天人五衰

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天人五衰

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 謎に覚えている記憶と言うものがある。天界に住む完全無欠と思える天人が、衰えて人界に落ちると言う場面から始まる物語だ。図書館の隅に収まっていたとても分厚い本で、誰が書いたものなのか、いつの時代のものなのかも覚えていない。覚えているのは、古めかしい言葉で、それでいて情感を持って書かれていた事と、天界より落ちると言うのは、地上に住む我々人間が、水の中に落とされるように息苦しく、体を動かすのも不自由になるのだと言う感想だ。


 後にこれが天人五衰と言うのだと知るのだが、切っ掛けは京極夏彦でも中上健次でも、ましてや三島由紀夫でも無かった。やはり図書館で文庫コーナーにある一冊に書かれていたのを記憶している。


 あの本は何と言うタイトルだったのか、たまに思い出すのは『雨月物語』なのだが、後にさらりと斜めに目を通した『雨月物語』の書き出しはこうではなかったので違うだろうが、『雨月物語』と同じ棚にあったのではないか? とも思う。もしかしたらその頃の書物なのかも知れない。


 あの頃は良く図書館に通っていた。意味があって通っていた訳では無く、暇潰しと息苦しさの解消の為に通っていたのだ。


 引きこもりも10年を超えると、昼間に外出する事に抵抗が無くなり、やる事の無かった俺は図書館で時間を潰し、心の平穏をそこに求めていた。


 引きこもりなんてハミ出した生き方をしていたので、読んでいた本も変なものが占めていた。ミームの提唱者で、『利己的な遺伝子』の作者であるリチャード・ドーキンスの本を良く読んでいた。内容はもう覚えていないが、『利己的な遺伝子』は読んでいない。


 和算の本を読んで神社に算額なるものが奉納されている事を知り、他の惑星の気象学の本を読んで宇宙に思いを馳せたり、星新一の分厚いショートショート全集みたいな本を読んでみたら最後に長編だか中編だかが載っていたり、社会学の所にチョムスキーの本があるものだから、この人社会学者なのだろうと思っていたら、言語学者だった事に驚いたりしていた。


 これが図書館の利用法として正当だったのかは分からないが、心の療法としては十分活用させて貰ったと思う。


 哲学のさわりだけ読んで、理解した気になったり、ソシュールの言語哲学って魔法みたいだなあとか、ドゥルーズ、ガタリの器官なき身体とかリゾームにスペースオペラのような壮大なSFみを感じたり、面倒臭くてギリシア哲学に興味が持てずにいたりした。


 知識を入れども砂のように零れ落ち、脳は正常に稼働せず、周囲からの視線の居心地の悪さと、自分の体がままならない事に苛立ち、図書館へ行く道すがら、息苦しさに空を見上げれば、真っ青な天が自分が水の中にいるかのような錯覚を覚えさせる。


 きっと自分は天人の転生体で、天界の頃の感覚が残っているから、この体が馴染まないのだろう。そしてこの体に馴染んだ頃には死に、また別の生物に転生するのだ。今度は水魚だろうか? きっと水中から地上を見上げて、馴染まない体を嘆くのだろう。

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