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もう少しだけ待っていて
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家に帰りつくと父さんも母さんも誰もいなかった。今もずっと俺の為に奔走してくれているのだろう。俺は急いでスマホで父さんに連絡をとりさっきあった事を伝えた。これできっと父さんがなんとかしてくれる。
『分かった。彼方君に来てもらってふたりで家で待っていなさい。後で連絡する』
スマホから聞こえた父さんの硬い声。
予想外の俺の話に父さんも少し戸惑っているようだった。
後で聞いた話だけど俺から話を聞いた父さんたちは、最初は仕事関係からの嫌がらせだと思ったらしい。
父さんたちが作り上げて守っている平等という名の『優しい場所』は、誰かにとっては『邪魔な場所』なのだそうだ。
無邪気に父さんに賛辞を送るだけだった俺は、自分の考えの浅さに恥ずかしくなった。
言われた通り彼方に連絡を入れると、そんなに時間をおくことなくインターフォンが鳴り、モニターには肩で息をする彼方の姿が映った。予め予想していたのかすぐに駆け付けられるようにしてくれていたのだろう。
急いでドアを開け、どちらからともなくぎゅっと抱きしめ合う。
ふわりと香る愛しい人の香りにすんすんと鼻を鳴らすと、少しだけ身体の震えが止まった気がした。
そうしてしばらくの後、言葉を交わす事もなく手を繋いだままリビングへと移動した。
こんもりとクッションが置かれたソファーではなく、ソファーに背中を預ける形でふたりで身を寄せ合ってラグの上に座った。
寒さに震える仔猫のようにお互いの温もりだけが頼りだった。
*****
それから二時間と少しして父さんから連絡がきた。情けない話だけど自分ひとりで聞くのが怖くてスマホをスピーカーにして、彼方とふたりで聞く事にした。
父さんの通報で老川は当局によってすぐに保護されたそうだ。老川は未成年だから限りなく黒だとしても事実確認が済むまでは、『逮捕』ではなく『保護』なのだとか。
父さんはかなりのゴリ押しで、マジックミラー越しではあるけど隣りの部屋から取り調べの様子を見せてもらったらしい。
まだ取り調べは続いているけど、大体の事は分かったので一度連絡をくれたという事だった。ちなみに母さんは今もまだ取り調べの様子を見ているらしい。
心優しい母さんには刺激が強すぎて、早く傍に戻ってあげたいから報告は手短にすますぞ、と言う父さんの声も少し疲れていた。
老川は反抗的な態度は一切見せず、訊かれた事に素直に答えているらしい。
だけど自分がやってしまった事の重大さも分かっていないし、その言動には違和感しかなく、ありもしない事を事実としてしゃべっているという事だ。
それが嘘をついているとかそういう事ではなく、本気でそう思っているらしいと言うのだ。
老川と俺は運命の番で愛し合っているのに彼方が身の程をわきまえず俺の事を縛り付けていて、俺が苦しんでいる。
だから俺を助ける為に『二次性判定報告書』を自分の物とすり替えた。そうすれば婚約も無くなり、自分と番になれる。
愛し合うαとΩ、どっちがどっちだとかは問題じゃない。これは俺たちが本来あるべき姿になる為に必要な事で、間違いを正しただけ。
それが老川の言い分だった。
そんな事実は少しもありはしない。
でたらめもいいところだ。でもそのでたらめで彼方に直接的な危害が及ぶ事がなかった事だけは良かったと思った。
それから、本当は俺がαで老川がΩだというのは間違いないらしい。
二次性判定報告書の名前がローマ字表記しかなかった為にできたすり替えだった。今後はこういった事が起きないよう漢字表記は勿論だが、顔写真や身体的特徴を記す事になるのだそうだ。
老川は取り調べ中ずっと「翔君、早く迎えに来てくれないかな。『運命』の僕をこんなに待たせて、じらしてるつもりなのかな」と言って楽し気に笑っているのだそうだ。
その光景にぞっとしたと父さんは言っていた。
ふと思い出すのは進から聞いた老川の家の事。老川の家にはいないはずのΩだったという事は何を意味するのか――。
自身がΩである事を隠し、αとして俺と番になりたがった。
万が一、番になれたとして老川がΩである事に変わりはないのに。
―――俺の事が好きだった――?
そうだったとしても、そんなのは違うと思った。
老川はただα至上主義の家でΩでいる事ができなかったから、Ωである事を同じ名前の俺に押し付けただけだ。
老川の家の事を思うと同情の余地もないとは言えないけど、誰が許しても俺だけは許さないし同情なんかしてやらない。
俺の事はいいとしても彼方を傷つけた事は許せないんだ。
父さんや母さんにも沢山心配や迷惑をかけた。
これから老川がどうなるのか――、父さんが言うには二次性に関する犯罪は重罪だけど未成年であるという事もあって、厳重注意の上俺と俺の身近な人間への接近禁止と監視目的のチップを身体に埋め込まれる事になるだろうって。
軽いと思うかもしれないけど世界の反応を鑑みてこれ以上は望めないという事だった。どこまでも外向きな――。
そしてこれは公的な処罰で、老川の家でどういう処分が下されるのかは分からない――とも言っていた。
きっとそれは俺なんかでは想像もできないくらい――――。
ゆっくりと頭を振る。
――よそう。これ以上は俺が考える事じゃない。
まだ全てが終わったとは言えないけれど、一応の収束をみた。
だけど胸に残るモヤモヤは完全に消える事はない。もしかしたらこの先もずっと残り続けるかもしれない。
彼方を失ってしまうかもと思った時の胸の痛み。そして自分の現状。
*****
「彼方、俺αだってさ」
父さんとの通話を終了し、俺は彼方と身を寄せたまま他人事のようにぽつりと呟いた。
「うん」
彼方もまたぽつりと応えた。
俺たちはαとΩだから正式な番になれる。
だけど。
「俺、考えたんだ。彼方や父さんや母さん、自分の事。今回の件で嫌っていうほど自分が子どもだって思い知らされた。本当情けない話、俺何もできなかった」
俯かず真っすぐに彼方の瞳を見つめる。
本当にこれを言ってしまう事が正しい事なのか、これによって彼方を失う事になってしまうのではないのか、という焦りや不安はぬぐえないけれど言わなくちゃいけない事。
彼方も黙って俺の言葉を受け止めて、先を待っていてくれるから。
「――だから、だからさ、彼方――」
ごくりと生唾を飲み込む。
「――――番になるのは、俺が大人になるまで待っていて、下さい」
「はい」
愛しい人は間髪入れずそう答えた。
まるで俺が言う事が分かっていたかのようだった。
嘘偽りなく穏やかに微笑み続けている。
本当、彼方には敵わない。
いつも俺の事を考えて、俺の選択を待っていてくれる。
俺は子どもだから判断に迷う事も多くて、そんな時はさりげなく背中を押してくれたりもして、本当敵わない。
彼方、俺もっともっと頑張って大人になるから。
大人になって彼方の事ひたすら甘やかすから。
絶対絶対守るから。
だから、もう少しだけ、もう少しだけ待っていて?
この先何があっても俺には彼方だけ。愛しているよ、俺の愛しい人。
どちらからともなく重ねられた唇。
そのキスはいつもの甘いだけのものじゃなく、少しだけ苦くてしょっぱい大人の味がした。
-おわり-
『分かった。彼方君に来てもらってふたりで家で待っていなさい。後で連絡する』
スマホから聞こえた父さんの硬い声。
予想外の俺の話に父さんも少し戸惑っているようだった。
後で聞いた話だけど俺から話を聞いた父さんたちは、最初は仕事関係からの嫌がらせだと思ったらしい。
父さんたちが作り上げて守っている平等という名の『優しい場所』は、誰かにとっては『邪魔な場所』なのだそうだ。
無邪気に父さんに賛辞を送るだけだった俺は、自分の考えの浅さに恥ずかしくなった。
言われた通り彼方に連絡を入れると、そんなに時間をおくことなくインターフォンが鳴り、モニターには肩で息をする彼方の姿が映った。予め予想していたのかすぐに駆け付けられるようにしてくれていたのだろう。
急いでドアを開け、どちらからともなくぎゅっと抱きしめ合う。
ふわりと香る愛しい人の香りにすんすんと鼻を鳴らすと、少しだけ身体の震えが止まった気がした。
そうしてしばらくの後、言葉を交わす事もなく手を繋いだままリビングへと移動した。
こんもりとクッションが置かれたソファーではなく、ソファーに背中を預ける形でふたりで身を寄せ合ってラグの上に座った。
寒さに震える仔猫のようにお互いの温もりだけが頼りだった。
*****
それから二時間と少しして父さんから連絡がきた。情けない話だけど自分ひとりで聞くのが怖くてスマホをスピーカーにして、彼方とふたりで聞く事にした。
父さんの通報で老川は当局によってすぐに保護されたそうだ。老川は未成年だから限りなく黒だとしても事実確認が済むまでは、『逮捕』ではなく『保護』なのだとか。
父さんはかなりのゴリ押しで、マジックミラー越しではあるけど隣りの部屋から取り調べの様子を見せてもらったらしい。
まだ取り調べは続いているけど、大体の事は分かったので一度連絡をくれたという事だった。ちなみに母さんは今もまだ取り調べの様子を見ているらしい。
心優しい母さんには刺激が強すぎて、早く傍に戻ってあげたいから報告は手短にすますぞ、と言う父さんの声も少し疲れていた。
老川は反抗的な態度は一切見せず、訊かれた事に素直に答えているらしい。
だけど自分がやってしまった事の重大さも分かっていないし、その言動には違和感しかなく、ありもしない事を事実としてしゃべっているという事だ。
それが嘘をついているとかそういう事ではなく、本気でそう思っているらしいと言うのだ。
老川と俺は運命の番で愛し合っているのに彼方が身の程をわきまえず俺の事を縛り付けていて、俺が苦しんでいる。
だから俺を助ける為に『二次性判定報告書』を自分の物とすり替えた。そうすれば婚約も無くなり、自分と番になれる。
愛し合うαとΩ、どっちがどっちだとかは問題じゃない。これは俺たちが本来あるべき姿になる為に必要な事で、間違いを正しただけ。
それが老川の言い分だった。
そんな事実は少しもありはしない。
でたらめもいいところだ。でもそのでたらめで彼方に直接的な危害が及ぶ事がなかった事だけは良かったと思った。
それから、本当は俺がαで老川がΩだというのは間違いないらしい。
二次性判定報告書の名前がローマ字表記しかなかった為にできたすり替えだった。今後はこういった事が起きないよう漢字表記は勿論だが、顔写真や身体的特徴を記す事になるのだそうだ。
老川は取り調べ中ずっと「翔君、早く迎えに来てくれないかな。『運命』の僕をこんなに待たせて、じらしてるつもりなのかな」と言って楽し気に笑っているのだそうだ。
その光景にぞっとしたと父さんは言っていた。
ふと思い出すのは進から聞いた老川の家の事。老川の家にはいないはずのΩだったという事は何を意味するのか――。
自身がΩである事を隠し、αとして俺と番になりたがった。
万が一、番になれたとして老川がΩである事に変わりはないのに。
―――俺の事が好きだった――?
そうだったとしても、そんなのは違うと思った。
老川はただα至上主義の家でΩでいる事ができなかったから、Ωである事を同じ名前の俺に押し付けただけだ。
老川の家の事を思うと同情の余地もないとは言えないけど、誰が許しても俺だけは許さないし同情なんかしてやらない。
俺の事はいいとしても彼方を傷つけた事は許せないんだ。
父さんや母さんにも沢山心配や迷惑をかけた。
これから老川がどうなるのか――、父さんが言うには二次性に関する犯罪は重罪だけど未成年であるという事もあって、厳重注意の上俺と俺の身近な人間への接近禁止と監視目的のチップを身体に埋め込まれる事になるだろうって。
軽いと思うかもしれないけど世界の反応を鑑みてこれ以上は望めないという事だった。どこまでも外向きな――。
そしてこれは公的な処罰で、老川の家でどういう処分が下されるのかは分からない――とも言っていた。
きっとそれは俺なんかでは想像もできないくらい――――。
ゆっくりと頭を振る。
――よそう。これ以上は俺が考える事じゃない。
まだ全てが終わったとは言えないけれど、一応の収束をみた。
だけど胸に残るモヤモヤは完全に消える事はない。もしかしたらこの先もずっと残り続けるかもしれない。
彼方を失ってしまうかもと思った時の胸の痛み。そして自分の現状。
*****
「彼方、俺αだってさ」
父さんとの通話を終了し、俺は彼方と身を寄せたまま他人事のようにぽつりと呟いた。
「うん」
彼方もまたぽつりと応えた。
俺たちはαとΩだから正式な番になれる。
だけど。
「俺、考えたんだ。彼方や父さんや母さん、自分の事。今回の件で嫌っていうほど自分が子どもだって思い知らされた。本当情けない話、俺何もできなかった」
俯かず真っすぐに彼方の瞳を見つめる。
本当にこれを言ってしまう事が正しい事なのか、これによって彼方を失う事になってしまうのではないのか、という焦りや不安はぬぐえないけれど言わなくちゃいけない事。
彼方も黙って俺の言葉を受け止めて、先を待っていてくれるから。
「――だから、だからさ、彼方――」
ごくりと生唾を飲み込む。
「――――番になるのは、俺が大人になるまで待っていて、下さい」
「はい」
愛しい人は間髪入れずそう答えた。
まるで俺が言う事が分かっていたかのようだった。
嘘偽りなく穏やかに微笑み続けている。
本当、彼方には敵わない。
いつも俺の事を考えて、俺の選択を待っていてくれる。
俺は子どもだから判断に迷う事も多くて、そんな時はさりげなく背中を押してくれたりもして、本当敵わない。
彼方、俺もっともっと頑張って大人になるから。
大人になって彼方の事ひたすら甘やかすから。
絶対絶対守るから。
だから、もう少しだけ、もう少しだけ待っていて?
この先何があっても俺には彼方だけ。愛しているよ、俺の愛しい人。
どちらからともなく重ねられた唇。
そのキスはいつもの甘いだけのものじゃなく、少しだけ苦くてしょっぱい大人の味がした。
-おわり-
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