妖精社会/プロローグ

創作

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03_カレーライス

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「…弥彦か。弥彦なのか」
 遠くからか細い声がした。その方を向いて人影を待つ。月光が差し込んだ刹那、俺は目を見開いた。自然と足が動き始め、容量を得ない歩き方でその人のところへ踏み出し続ける。
「…父さん」
 わかってはいたが、反射的にそういっていた。脳裏に父と離れた災害の日の様子がありありと再生される。
「よく…生きていたな」
 父さんはそう言って話を切り出してきた。「…まぁな」と返したがすぐに間が訪れる。おそらく父さんは俺が生きているとは思っておらず、再会できたものの何を話そうかと戸惑っているのではないだろうか。そうしているうちに周りは段々と賑やかになり俺たちだけが静寂に取り残される。
「おーい。弥彦、お前もこっち来いよー。そっちの人も連れてきてくれ~」
 どれくらいの時間が経っただろうか。しじまに包まれていた雰囲気が弛緩する。

「父さん、今日カレーなんだ。…一緒にどう?」
 俺はぎこちなく言葉を紡いだ。それに父は「わかった」と応じて、二人で鍋の待つ広場に向かった。


「父さんはどうやって生き延びたの?」
 俺は広場からカレーを皿に装って、横倒しになった丸太に座る父親に運んでからそう切り出した。…多分、一番話しやすい話題のはずだ。父さんは地面に落としていた視線を上げて、話を始めた。
「…波に飲まれた後、気がついたら俺は海岸に打ち上げられていた。ほら、お父さん、サバイバルが趣味だっただろ。それが役に立ってなんとか一人で生活していたんだ」

 そう。俺が父の生存を諦めていなかった一番の理由がこれだ。サバイバルは都市の中ではただの娯楽とされていたが父の入れ込みようは凄まじく仲間の中で最も原始的とさえ言われていた。

「その傷はどうしたの?」
 父の腕には引っ掻き傷が癒えたような大きな痕が前腕に深々と刻まれているのが見て取れた。
「この場所は獰猛《どうもう》な動物が多いだろ。で、ちょっと前に俺の体より二回りも大きいクマに遭遇してな。本来なら目線を合わせながらゆっくりと身を引くのがセオリーなんだが、―本物は恐ろしくてな、冷静さを失って背を向けて逃げちまってなぁ…」
 視線を腕に落として古傷を摩りながら、その時のことを思い出しているようだった。
 「追いかけられてる時にやっちまったんだな。この傷は」

 父は熊に引っ掻かれた拍子に転んでしまい、頭に浮かんだ唯一の解が死んだふりをすることだったらしい。熊は父を転がしたり、舐めたりしてきたものの反応がないとわかるとすぐ踵を返したという。

 それから腕の傷が化膿し始めたくらいの頃に僕らのベースの遠征部隊に発見され引き入れられたという話だった。

「お前はどうなんだよ」
 そう聞かれて、俺は今日までの二ヶ月間の生活の話をした。


 父さんは俺の話が済むと遠征部隊の会議に参加しなくてはいけないと言い、足早に大型の天幕に向かった。どうやらベースで一週間の滞在の後に部隊を再編して遠出する予定になっているらしい。今回は南を主に探索した、次回は東側をするみたいだ。

 すっかり冷め切ったカレーを食べ始める。カレーは冷めていてもちゃんと美味しかった。

 おかわりでもしようかと鍋の方へ向かった時にさっきまで姿が見えなくなっていた陸と鉢合わせる。順に自分の皿に注いだ後、陸が「あっ」と声を上げる。
「なんだ」
「…ん。そういやお前に言わなちゃいけないことがあった」
 陸が近くの丸太で作られたベンチに座るように顎でクイッとやるのでうなずいて了承の意を伝える。カレーを「温かいうちに食べたい」という俺の提案でそそくさと食べてから陸に話を切り出される。
「弥彦、お前さ、明日から狩猟部隊の方に参加してくれ」
 全く思いも寄らないことだった。今朝も狩猟部隊はまだ厳しそうだという話を仲間としたばかりだ。俺は言葉の咀嚼にいくらか時間を要してから陸にその意を問うた。
「まだ採集もする体力もついてないのになんで、だ」
「今日の狩猟中に俺の部隊の一人が体調不良になっちまってな。欠員補充ってとこだ」
「他にもいるだろ。…俺より体力も気力もある人たちが」
 俺は自虐をもちいながら、自分が不適任であることを主張する。実際、体力自慢の採集部隊の人は少なからずいる。広瀬さんなんか特に適任そうだ。
「だめだ。広瀬さんは片方目が見えないし、他の人もなんらかの部位が欠損している人は多い。体力とか気力とかあってもできる仕事じゃないんだわ。あ、妹は無理だぞ。高いとこダメだから」
 それじゃ、と俺の返答も聞かずに陸は席を立ち、暗闇に消えた。

 勝手すぎるだろ。

 そう思わざるを得ないが、明日行かなかったらこのベースにいる人に間接的に迷惑をかけることになるかもしれない。意識が戻って間もない頃みんなとても親切にしてくれたと聞いている。
 そもそも狩猟部隊に行くことは前々から聞いていたじゃないか。それがほんの少し、いや大分早くなっただけなのだと思い直し、自分の中で一応の納得へ至る。
 お祭り気分でなかなか終わらない宴の喧騒の中、俺は自分のテントに戻って明日に備えて寝ることにした。

「ねぇ、起きて。弥彦、起きて!」
 耳元で緊迫感を感じる春菜の声が響いた。

——それは災厄の始まりだった。
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