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酒飲みの黄金
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その老年男性の印象は『虎』だった。金茶色の短髪に鋭い眼光、背筋はピンと伸び、歩くにしろ執務をするにしろ、キビキビとしていて剛強な雰囲気がある。流石はカッツェルとの戦争で前線に立っていた人だ。
そんなマスタック侯爵がどうしてブークサレに滞在しているのかと言えば、事後処理、カージッドとベフメの領間戦争の後片付けの為であった。
「此度は助けられたぞバヨネッタ。そなたがおらねば大勢の血が流れた事だろう」
俺たちは今回の功労者として、マスタック侯爵がブークサレ滞在中、寝泊まりをしているベフメ伯爵別邸にやって来ていた。
この俺たちと言うのは、俺、バヨネッタさん、オルさんだけでなく、アンリさんやアルーヴの五人も入っている。ミデンは宿でお留守番だけど。
「他の者も此度の働きご苦労であった」
とても名誉な事らしく、侯爵に声を掛けられたアルーヴたちは泣きそうになっていた。
食堂で茶をしながら、バヨネッタさんとマスタック侯爵が何やら話をしている。俺やアンリさん、アルーヴたちは立ってそれを眺めているのが仕事だ。
「それで、ベフメ領を今後どうするつもり? あのお嬢さんには悪いけど、今すぐに領地経営を、と言われて出来るとは思えないわ」
とバヨネッタさんがぐいっと話題を切り込んだ。それにしても侯爵に対して砕けた話し方である。
「うむ。それについては私の方から補佐を付ける事で決定している」
バヨネッタさんの砕けた話し方に対して、マスタック侯爵は気にする素振りを見せず話を先に進めた。「おい」とマスタック侯爵が声を掛けると、侯爵の後ろに控えていた騎士の一人が一歩前に出る。
「私の孫の一人、ジェイリスだ」
それは若い虎と言った印象の、青年と言うより少年だった。年の頃なら俺と大差ないんじゃなかろうか? マスタック侯爵と同じ金茶色の髪をしたジェイリスくんは、ビシッと指先まで伸ばしてマスタック侯爵の後ろに立っている。その立ち姿は見た目の若さと反比例するように堂々としていた。
「ずいぶん固いわね。大丈夫? ベフメ伯爵領は砂糖の売買で成り上がった土地よ? 融通が利かせられなきゃやっていけないわよ? こんな子でやっていけるの?」
ジェイリスくんに対して辛辣な意見を言うバヨネッタさん。対してマスタック侯爵は大笑いだ。
「うむ。バヨネッタの不安は確かに私も感じていたものだ。だからこそジェイリスだとも言える。こやつは昔から頭が固くて、融通の利かないやつであった」
それじゃ駄目じゃないのか?
「だからこそベフメ領に送り込むのだ。ベフメ領の緩んだ規範を締め直す為でもあるし、ジェイリス自身の性格改善の為でもある。世の中、頭を柔らかくしないとやっていけない場面と言うのはあるからな」
確かに。規範に則るだけでなく、その場その場で臨機応変に対処しないといけない場面は多々ある。まあ、あまり場当たり的になってもいけないが。
「ふ~ん。でも一番の目的は、自分の孫をベフメ伯爵の側に置く事で、ゆくゆくはベフメ家をマスタック家の係累にする為でしょう?」
ん? どう言う事? ここでのベフメ伯爵がサーミア嬢を指しているのは分かったが。
『要はサーミア嬢とそこのジェイリスくんを結婚させて、自身の親類にしてしまおう、とマスタック侯爵は考えているのだ』
とアニンが教えてくれた。成程。うへえ、貴族社会って感じだなあ。結婚一つ取っても周りを出し抜く手段なんだなあ。
「ふむ。軽蔑したかね?」
「別に。興味ないわ。それで? 事後処理やそこのジェイリスくんとの顔合わせも終わったから、首都に帰りたい。で合っているのかしら?」
「ふふっ、バヨネッタは話が早くて助かる」
この二人の会話。どうも前から面識があったように感じる。バヨネッタさんがそこら辺教えてくれるか分からないけど。
「今回は、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
マスタック侯爵が帰ると知り、ベフメ伯爵(サーミア嬢)に加え、カージッド子爵夫妻も伯爵別邸にやって来た。
「侯爵閣下、此度の事は何とお礼を申し上げれば良いか」
カージッド子爵が侯爵に取り入ろうと近寄るが、
「いや、気にするな。カージッド子爵は良くやっている。このままこの地の経営に励むが良い」
とマスタック侯爵側からはいなされていた。
「では、私は首都に戻るが、今後このような愚かな事がないと私は信じておるよ」
と締めるところは締めて、マスタック侯爵はバヨネッタさんの転移扉で帰っていったのだった。
「ふう。全く、マスタック侯爵もあの歳だ、家督を子に譲って隠居すれば良いものを」
マスタック侯爵が転移扉から消えた側から、カージッド子爵の口から悪態が出る。
「あなた、そのような話、この場で言うような事ではないでしょう」
それをたしなめるダプニカ夫人。
「ふん。少しくらい良かろう。疎ましい存在だったベフメ伯爵は表舞台から消えたのだ。これで我が子爵家が隆盛する時代がきたのだ」
はあ。カージッド子爵、ぶっちゃけ過ぎじゃないだろうか? 他人事だが心配になるレベルだ。とカージッド子爵はベフメ伯爵(サーミア嬢)に向き直る。
「さてベフメ伯爵。これからは同じ貴族として、お互い助け合っていこうじゃないか。初めての領地経営で慣れない事も多いだろう。いくらでも私を頼ってくれて構わないからね」
胡散臭い笑顔をしながら、カージッド子爵がベフメ伯爵に近寄ろうとしたところで、その間にジェイリスくんが割って入る。
「それはありがたい。我々若輩には、先達のご指導ご鞭撻が不可欠ですから」
とカージッド子爵をその鋭い眼光で睨むジェイリスくん。
「誰かね君は?」
不遜な若者に誰何するカージッド子爵。
「これは名乗り出ず申し訳ありません。私はジェイリス。今回、祖父、マスタック侯爵からベフメ伯爵領の経営補佐を任じられました。今後とも宜しくお願いします」
マスタック侯爵の孫と聞いて、カージッド子爵の顔が自然と青ざめていく。中々どうして、ジェイリスくんの腹芸も大したものだ。
「そうでしたか。侯爵閣下のお孫様。それはそれは、こちらこそ今後とも宜しくお願いします」
と、カージッド子爵はそれだけ言うと、「片付けねばならない仕事がありました」とこの場を後にしたのだった。
その子爵の後を付いていこうとするダプニカ夫人を、バヨネッタさんが呼び止める。
「どうかしましたか?」
首を傾げる夫人も艶めかしい。
「あら? お忘れですか夫人? この件が解決したあかつきには、この領の財宝を頂く。そういう取り決めだったはずです」
「…………そうでしたわね」
ニヤつくバヨネッタさんを、夫人は憎々しげに見下ろすのだった。
「ふっふ~ん。やったわ!」
子爵邸からの帰り、バヨネッタさんは馬車の中でダプニカ夫人から渡された黄金の酒杯を手に持ち眺めている。しかし今回バヨネッタさんは結構骨折った訳で、その酒杯はそれに見合うものなのだろうか?
「どう言うものなんですか?」
俺は馬車の小窓越しに尋ねた。
「これは『酒飲みの黄金』と呼ばれる古代の魔道具なのよ」
「『酒飲みの黄金』、ですか?」
確かに黄金の酒杯ではあるが、魔道具?
「この酒杯に魔力を込めると……」
とバヨネッタさんが持つ空の酒杯が、あっという間に並々とした液体で満杯となった。そしてほのかに薫ってくる酒の匂い。
「それってもしかして、魔力を酒に変換する魔道具なんですか?」
「そうよ」
そう言ってバヨネッタさんは酒杯の中の酒を口にする。なんてくだらない魔道具なんだ!
「う~ん、味は普通ってところね」
味は普通なんだ。だがまあ、酒飲みにとって黄金に等しい価値があるのは想像に難くない。
「バヨネッタさんって、そんなにお酒好きでしたっけ?」
「いいえ」
ええ!?
「じゃあなんでそれを欲しがったんですか?」
「そこに古代の秘宝がある。それだけで欲しくなるものでしょう! 私はロマンを手に入れたのよ!」
ロマンは分かるが、夫人、凄え悔しがってたなあ。多分ダプニカ夫人は酒好きだったんだろうなあ。そう思うと、ベフメ伯爵の家令が欲しがったのも、この酒杯だったのかも知れない。酒も調度品も好きそうだったし。まあ、今となっては伯爵と一緒に蟄居の身だけど。
まあ、何であれ、これでこの件は落着だ。やっと先に進める。暗くなる空を見上げながら、俺は次なる旅に想いを馳せるのだった。
そんなマスタック侯爵がどうしてブークサレに滞在しているのかと言えば、事後処理、カージッドとベフメの領間戦争の後片付けの為であった。
「此度は助けられたぞバヨネッタ。そなたがおらねば大勢の血が流れた事だろう」
俺たちは今回の功労者として、マスタック侯爵がブークサレ滞在中、寝泊まりをしているベフメ伯爵別邸にやって来ていた。
この俺たちと言うのは、俺、バヨネッタさん、オルさんだけでなく、アンリさんやアルーヴの五人も入っている。ミデンは宿でお留守番だけど。
「他の者も此度の働きご苦労であった」
とても名誉な事らしく、侯爵に声を掛けられたアルーヴたちは泣きそうになっていた。
食堂で茶をしながら、バヨネッタさんとマスタック侯爵が何やら話をしている。俺やアンリさん、アルーヴたちは立ってそれを眺めているのが仕事だ。
「それで、ベフメ領を今後どうするつもり? あのお嬢さんには悪いけど、今すぐに領地経営を、と言われて出来るとは思えないわ」
とバヨネッタさんがぐいっと話題を切り込んだ。それにしても侯爵に対して砕けた話し方である。
「うむ。それについては私の方から補佐を付ける事で決定している」
バヨネッタさんの砕けた話し方に対して、マスタック侯爵は気にする素振りを見せず話を先に進めた。「おい」とマスタック侯爵が声を掛けると、侯爵の後ろに控えていた騎士の一人が一歩前に出る。
「私の孫の一人、ジェイリスだ」
それは若い虎と言った印象の、青年と言うより少年だった。年の頃なら俺と大差ないんじゃなかろうか? マスタック侯爵と同じ金茶色の髪をしたジェイリスくんは、ビシッと指先まで伸ばしてマスタック侯爵の後ろに立っている。その立ち姿は見た目の若さと反比例するように堂々としていた。
「ずいぶん固いわね。大丈夫? ベフメ伯爵領は砂糖の売買で成り上がった土地よ? 融通が利かせられなきゃやっていけないわよ? こんな子でやっていけるの?」
ジェイリスくんに対して辛辣な意見を言うバヨネッタさん。対してマスタック侯爵は大笑いだ。
「うむ。バヨネッタの不安は確かに私も感じていたものだ。だからこそジェイリスだとも言える。こやつは昔から頭が固くて、融通の利かないやつであった」
それじゃ駄目じゃないのか?
「だからこそベフメ領に送り込むのだ。ベフメ領の緩んだ規範を締め直す為でもあるし、ジェイリス自身の性格改善の為でもある。世の中、頭を柔らかくしないとやっていけない場面と言うのはあるからな」
確かに。規範に則るだけでなく、その場その場で臨機応変に対処しないといけない場面は多々ある。まあ、あまり場当たり的になってもいけないが。
「ふ~ん。でも一番の目的は、自分の孫をベフメ伯爵の側に置く事で、ゆくゆくはベフメ家をマスタック家の係累にする為でしょう?」
ん? どう言う事? ここでのベフメ伯爵がサーミア嬢を指しているのは分かったが。
『要はサーミア嬢とそこのジェイリスくんを結婚させて、自身の親類にしてしまおう、とマスタック侯爵は考えているのだ』
とアニンが教えてくれた。成程。うへえ、貴族社会って感じだなあ。結婚一つ取っても周りを出し抜く手段なんだなあ。
「ふむ。軽蔑したかね?」
「別に。興味ないわ。それで? 事後処理やそこのジェイリスくんとの顔合わせも終わったから、首都に帰りたい。で合っているのかしら?」
「ふふっ、バヨネッタは話が早くて助かる」
この二人の会話。どうも前から面識があったように感じる。バヨネッタさんがそこら辺教えてくれるか分からないけど。
「今回は、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
マスタック侯爵が帰ると知り、ベフメ伯爵(サーミア嬢)に加え、カージッド子爵夫妻も伯爵別邸にやって来た。
「侯爵閣下、此度の事は何とお礼を申し上げれば良いか」
カージッド子爵が侯爵に取り入ろうと近寄るが、
「いや、気にするな。カージッド子爵は良くやっている。このままこの地の経営に励むが良い」
とマスタック侯爵側からはいなされていた。
「では、私は首都に戻るが、今後このような愚かな事がないと私は信じておるよ」
と締めるところは締めて、マスタック侯爵はバヨネッタさんの転移扉で帰っていったのだった。
「ふう。全く、マスタック侯爵もあの歳だ、家督を子に譲って隠居すれば良いものを」
マスタック侯爵が転移扉から消えた側から、カージッド子爵の口から悪態が出る。
「あなた、そのような話、この場で言うような事ではないでしょう」
それをたしなめるダプニカ夫人。
「ふん。少しくらい良かろう。疎ましい存在だったベフメ伯爵は表舞台から消えたのだ。これで我が子爵家が隆盛する時代がきたのだ」
はあ。カージッド子爵、ぶっちゃけ過ぎじゃないだろうか? 他人事だが心配になるレベルだ。とカージッド子爵はベフメ伯爵(サーミア嬢)に向き直る。
「さてベフメ伯爵。これからは同じ貴族として、お互い助け合っていこうじゃないか。初めての領地経営で慣れない事も多いだろう。いくらでも私を頼ってくれて構わないからね」
胡散臭い笑顔をしながら、カージッド子爵がベフメ伯爵に近寄ろうとしたところで、その間にジェイリスくんが割って入る。
「それはありがたい。我々若輩には、先達のご指導ご鞭撻が不可欠ですから」
とカージッド子爵をその鋭い眼光で睨むジェイリスくん。
「誰かね君は?」
不遜な若者に誰何するカージッド子爵。
「これは名乗り出ず申し訳ありません。私はジェイリス。今回、祖父、マスタック侯爵からベフメ伯爵領の経営補佐を任じられました。今後とも宜しくお願いします」
マスタック侯爵の孫と聞いて、カージッド子爵の顔が自然と青ざめていく。中々どうして、ジェイリスくんの腹芸も大したものだ。
「そうでしたか。侯爵閣下のお孫様。それはそれは、こちらこそ今後とも宜しくお願いします」
と、カージッド子爵はそれだけ言うと、「片付けねばならない仕事がありました」とこの場を後にしたのだった。
その子爵の後を付いていこうとするダプニカ夫人を、バヨネッタさんが呼び止める。
「どうかしましたか?」
首を傾げる夫人も艶めかしい。
「あら? お忘れですか夫人? この件が解決したあかつきには、この領の財宝を頂く。そういう取り決めだったはずです」
「…………そうでしたわね」
ニヤつくバヨネッタさんを、夫人は憎々しげに見下ろすのだった。
「ふっふ~ん。やったわ!」
子爵邸からの帰り、バヨネッタさんは馬車の中でダプニカ夫人から渡された黄金の酒杯を手に持ち眺めている。しかし今回バヨネッタさんは結構骨折った訳で、その酒杯はそれに見合うものなのだろうか?
「どう言うものなんですか?」
俺は馬車の小窓越しに尋ねた。
「これは『酒飲みの黄金』と呼ばれる古代の魔道具なのよ」
「『酒飲みの黄金』、ですか?」
確かに黄金の酒杯ではあるが、魔道具?
「この酒杯に魔力を込めると……」
とバヨネッタさんが持つ空の酒杯が、あっという間に並々とした液体で満杯となった。そしてほのかに薫ってくる酒の匂い。
「それってもしかして、魔力を酒に変換する魔道具なんですか?」
「そうよ」
そう言ってバヨネッタさんは酒杯の中の酒を口にする。なんてくだらない魔道具なんだ!
「う~ん、味は普通ってところね」
味は普通なんだ。だがまあ、酒飲みにとって黄金に等しい価値があるのは想像に難くない。
「バヨネッタさんって、そんなにお酒好きでしたっけ?」
「いいえ」
ええ!?
「じゃあなんでそれを欲しがったんですか?」
「そこに古代の秘宝がある。それだけで欲しくなるものでしょう! 私はロマンを手に入れたのよ!」
ロマンは分かるが、夫人、凄え悔しがってたなあ。多分ダプニカ夫人は酒好きだったんだろうなあ。そう思うと、ベフメ伯爵の家令が欲しがったのも、この酒杯だったのかも知れない。酒も調度品も好きそうだったし。まあ、今となっては伯爵と一緒に蟄居の身だけど。
まあ、何であれ、これでこの件は落着だ。やっと先に進める。暗くなる空を見上げながら、俺は次なる旅に想いを馳せるのだった。
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