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2. 秘密の契約(※sideザイール)
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「……。」
あの娘は自分の役割をきちんと理解しているようだ。私は自室に戻り、息をついた。
やはりあの娘を選んだのは正解だったようだ。
重い病に臥した父が激しく咳き込みながら、その合間に必死の形相で私に言った。
「……このままでは、コネリー侯爵家の先が心配で、死んでも死にきれん……。ザイールよ……、どうか、この父の願いを聞き入れてくれ……。お前だけが、頼りなのだから……。一番優秀な、お前の、子が、……この、コネリー侯爵家を……」
弟たちがいるのだから、私は別に結婚しなくてもいいでしょう。私はするつもりはない。仕事には全力で取り組みますから、結婚に関してはもう口出ししないで欲しい。
ずっと両親にそう言っては、婚約の話も全て断ってきた。
しかし両親の願いは、兄弟たちの中で最も優秀な長男であるこの私に結婚して、子をなしてもらうことだった。何年もずっとこの件に関しては両親と衝突してきた私だったが、昨年父が重い病を患い倒れてしまった。あらゆる治療を試みたがもう手の施しようがなく、もってあと数ヶ月程だろうと医者から言われていた。
父はますます強く願うようになった。コネリー侯爵家の行く先を心配し、病の床から私に何度も何度も頼み込んできた。
私はほとほと参ってしまった。
私は女性が極端に苦手だった。自分の見てくれや侯爵家の背景に勝手に釣られてはくねくねと不気味に擦り寄ってくる、計算高い、ウンザリする生き物。幼少の頃からあらゆる狡猾な令嬢たちに言いよられ、自分を巡って醜く言い争い牽制しあう女たちを見ていると、心底嫌になってしまったのだ。
愛などまやかしだ。そんなものは存在しない。
だがこのまま父を逝かせたくはない。結婚のことに関してだけは鬱陶しくてかなわない父だったが、私は父を心から尊敬し、愛していた。
悩みに悩んだ。一時的に白い結婚をしてくれる相手を探すのはどうだろうか。父を安心させ、安らかな気持ちで旅立たせた後は、結婚を解消する。だがそんな都合の良い、上辺だけの結婚に応じてくれるそれなりの令嬢を探すなど、至難の業だと思った。良き家柄の娘をほんの数ヶ月や一年そこらで放り出せば相手方は黙ってはいないだろうし、そもそもその約束で結婚した相手が、実際にすんなり離縁してくれるという保証はない。いざその時が来れば駄々をこねて、次期コネリー侯爵の妻の座に居座ろうとするかもしれない。
悩んでいたその時ふと頭をよぎったのが、領地経営が逼迫し追い詰められている伯爵家の娘、メリナ・アップルヤードだった。同じ学園で学んでいた彼女は、他の軽薄な令嬢たちのように自分にキャーキャーとうるさく擦り寄ってくることなど一度もなかった。いつも皆より数歩下がっているような、控えめな性格に思えた。もしかしたら、それは実家が没落しかかっている引け目があるからかもしれないが。しかし、彼女はとても賢い。努力して常に上位の成績をキープしていたと記憶している。ほとんど会話などしたこともなかったが、彼女の印象は悪くなかった。
(浮ついていなくて、しっかりしている。煩わしくもない。そして賢い。その上、実家は窮地に追いやられている……金は必要なはずだ)
私は熟考の末、意を決してメリナ・アップルヤード伯爵令嬢に秘密の契約を持ちかけたのだった。自分と上辺だけの結婚をして欲しいということ。病床の父を安心させたいことがその唯一の理由だということ。父の死後、速やかに離縁して欲しいこと。その際、絶対に「やはり離縁はしたくない」などと食い下がらないこと。そして離縁の際には、多額の謝礼金を慰謝料という名目で、こちら側がアップルヤード伯爵家に支払うこと。この結婚が白い結婚であることは、誰にも口外しないこと。
「……つまり、お飾りの妻としての役目を果たす、ということですわね」
突然の呼び出しにも関わらずコネリー侯爵家まで出向いてくれたメリナは、私の話を最後まで静かに聞くと、落ち着いた声でそう呟いた。
「そうだ。私の記憶している限り、君はとても賢くてしっかりしている。……この条件で、私を助けてくれないだろうか。アップルヤード伯爵家にとっても、悪くない話ではないかと思うのだが」
逼迫した伯爵家の娘だからだろう、メリナにはいまだに婚約者はいないようだった。祈るような思いで返事を待っていると、俯いていたメリナは少しの間を置いて、ぱっと明るい表情を私に向けた。
「はい、構いませんわ。そのお役目、引き受けさせていただきます。私でお役に立てますならば」
よかった。私は心底ホッとした。
「……ありがとう、メリナ嬢。感謝する」
「こちらこそ、我が家に救いの手を差し伸べてくださって、感謝いたしますわ、ザイール様」
こうして私たち二人の秘密の契約が成立したのだった。
あの娘は自分の役割をきちんと理解しているようだ。私は自室に戻り、息をついた。
やはりあの娘を選んだのは正解だったようだ。
重い病に臥した父が激しく咳き込みながら、その合間に必死の形相で私に言った。
「……このままでは、コネリー侯爵家の先が心配で、死んでも死にきれん……。ザイールよ……、どうか、この父の願いを聞き入れてくれ……。お前だけが、頼りなのだから……。一番優秀な、お前の、子が、……この、コネリー侯爵家を……」
弟たちがいるのだから、私は別に結婚しなくてもいいでしょう。私はするつもりはない。仕事には全力で取り組みますから、結婚に関してはもう口出ししないで欲しい。
ずっと両親にそう言っては、婚約の話も全て断ってきた。
しかし両親の願いは、兄弟たちの中で最も優秀な長男であるこの私に結婚して、子をなしてもらうことだった。何年もずっとこの件に関しては両親と衝突してきた私だったが、昨年父が重い病を患い倒れてしまった。あらゆる治療を試みたがもう手の施しようがなく、もってあと数ヶ月程だろうと医者から言われていた。
父はますます強く願うようになった。コネリー侯爵家の行く先を心配し、病の床から私に何度も何度も頼み込んできた。
私はほとほと参ってしまった。
私は女性が極端に苦手だった。自分の見てくれや侯爵家の背景に勝手に釣られてはくねくねと不気味に擦り寄ってくる、計算高い、ウンザリする生き物。幼少の頃からあらゆる狡猾な令嬢たちに言いよられ、自分を巡って醜く言い争い牽制しあう女たちを見ていると、心底嫌になってしまったのだ。
愛などまやかしだ。そんなものは存在しない。
だがこのまま父を逝かせたくはない。結婚のことに関してだけは鬱陶しくてかなわない父だったが、私は父を心から尊敬し、愛していた。
悩みに悩んだ。一時的に白い結婚をしてくれる相手を探すのはどうだろうか。父を安心させ、安らかな気持ちで旅立たせた後は、結婚を解消する。だがそんな都合の良い、上辺だけの結婚に応じてくれるそれなりの令嬢を探すなど、至難の業だと思った。良き家柄の娘をほんの数ヶ月や一年そこらで放り出せば相手方は黙ってはいないだろうし、そもそもその約束で結婚した相手が、実際にすんなり離縁してくれるという保証はない。いざその時が来れば駄々をこねて、次期コネリー侯爵の妻の座に居座ろうとするかもしれない。
悩んでいたその時ふと頭をよぎったのが、領地経営が逼迫し追い詰められている伯爵家の娘、メリナ・アップルヤードだった。同じ学園で学んでいた彼女は、他の軽薄な令嬢たちのように自分にキャーキャーとうるさく擦り寄ってくることなど一度もなかった。いつも皆より数歩下がっているような、控えめな性格に思えた。もしかしたら、それは実家が没落しかかっている引け目があるからかもしれないが。しかし、彼女はとても賢い。努力して常に上位の成績をキープしていたと記憶している。ほとんど会話などしたこともなかったが、彼女の印象は悪くなかった。
(浮ついていなくて、しっかりしている。煩わしくもない。そして賢い。その上、実家は窮地に追いやられている……金は必要なはずだ)
私は熟考の末、意を決してメリナ・アップルヤード伯爵令嬢に秘密の契約を持ちかけたのだった。自分と上辺だけの結婚をして欲しいということ。病床の父を安心させたいことがその唯一の理由だということ。父の死後、速やかに離縁して欲しいこと。その際、絶対に「やはり離縁はしたくない」などと食い下がらないこと。そして離縁の際には、多額の謝礼金を慰謝料という名目で、こちら側がアップルヤード伯爵家に支払うこと。この結婚が白い結婚であることは、誰にも口外しないこと。
「……つまり、お飾りの妻としての役目を果たす、ということですわね」
突然の呼び出しにも関わらずコネリー侯爵家まで出向いてくれたメリナは、私の話を最後まで静かに聞くと、落ち着いた声でそう呟いた。
「そうだ。私の記憶している限り、君はとても賢くてしっかりしている。……この条件で、私を助けてくれないだろうか。アップルヤード伯爵家にとっても、悪くない話ではないかと思うのだが」
逼迫した伯爵家の娘だからだろう、メリナにはいまだに婚約者はいないようだった。祈るような思いで返事を待っていると、俯いていたメリナは少しの間を置いて、ぱっと明るい表情を私に向けた。
「はい、構いませんわ。そのお役目、引き受けさせていただきます。私でお役に立てますならば」
よかった。私は心底ホッとした。
「……ありがとう、メリナ嬢。感謝する」
「こちらこそ、我が家に救いの手を差し伸べてくださって、感謝いたしますわ、ザイール様」
こうして私たち二人の秘密の契約が成立したのだった。
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