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妹は生まれた時から全てを持っていた。
6.
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突如聞こえた金切り声に驚いて振り向くと、玄関先に母が鬼の形相で立っていた。はぁはぁと肩で荒い息をしている。その後ろから父も出てきた。
「ど……っ、どこに行くつもりなの?!え?!掃除も放りだして……。その男は一体誰なの?!」
どうしよう。困った私が思わずロベールの顔を見上げると、彼は安心させるように優しく微笑み、私を背中に隠すようにして両親から庇ってくれる。
「あなた方が使用人同然に扱っているらしいこちらの女性は、俺にとっての大切な人だ。このまま俺の国に連れて帰る」
「まっ!……お、お待ちください」
父が前に出て、慌てて口を挟む。
「ど、どこぞのどなたか存じませんが、身なりから推察するに、おそらくは高貴なご身分の方でいらっしゃいますな」
「まぁ、そうなるかな。だがこの国の者ではない。ニナは俺の国に連れて帰るつもりだ。大切にしていなかった方の娘だ。問題ないだろう」
「い、いや!!大問題ですよ!!ニナは私共が大切に大切に育て上げてきた娘にございます。どうしてもお連れになりたいと仰るのなら……相応の金額をいただかねば……!」
「そっ!そうですわ!!ただでお渡しするわけにはまいりませんわ!!それなりの金額をお支払いいただかなくては!」
(……。要するにお金が欲しいだけなのね。娘を他国へ連れて行かないでって、縋ってくれるわけじゃないんだ。……分かっていたけれど)
悲しくなったのは、この期に及んで両親の私への愛情のなさを再確認したからではない。昔は堂々たる振る舞いで尊大な態度を崩さなかった二人が、今やお金欲しさに必死で、あまりにも惨めで情けなく見えたからだ。
だけど……
(……このまま見捨てて行くの……?慣れない貧しさの中で喘いでいる、仮にも実の両親を、見殺しにして……?)
様々な思いが一度に押し寄せ、困り果てた私はロベールを見上げる。
すると私の方を振り返っていたロベールがハッとしたように目を開き、それからクスリと笑った。
「……参ったな。俺は君を苦しめ続けてきた奴らに情けなんてかけるつもりは一切なかったんだ。……だけど、ようやく会えた君からそんな目で見つめられると……」
そう言って私の頬を少し撫でると、ロベールは両親の方に向き直り、懐から取り出した何かを投げた。
地面にカラカラと転がったものは、数枚の銀貨だった。
「ほら。拾え」
「は…………はぁぁぁっ!」
父と母は飢えた獣のように一斉に飛びかかり、這いつくばって銀貨を拾い集めはじめた。服の裾を汚しながら背中を丸めてせっせと銀貨を拾う二人を見ているうちに、私の中の憐憫の情がすうっと消えていくような気がした。
「もういいだろう。さぁ、今度こそ行こう、ニナ」
「……ええ、ロベール」
そうして私は生まれ育ったバランド侯爵家を後にしたのだった。
やがて母国は大国に降伏し、その支配下に置かれることとなった。ロベールが人を使って調べてくれた情報によると、王太子をはじめとする王家の数人が処刑された後、王太子妃セレスティーヌは捕らえられ、その美貌ゆえに大国の騎士団専用の娼婦となり働かされているという。
私の実家であるバランド侯爵邸は取り壊され、跡形もなくなっていたそうだ。どうやら父と母は大国の追手から逃げ延び、身寄りのない人々が集まって暮らす貧民街の施設にいるらしい。きっとあの人たちにとっては耐え難いほどの質素な暮らしを強いられていることだろう。正気を保っているだろうか。
ロベールの故郷の地に降り立った私は、彼の妻となり、その後お父上から爵位を継いだ彼のサポートをしながら幸せに暮らしている。培ってきた知識を駆使して広大な辺境伯領を切り盛りしながら領民たちの生活を見てまわり、花や野菜を育て、使用人の皆と一緒になって屋敷の手入れもしている。もうすぐここに、“子育て”という新しい仕事が加わりそうだ。
「奥様!お願いですからどうぞもうご無理をなさらず!そんなに働かなくとも私たちがおりますでしょう。大きなお腹を抱えてあちこち飛び回られたんじゃこっちが心配でたまりませんよ」
「そうですよ!奥様に何かあったら私たちが旦那様に怒られるんですからねー!」
優しい侍女や使用人たちがいつも心配してくれるけど、大丈夫だってば。私だってちゃんと分かってる。この子の命を危険にさらすような無茶な真似はしないわ。
でもね、じっとなんてしていられないの。
だって私、生まれて初めて、今こんなにも人生が楽しくてたまらないんですもの!
ーーーーー end ーーーーー
「ど……っ、どこに行くつもりなの?!え?!掃除も放りだして……。その男は一体誰なの?!」
どうしよう。困った私が思わずロベールの顔を見上げると、彼は安心させるように優しく微笑み、私を背中に隠すようにして両親から庇ってくれる。
「あなた方が使用人同然に扱っているらしいこちらの女性は、俺にとっての大切な人だ。このまま俺の国に連れて帰る」
「まっ!……お、お待ちください」
父が前に出て、慌てて口を挟む。
「ど、どこぞのどなたか存じませんが、身なりから推察するに、おそらくは高貴なご身分の方でいらっしゃいますな」
「まぁ、そうなるかな。だがこの国の者ではない。ニナは俺の国に連れて帰るつもりだ。大切にしていなかった方の娘だ。問題ないだろう」
「い、いや!!大問題ですよ!!ニナは私共が大切に大切に育て上げてきた娘にございます。どうしてもお連れになりたいと仰るのなら……相応の金額をいただかねば……!」
「そっ!そうですわ!!ただでお渡しするわけにはまいりませんわ!!それなりの金額をお支払いいただかなくては!」
(……。要するにお金が欲しいだけなのね。娘を他国へ連れて行かないでって、縋ってくれるわけじゃないんだ。……分かっていたけれど)
悲しくなったのは、この期に及んで両親の私への愛情のなさを再確認したからではない。昔は堂々たる振る舞いで尊大な態度を崩さなかった二人が、今やお金欲しさに必死で、あまりにも惨めで情けなく見えたからだ。
だけど……
(……このまま見捨てて行くの……?慣れない貧しさの中で喘いでいる、仮にも実の両親を、見殺しにして……?)
様々な思いが一度に押し寄せ、困り果てた私はロベールを見上げる。
すると私の方を振り返っていたロベールがハッとしたように目を開き、それからクスリと笑った。
「……参ったな。俺は君を苦しめ続けてきた奴らに情けなんてかけるつもりは一切なかったんだ。……だけど、ようやく会えた君からそんな目で見つめられると……」
そう言って私の頬を少し撫でると、ロベールは両親の方に向き直り、懐から取り出した何かを投げた。
地面にカラカラと転がったものは、数枚の銀貨だった。
「ほら。拾え」
「は…………はぁぁぁっ!」
父と母は飢えた獣のように一斉に飛びかかり、這いつくばって銀貨を拾い集めはじめた。服の裾を汚しながら背中を丸めてせっせと銀貨を拾う二人を見ているうちに、私の中の憐憫の情がすうっと消えていくような気がした。
「もういいだろう。さぁ、今度こそ行こう、ニナ」
「……ええ、ロベール」
そうして私は生まれ育ったバランド侯爵家を後にしたのだった。
やがて母国は大国に降伏し、その支配下に置かれることとなった。ロベールが人を使って調べてくれた情報によると、王太子をはじめとする王家の数人が処刑された後、王太子妃セレスティーヌは捕らえられ、その美貌ゆえに大国の騎士団専用の娼婦となり働かされているという。
私の実家であるバランド侯爵邸は取り壊され、跡形もなくなっていたそうだ。どうやら父と母は大国の追手から逃げ延び、身寄りのない人々が集まって暮らす貧民街の施設にいるらしい。きっとあの人たちにとっては耐え難いほどの質素な暮らしを強いられていることだろう。正気を保っているだろうか。
ロベールの故郷の地に降り立った私は、彼の妻となり、その後お父上から爵位を継いだ彼のサポートをしながら幸せに暮らしている。培ってきた知識を駆使して広大な辺境伯領を切り盛りしながら領民たちの生活を見てまわり、花や野菜を育て、使用人の皆と一緒になって屋敷の手入れもしている。もうすぐここに、“子育て”という新しい仕事が加わりそうだ。
「奥様!お願いですからどうぞもうご無理をなさらず!そんなに働かなくとも私たちがおりますでしょう。大きなお腹を抱えてあちこち飛び回られたんじゃこっちが心配でたまりませんよ」
「そうですよ!奥様に何かあったら私たちが旦那様に怒られるんですからねー!」
優しい侍女や使用人たちがいつも心配してくれるけど、大丈夫だってば。私だってちゃんと分かってる。この子の命を危険にさらすような無茶な真似はしないわ。
でもね、じっとなんてしていられないの。
だって私、生まれて初めて、今こんなにも人生が楽しくてたまらないんですもの!
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