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35. 揺るぎない決断(※sideセシル)
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「……退職したい? 本気かい? セシル」
セレネスティア王国での視察が終わり帰国するやいなや、俺はビクトール王太子殿下に自分の意向を伝えた。俺の申し出を聞いた殿下は、その美しい碧眼を大きく見開いていた。
俺が王国騎士団に入り王宮で勤めはじめ、頭角を現すようになってからというもの、ずっと目をかけてくださっていた俺より三つ年上の王太子殿下。こうして近衛騎士にまで取り立てていただいたのに、自分の都合でその職を離れたいなどと申し出るのは、あまりにも身勝手だろう。
だが、ティナの暮らすセレネスティア王国へ戻るためにはこうするしかない。俺に迷いはなかった。
もう二度と、ティナを失いたくはない。
国よりも家族よりも、俺にとって大切なのはティナだ。絶対に彼女を取り戻す。
「不義理をお許しください、などと調子のいいことは申し上げられません。ご迷惑をおかけいたします、殿下。これまで本当に、ありがとうございました」
「……セシル」
最後の挨拶のつもりでそう言った俺に、殿下は静かに言葉をかける。
「せめて事情くらいは教えてくれてもいいんじゃないのか。忠誠心があり真面目な君が、突然こんなことを言い出すのだから、それ相応の理由があるのだろう。自分の言っている言葉の意味が分からないほど、君は馬鹿でもない。せっかくここで築きつつあった地位も名誉も、全てを捨てるということだぞ? お父上もきっとお許しにはならないだろう。それさえも覚悟の上だというのならば、その理由を教えておくれ」
「……殿下」
「こんな辞め方、私は納得がいかないよ。セシル」
「……っ、」
さんざん目をかけてくださったビクトール殿下にこうまで言われれば、無視してここを去ることなどできない。俺は覚悟を決め、全てを話すことを決めた。
「────じゃあ、あの時治療院でエイマー院長に呼ばれて資料を持ってきたあの女性が、君の長年の想い人であった、と……? すごい偶然だな。たしかに、運命的な再会だ」
「……もう二度と、彼女を失うわけにはいきません。今度こそティナに愛を伝え、彼女のそばで生きていきます。そのためならば、今手にしている何もかもを失う覚悟もあります。……申し訳ございません、殿下」
俺が再びそう謝罪すると、殿下はクスリと声を漏らした。
「たしかに、酷い男だよ。想い人に再会した途端、この私をあっさり捨ててしまうなんて」
「捨てるなど……。殿下、俺はそのような……」
俺の言葉を遮るように、殿下は穏やかな瞳を俺に向けて言った。
「では、ここは一旦休職という形をとるのはどうだろうか。君が想い人である彼女の元を訪れ、話をして、その後首尾よく彼女を連れて帰国できるかもしれないだろう? その時に君が無職になっていたのでは、その後の生活はどうする」
「……殿下……」
「私としても、君ほど腕の立つ近衛を失うことはとても残念なんだ。リグリー侯爵が何というかは知らないが、私が君をそばに置くと言えば、彼も文句など言えないだろう」
「……ですが殿下、俺はおそらく、リグリー侯爵家を勘当されます」
「君がリグリー侯爵家の息子だから登用したわけではないよ」
「……首尾よく帰国するとも限りません。もしかしたら、状況次第では二度とこの王国には戻ってこないかもしれない」
「まぁ、その時は君を諦めるしかないだろうね」
あっさりとそう仰るビクトール殿下のご厚意に、俺は深く感謝する他なかった。
「……ありがとうございます、殿下」
「うん。私としては、君が彼女とともに再びこのレドーラ王国に戻ってきてくれることを祈るばかりだよ。……いっておいで、セシル」
そう言うと、殿下は柔らかく微笑んだ。
ビクトール殿下の反応とは対照的に、リグリー侯爵邸は嵐のような騒ぎとなった。
こめかみに青筋を立てた父が、唸るような低い声で俺に問う。
「……隣国で惚れた女に再会したから、グレネル公爵令嬢との婚約を解消したい、だと? 気でも狂ったのかお前は。そのようなこと、許すはずがなかろう」
すかさず母が横から口を出す。
「あの女なのね? シアーズ男爵家にいた、あのメイドの産んだ娘。そうなのでしょう? あなたは昔から、あの娘にだけやたらと執着していたわ。商会の会長と結婚する予定だったのに、直前になって逃げ出して姿をくらませたとは聞いていたけれど……。隣国で生き延びていただなんて。その上、うちの息子をまた籠絡しようなどと……なんて浅ましい小娘かしら……!」
「母上、ティナを貶めるようなことを言うのは止めていただきたい。俺が一方的に、彼女を得たいと願っているだけです。ティナは何もしていない」
「許さぬ」
父は一言そう言うと居間のソファーから立ち上がり、俺の目の前までゆっくりと歩いてきた。
対峙した俺に、父はきっぱりと言い放つ。その目にはかつて見たことがないほどの激しい怒りの炎が宿っていた。
「お前のその身勝手な決断が、我がリグリー侯爵家の存続をも揺るがすことになるかもしれんのだぞ。グレネル公爵がお許しになると思うか。以前も言ったはずだ。お前が私の命令を無視してその女のところへ行くと言うのならば、どんな手を使ってでもお前たちの将来を潰してやる」
父の本気は痛いほど伝わってきた。だが、俺の決意は微塵も揺らがなかった。
「お好きになさってください、父上。グレネル公爵令嬢と結婚しない決断をしたことは、申し訳なく思います。が、俺の気持ちは変わらない。そもそも、グレネル公爵令嬢自身も俺との結婚を強く拒み続けているからこそ、俺たちの結婚はいまだになされていないのではありませんか。俺と彼女のことは、もう諦めてください」
そう言い捨てた瞬間だった。
父は拳を握り、俺の左頬をしたたかに殴りつけた。母の息を呑む音がした。
咄嗟に踏ん張ったが、ここまで強くぶたれたのは初めてのことだった。父は興奮をあらわに俺を怒鳴りつける。
「ナタリア嬢がお前との結婚を渋っているのは、お前が至らぬからであろう! この、役立たずの愚か者が! 私を怒らせたことを、死ぬまで後悔し続けることになるぞ!」
「……失礼いたします」
これ以上何を話しても無駄だと分かっていた俺は、父に背を向け居間を後にした。
「セシル! お待ちなさい!」
母の金切り声にも、俺は振り返らなかった。
セレネスティア王国での視察が終わり帰国するやいなや、俺はビクトール王太子殿下に自分の意向を伝えた。俺の申し出を聞いた殿下は、その美しい碧眼を大きく見開いていた。
俺が王国騎士団に入り王宮で勤めはじめ、頭角を現すようになってからというもの、ずっと目をかけてくださっていた俺より三つ年上の王太子殿下。こうして近衛騎士にまで取り立てていただいたのに、自分の都合でその職を離れたいなどと申し出るのは、あまりにも身勝手だろう。
だが、ティナの暮らすセレネスティア王国へ戻るためにはこうするしかない。俺に迷いはなかった。
もう二度と、ティナを失いたくはない。
国よりも家族よりも、俺にとって大切なのはティナだ。絶対に彼女を取り戻す。
「不義理をお許しください、などと調子のいいことは申し上げられません。ご迷惑をおかけいたします、殿下。これまで本当に、ありがとうございました」
「……セシル」
最後の挨拶のつもりでそう言った俺に、殿下は静かに言葉をかける。
「せめて事情くらいは教えてくれてもいいんじゃないのか。忠誠心があり真面目な君が、突然こんなことを言い出すのだから、それ相応の理由があるのだろう。自分の言っている言葉の意味が分からないほど、君は馬鹿でもない。せっかくここで築きつつあった地位も名誉も、全てを捨てるということだぞ? お父上もきっとお許しにはならないだろう。それさえも覚悟の上だというのならば、その理由を教えておくれ」
「……殿下」
「こんな辞め方、私は納得がいかないよ。セシル」
「……っ、」
さんざん目をかけてくださったビクトール殿下にこうまで言われれば、無視してここを去ることなどできない。俺は覚悟を決め、全てを話すことを決めた。
「────じゃあ、あの時治療院でエイマー院長に呼ばれて資料を持ってきたあの女性が、君の長年の想い人であった、と……? すごい偶然だな。たしかに、運命的な再会だ」
「……もう二度と、彼女を失うわけにはいきません。今度こそティナに愛を伝え、彼女のそばで生きていきます。そのためならば、今手にしている何もかもを失う覚悟もあります。……申し訳ございません、殿下」
俺が再びそう謝罪すると、殿下はクスリと声を漏らした。
「たしかに、酷い男だよ。想い人に再会した途端、この私をあっさり捨ててしまうなんて」
「捨てるなど……。殿下、俺はそのような……」
俺の言葉を遮るように、殿下は穏やかな瞳を俺に向けて言った。
「では、ここは一旦休職という形をとるのはどうだろうか。君が想い人である彼女の元を訪れ、話をして、その後首尾よく彼女を連れて帰国できるかもしれないだろう? その時に君が無職になっていたのでは、その後の生活はどうする」
「……殿下……」
「私としても、君ほど腕の立つ近衛を失うことはとても残念なんだ。リグリー侯爵が何というかは知らないが、私が君をそばに置くと言えば、彼も文句など言えないだろう」
「……ですが殿下、俺はおそらく、リグリー侯爵家を勘当されます」
「君がリグリー侯爵家の息子だから登用したわけではないよ」
「……首尾よく帰国するとも限りません。もしかしたら、状況次第では二度とこの王国には戻ってこないかもしれない」
「まぁ、その時は君を諦めるしかないだろうね」
あっさりとそう仰るビクトール殿下のご厚意に、俺は深く感謝する他なかった。
「……ありがとうございます、殿下」
「うん。私としては、君が彼女とともに再びこのレドーラ王国に戻ってきてくれることを祈るばかりだよ。……いっておいで、セシル」
そう言うと、殿下は柔らかく微笑んだ。
ビクトール殿下の反応とは対照的に、リグリー侯爵邸は嵐のような騒ぎとなった。
こめかみに青筋を立てた父が、唸るような低い声で俺に問う。
「……隣国で惚れた女に再会したから、グレネル公爵令嬢との婚約を解消したい、だと? 気でも狂ったのかお前は。そのようなこと、許すはずがなかろう」
すかさず母が横から口を出す。
「あの女なのね? シアーズ男爵家にいた、あのメイドの産んだ娘。そうなのでしょう? あなたは昔から、あの娘にだけやたらと執着していたわ。商会の会長と結婚する予定だったのに、直前になって逃げ出して姿をくらませたとは聞いていたけれど……。隣国で生き延びていただなんて。その上、うちの息子をまた籠絡しようなどと……なんて浅ましい小娘かしら……!」
「母上、ティナを貶めるようなことを言うのは止めていただきたい。俺が一方的に、彼女を得たいと願っているだけです。ティナは何もしていない」
「許さぬ」
父は一言そう言うと居間のソファーから立ち上がり、俺の目の前までゆっくりと歩いてきた。
対峙した俺に、父はきっぱりと言い放つ。その目にはかつて見たことがないほどの激しい怒りの炎が宿っていた。
「お前のその身勝手な決断が、我がリグリー侯爵家の存続をも揺るがすことになるかもしれんのだぞ。グレネル公爵がお許しになると思うか。以前も言ったはずだ。お前が私の命令を無視してその女のところへ行くと言うのならば、どんな手を使ってでもお前たちの将来を潰してやる」
父の本気は痛いほど伝わってきた。だが、俺の決意は微塵も揺らがなかった。
「お好きになさってください、父上。グレネル公爵令嬢と結婚しない決断をしたことは、申し訳なく思います。が、俺の気持ちは変わらない。そもそも、グレネル公爵令嬢自身も俺との結婚を強く拒み続けているからこそ、俺たちの結婚はいまだになされていないのではありませんか。俺と彼女のことは、もう諦めてください」
そう言い捨てた瞬間だった。
父は拳を握り、俺の左頬をしたたかに殴りつけた。母の息を呑む音がした。
咄嗟に踏ん張ったが、ここまで強くぶたれたのは初めてのことだった。父は興奮をあらわに俺を怒鳴りつける。
「ナタリア嬢がお前との結婚を渋っているのは、お前が至らぬからであろう! この、役立たずの愚か者が! 私を怒らせたことを、死ぬまで後悔し続けることになるぞ!」
「……失礼いたします」
これ以上何を話しても無駄だと分かっていた俺は、父に背を向け居間を後にした。
「セシル! お待ちなさい!」
母の金切り声にも、俺は振り返らなかった。
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