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【第一章 覇者岑猛】第一節 流亡

裸の少女が翔んだ

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 ちいさな川のほとりにでた。
 風はなく、流れも緩いのだろう、川面は鏡面のようになめらかで、高く澄んだ青空を形を変えながら流れる綿雲がくっきりと映っている。
 川の流れていく方をみると、川の中央にぽっかりと浮かんでいるようにみえる三層の楼閣があって、そのうしろには酒杯をひっくり返したような小高い緑の丘が、のどかに草をはむ牛の群れのように点在している。
 岑猛しんもうは馬から降りて川岸の岩に腰をかけた。
 五騎の従者たちも下馬し、思い思いの場所に座って汗を拭ったり水を飲んだりしている。
 子供の笑い声がした。
 川の両岸から川の中央に建つ楼閣につながる橋があって、橋の下の川岸に少年が座っており、少年の座高と同じくらいの背丈の少女――四歳か五歳くらいか――が少年に向かい、ときおりヒャッヒャッと高い声で笑いながら、なにかを楽しそうに話している。
 少女は全裸だ。
 少女が駆け出した。
 土手を駆け上がり、くるりと向きを変え、橋の上を走る。そして楼閣に達する直前で立ち止まって、欄干をよじ登りはじめた。
(危ないぞ)
 橋桁の高さは成人の背丈ふたり分ほどだが、幼児が落ちれば溺れる。
(落ちる)
と思うや否や、小さな体が欄干から落下した。
 川面の鏡が割れ、勢いよく水柱が上がった。
 岑猛は飛び上がり、川岸を走った。
 少年は座ったままだ。岑猛は少年にむかって「助けろ」と叫んだ。
 少年は顔をこちらに向けたが、立ち上がろうともしない。
 橋のたもとに駆けつけ、少年を押しのけ川に飛びこもうとしたとき、目の前の水面から少女の顔がひょこりと現れた。
 首から上だけを水面から出した少女は岑猛に向かってにこりと笑い、「こんにちは」とかわいい声でいった。
 岑猛は固まった。
 溺れ死ぬかと思った少女が目の前であどけなく笑っている。
 少女は「どうしたの?」と無邪気に訊いた。
 答えられずにいると、少女は「変なの」といって岑猛の横をすり抜け土手を駆けのぼっていった。
 そのうしろ姿を目で追いながら岑猛は少年に並んで座り、いった。
「元気な娘だな」
「私の妹なのです。失礼をお許しください」
 少女が再び橋の欄干を乗り越えた。
 裸の少女の体がふわりと宙に翔び、ゆっくりと落下し、川面に吸い込まれる。
 小さな水しぶきが上がった。
「あれは、つまり――」岑猛は額を小指で掻いた。「だいじょうぶなんだよな。慣れた遊びなんだな」
「はい。だいじょうぶです」
 少女が川から顔を出して岑猛に微笑みかけた。
 岑猛はみぞおちあたりを強打されたような感覚を抱いた。
 少女の艶のある瞳も、直線的な鼻梁も、ふんわりとした唇も、全てが小さくできているというだけで、熟れた女のそれとなんら変わらない。肌理きめの細かい柔らかそうな肌が弾く水滴が頬をつたい、きらりと光った。
 岑猛は微笑みを返そうとした。
 が、頬がひきつり笑えなかった。笑い方がわからないのだ。
 思えばもう何ヶ月も笑っていない。
 少女が水から上がり、岑猛と少年のあいだを抜けて駆けた。また飛び込むのだろう。日焼けした少女の裸身は腹部の盛り上がったまぎれもなく幼児の体であった。
 少年は岑猛の頭から腰までをみた。続けて後方に控える従者たちの姿をもみて、訊いた。
「どちらからいらっしゃったのでしょうか。ひょっとして、田州でんしゅうからでしょうか」
 少年は、ここから北に三百里(明代の一里は四百メートル強)離れた田州で激しい戦闘がおこなわれていたことを知っていて、そう訊いたのだ。岑猛も従者も顔から足まで土にまみれ、衣服は破れ、ところどころが真っ赤な血で染まっている。
「そうだ。われわれは田州から落ちてきた」
 少年は目を見開き、前のめりになって訊いた。
「ど、どちらが、どちらが勝ったのですか」
「見てのとおりだ。俺が負けた」
「それでは、あなたは――」
「そうだ。田州府土官とかん知府ちふ、岑猛だ」
          §
 この会話は明の弘治こうち年間、西暦でいえば十六世紀初頭になされている。場所は広西帰順きじゅん州(現広西壮族自治区靖西県)。
 広西中西部やベトナム北部の一帯は漢民族とは異なる文化をもつチワン族(壮族)が多く住む地域である。明朝は領土内の一部の地域で異民族による自治を認め、帰順州もチワン族が治める自治領のひとつであった。
 田州府というのは帰順州の北方に位置する行政区域で、土官というのは漢民族以外の民族の酋領のこと、知府というのは府の長官のこと。つまり岑猛は田州一帯の自治領主である。土官は世襲され、自治の範囲は広く、明朝の顔色をみながらも自分の意思で自由に軍事や外交的行動をおこなうので、日本の歴史でいう守護大名のイメージに近い。
 このころの広西中西部一帯は群雄が割拠し互いに戦争を繰り返す、いわば戦国時代のような状態にあった。田州へ攻めこんだのは田州の東に隣接する思恩しおん府土官知府岑濬しんしゅん。攻めた方も攻められた方も岑姓であることが示すとおり、同族同士の争いであった。

 岑氏は、広西西部を流れる二本の河川、左江・右江流域の広範な範囲を明代以前から支配している名門である。その祖先については諸説があり明確なことはわからない。はっきりしているのは明朝初代皇帝洪武こうぶ帝のときの岑氏の当主の名を岑伯顔しんはくがんといい、彼が右江流域の統治とその世襲を明朝から公式に認められたことである。
 田州の岑猛は岑伯顔の嫡孫岑永通しんえいつうに連なる岑氏の嫡流(岑永通の来孫)である。
 他方で思恩は、もともとは田州の一部だったが、のちに思恩州として田州から分離し独立した州となった(正統四(一四三九)年に州から府に昇格)。初代の知州ちしゅう(州知事)は岑永通の弟の岑永昌しんえいしょう。岑濬は岑永昌の曽孫であり、すなわち岑濬は岑氏の庶家にあたる。
 〝岑濬の乱〟として後世に伝えられる大事件は、当主が十六歳と若く、お家騒動があって混乱状態にあった嫡家に対して、老獪な当主を擁して国力をつけた庶家が、乗っ取りをもくろみ挑んだ戦いであった。
 岑濬は二度に分けて田州に侵攻し、激しく凄惨な戦いの末に弘治十七(一五〇四)年に田州を陥落し占領した。
 岑猛の家族はことごとく捕虜となり思恩府に送られ幽閉され、岑猛は辛くも数騎のみで南へ逃げた。
 そして帰順州にたどりつき、小川のほとりでようやく一息をついたのである。
          §
 憧れていた英雄をみるかのような目で、少年が血と泥で汚れた岑猛をみつめている。
 岑猛が訊いた。
「俺は田州から帰順州を目指して落ちてきた。帰順州土官の岑璋しんしょうどのに匿っていただきたいと思っているのだ。岑璋どのの屋敷の場所を知っておらぬか」
「もちろん知っております」
といった少年は、ひとつの方向を指さした。
 農民がのどかに歌いながら農作業をしている畑の向こうに小高い丘がある。その中腹に瓦葺きの屋根で、周囲に塀を巡らせ立派な門をもつ建物がみえる。他の家はみな一様にとまで葺いた屋根に土壁でできた家畜小屋のような建物であり、丘の上から見下ろすように建つ家がこの一帯の統治者のそれであることがわかる。
 少年が立ち上がりながら、いった。
「私がご案内いたしましょう」
「それはありがたい」
「今宵はぜひとも田州での戦いのこと、諸々お聞かせください」
と、少年が目を輝かせた。
「それは構わぬが――」
と、岑猛が怪訝な顔をすると、
「ああ、申し遅れました。私は岑瓛しんがんと申します。土官知州岑璋は私の父です」
「なんと、知州どののご子息であられたか」
 岑瓛は、浅瀬を駆けてしぶきを上げてはしゃぐ全裸の少女を指さして、いった。
「妹は花蓮かれんと申します」
 岑瓛は花蓮を呼んだ。
 が、花蓮は聞こえぬのか、聞こえぬふりをしているのか、そのまま遊び続けている。
 岑瓛は走る花蓮を捕まえて、横向きに抱きかかえた。花蓮は足を激しくばたつかせ兄の腕から逃れようともがく。しかし兄のちからがまさり、花蓮はようやく観念し大人しくなった。
 岑瓛は自分の前に花蓮を立たせ、膝をついて服を着せた。
 花蓮は、服を着せられているあいだずっと、兄の肩越しから岑猛の目をみつめた。
 黒瑪瑙のように美しく輝き、それでいて、猛禽のような鋭さのある瞳である。
 岑猛は、その瞳に吸い込まれそうな感覚を抱いた。
 馬がぶるぶると鼻を鳴らす音で岑猛は我に返った。
 従者の岑栄しんえいが岑猛の馬を曳いてきたのだ。
 岑猛は岑瓛に
「では案内してくれ。君は岑栄の馬のうしろに乗ってくれ」
と告げた。そして花蓮を抱き上げて自分の馬の首にまたがらせた。
 花蓮が高い声で喜ぶ。
 岑猛も騎乗し、花蓮の腰に片腕をうしろからまわすと、花蓮は振り返って、まさに蓮の花のような華やかで清らかな笑みをみせた。
 岑猛も笑った。
 思い出せぬくらいに久しぶりの笑顔であった。
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