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前世の記憶
5.
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前世では、私はそこそこ名の知れた大きな企業に就職して営業の仕事をしていた。
本当は幼稚園の先生とか、子どもに関わることのできる仕事がしたかったんだけど……、親の期待や圧をビシバシと感じとり、有名企業で働く道を選んでしまった。両親は喜んでいたけど、私は悔いが残ってもいた。
だから今度は、前の世界で言うところの幼児教育にあたる資格を取った。ここは女性の社会進出に関してまだまだ偏見の大きい世界。独り身で仕事をしている私は、周囲の男性たちから嫌なことを言われることもたびたびあったけれど、めげずに我が道を突き進んだ。
そうして私が選んだ道は、そんな中でもわりと未婚の女性が働いていることが多い職場だった。
あのジェイコブとの離婚から十数年後。私はとある地方にある大きな孤児院で、そこの管理者として働いていた。
(……今日でもう35歳かぁ……)
花々が咲き乱れる敷地内の広い庭の中、キャアキャアと高い声を上げて走り回る子どもたちを微笑ましく見守りながら、私はぼんやりと考えていた。前の人生では、ちょうど私が死んだ歳だわ。
(この十年以上、がむしゃらに働いてきたなぁ。自分が思う通りの生き方をしてきたし、充実してた。だから悔いはない。けど……)
やっぱり時々、ほんの少し、寂しい。
「こんにちは、リディア先生」
「っ!……あ、」
その時。凛とした男性の声でふいに呼びかけられ、心臓が跳ねる。ボーッとしてたからビックリしてしまった。声の主は、やはりあの人だった。
「こんにちは、アレックス様。巡回ですか?お疲れ様です」
波打つ銀髪を陽の光に輝かせながら、美しいグリーンの瞳を細めて私の方に歩いてくる一人の男性。彼の名はアレックス様という。この辺りのイートン侯爵領の私設騎士団に勤めている騎士様だ。
「ええ。今日も変わりないようですね」
「あれ以来ずっと、夜間も日中も警備を強化してくださっていますから。感謝しておりますわ。本当にありがとうございます」
実はこの孤児院は、一年ほど前強盗に襲われたのだ。私や職員は皆子どもたちを守ることに必死で、金品まで手が回らず、荒らされ放題になった施設からはほとんど全ての資金や金目の物が奪われてしまった。けれど、ちょうど付近を巡回していたイートン私設騎士団の騎士の方たちがすぐさま駆けつけ賊を取り押さえてくれたため、大きな怪我人もなく、すぐに金品も取り戻すことができたのだった。その時の騎士の一人がこのアレックス様だった。
その時以来、彼は頻繁にこの孤児院を訪れては、私たちの様子を確認してくれている。
「いえ。あなたが、……ここの皆さんが無事でいるのを確認すると安心します。……ところで、リディア先生、少しお時間をいただけませんでしょうか。今日はあなたに、お話ししたいことがございまして」
「?……私に、ですか?……は、はい。それは構いませんが……」
どうしたのかしら。改まって。一体何のお話だろう。
疑問に思っていると、ちょうどその時建物の中から他の職員の女性たちが出てきた。こちらに向かって走ってくる。
「あ、もういらしていたのですね、アレックス様」
「お待たせしました!ごめんなさーい」
「いや、すまない。……子どもたちのこと、しばらく頼んでもいいだろうか」
「はい!もちろんっ」
「お任せください」
職員たちとアレックス様の会話に、何となく違和感を覚える。まるで皆、アレックス様が今日ここに来ることを知っていたみたいな……。
「……よろしいですか、リディア先生」
「あ、はい。……じゃああなたたち、あの子たちを見ててもらっていい?」
「ええ!もちろんですっ」
「うふふっ。どうぞごゆっくり」
(……??)
何だか妙にニコニコしている若い職員たちにその場を任せ、私はアレックス様を連れて院の応接室へと向かった。
「どうぞ。……それで、お話というのは……?」
少し緊張した面持ちで姿勢を正して座るアレックス様に紅茶を出すと、私はローテーブルを挟んだ向かいの席に腰かけた。
「ありがとうございます。……実は、その、……、……緊張するな」
「……?」
なぜだかそんなことを言ってコホン、と軽く咳払いした彼は、ゆっくりと大きく呼吸をし、やがて私の顔を真正面から見据えた。
「……リディア先生。……いえ、リディアさん。お誕生日おめでとうございます」
「……。……えっ?」
予想だにしなかったその一言に、驚いて思わず変な声を上げてしまう。
「あ、ありがとう、ございます。……ご存知でしたの?私の誕生日を……」
どうして知っているのかしら。不思議に思っていると、私の心の内を見透かしたように、アレックス様がはにかんで答えた。
「ええ。実はだいぶ前に、ここの職員の女性たちに聞いていたんです。……ほら、さっきの」
「……ああ」
なるほど。そういうことか。
それでさっきあの子たち、なんだかニヤニヤしていたのね。
(……でも、どうしてわざわざ、こんな風に改まって……)
そんなことを考えているうちに、何だか無性に胸がざわめき、そわそわしてきてしまう。
動揺する私の前で、ふいにアレックス様はソファーから立ち上がると、ご自分の横に置いていた大きな紙袋の前にしゃがみ込み、何やらゴソゴソしはじめた。
そして。
「……っ!まぁ……っ!」
立ち上がってこちらを振り向いたアレックス様の手には、大きな花束が握られていた。それはとても幻想的な、真っ青な花々だけで作られた美しい花束だった。
(──────あ、れ…………?)
その青い花束を手に持ち、私の方にゆっくりと歩いてくるアレックス様の姿を見ている私の胸に、何かがふとよぎる。……何だろう、この感覚。心臓が早鐘を打ちはじめ、どうしようもなく、心が揺さぶられるような……。
もどかしくて、懐かしくて、そして何か、どうしようもなく、切ない…………。
アレックス様の瞳は私だけを捕らえ、そして彼はそのまま私の前にたどり着き、ゆっくりと跪いた。
「……っ、ア……、」
「……こちらの世界には、あの時のものと全く同じ花はないんだよ。不思議だね。だけどどうしても、君にまた青い花束を贈りたかったんだ」
……“また”……。
(……また……?)
「……何か、思い出す……?」
どこまでも穏やかで優しいグリーンの瞳は、まるで包み込むように私のことをジッと見つめている。
「……。アレックス、さま……」
「俺はあの時、心底後悔した。ずっと君を見ていたのに。君が元気がない時、あまり幸せそうに見えない時、どうしてもっと話を聞いてあげなかったんだろう、どうしてもっと強引にでも、俺のところにおいで、幸せにしてみせるからと、そう強く言わなかったんだろうって」
「……。」
アレックス様の言葉を聞いているうちに、記憶の断片が頭の中にチカチカと浮かんでくる。浮かんでは消えて、また別のシーンが浮かんで。
優しい笑顔。私が何かを伝えた後の、困ったような、気まずそうな顔。控えめに渡された、青い小さな花束。何かを言いながら、私を励ましてくれている時の真摯な瞳。
「君の死を知った時の絶望を、今でもはっきりと思い出すよ。……この世界で子どもの頃に記憶を取り戻してから、俺はずっと願っていた。こうして俺が生まれ変わったように、君もきっとこの世界のどこかにいるんじゃないかって。ずっと探していた。……だから一年前、あの賊たちを捕えた後、君がありがとうございましたと言って俺に声をかけてきてくれた時……、すぐに分かったよ。すぐに分かったんだ」
膝をつき、私に向かって大きな青い花束を差し出しながらそう語る彼の声は、少し掠れ、震えていた。
そしてその言葉を聞くうちに、彼に関するあらゆる記憶が私の中に溢れ、私の心も大きく震えた。
「……せんぱい……」
声にならない声で小さくそう呟くと、アレックス様はこの上なく嬉しそうに笑った。
「……思い出してくれたの?……よかった……ミオリ」
彼もとても小さな声で、“私”の名を囁いた。
“前世からの縁が深い相手とは、別の世界に生まれ変わった後に再び出会うことがある。必ずしも、その時に互いに気付くことができるわけではない。相手に対する何かしらの思いが深かった方が、先に気付く場合が多い────”
「…………っ!先輩……っ」
胸がいっぱいになり、私は顔を覆ってしゃくり上げた。
この人が、あの時の……。
私をずっと見守ってくれていた、先輩。
まさか今でもずっと、私のことを想い続けてくれていただなんて──────
アレックス様は私の膝の上に花束を置くと、腕を伸ばし、私の体ごと強く抱きしめた。
「もう間違わないよ。もう遠慮はしない。……リディア、どうかお願いだ。この世界での残りの人生を、俺と一緒に歩いていってくれ。今の君の人生を、必ず幸せなものにしてみせるから」
「……っ、……はい……。はい……っ!」
それ以上は言葉にならず、私は先輩の、……アレックス様の腕の中で、何度も何度も頷いた。
青い花々の優しい香りが、私たちを包み込んでいた。
◇ ◇ ◇
それから私たちはすぐに結婚し、アレックス様は我がブランベル子爵領の領主の座を父から継いでくれたのだった。
「感無量だよ、リディア。誰にも譲らず頑なに領主の地位に居座り続けた甲斐があったものだ。まさかお前がこの歳にもなって、イートン侯爵家の次男殿を捕まえてくるとはな。ははははは!」
「そ、そのことは私は知らなかったのです。だってアレックス様ったら何も仰らないんですもの。ご自分がイートン侯爵家のご令息だということも、私設騎士団の団長をされていることも……」
ブランベル子爵家の応接間でご機嫌に笑う父を尻目に、私は隣に座っているアレックス様を軽く睨む真似をした。
「君に萎縮されたくなかったんだよ。ただの騎士ということにしておいた方が、気さくに話してくれるんじゃないかと思って。……ごめんね」
……この優しい笑顔で私の顔を覗き込むようにしてこう言われると、私は弱い。
「……もう構いませんけど。済んだことですし」
「ふふ。リディアったら、お顔が真っ赤よ。よかったわね、こんなに素敵な旦那様ができて」
そう言ってくれる母の方が、よほど幸せそうな顔をしている。娘がようやく素敵な殿方と結婚したことで心底安心したのだろう。この世界で、こんな歳まで独り身でいた私を貰ってくれる人など、きっと他にはいなかったはずだ。
それに、私もこの人じゃなきゃ、きっと結婚なんてもうしなかった。
「体を大事にするんだぞ、リディア。36歳で出産するなど、ほとんど前例のない、とんでもない大仕事らしいからな」
「そうよ!いい?お医者様の言うことをよく聞いてね。絶対に無理はしないことよ」
「ええ、ええ。分かってますってば。無理なんて一切していませんから、大丈夫よ」
だいぶ大きくなってきたお腹を撫でながら、私はいつもの両親の言葉に何度も頷いておいた。
(実は結構産めるものなのよ。この世界ではちょっと特殊かもしれないけどね)
そんな親子のやり取りを、アレックス様は微笑ましげに見守ってくれている。私はチラリと彼を見ると、小さく微笑みを返したのだった。
イートン侯爵領にあるあの孤児院は今、信頼の置ける別のベテラン職員に管理の仕事を任せている。このブランベル子爵領からはかなり距離があるから、すぐには子どもたちに会いに行けないのが少し寂しい。
(だけど、この子が生まれたら必ずまた会いに行くからね。お利口にして待っていてね、みんな)
生まれ変わった私の、もう一つの人生。
もしかしたら人の魂って、こうして何度もいろいろな世界を巡っているのかもしれないな。
大切な人に、また出逢うために。
ーーーーーー end ーーーーーー
本当は幼稚園の先生とか、子どもに関わることのできる仕事がしたかったんだけど……、親の期待や圧をビシバシと感じとり、有名企業で働く道を選んでしまった。両親は喜んでいたけど、私は悔いが残ってもいた。
だから今度は、前の世界で言うところの幼児教育にあたる資格を取った。ここは女性の社会進出に関してまだまだ偏見の大きい世界。独り身で仕事をしている私は、周囲の男性たちから嫌なことを言われることもたびたびあったけれど、めげずに我が道を突き進んだ。
そうして私が選んだ道は、そんな中でもわりと未婚の女性が働いていることが多い職場だった。
あのジェイコブとの離婚から十数年後。私はとある地方にある大きな孤児院で、そこの管理者として働いていた。
(……今日でもう35歳かぁ……)
花々が咲き乱れる敷地内の広い庭の中、キャアキャアと高い声を上げて走り回る子どもたちを微笑ましく見守りながら、私はぼんやりと考えていた。前の人生では、ちょうど私が死んだ歳だわ。
(この十年以上、がむしゃらに働いてきたなぁ。自分が思う通りの生き方をしてきたし、充実してた。だから悔いはない。けど……)
やっぱり時々、ほんの少し、寂しい。
「こんにちは、リディア先生」
「っ!……あ、」
その時。凛とした男性の声でふいに呼びかけられ、心臓が跳ねる。ボーッとしてたからビックリしてしまった。声の主は、やはりあの人だった。
「こんにちは、アレックス様。巡回ですか?お疲れ様です」
波打つ銀髪を陽の光に輝かせながら、美しいグリーンの瞳を細めて私の方に歩いてくる一人の男性。彼の名はアレックス様という。この辺りのイートン侯爵領の私設騎士団に勤めている騎士様だ。
「ええ。今日も変わりないようですね」
「あれ以来ずっと、夜間も日中も警備を強化してくださっていますから。感謝しておりますわ。本当にありがとうございます」
実はこの孤児院は、一年ほど前強盗に襲われたのだ。私や職員は皆子どもたちを守ることに必死で、金品まで手が回らず、荒らされ放題になった施設からはほとんど全ての資金や金目の物が奪われてしまった。けれど、ちょうど付近を巡回していたイートン私設騎士団の騎士の方たちがすぐさま駆けつけ賊を取り押さえてくれたため、大きな怪我人もなく、すぐに金品も取り戻すことができたのだった。その時の騎士の一人がこのアレックス様だった。
その時以来、彼は頻繁にこの孤児院を訪れては、私たちの様子を確認してくれている。
「いえ。あなたが、……ここの皆さんが無事でいるのを確認すると安心します。……ところで、リディア先生、少しお時間をいただけませんでしょうか。今日はあなたに、お話ししたいことがございまして」
「?……私に、ですか?……は、はい。それは構いませんが……」
どうしたのかしら。改まって。一体何のお話だろう。
疑問に思っていると、ちょうどその時建物の中から他の職員の女性たちが出てきた。こちらに向かって走ってくる。
「あ、もういらしていたのですね、アレックス様」
「お待たせしました!ごめんなさーい」
「いや、すまない。……子どもたちのこと、しばらく頼んでもいいだろうか」
「はい!もちろんっ」
「お任せください」
職員たちとアレックス様の会話に、何となく違和感を覚える。まるで皆、アレックス様が今日ここに来ることを知っていたみたいな……。
「……よろしいですか、リディア先生」
「あ、はい。……じゃああなたたち、あの子たちを見ててもらっていい?」
「ええ!もちろんですっ」
「うふふっ。どうぞごゆっくり」
(……??)
何だか妙にニコニコしている若い職員たちにその場を任せ、私はアレックス様を連れて院の応接室へと向かった。
「どうぞ。……それで、お話というのは……?」
少し緊張した面持ちで姿勢を正して座るアレックス様に紅茶を出すと、私はローテーブルを挟んだ向かいの席に腰かけた。
「ありがとうございます。……実は、その、……、……緊張するな」
「……?」
なぜだかそんなことを言ってコホン、と軽く咳払いした彼は、ゆっくりと大きく呼吸をし、やがて私の顔を真正面から見据えた。
「……リディア先生。……いえ、リディアさん。お誕生日おめでとうございます」
「……。……えっ?」
予想だにしなかったその一言に、驚いて思わず変な声を上げてしまう。
「あ、ありがとう、ございます。……ご存知でしたの?私の誕生日を……」
どうして知っているのかしら。不思議に思っていると、私の心の内を見透かしたように、アレックス様がはにかんで答えた。
「ええ。実はだいぶ前に、ここの職員の女性たちに聞いていたんです。……ほら、さっきの」
「……ああ」
なるほど。そういうことか。
それでさっきあの子たち、なんだかニヤニヤしていたのね。
(……でも、どうしてわざわざ、こんな風に改まって……)
そんなことを考えているうちに、何だか無性に胸がざわめき、そわそわしてきてしまう。
動揺する私の前で、ふいにアレックス様はソファーから立ち上がると、ご自分の横に置いていた大きな紙袋の前にしゃがみ込み、何やらゴソゴソしはじめた。
そして。
「……っ!まぁ……っ!」
立ち上がってこちらを振り向いたアレックス様の手には、大きな花束が握られていた。それはとても幻想的な、真っ青な花々だけで作られた美しい花束だった。
(──────あ、れ…………?)
その青い花束を手に持ち、私の方にゆっくりと歩いてくるアレックス様の姿を見ている私の胸に、何かがふとよぎる。……何だろう、この感覚。心臓が早鐘を打ちはじめ、どうしようもなく、心が揺さぶられるような……。
もどかしくて、懐かしくて、そして何か、どうしようもなく、切ない…………。
アレックス様の瞳は私だけを捕らえ、そして彼はそのまま私の前にたどり着き、ゆっくりと跪いた。
「……っ、ア……、」
「……こちらの世界には、あの時のものと全く同じ花はないんだよ。不思議だね。だけどどうしても、君にまた青い花束を贈りたかったんだ」
……“また”……。
(……また……?)
「……何か、思い出す……?」
どこまでも穏やかで優しいグリーンの瞳は、まるで包み込むように私のことをジッと見つめている。
「……。アレックス、さま……」
「俺はあの時、心底後悔した。ずっと君を見ていたのに。君が元気がない時、あまり幸せそうに見えない時、どうしてもっと話を聞いてあげなかったんだろう、どうしてもっと強引にでも、俺のところにおいで、幸せにしてみせるからと、そう強く言わなかったんだろうって」
「……。」
アレックス様の言葉を聞いているうちに、記憶の断片が頭の中にチカチカと浮かんでくる。浮かんでは消えて、また別のシーンが浮かんで。
優しい笑顔。私が何かを伝えた後の、困ったような、気まずそうな顔。控えめに渡された、青い小さな花束。何かを言いながら、私を励ましてくれている時の真摯な瞳。
「君の死を知った時の絶望を、今でもはっきりと思い出すよ。……この世界で子どもの頃に記憶を取り戻してから、俺はずっと願っていた。こうして俺が生まれ変わったように、君もきっとこの世界のどこかにいるんじゃないかって。ずっと探していた。……だから一年前、あの賊たちを捕えた後、君がありがとうございましたと言って俺に声をかけてきてくれた時……、すぐに分かったよ。すぐに分かったんだ」
膝をつき、私に向かって大きな青い花束を差し出しながらそう語る彼の声は、少し掠れ、震えていた。
そしてその言葉を聞くうちに、彼に関するあらゆる記憶が私の中に溢れ、私の心も大きく震えた。
「……せんぱい……」
声にならない声で小さくそう呟くと、アレックス様はこの上なく嬉しそうに笑った。
「……思い出してくれたの?……よかった……ミオリ」
彼もとても小さな声で、“私”の名を囁いた。
“前世からの縁が深い相手とは、別の世界に生まれ変わった後に再び出会うことがある。必ずしも、その時に互いに気付くことができるわけではない。相手に対する何かしらの思いが深かった方が、先に気付く場合が多い────”
「…………っ!先輩……っ」
胸がいっぱいになり、私は顔を覆ってしゃくり上げた。
この人が、あの時の……。
私をずっと見守ってくれていた、先輩。
まさか今でもずっと、私のことを想い続けてくれていただなんて──────
アレックス様は私の膝の上に花束を置くと、腕を伸ばし、私の体ごと強く抱きしめた。
「もう間違わないよ。もう遠慮はしない。……リディア、どうかお願いだ。この世界での残りの人生を、俺と一緒に歩いていってくれ。今の君の人生を、必ず幸せなものにしてみせるから」
「……っ、……はい……。はい……っ!」
それ以上は言葉にならず、私は先輩の、……アレックス様の腕の中で、何度も何度も頷いた。
青い花々の優しい香りが、私たちを包み込んでいた。
◇ ◇ ◇
それから私たちはすぐに結婚し、アレックス様は我がブランベル子爵領の領主の座を父から継いでくれたのだった。
「感無量だよ、リディア。誰にも譲らず頑なに領主の地位に居座り続けた甲斐があったものだ。まさかお前がこの歳にもなって、イートン侯爵家の次男殿を捕まえてくるとはな。ははははは!」
「そ、そのことは私は知らなかったのです。だってアレックス様ったら何も仰らないんですもの。ご自分がイートン侯爵家のご令息だということも、私設騎士団の団長をされていることも……」
ブランベル子爵家の応接間でご機嫌に笑う父を尻目に、私は隣に座っているアレックス様を軽く睨む真似をした。
「君に萎縮されたくなかったんだよ。ただの騎士ということにしておいた方が、気さくに話してくれるんじゃないかと思って。……ごめんね」
……この優しい笑顔で私の顔を覗き込むようにしてこう言われると、私は弱い。
「……もう構いませんけど。済んだことですし」
「ふふ。リディアったら、お顔が真っ赤よ。よかったわね、こんなに素敵な旦那様ができて」
そう言ってくれる母の方が、よほど幸せそうな顔をしている。娘がようやく素敵な殿方と結婚したことで心底安心したのだろう。この世界で、こんな歳まで独り身でいた私を貰ってくれる人など、きっと他にはいなかったはずだ。
それに、私もこの人じゃなきゃ、きっと結婚なんてもうしなかった。
「体を大事にするんだぞ、リディア。36歳で出産するなど、ほとんど前例のない、とんでもない大仕事らしいからな」
「そうよ!いい?お医者様の言うことをよく聞いてね。絶対に無理はしないことよ」
「ええ、ええ。分かってますってば。無理なんて一切していませんから、大丈夫よ」
だいぶ大きくなってきたお腹を撫でながら、私はいつもの両親の言葉に何度も頷いておいた。
(実は結構産めるものなのよ。この世界ではちょっと特殊かもしれないけどね)
そんな親子のやり取りを、アレックス様は微笑ましげに見守ってくれている。私はチラリと彼を見ると、小さく微笑みを返したのだった。
イートン侯爵領にあるあの孤児院は今、信頼の置ける別のベテラン職員に管理の仕事を任せている。このブランベル子爵領からはかなり距離があるから、すぐには子どもたちに会いに行けないのが少し寂しい。
(だけど、この子が生まれたら必ずまた会いに行くからね。お利口にして待っていてね、みんな)
生まれ変わった私の、もう一つの人生。
もしかしたら人の魂って、こうして何度もいろいろな世界を巡っているのかもしれないな。
大切な人に、また出逢うために。
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