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【第二章 政権掌握】第一節 盧蘇・王受の乱

その夏を泣いて暮らした

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 嘉靖かせい五(一五二六)年の初夏に岑猛しんもうが死に、花蓮かれんはその夏を泣いて暮らした。
 朝起きて鳥の声を聞いては泣き、昼に中庭の花の香りを嗅いでは泣き、夕に紅く染まった西の空をみては泣き、夜に月を見上げては泣く。一切の政務を執らず、部屋に閉じこもり、衙門がもんの敷地のそとには全く出ない。
 ただひたすらに食べた。岑猛を死に至らしめた世の不条理を噛み砕こうとしているかのように朝から夜まで食べ続け、ほとんど体を動かさないので、中庭の池に映してみた顔は丸みを帯びて別人のようになった。とはいえ、みせる相手もおらず、気にもならなかった。
 岑猛を死なせたのは自分だという気持ちが心のなかにある。
「父が猛哥を捕まえるなどということは私がさせない」と断言し、岑猛はそのことばを信じて帰順州の庇護を受けると決めたのだ。それなのに花蓮は帰順州にいなかった。ために岑猛は捕らえられ、死んだ。
 賄賂を求める前両広総督盛應期せいおうきに対して銀を贈らなかったことが田州討伐へとつながった。花蓮が賄賂を嫌ったことが岑猛が盛應期の要求を蹴った理由なのだとすれば、自分のことばが田州討伐を引き起こしたことになる。
 自分のせいで岑猛が死んだという思いが悲しみを一層深くしている。
 それに、邦彦ほうげんの死。
 田州に嫁いだときには邦彦はまだ幼児で、その後の成長をずっと見守ってきた。子のない花蓮は邦彦をかわいがり、邦彦もよくなつき、「ふたりの母がいる自分は幸せだ」といっては喜ばせたものだ。
 邦彦の死は自分の腹を痛めた子を亡くしたのと変わらぬほどに花蓮を深い悲しみの底に突き落とした。

 二ヶ月が過ぎ、南国の灼熱が多少は和らぎ始めたころ、泣くのをやめた。
 岑猛の家族は、明朝による田州の処置決定がなされるまで従来どおりに田州衙門に住むことが許されて、花蓮は、岑猛とともに帰順州に逃げ岑猛の死後に田州に戻った林氏夫人の部屋と中庭をはさんだ向かいの部屋で暮らしている。
 林氏夫人も夫と息子を同時に失った。彼女の悲しみも深く、泣き暮らすのは花蓮と同じだが、彼女の場合は食べものをほとんど口にしなくなった。ただでさえ華奢な体は、そよ風が吹いただけで舞い上がりそうなほどに痩せこけた。そんな様子をみて、自分の悲しむ姿が彼女の悲しみを一層深くしていることに気づいた。感情を殺して明るさを示さなければ彼女はおそらく死ぬ、と思った。
 林氏夫人は、花蓮が自分と同じ悲しみのなかにいることを知っている。花蓮が笑うと、林氏夫人もぎこちない微笑みをみせた。

 さらに二ヶ月が過ぎた。
 部屋に閉じ籠って過去の思い出ばかりをたどっているわけにはいかないと思い始めた。世界は動き続けている。田州は岑猛という支柱を失ったが、そこには多数の民がおり、日々の行政がなされねばならない。両広総督や朝廷に対して岑氏による土官世襲を認めるよう働きかけなくてはならない。
 そう思った花蓮は、久しぶりに政廳に向かった。
 田州のまつりごとは、暫定的な知府として両広総督が送り込んできた者の監督下で、土目の合議でなされている。田州が陥落したとき、土舎、土目はみな山林に四散した。そのうち韋好いこうkらは明軍にみつかり、抵抗したため斬られた。恭順の姿勢をみせた盧蘇ろそらは罪が確定するまでのあいだ、従来どおりに田州の行政に携わることが許されたのである。
 上席に着くとすぐに自分に向けられる目が冷ややかであることに気づいた。
 土目の羅玉らぎょくが口の端だけを歪めた笑顔でいった。
「田州にはおられないものと思っていました」
 羅玉は岑猛の四男邦相ほうしょうに近く、次男邦彦に近かった花蓮とは折り合いがよくない。
「そうですね。私も帰順に帰られたものと思っていました」
と、合わせるようにいったのは戴慶たいけいである。戴慶の所領は狭く田州土目のなかでの席次は低い。羅玉になにかと迎合する小姓のような男だ。
 ふたりの陰湿ないいかたが気に障り、
「なにいってるのよ。ずっと田州にいたわよ」
と、ぴしゃりといったが、居ならぶ土目たちを見回してみると、いずれも「なにを、のこのこと」と目で語り、「なぜ生家に帰らないのか」と無言で問うていた。
 岑猛を謀殺したのは岑璋しんしょう、すなわち花蓮の実父であり、それは消しようのない事実である。花蓮のなかで岑猛を失った悲しみは形を変えて父岑璋に対する怒りの感情となったが、田州の人々のなかの悲しみは花蓮に対する憎しみに姿を変えたのだ。
 土目たちの冷たい視線をみて、それを改めて感じた。
 翌日から花蓮は再び政廳に足を向けなくなった。

 冬になった。
 田州府城は現代の広西壮族自治区百色市に位置しており、百色市の気候をみてみると、夏季以外の日々の最低気温がちょうど東京の最高気温と同じくらいとなる。
 ゆえに冬の田州は南国といえども朝晩は十分に気温が下がり、日によっては吐く息が白くなり、風が強ければ肩を抱いて歩きたくなるほどに冷える。
 部屋に籠り体を動かさず一日のほとんどをひとりで過ごす花蓮は、今年の冬は一段と寒い、と思いつつ、色のない中庭をぼんやり眺めていた。
 そこへ玉音ぎょくおんが岑栄の来訪を告げた。岑栄は五日に一度、田州の内外で起きていることを知らせにやってくる。今日は岑栄が来る日なのだ。
 岑栄は内外の情勢をひととおり話したあと、苦い表情で、
「お屋形さまが討たれて半年が過ぎ、まもなく朝廷は田州の処置を決めると思われますが、このままでは良い結果になるとは思われません」
といった。
 土舎・土目が入れ替わり立ち替わり両広総督府に赴き田州の土官制度を引き続き認めるよう陳情しているが、状況はあまり芳しくないようだ。岑栄もこれまで五度悟州に赴き両広総督姚鏌ようばくに謁を請うたが、そのうち三度は門前払いにされたという。
「ここは花蓮さまのご助力をいただかねばならないと思うのです」
「私?みんながいってだめなのだったら、私がいったところでなにも変わらないわよ」
「いえ。悟州にいっていただきたいと申したいのではありません」
「どういうことよ」
「次の土官として誰を推すか、それが土舎、土目のあいだでひとりに決まっていないことが問題だと私は思っています。土官の継続を認めた途端に後継争いが生じて政情が不安定になるのであれば、朝廷は土官継続を認めようとは思わないでしょう」
 岑猛の長男邦佐ほうさ武靖州ぶせいしゅう土官として田州を出たときに嫡嗣の地位を失っている。岑猛が後嗣と定めた邦彦は戦死した。邦彦が死んですぐに生まれた子があり、名をという。芝が継ぐのが正統といえるが、土目たちは、芝は赤児であり政務を執り得ず、三男邦輔ほうほは賎妾の子なので飛ばして、四男邦相があとを継ぐのにふさわしいと主張している。芝をはっきりと推しているのは岑栄とごく一部の土舎だけで、土目のなかで最も力があり総管でもある盧蘇ろそは態度を明らかにしておらず、他の者はほぼ全員が邦相を推している。
「つまり、私に芝を推すと宣言してほしいということ?」
 花蓮は、嫡嗣の唯一の子である芝が継ぐのが筋であるということに加え、感情的にも、自分の子同然に思っていた邦彦の子に継がせたいと思ってはいるのだが、
「私は芝に継がせたいと思うわ。でも芝を推しても、朝廷はまだ赤ちゃんの芝を土官に任じることはまずないわ。田州を取り上げられないためには邦相を立てたほうがいいのかもしれない」
「花蓮さまが摂政となられればいいのです。中原では垂簾すいれんの政の例は少なくありません。朝廷は否とはいわぬでしょう。私は邦相の資質を懸念しているのです。粗暴かつ冷酷であり、民や兵に愛されたお屋形さまの子というよりも、お屋形さまの兄に似ています。邦相が継げば田州は内側から崩壊することになるでしょう」
 岑猛の兄とは、父親を殺して酋領の地位を奪取し、その後すぐに土目に誅された岑猇しんきょうのことである。
 花蓮も邦相では国をまとめることは難しいと思っている。とはいえ、芝は幼過ぎ、邦相よりも優れているかどうか判断のしようがない。
 花蓮が黙っていると、岑栄は焦れたように、
「わが方は非常に劣勢です。もし総管が邦相の支持にまわれば、もはやことは決してしまいます。それでもよいのですか」
「私が後継は芝にといってみたところで、芝がかわいくてそういっているだけだと思われるか、摂政になって田州を牛耳りたいのだと思われるだけよ。却って裏目にでると思うわ」
「田州のためには邦相ではだめです」
と、岑栄は必死な顔をしたが、
「私が『田州のためには』なんていっても、この状況を作った岑璋の娘が田州の将来を考えているようなことをいうなっていわれるだけよ」
「いや、しかし――」
 岑栄は食い下がろうとしたが、花蓮は、
「やっぱりだめ。あなたにがんばってもらうしかないわ。ごめんなさい」
といって、小さく首を垂れた。
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