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36. 執拗な元夫

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 はぁはぁと肩で息をしながら、私はできる限り早足で歩く。広い王宮を必死で進み、建物の外に出て、ようやく門の近くまで行くと、衛兵たちがヴィントを取り囲むようにして立っているのが見えた。

(……っ!!)

 やっぱり。あいつだ。どうして……っ?!

 私と目が合ったヴィントは、ニヤリと口角を上げた。

「おお、やっと来たかミラベル。本当に王宮勤めなんかしてるんだな、お前。こっちがどれだけ探したと思ってやがる」
「……ごめんなさい。私の知り合いなんです。少し、二人きりにしていただけますか」

 周囲に集まっていた厳しい表情の衛兵たちにそう伝えると、彼らは納得のいかない顔をしつつも私たちから距離をとった。そして離れたところから、じっとこちらを見ている。これ以上ヴィントに騒がれたら困る。

「なぁ、こっちに出てこいよミラベル。話をしようじゃねぇか」
「……出ていきません。一体なぜ私がここにいることが分かったんです。用件は何ですか」

 重厚な門を挟んで、私たちは向かい合った。ヴィントは門に両手をかけ舌打ちをする。

「てめぇ……。偉そうな態度をとりやがって。居所なんか簡単に調べたさ。お前が通っていた学園まで出向いて、お前と手紙のやり取りをしていた教師の一人に聞き出したんだ。……ハンスが出て行った。うちにはもう使用人が一人もいなくなったんだよ」

 ……わざわざ学園まで行ったなんて。そこで手当たり次第私の居所を聞いてまわったのだろうか。

(ハンスさん……。無事にハセルタイン伯爵家を出て行ったのね。よかった)

 私があの屋敷を出る時に、急いで私の荷物をまとめ、なけなしのお金とともに手渡してくれた親切な彼のことを思い出す。どうかもっといい仕事が見つかりますように。

「だからうちには使用人が必要だ。お前、すぐに戻って来い」

 ……この人、何を言っているんだろう。馬鹿なのかな。や、知ってたけど。

「……戻るはずがないでしょう。あなた、自分が私にどんな仕打ちをしていたか、忘れたの?毎日懸命に働く私を尻目に愛人たちと遊び回り、私に暴力をふるい、ついには離婚してまで私を無給の労働者として酷使して……。そんな場所に、私が戻ると本気で思ってるわけ?とっとと帰って」

 話しているうちに結婚生活の苦労や苦しみが次々に思い出され、目の前の男に対して激しい怒りが湧いてくる。あの頃ずっと我慢していたものを吐き出すように、私は言った。

「私は今この王宮でやりがいのある仕事をして、毎日充実した幸せな日々を送っているの。それなのに、好き好んであなたの元になど戻るはずがないでしょう。よくわざわざここまで来ようと思ったものね。今ここで騒ぎを起こせば、あなた拘束されるわよ。大人しく帰って」

 私の言葉に、ヴィントがギリ……、と歯軋りをして、こちらを睨みつける。

「偉そうな態度をとりやがって!てめぇの方こそ、うちに受けた恩を忘れやがったのか!間抜けなてめぇの親父が借金まみれになったのにどうにか生き延びていられたのは、てめぇが俺と結婚したおかげだろうが。なら恩をしっかり返せよ!グダグダ言わずに早くうちに戻って働け!!」
「……ええ。たしかにクルース子爵家はあの頃、ハセルタイン伯爵家とのご縁を結ぶことによって、どうにか持ちこたえることができましたわ。だけど、その分のご恩でしたらもうとっくに返し終わっているつもりです。あなた方が、私の両親や領民たちが最低限生活していける程度に援助してくださっていた金額以上の利益なら、とうに出しました。あなたのご両親の死後など、私はたった一人で必死で領地経営をやりくりしていましたわ。何度も申し上げましたよね?どうかあなたもブリジットさんも、もっと倹約して欲しいと。私一人がこんなに切り詰めて生活していても、これじゃ取り返しがつかないことになると。……失礼ながら、あなた一人で切り盛りしていたらとうに潰れていたはずのあのハセルタイン家を、あそこまで維持させていたのは私の手腕です。私は必死でした、ヴィント様。精一杯やったつもりです。それでも、ああなってしまった。……今のハセルタイン家の現状は、全てあなたの責任ですわ」
「っ!!き……、貴様……っ!」

 語りはじめたら止まらない。恨み辛みならいくらでも出てくる。話せば話すほどに怒りがこみ上げ、私は長い間溜め込んでいたこの人への恨みをぶち撒けた。でも間違ったことは何も言っていないはずだ。

「私はもう知りません。とうにあなたから離婚された身ですしね。離婚後は無給の使用人として働かされていましたが、もう結構ですわ。その頃のお給金はいりませんので。……ですから、もう二度と私には関わらないでくださいませ。ブリジットさんとどうぞ仲良く頑張ってください。お家再興をお祈りしておりますわ」

 心にもないことを言い、私はヴィントに背を向けた。

「おいっ!待ちやがれ!まだ話は終わってねぇぞ!」
「……。」

 騒ぎを起こすなと言っているのに、なぜこんな大声を上げるのか。
 衛兵たちの目を気にしながら、私はもう一度ヴィントの方を向く。

「……知りませんよ。拘束されても。もう私とあなたは無関係なのですから、私はそう言い張りますよ。しつこくつきまとわれている相手だって」
「く……っ!……お前、王宮勤めなんかしてるってことは、相当いい給金を貰ってるんだろうが。俺に分け前をよこせよ。長い間屋敷に置いてやって、面倒見てきてやったんだぞ。その俺に、最後に少しぐらい恩返ししたってバチは当たらないんじゃないのか?!」

 ……だから、恩返しというのならもう私の働きによって充分に返し終わったつもりだと。さっきそう言ったじゃないの。
 それに、大人しく帰ってほしいからってここで一度でもお金を渡してしまったら、この男のことだ、絶対に味をしめてこれから先もずっと私にたかり続けるに決まってる。

 爪を立てて門を掴みながら血走った目で私を睨みつけるヴィントに、私は宣告した。

「あなたにあげるお金なんてないわ。とっとと帰って!二度と会いに来ないでね。さよなら」
「っ!!……おいっ!待ちやがれミラベル!!……クソッ!!」

 ヴィントが悪態をつくのが聞こえてきたけれど、私は振り返らなかった。けれど、堂々としたそぶりで王宮に戻りながらも、一抹の不安が残った。これですんなり諦めてくれるだろうか。これ以上何度も騒ぎを起こせば、私はもうここにはいられなくなるかもしれない。

「自分ばっかりいい思いしてんじゃねーぞミラベル!!覚えてろよ!!」

 元夫の恨み言が、私の背中に突き刺さった。





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