉間に皺を寄せはっとする。俺は及川さんに何と言って欲しかったんだ? 何と言って貰えたなら納得したんだ? 上辺だけの言葉を俺は求めてなんかいなかったはずなのに――。
及川さんは俺の表情の変化に目を細め「ふふふ」と笑った。
「今僕の事『そんな事言うとは思わなかった』とか『冷たい』とか思いました?」
「あ……いや――すみません」
俺は素直に頭を下げて詫びた。嘘だと分かっていても誤魔化してしまう方がいい場合もあるが、今回は違う。へたな誤魔化しは及川さんに対して失礼だと思った。
そう考えている事すらも及川さんにはバレているようでいたたまれないが、及川さんは特に気にした風もなく続けた。
「これは冷たいとかそういう話ではないんですよ。結局は自分に覚悟があるかどうかって話なんです。先日の坂口さんのプロポーズは嬉しかったですが、僕には翔以外考えられません。たとえ僕と夫が何らかの理由で番になれなかったとしても僕は他の誰の手もとらなかったでしょう。なのにあなたの元パートナーは一度はあなたの手を取ったにも関わらず『運命』と再会したらそちらへ行ってしまった。ひとりの人を愛し抜く覚悟が元パートナーにはなかったんだと思います。もしあったならあなたがいくら交際を申し込んでもそれを受け入れるべきじゃなかったし、あなたの手を取ったのなら最後まで添い遂げるべきだった。誰だってひとりで生きていくのは怖い。だけど元パートナーの身勝手な行動であなたはこんなにも傷つけられた――。僕は夫の存在を知った時からもう僕には他の可能性なんてひとつも考えられなかった。それが偉いと言っているわけではありません。ただ僕は翔と共に生きる覚悟を決めただけの話です」
及川さんはひと呼吸おいて、そして続けた。
「そのβの彼と付き合って結婚したとします。もう一度訊きますが、その後で坂口さんの『運命』が現れたらどうしますか? 彼を捨てますか?」
「そんな事――! 俺は絶対に捨てたりなんか――っ……」
「ですよね。僕も翔とは運命なんかじゃなくても翔以外いらないって思うんです。だからね、『運命』のせいにして自分を正当化してあなたを捨てた元パートナーが悪いんです。あなたと出会う前には『運命』の存在を知っていたのでしょう? 繰り返しになりますが、捨てるくらいなら最初からあなたの手を取るべきじゃなかった。僕も『運命』がどういう存在なのか分かりますから強くは言えませんが、少なくても終わりくらいはきちんとするべき事で、指輪と離婚届を送りつけて「はい、さよなら」はないと思います。話を訊いて僕には坂口さんが自分を責めているように思えるんですが、誰が見たってあなたはちっとも悪くないんです。あなたと元パートナーが番って結婚したのも最終的に決断したのは元パートナー自身だし、あなたは無理強いをしたわけではないのでしょう? だったらあなたが少なくてもその人に対して罪悪感を抱く事なんてひとつもない。あなたは自分を責める必要なんてないし、幸せになっていいんです。それにもうあなたの中で答えなんてとっくに出ていましたよね。あなたはその彼の事をちゃんと愛していると思います。だって僕にプロポーズしてくれた時と彼の事を語るあなたの表情がぜんぜん違いますから」
そう言って及川さんはふわりと笑って、「あとは覚悟を決めるだけです」と言った。
覚悟、確かにその通りだと思った。それと同時に及川さんは強いなと思った。この強さがアイツにも――いや、俺にあったなら俺とアイツも何かが違っていたのだろうか――。
俺はずっと分からなかった。俺と番になって結婚して――俺の勝手な想いでアイツを縛ってしまったのではないだろうか。俺は本当にアイツの事をちゃんと愛せていたのだろうか。いつも俺は幸せとは別の何かの中にいた。愛してやまないアイツと共にいるのに不安でたまらなかった。
アイツを信じ、見守る事がアイツへの愛だと思い、俺の弱い部分を曝け出そうとは思わなかったし、アイツの不安について深く言及する事もしなかった。今なら分かる。それはただの『逃げ』だ。俺の『弱さ』だ。
アイツが去った後、アイツの親友が俺に伝えたように俺の愛が足らなくてあんな風に俺の元を去って尚、俺は全てを『運命』のせいにしてしまったのに。そんな俺があんなにいい子と恋愛をして幸せになっていいのだろうか。そもそもあの子を幸せにできるのだろうか――、そう考えていた。
だけど及川さんはアイツが悪いときっぱりと言い切った。
今更アイツを悪いとも思わないし責めるつもりも資格もないが、俺はもう自分を責める必要もないのだと思った。10年の間同じ場所から一歩も動けないでいた俺が、及川さんの言葉で一歩踏み出してみようと思った。一歩いっぽと踏み出して杉本くんの元へ行き、彼を抱きしめたい――。
俺はたとえ『運命』が目の前に現れて甘く誘っても大丈夫だ。俺はそれほど杉本くんの事を愛してしまっていた。どんなに否定してみてもこの気持ちは否定できるものじゃなかった。あんな失敗は二度としない――。
「ハハ、『運命』なんかに負けるかよ」
思わず口から出た俺の言葉に少し面食らった顔をしたが、及川さんはすぐに「ふはっ」と吹き出して笑いだした。そうだ。『運命』なんて笑い飛ばしてしまえばいい。
俺は及川さんにお礼を言って、すぐに杉本くんの元へと向かった。
きつい口調ではないものの予想外の事をはっきりと言われてしまい驚いた。
俺の『運命』、考えなかったわけではなかった。俺はαだから今こうしていてる瞬間も俺の『運命』に出会ってしまう可能性は否定できない。
だけど及川さんからそんな風に言われるとは思ってもいなかった。そんな突き放すように冷たく――――、と眉間に皺を寄せはっとする。俺は及川さんに何と言って欲しかったんだ? 何と言って貰えたなら納得したんだ? 上辺だけの言葉を俺は求めてなんかいなかったはずなのに――。
及川さんは俺の表情の変化に目を細め「ふふふ」と笑った。
「今僕の事『そんな事言うとは思わなかった』とか『冷たい』とか思いました?」
「あ……いや――すみません」
俺は素直に頭を下げて詫びた。嘘だと分かっていても誤魔化してしまう方がいい場合もあるが、今回は違う。へたな誤魔化しは及川さんに対して失礼だと思った。
そう考えている事すらも及川さんにはバレているようでいたたまれないが、及川さんは特に気にした風もなく続けた。
「これは冷たいとかそういう話ではないんですよ。結局は自分に覚悟があるかどうかって話なんです。先日の坂口さんのプロポーズは嬉しかったですが、僕には翔以外考えられません。たとえ僕と夫が何らかの理由で番になれなかったとしても僕は他の誰の手もとらなかったでしょう。なのにあなたの元パートナーは一度はあなたの手を取ったにも関わらず『運命』と再会したらそちらへ行ってしまった。ひとりの人を愛し抜く覚悟が元パートナーにはなかったんだと思います。もしあったならあなたがいくら交際を申し込んでもそれを受け入れるべきじゃなかったし、あなたの手を取ったのなら最後まで添い遂げるべきだった。誰だってひとりで生きていくのは怖い。だけど元パートナーの身勝手な行動であなたはこんなにも傷つけられた――。僕は夫の存在を知った時からもう僕には他の可能性なんてひとつも考えられなかった。それが偉いと言っているわけではありません。ただ僕は翔と共に生きる覚悟を決めただけの話です」
及川さんはひと呼吸おいて、そして続けた。
「そのβの彼と付き合って結婚したとします。もう一度訊きますが、その後で坂口さんの『運命』が現れたらどうしますか? 彼を捨てますか?」
「そんな事――! 俺は絶対に捨てたりなんか――っ……」
「ですよね。僕も翔とは運命なんかじゃなくても翔以外いらないって思うんです。だからね、『運命』のせいにして自分を正当化してあなたを捨てた元パートナーが悪いんです。あなたと出会う前には『運命』の存在を知っていたのでしょう? 繰り返しになりますが、捨てるくらいなら最初からあなたの手を取るべきじゃなかった。僕も『運命』がどういう存在なのか分かりますから強くは言えませんが、少なくても終わりくらいはきちんとするべき事で、指輪と離婚届を送りつけて「はい、さよなら」はないと思います。話を訊いて僕には坂口さんが自分を責めているように思えるんですが、誰が見たってあなたはちっとも悪くないんです。あなたと元パートナーが番って結婚したのも最終的に決断したのは元パートナー自身だし、あなたは無理強いをしたわけではないのでしょう? だったらあなたが少なくてもその人に対して罪悪感を抱く事なんてひとつもない。あなたは自分を責める必要なんてないし、幸せになっていいんです。それにもうあなたの中で答えなんてとっくに出ていましたよね。あなたはその彼の事をちゃんと愛していると思います。だって僕にプロポーズしてくれた時と彼の事を語るあなたの表情がぜんぜん違いますから」
そう言って及川さんはふわりと笑って、「あとは覚悟を決めるだけです」と言った。
覚悟、確かにその通りだと思った。それと同時に及川さんは強いなと思った。この強さがアイツにも――いや、俺にあったなら俺とアイツも何かが違っていたのだろうか――。
俺はずっと分からなかった。俺と番になって結婚して――俺の勝手な想いでアイツを縛ってしまったのではないだろうか。俺は本当にアイツの事をちゃんと愛せていたのだろうか。いつも俺は幸せとは別の何かの中にいた。愛してやまないアイツと共にいるのに不安でたまらなかった。
アイツを信じ、見守る事がアイツへの愛だと思い、俺の弱い部分を曝け出そうとは思わなかったし、アイツの不安について深く言及する事もしなかった。今なら分かる。それはただの『逃げ』だ。俺の『弱さ』だ。
アイツが去った後、アイツの親友が俺に伝えたように俺の愛が足らなくてあんな風に俺の元を去って尚、俺は全てを『運命』のせいにしてしまったのに。そんな俺があんなにいい子と恋愛をして幸せになっていいのだろうか。そもそもあの子を幸せにできるのだろうか――、そう考えていた。
だけど及川さんはアイツが悪いときっぱりと言い切った。
今更アイツを悪いとも思わないし責めるつもりも資格もないが、俺はもう自分を責める必要もないのだと思った。10年の間同じ場所から一歩も動けないでいた俺が、及川さんの言葉で一歩踏み出してみようと思った。一歩いっぽと踏み出して杉本くんの元へ行き、彼を抱きしめたい――。
俺はたとえ『運命』が目の前に現れて甘く誘っても大丈夫だ。俺はそれほど杉本くんの事を愛してしまっていた。どんなに否定してみてもこの気持ちは否定できるものじゃなかった。あんな失敗は二度としない――。
「ハハ、『運命』なんかに負けるかよ」
思わず口から出た俺の言葉に少し面食らった顔をしたが、及川さんはすぐに「ふはっ」と吹き出して笑いだした。そうだ。『運命』なんて笑い飛ばしてしまえばいい。
俺は及川さんにお礼を言って、すぐに杉本くんの元へと向かった。
0
お気に入りに追加
126
あなたにおすすめの小説

金色の恋と愛とが降ってくる
鳩かなこ
BL
もう18歳になるオメガなのに、鶯原あゆたはまだ発情期の来ていない。
引き取られた富豪のアルファ家系の梅渓家で
オメガらしくないあゆたは厄介者扱いされている。
二学期の初めのある日、委員長を務める美化委員会に
転校生だというアルファの一年生・八月一日宮が参加してくれることに。
初のアルファの後輩は初日に遅刻。
やっと顔を出した八月一日宮と出会い頭にぶつかって、あゆたは足に怪我をしてしまう。
転校してきた訳アリ? 一年生のアルファ×幸薄い自覚のない未成熟のオメガのマイペース初恋物語。
オメガバースの世界観ですが、オメガへの差別が社会からなくなりつつある現代が舞台です。
途中主人公がちょっと不憫です。
性描写のあるお話にはタイトルに「*」がついてます。
【完結】何一つ僕のお願いを聞いてくれない彼に、別れてほしいとお願いした結果。
N2O
BL
好きすぎて一部倫理観に反することをしたα × 好きすぎて馬鹿なことしちゃったΩ
※オメガバース設定をお借りしています。
※素人作品です。温かな目でご覧ください。
表紙絵
⇨ 深浦裕 様 X(@yumiura221018)

【完結】乙女ゲーの悪役モブに転生しました〜処刑は嫌なので真面目に生きてたら何故か公爵令息様に溺愛されてます〜
百日紅
BL
目が覚めたら、そこは乙女ゲームの世界でしたーー。
最後は処刑される運命の悪役モブ“サミール”に転生した主人公。
死亡ルートを回避するため学園の隅で日陰者ライフを送っていたのに、何故か攻略キャラの一人“ギルバート”に好意を寄せられる。
※毎日18:30投稿予定


花いちもんめ
月夜野レオン
BL
樹は小さい頃から涼が好きだった。でも涼は、花いちもんめでは真っ先に指名される人気者で、自分は最後まで指名されない不人気者。
ある事件から対人恐怖症になってしまい、遠くから涼をそっと見つめるだけの日々。
大学生になりバイトを始めたカフェで夏樹はアルファの男にしつこく付きまとわれる。
涼がアメリカに婚約者と渡ると聞き、絶望しているところに男が大学にまで押しかけてくる。
「孕めないオメガでいいですか?」に続く、オメガバース第二弾です。


たしかなこと
大波小波
BL
白洲 沙穂(しらす さほ)は、カフェでアルバイトをする平凡なオメガだ。
ある日カフェに現れたアルファ男性・源 真輝(みなもと まさき)が体調不良を訴えた。
彼を介抱し見送った沙穂だったが、再び現れた真輝が大富豪だと知る。
そんな彼が言うことには。
「すでに私たちは、恋人同士なのだから」
僕なんかすぐに飽きるよね、と考えていた沙穂だったが、やがて二人は深い愛情で結ばれてゆく……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる