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【第二章 政権掌握】第一節 盧蘇・王受の乱
田州府城奪還
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両広総督姚鏌の改土帰流の決定からわずか一ヶ月後、田州は蜂起した。
その中心は盧蘇であり、叛乱の目的は岑猛の四男邦相の次期土官就任を明朝に認めさせること。
盧蘇は田州の東に隣接する思恩の土目、王受にともに立つよう誘った。王受は岑濬の乱で籠城する岑濬の首を斬り両広総督に差し出した人物である。盧蘇と王受は密接に連絡を取り合い叛乱の準備を進め、田州蜂起とほぼ同時に思恩も蜂起した。
盧蘇は花蓮に代わる旗頭を用意する必要があり、持ちだしたのは花蓮以上にまばゆく輝く旗、すなわち岑猛であった。盧蘇は配下を府内に散らばらせ、
――お屋形さまは生きておられる。
――帰順州で斬られて朝廷に送られたのは影武者の首だったのだ。
――お屋形さまはいま莫登庸(莫朝ベトナムの初代皇帝)に庇護されている。そこで二十万の兵を借り、まもなく田州に攻めのぼってくる。
と触れてまわらせた。
人々の岑猛を慕う気持ちと、岑猛という国の支柱を失いこれからどうなるのかという不安、そして、誰よりも強かった岑猛が簡単に死ぬはずがないという思いがあいまって、誰もが盧蘇のことばを信じた。
田州将兵の意気はいよいよ上がり、まさに天を衝くかのごとくとなった。
叛乱軍による田州府城奪還戦の模様は『明史』に詳しく記されており、それによれば、叛乱軍が府城に迫ったとき、張經は城外で迎え撃つ道を選択したが、兵が少なく劣勢であり、やむなく府城内に戻ろうとした。ところが、城内は叛乱軍に内応した者により占拠されていた。官軍は腹と背で敵と面する事態に陥り、力戦するも支えられず、川を使って包囲から脱出しようとする。叛乱軍が後方に迫り、兵は舟に争って乗ろうとし多数の溺死者が出た。叛乱軍は川の両岸に防護柵を設置し弩兵の毒矢で挟撃した。官軍は奮戦し、なんとか向武州へ逃げたが三、四百の将兵を失うこととなった。
こうして叛乱軍は田州府城を奪還した。
思恩府城も王受により占領された。田州、思恩の城門は固く閉ざされ、国境は封鎖されて明朝官吏の入府は国境の兵により拒絶された。
ここ数年で両広総督は張嵿、盛應期、姚鏌とめまぐるしく変わったが、田州とその周辺の騒動はいつまでたっても収まらない。ひとつの火事を消したかに思えても、どこかに火種が残り、その火がすぐに燃え広がって次の大火が起きる。
その連鎖を断ち切ることができる人物として明朝は王陽明に白羽の矢を立てた。
江西南部の匪賊のことごとくを瞬く間に平定し、寧王の乱を速やかに鎮めた王陽明は当代きっての軍略家である。江西南部匪賊討伐後にみせた治安維持と戦後行政の手腕は、彼が優れた行政官であることをも示している。田州の騒乱の火をすっかり鎮火するためには、文武両面に卓越した王陽明こそがふさわしく、彼以上の人物はいないと考えられた。
陽明はこのとき五十五歳。持病の肺病は悪化しており、辺疆での過酷な軍務に耐えられる体ではなかった。弟子たちは師の体をおもんばかり、無慈悲な人事に大いに憤った。陽明は乱の連鎖を終わらせる自信はあったが、それは体がもてばの話である。事業の中途で倒れれば、消しかけた火は再び燃え上がることになる。陽明は筆をとり、
〈辞免重任乞恩養病疏(重い任務を辞して、療養することをお許しいただきたくお願いする疏)〉
を上疏した。
しかし、この疏は容れられなかった。
嘉靖六(一五二七)九月、陽明はこの南征のあいだに死ぬことを覚悟して、弟子たちに教訓の書を遺し、南を目指し贛江を遡った。
陽明が梧州にはいったのは同年十一月である。しばらくそこに留まり、丹念に情報を集め、乱への対処の方策を練った。
§
盧蘇、王受の乱勃発から八ヶ月が過ぎた。
武力討伐はいったん棚上げされ、田州、思恩は攻撃を受けることなく籠城を続けている。王陽明が新たな両広総督に任じられたという報が田州にもたらされたのは九月下旬である。王陽明の軍略の才は中華に知れ渡っており、常であれば中華随一の名将が攻め来たるとなれば田州の将兵は却って奮い立ったかもしれないが、籠城も既に八ヶ月となれば士気も落ち、兵糧も不足し始め、城内に暗澹たる空気が満ちている。盧蘇が岑猛の亡霊に頼ってなした士気高揚も既に賞味期限が切れていた。盧蘇は、まもなく岑猛がベトナムから大軍を率いて田州に戻ってくるといったが、いつまで経っても馬蹄の響が聞こえない。人々は、口にはしないものの、岑猛はもはやいないと思い始めている。
しかし、花蓮は違った。
岑猛を失った悲しみは癒えてきてはいるが、その一方で、これからなにを為すべきかがみえないという不安が大きくなってきていた。そこへ陽明南下の報を聞き、自分がなすべきことをみつけたような気がしたのだ。
陽明と直接の面識があるのは自分だけであり、陽明は自分のことばに真摯に耳を傾けてくれるだろう。前両広総督の姚鏌とは違い、陽明ならば理を尽くせば異なる結論を導き出すに違いない。田州のゆく末に光明が射したように思えた。
花蓮は花兎にまたがった。久しぶりに高揚して頬を赤らめる主人を背に乗せて花兎は嬉しそうにいなないた。
田州将兵のほとんどが叛乱に参加しており、叛乱に関与せずに常に花蓮のそばにいるのは武術大会でみいだした阮袞と黄維、間諜の莫蘭、侍女の玉音と、そして、岑猛の死後に花蓮のもとに来た元近衛隊長の鐘富だけである。そのうち鐘富のみを伴い両広総督府のある梧州に向かうつもりだったが、岑栄が、自分の子の岑匡をともなうよう願った。鐘富とふたりであれば道中で山賊が現れようとも撃退する自信があるし、岑匡は十六歳になったばかりの痩身矮躯で、とうてい戦力になるとも思えず、「足手まといになる」というと、岑栄は、「花蓮さまとともに旅をし、また、中華に名のとどろく王陽明に会うことで匡は多くを学ぶことができます」と頭を深くさげて懇願した。
花蓮と鐘富、岑匡の三騎は正門を出て、東に向かって駆けた。
山賊には出会わなかったものの梧州への道は決して楽なものではなかった。明軍は田州、思恩を厳重に包囲して外界との出入りを遮断している。梧州に着くまでに明軍に捕らえられれば間諜とみなされる。三人は山間に分け入り、獣の通り道を辿って、梧州までの約六百キロメートルを進まなくてはならなかった。
ただ、難儀な行程ゆえに得られたものもある。
互いにしゃべることくらいしか娯楽がない。しかし寡黙な鐘富は無聊を慰める相手にはなり得ない。それゆえ朝から晩まで岑匡とばかり会話をすることになるのだが、岑匡は実に好奇心が旺盛で、なんでもかんでも知りたがった。花蓮の戦場での経験や岑猛とのあいだで交わしたことばなどを熱心に聞き、その後に咀嚼するようにじっくりと考えて、疑問があれば必ず問い、答えを聞いては再び考える。十分に納得ができるまでそれを繰り返した。思考に妥協がないのだ。思考することを楽しんでいるようにもみえるが、それを目的としているわけではない。耳からはいってきた知識を噛み砕き、いったん溶解したうえで、自分の血液に吸収して取り入れようとしているのだ。
花蓮は元来多弁な男は好きではないのだが、この目鼻立ちの整った青年との会話を楽しんだ。この青年は先々自分を助ける頭脳となってくれるだろう、と密かに思った。
梧州に着いたのは十一月二十三日の正午過ぎである。
花蓮は両広総督府の門衛に名前だけを記した木簡を渡した。
岑匡が心配そうに
「寧王の乱といえばもう八年も昔です。軍門は名だけをみても思い出さないのではないでしょうか」
というと、花蓮は
「どうかしらね。まあ、みていなさい」
と、笑った。
ほどなくして門衛が出てきて三人を迎え入れ、花蓮は岑匡に向かって顎を上げ、「ほらみならさい」と誇らしげにいった。
その中心は盧蘇であり、叛乱の目的は岑猛の四男邦相の次期土官就任を明朝に認めさせること。
盧蘇は田州の東に隣接する思恩の土目、王受にともに立つよう誘った。王受は岑濬の乱で籠城する岑濬の首を斬り両広総督に差し出した人物である。盧蘇と王受は密接に連絡を取り合い叛乱の準備を進め、田州蜂起とほぼ同時に思恩も蜂起した。
盧蘇は花蓮に代わる旗頭を用意する必要があり、持ちだしたのは花蓮以上にまばゆく輝く旗、すなわち岑猛であった。盧蘇は配下を府内に散らばらせ、
――お屋形さまは生きておられる。
――帰順州で斬られて朝廷に送られたのは影武者の首だったのだ。
――お屋形さまはいま莫登庸(莫朝ベトナムの初代皇帝)に庇護されている。そこで二十万の兵を借り、まもなく田州に攻めのぼってくる。
と触れてまわらせた。
人々の岑猛を慕う気持ちと、岑猛という国の支柱を失いこれからどうなるのかという不安、そして、誰よりも強かった岑猛が簡単に死ぬはずがないという思いがあいまって、誰もが盧蘇のことばを信じた。
田州将兵の意気はいよいよ上がり、まさに天を衝くかのごとくとなった。
叛乱軍による田州府城奪還戦の模様は『明史』に詳しく記されており、それによれば、叛乱軍が府城に迫ったとき、張經は城外で迎え撃つ道を選択したが、兵が少なく劣勢であり、やむなく府城内に戻ろうとした。ところが、城内は叛乱軍に内応した者により占拠されていた。官軍は腹と背で敵と面する事態に陥り、力戦するも支えられず、川を使って包囲から脱出しようとする。叛乱軍が後方に迫り、兵は舟に争って乗ろうとし多数の溺死者が出た。叛乱軍は川の両岸に防護柵を設置し弩兵の毒矢で挟撃した。官軍は奮戦し、なんとか向武州へ逃げたが三、四百の将兵を失うこととなった。
こうして叛乱軍は田州府城を奪還した。
思恩府城も王受により占領された。田州、思恩の城門は固く閉ざされ、国境は封鎖されて明朝官吏の入府は国境の兵により拒絶された。
ここ数年で両広総督は張嵿、盛應期、姚鏌とめまぐるしく変わったが、田州とその周辺の騒動はいつまでたっても収まらない。ひとつの火事を消したかに思えても、どこかに火種が残り、その火がすぐに燃え広がって次の大火が起きる。
その連鎖を断ち切ることができる人物として明朝は王陽明に白羽の矢を立てた。
江西南部の匪賊のことごとくを瞬く間に平定し、寧王の乱を速やかに鎮めた王陽明は当代きっての軍略家である。江西南部匪賊討伐後にみせた治安維持と戦後行政の手腕は、彼が優れた行政官であることをも示している。田州の騒乱の火をすっかり鎮火するためには、文武両面に卓越した王陽明こそがふさわしく、彼以上の人物はいないと考えられた。
陽明はこのとき五十五歳。持病の肺病は悪化しており、辺疆での過酷な軍務に耐えられる体ではなかった。弟子たちは師の体をおもんばかり、無慈悲な人事に大いに憤った。陽明は乱の連鎖を終わらせる自信はあったが、それは体がもてばの話である。事業の中途で倒れれば、消しかけた火は再び燃え上がることになる。陽明は筆をとり、
〈辞免重任乞恩養病疏(重い任務を辞して、療養することをお許しいただきたくお願いする疏)〉
を上疏した。
しかし、この疏は容れられなかった。
嘉靖六(一五二七)九月、陽明はこの南征のあいだに死ぬことを覚悟して、弟子たちに教訓の書を遺し、南を目指し贛江を遡った。
陽明が梧州にはいったのは同年十一月である。しばらくそこに留まり、丹念に情報を集め、乱への対処の方策を練った。
§
盧蘇、王受の乱勃発から八ヶ月が過ぎた。
武力討伐はいったん棚上げされ、田州、思恩は攻撃を受けることなく籠城を続けている。王陽明が新たな両広総督に任じられたという報が田州にもたらされたのは九月下旬である。王陽明の軍略の才は中華に知れ渡っており、常であれば中華随一の名将が攻め来たるとなれば田州の将兵は却って奮い立ったかもしれないが、籠城も既に八ヶ月となれば士気も落ち、兵糧も不足し始め、城内に暗澹たる空気が満ちている。盧蘇が岑猛の亡霊に頼ってなした士気高揚も既に賞味期限が切れていた。盧蘇は、まもなく岑猛がベトナムから大軍を率いて田州に戻ってくるといったが、いつまで経っても馬蹄の響が聞こえない。人々は、口にはしないものの、岑猛はもはやいないと思い始めている。
しかし、花蓮は違った。
岑猛を失った悲しみは癒えてきてはいるが、その一方で、これからなにを為すべきかがみえないという不安が大きくなってきていた。そこへ陽明南下の報を聞き、自分がなすべきことをみつけたような気がしたのだ。
陽明と直接の面識があるのは自分だけであり、陽明は自分のことばに真摯に耳を傾けてくれるだろう。前両広総督の姚鏌とは違い、陽明ならば理を尽くせば異なる結論を導き出すに違いない。田州のゆく末に光明が射したように思えた。
花蓮は花兎にまたがった。久しぶりに高揚して頬を赤らめる主人を背に乗せて花兎は嬉しそうにいなないた。
田州将兵のほとんどが叛乱に参加しており、叛乱に関与せずに常に花蓮のそばにいるのは武術大会でみいだした阮袞と黄維、間諜の莫蘭、侍女の玉音と、そして、岑猛の死後に花蓮のもとに来た元近衛隊長の鐘富だけである。そのうち鐘富のみを伴い両広総督府のある梧州に向かうつもりだったが、岑栄が、自分の子の岑匡をともなうよう願った。鐘富とふたりであれば道中で山賊が現れようとも撃退する自信があるし、岑匡は十六歳になったばかりの痩身矮躯で、とうてい戦力になるとも思えず、「足手まといになる」というと、岑栄は、「花蓮さまとともに旅をし、また、中華に名のとどろく王陽明に会うことで匡は多くを学ぶことができます」と頭を深くさげて懇願した。
花蓮と鐘富、岑匡の三騎は正門を出て、東に向かって駆けた。
山賊には出会わなかったものの梧州への道は決して楽なものではなかった。明軍は田州、思恩を厳重に包囲して外界との出入りを遮断している。梧州に着くまでに明軍に捕らえられれば間諜とみなされる。三人は山間に分け入り、獣の通り道を辿って、梧州までの約六百キロメートルを進まなくてはならなかった。
ただ、難儀な行程ゆえに得られたものもある。
互いにしゃべることくらいしか娯楽がない。しかし寡黙な鐘富は無聊を慰める相手にはなり得ない。それゆえ朝から晩まで岑匡とばかり会話をすることになるのだが、岑匡は実に好奇心が旺盛で、なんでもかんでも知りたがった。花蓮の戦場での経験や岑猛とのあいだで交わしたことばなどを熱心に聞き、その後に咀嚼するようにじっくりと考えて、疑問があれば必ず問い、答えを聞いては再び考える。十分に納得ができるまでそれを繰り返した。思考に妥協がないのだ。思考することを楽しんでいるようにもみえるが、それを目的としているわけではない。耳からはいってきた知識を噛み砕き、いったん溶解したうえで、自分の血液に吸収して取り入れようとしているのだ。
花蓮は元来多弁な男は好きではないのだが、この目鼻立ちの整った青年との会話を楽しんだ。この青年は先々自分を助ける頭脳となってくれるだろう、と密かに思った。
梧州に着いたのは十一月二十三日の正午過ぎである。
花蓮は両広総督府の門衛に名前だけを記した木簡を渡した。
岑匡が心配そうに
「寧王の乱といえばもう八年も昔です。軍門は名だけをみても思い出さないのではないでしょうか」
というと、花蓮は
「どうかしらね。まあ、みていなさい」
と、笑った。
ほどなくして門衛が出てきて三人を迎え入れ、花蓮は岑匡に向かって顎を上げ、「ほらみならさい」と誇らしげにいった。
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