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28. 突然の贈り物

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 その翌週から、またいつものように学園に通う日々が始まった。エルシー嬢には度々すれ違うけれど、挨拶など一切ない。むしろツーンとわざとらしく顔を背ける姿は以前にも増して感じが悪くなった。
 せめてアンドリュー様からくらいは、謝罪か礼の言葉があってもいいのではないか。時間を使ってわざわざ侯爵邸に出向きエルシー嬢のための茶会に参加し、しかも不愉快な思いをさせられるだけで徒労に終わったというのに、アンドリュー様からも何の言葉もなかった。時折学園で見かけるけれど、遠目に私と目が合っても露骨に挙動不審になるだけで近寄ってもこない。ウィンズレット侯爵夫人あたりから、茶会の顛末を聞いたのだろうか。それならなおさら労いの言葉くらいあるべきだ。なのにあの方ときたら……、本当に、情けない……。

 そんな中、ある日タウンハウスに私宛ての大きな荷物が届いた。差出人はトラヴィス殿下。一体何だろう、と首を傾げながら、私はその荷物の箱を開けた。

(……?洋服……?)

 柔らかな薄布で包まれたそれは、洋服のようだった。もしかして、ドレス……?なぜ……?
 ドキドキしながらそっと布を捲ると、箱の中央に封に入った小さなカードが置いてあった。取り出してひとまずテーブルの上に置き、中の服を取り出す。

「……っ!!こ、これ、って……」

 え?なぜ?
 どうしてこんなものが、トラヴィス殿下から私に送られてくるの……?
 広げてみて愕然とした私は、慌ててカードを開封する。

“ 気に入ってくれたかな。次の週末のデートでは、これを着てきて欲しい ”

「…………嘘でしょう……」

 力が抜ける。なんだってこんなものを着ていかなくてはならないのだろう。嫌な予感しかしない。
 しかも……

(デートって、何。デートって……)

 いつの間に私たちの外出が“デート”ということになっているのだろう。……いや、若い男女が休日に二人で出かけるのだから、便宜上“デート”という呼び方になるのだろうか。……ううん、そんなことより。

(これを着て……何をするんですか、殿下……。私は嫌です!嫌ですよ……!)

 どうか違いますように。勘違いですように。
 私はビクビクしながら次の週末を迎えることとなった。






「おお、似合ってるじゃないか」
「……。」

 次の週末。
 午前中の早い時間にタウンハウスの門の前までお迎えに来てくださったトラヴィス殿下は、私の姿を見るなり満足げな笑みを浮かべた。
 送られてきた乗馬服はとても上質な布地のもので、サイズも私にぴったり合っており、着心地は抜群だった。そして当のトラヴィス殿下も同じく乗馬服で、足が長く長身の彼にはものすごく似合っていて格好良かった。思わず胸が高鳴る。

「殿下……、ごきげんよう。あの、素敵な乗馬服をお贈りいただいたお心遣いは、とても嬉しいのですが……」
「よかった。さぁ、乗ってくれ」

 最後まで言わせず、殿下は私の手を取ると自ら馬車へとエスコートしてくれた。いや、早く教えてほしい。何をするつもりなのか。今日はどこへ行くのかを。

「……今日は変装されていないのですね」
「ああ。今日はそうそう知り合いに会うこともないだろうからな」

 今日の殿下は濃い栗色の髪を、いつものように後ろで一つに束ねている。向かいの席に座り、黄金色に輝く瞳で優しく私に微笑みかける。その笑顔になぜだかまた私の鼓動が高鳴った。
 馬車が動き出し、ますます私の不安は募る。

「晴れてよかったな。雨だったら今日の予定は延期だった」
「……これからどこへ……?」
「まだ内緒だ」
「……乗馬をするのですよね」
「何か問題か?」
 
 口角を上げていたずらっぽい笑みを浮かべる殿下は、絶対に覚えているはずだ。……私が乗馬を唯一苦手としていたことを。どうしてわざわざこんなことを……。
 困っている私を見て見ぬふりしているのか、殿下は学園での出来事やご友人の話など、全く関係のない話ばかりしている。

 そうこうしているうちに、馬車は王都の中心からどんどん遠ざかっていく。華やかな街並みの風景は少しずつ静かな住宅街になり、そのうち景色が開けてきた。

「……殿下……、」
「疲れたか?もう少しだけ我慢してくれ」
「いえ……、そうではなくて……」

 外の景色を見ているうちに、次第に胸が高鳴ってくる。
 もしかして……

 陽の光にキラキラと輝く水平線が視界に入った瞬間、思わず私は息を呑んだ。



「着いたぞ。長い時間馬車に乗せてしまってすまなかった。……おいで」

 また殿下が自ら私の手を取り、馬車から降ろしてくださる。外に降り立ち、顔を上げた私は思わず感嘆の声を上げた。

「まぁ……っ!」

 視界いっぱいに広がる美しい青い水面。不規則に輝く水面の光は、まるで宝石を散りばめたようだった。どこまでも続く砂浜にはところどころ人がいて、皆浜辺を歩きながら楽しそうに過ごしている。けれど貴族と思われる人の姿は見当たらなかった。
 気付けば馬車を降りた時から、私たちの手はまだ繋がれたままだ。ふいにトラヴィス殿下がこちらを見ながら、囁くように静かに言った。

「……覚えているかい?メレディア嬢。幼い頃、君と話したことがある。いつか二人でこの海に遊びに来ようと。君があの日のことを覚えているかは分からないが……、今日はその約束を果たしにきたんだ。ずっと君と、ここに来てみたかった」
「……殿下……」

 驚きで、言葉が出ない。
 殿下も覚えていてくれたの……?
 あんなにもささやかな、束の間の出来事。
 けれど私にとっては、幼い頃の大切な、あの日の思い出を……。

 私を優しく見つめながらそう話す殿下の瞳を見上げた途端、ふいに胸がいっぱいになった。なぜだか急に涙がこみ上げ、視界が大きく揺れる。

(……やだ……)

 人前で、しかも畏れ多くも殿下の前で感情を露わにしてしまったことがたまらなく恥ずかしくて、私は慌てて顔を背けた。必死で気持ちを落ち着かせ、深く呼吸をしながら零れそうな涙を飲み込む。
 潮風が吹いていてよかった。この金色の髪が、こんなにも長くてよかった。揺れる髪は今、殿下の視界から完全に私の顔を隠してくれているはずだ。

「……覚えておりますわ、もちろん」

 声が震えてしまわないように細心の注意を払いながら、私は向こうを向いたまま努めて静かな声で答えた。
 私の手を握る殿下の指先に、ほんの少し力がこもった。




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