ミラーハウス

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ミラーハウス

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 実家がある町には、四十年以上営業している遊園地がある。僕らの町の住人からしたら、遊び場と言えばその遊園地くらいしかなかったものだから、家族連れからカップルまで、老若男女が週末になるとそこへ通うのだ。


 家族でそこで遊び回り、帰りにショッピングモールに寄って買い物するのが、この町で生活している各家庭の毎週末の行事であった。


 我が家もご多分に漏れずそんな家庭の一つで、子供の頃から遊んでいたそんな遊び場は、中学生にもなると年間パスを取って、自転車で友達と遊びに行く場所となり、高校生になって彼女が出来れば、遊びに行くのはやはりこの遊園地なのだ。


 そんな遊園地だが、僕が恐れるアトラクションがある。ミラーハウスだ。要は全面鏡張りの迷路なのだが、最近の遊園地では聞かないアトラクションかも知れないが、昔からの遊園地には良くあったアトラクションだ。


 子供の頃の思い出なのでうろ覚えだが、僕はミラーハウスの迷路で迷子になった事がある。周囲は当然鏡で囲まれており、泣いている自分がいる。それだと言うのに、周囲の鏡に映る僕は笑っているのだ。ケタケタケタケタと僕を見て笑っているのだ。僕はそれがとても怖くて、必死になってその場から逃げ出し、走り回り、気付けばミラーハウスから出ていたのだが、泣いている僕を見て親は心配するし、ミラーハウスの係員が平謝りしながら、気味の悪いぬいぐるみをくれたのを良く覚えている。


 それ以来嫌いなミラーハウスなのだが、どうにも縁があるらしく、それからも折に触れてミラーハウスに入る事となった。


 例えば僕の醜態を見た兄と一緒に。例えば僕の話を聞いた友達たちと一緒に。例えば初めて出来た彼女と一緒に。そうやって折に触れてミラーハウスに入る事になるのだが、入った所で何が起こる訳でなく、普通に迷路をクリアして、ミラーハウスを出た後は、皆僕の方を見ながら物足りないような顔をするのだ。


 そんな思い出のある遊園地も、社会人になるととんと通わなくなり、そうこうしているうちに、親から遊園地が閉園する事になった旨を教えられた。


 残念だが、時代の流れには抗えなかったのだろう。入園人数も減少の一途で、アトラクションは老朽化が進んでおり、これ以上の経営は難しいとの判断だったそうだ。跡地に何を建設するのかはまだ決まっていないらしい。動物園とか、水族館とか、はたまた温泉施設とか、色々憶測が飛び交っているが、閉園後は当分廃墟のままだろうとの話だ。


 人間とは不思議なもので、あるのが当然と思っていたら関心が薄れるくせに、無くなると分かると、急に関心が復活する。僕もその性分に漏れず、無くなるならその前に一度行っておこう。と件の遊園地を訪れた訳だ。


 遊園地に入って見た光景に、寂れたな。と言う心の声が口から出そうになった。スピードの遅いジェットコースターにボロボロのメリーゴーランド。観覧車はさして高くなく、あれにはしゃいでいたのかと、物悲しさを感じてしまった。どれもこれもアトラクションとして既に骨董品のような部類に突入しており、これは閉園するのも仕方なしだと納得がいった。


 アトラクションに乗る気も起きないので、園内をぶらついていると、その外れにミラーハウスが建っていた。こんな外れにあったんだっけ? と記憶を辿りながらミラーハウスに近寄れば、看板は色褪せて、外観も老朽化が進んでいる。


「いらっしゃいませ」


「はあ」


 入り口で係員のお姉さんが笑顔を振り撒いてくれたが、周囲に人がいないので、何とも微妙な雰囲気になってしまった。


「どうですか? 今時、珍しい体験が出来ますよ?」


 係員のお姉さんは入場する事を僕に勧めてくるが、子供の頃の記憶がある僕は、どうにも二の足を踏んでしまう。が、ここで回れ右をしては、思い出と決別出来ない気がして、僕は思い切ってミラーハウスへ入場する事に決めた。


 中は薄暗く、鏡に映る自分の姿は奇妙に思えたが、子供時分と比べれば、大したものには見えなかった。何をあんなに怖がっていたのか。そう思いながらも、僕は右手で鏡を触りながら歩いて行く。


 歩いていけば記憶が甦り、そう言えばここをこうしてこう歩けば、最短ルートで外に出られるな。と記憶が教えてくれる。だがそれと同時に、それは勿体ないと僕は考えた。折角最後のミラーハウス探索なのだから、隅から隅まで楽しもう。そう思って、僕はあえて最短ルートではないルートを進む事に決めたのだ。


 あっちへ行っては突き当り、こっちへ行っては引き返し、そんな事を繰り返していたら、僕の右手に違和感を覚えた。何だろう? とその違和感とともに右手を押すと、鏡が動いたのだ。


「何だこれ?」


 そう思いながら動いた鏡の先へ進むと、そこは四方を鏡に囲まれた、行き止まりの空間となっていた。こんな部屋があったのか。と思いながら部屋の中央まで進んだ時の事だ。


「ケタケタケタケタケタケタケタケタ……」


 笑い声が部屋中に響き渡り、鏡の中の僕がこちらを向いて顔を歪ませて笑っている。あの時と一緒だ! その恐怖で僕はその部屋にいられなくなり、元来たルートを走って逃げ出し、ほうほうのていで何とか出口まで辿り着いたのだった。


 あれは何だったのか? ミラーハウスから出てきた僕が尋常じゃなかったからだろう。


「どうかされました?」


 とミラーハウスの係員のお姉さんが話し掛けてきた。このお姉さんに話した所で、何が解決する訳でもないが、話さなければ恐怖を一人で持ち帰る事になる。それは嫌なので、お姉さんには道連れになって貰おうと、中で起きた事を包み隠さず話した。


「それはおめでとうございます!」


「は?」


 僕は意味が分からず、不躾にお姉さんに聞き返していた。


「あの隠し部屋は、このミラーハウスの隠し要素なんですよ。気付かれる人はそうそういないのに、良く見付けられましたね」


 隠し部屋? 隠し要素?


「えっとー、心霊現象とかじゃなくて?」


「いえ、全然」


「笑い声とか、鏡の中の自分が笑っていたのとか」


「そう言う仕組みなんです。部屋に入ると笑い声が流れて、鏡も歪んでいるから、笑っているように見えるんです」


 …………何だよそれ。僕が思わずそこに崩れ落ちたのも仕方ない事だと思う。


「あ、隠し部屋を見付けた方には、景品が出るんですよ」


 そう言って係員のお姉さんが持ってきたのは、僕が昔貰った不気味なぬいぐるみだった。今見返せば、それがこの遊園地のマスコットキャラクターだと分かる。


 僕はそれを受け取ると、どっと疲れたせいもあって、そのまま遊園地を後にした。


 後日、そのぬいぐるみの写真ともに、ミラーハウスの隠し要素の話をSNSにアップしたら、意外な程バズって、閉園間近の遊園地はにわかに賑わったそうだ。そして意外と昔隠し部屋に辿り着いた人が何人かいた事も分かったので満足した。

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