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〈片角の鹿〉
しおりを挟む森に一匹の立派な角を持った鹿がいた。
鹿は森の神の次に〈チカラ〉を持った獣であった。ゆえに鹿は人間たちに狙われていた。
人間たちは鹿の〈チカラ〉を手にするために、鹿の〈チカラ〉の象徴であり、〈チカラ〉を宿す鹿の角を手に入れようとしていた。
だが、鹿は人間たちに捕まることなどなかった。
ある日。鹿は病の母親を助けて欲しいと願う、人間の女に出会った。涙を流して懇願する女のために、鹿は己の〈チカラ〉を使おうとした。
しかし、鹿が女の案内された場所には、病の人間は一人もいなかった。いたのは欲にまみれた女の仲間たちだった。
人間の女の言葉は鹿の〈チカラ〉を手に入れるための嘘。鹿は人間たちに押さえつけられ、〈チカラ〉の象徴である片方の角を奪われた。
騙された鹿は怒り狂い、女も女の仲間を殺した。
それから、鹿は誰の言葉を信じることをやめた。鹿は誰にも心を開かず、優しさを棄てた。
人間にも森に住むモノたちにも、〈森の守り獣・片角の鹿〉と畏れられた。
ある日。〈片角の鹿〉は森で一人の少女に出会った。目がみえなくてまともに歩くことができない弱い少女。
「……あの、すみません。そこの人」
少女は〈片角の鹿〉を人間だと思い話しかけた。〈片角の鹿〉は少女の言葉を無視して、少女を殺そうとした。
「どうかお願いがあります。私を〈森の神様〉の元に連れて行って欲しいのです」
少女の言葉に〈片角の鹿〉は動きを止めた。
「(何故、〈森の神〉の元に行く)」
少女は笑って答えた。
「私が〈森の神様〉の生贄だからです」
笑顔で少女は答えた。
「(……何故、お前は〈森の神〉の生贄に?)」
「村が飢饉だから、私が生贄になることで村を救ってもらうためです」
「(……それは、お前の意志か?)」
「はい、私の意志で決めました」
〈片角の鹿〉は少女をどうするべきか迷った。
少女が森に害をなすなら、ためらいもなく〈片角の鹿〉は殺していた。しかし、今回は違う。
娘は人間たちが村を飢饉から救う対価にと、〈森の神〉に差し出された生贄。
人間たちの世界の出来事は、人間たちが解決するもの。しかし、時には〈人ならぬモノ〉が人間に〈チカラ〉を貸すこともある。
〈森の神〉がそれに応じるかは別として、〈森の神〉は現在深い眠りについている。
〈森の神〉が眠りについている時に、〈森の神〉に差し出された生贄を自分の判断で決める訳のはいかない。
「(ならば、来い。お前を〈森の神〉の所有物としよう。時が来るまで、〈片角の鹿〉である私がお前の面倒を見る)」
〈片角の鹿〉による娘の生活は平穏のものだった。
食事や寝場所は〈片角の鹿〉が全て用意した。何一つ問題はなかった。娘はただ役目を果たす時が来るのを、待つだけだった。
「〈片角の鹿〉様。〈森の神様〉は村を救ってくださるでしょうか?」
娘は〈片角の鹿〉に問いかけた。
〈片角の鹿〉は最初娘の言葉に耳を貸さなかったが、次第に娘の言葉に答えるようになった。
「(村がどうなるかは〈森の神〉しだいだ。〈森の神〉は森の〈守り神〉、森の主。人間の〈守り神〉ではないからな)」
「……そうなのですか………」
次第に娘と〈片角の鹿〉は自分たちのことを語りあった。
娘は産まれつき、目が見えないこと。村では役立たずであったために、両親が望んで娘を生贄として差し出したこと。娘が逃げ出さないようにと両足の腱を削ぎ落としたこと。それを娘は笑って話した。
自分を見捨てた両親を恨むことや自分の境遇を嘆くことを、娘はしなかった。どんな時も笑っている娘を〈片角の鹿〉は憐れんだ。
やがて、娘と過ごすうちにどんな時でも笑顔を絶やさないどこか壊れた娘を、優しさを棄てない娘を〈片角の鹿〉は愛おしむようになった。
〈片角の鹿〉は、自分が娘を思う気持ちがなんなのかがわからなかった。
憐れみや同情に似ていて、憎むことを選んだ自分とは違う選択をした娘が、〈片角の鹿〉は愛おしかった。
そして、娘が役目を果たす時がきた。
「(……本当にお前はそれでいいのか?)」
「はい、これで村が救われるのなら私は幸せです」
娘はいつもの笑顔で〈片角の鹿〉に答えた。
深い眠りから目覚めた〈森の神〉は、娘の願いを叶えることを決めた。娘が〈森の神〉の生贄になることで、村は救われる。娘はそれを望んでいる。
「(考え直せ。自分を見捨てた村のために何故、お前がそこまでするのだ)」
娘は〈片角の鹿〉の言葉に答えなかった。いつものように笑っていた。いつもなら愛おしい笑顔が、今は憎たらしい。
〈片角の鹿〉は、娘を生贄になることをやめるようにと娘を説得した。しかし、娘は譲らなかった。
「ありがとうございます。〈片角の鹿〉様。私は幸せでした」
娘は笑う。いつも浮かべる笑顔とは異なる、儚く淡い笑みだった。
〈片角の鹿〉は、娘を失いたくないと願った。
「(どうか、〈森の神〉よ。私が娘の代わりに生贄になります。どうかこの〈片角の鹿〉の願いを聞いてください)」
娘よりも先に〈片角の鹿〉は〈森の神〉に願い出た。
「……なにをおしゃっているの?〈片角の鹿〉様が私の代わりに、生贄になるなんて……」
娘は訳がわからなくて困惑した。
〈森の神〉は驚いた。人間に裏切られて、人間を嫌っていた〈片角の鹿〉が、人間のために自分の身を差し出そうとしている。
「(ならば、もう方の角を折り、私に捧げよ)」
〈森の神〉は〈片角の鹿〉に言った。
「!待ってください。〈森の神様〉!」
〈片角の鹿〉は、娘が止める間もなく、ためらうことなく角を折った。そして〈片角の鹿〉は折った角を〈森の神〉に捧げた。
「……どうして?……」
村は、一匹の鹿によって救われた。
「(お前が目の前からいなくなるのはいやだ。どうか私のそばにいてくれ)」
娘のために〈片角の鹿〉は自分の〈チカラ〉を捨てた。〈片角の鹿〉は娘を求めた。
娘は泣いて、〈片角の鹿〉にすがった。
「ありがとうございます。〈片角の鹿〉様。私はとても幸せです」
娘は美しい笑顔で、ただの獣に成り下がった〈片角の鹿〉と共にいた。
最後の時まで、〈片角の鹿〉は娘に寄り添った。命尽きるその時まで決して離れようとはしなかった。
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