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31. 王妃陛下の説教

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(ア、アリューシャ様……っ!)

 茶会が始まって以来完璧な姿勢、完璧な受け答えを貫いてきていたアリューシャ王女が、その仮面を脱ぎ捨てて二人の王太子殿下の婚約者候補たちを睨みつけている。一瞬にして血の気が引いた。マズい。

「……ま、許しません、だなんて……。随分とお強い言葉を使われますこと。怖いわ。お気を悪くされたのなら、ごめんなさいね」
「いやですわ。少し落ち着いてくださいませんこと?アリューシャ王女殿下。せっかく王妃陛下にこうして招いていただいて、皆で楽しくお喋りしていますのに……。あなた様のおかげで台無しになってしまいますわ」

(いや、何が“あなた様のおかげで”よ。誰がどう見てもあなたたちのせいでしょうが!)

 二人のご令嬢たちはわざとらしく目を見開いて、扇で口元を隠しながらそんな意地悪を言う。周囲の女性たちは皆一様に息を呑み、成り行きを見守っていた。場の空気はもはや最悪だった。王妃陛下がさっきからずっと黙ったままなのも、ものすごく怖い。

「……さっきからこっちが黙って聞いていれば、くだらない嫌味ばかり。あなたたちが私を軽んじていて、馬鹿にしたくて仕方ないのは知っていたわ。でもミラベルさんまで貶めるのは絶対に許さない。ミラベルさんはね、あなたたちよりずっとずっと素敵な人なの。家柄に胡座をかいて人を見下したり、どうにかお兄様の心を自分だけに向けようとして互いに足を引っ張り合っている見苦しいあなたたちとは全っ然違うわ。私の大切な人を傷付けないで!」
「……アリューシャ様……」

 早くたしなめなくては。
 そう思って声をかける隙を伺っていた私は、彼女のその言葉に思わず胸がいっぱいになってしまった。心が震えて、熱いものがこみ上げてくる。……私のことを、こんなにも想ってくださっているなんて。
 だけど、感動して泣いている場合じゃない。いくらまだ13歳とはいえ、彼女はこの王国の王女殿下。こんな風に人前で感情を露わにすることは、本来ならば決して許されることではないのだから。下手したら王妃陛下の不興を買ってしまうかもしれない。早く止めなくては。
 しかし私がアリューシャ王女に声をかけるより先に、目を吊り上げたオルブライト公爵令嬢とウィリス侯爵令嬢が反撃を開始した。

「……ま、ほほほ、可愛らしいこと。素敵な友情ですわね。ですが、見苦しいのはどちらかしら?一国の王女様でありながら、このような場でそんなに取り乱して、声を荒げるなど」
「そうですわ。いくら王女殿下とはいえ、あまりにも失礼ですわよ。私たちはこのレミーアレン王国王太子殿下の妃候補にまでなる出自の者です。こう申し上げては何ですが、王女殿下は私たちの立場というものがお分かりになっておられないのかと……。元々は市井のどこかでお育ちだったわけですから、家柄の重要性を理解なさっていないのは仕方のないことかもしれませんが」

(こっ……、この人たち……!)

 あまりにも露骨な言葉に愕然とする。
 するとその時、王妃陛下がにこやかな笑みを浮かべたままゆっくりと口を開いた。

「オルブライト公爵令嬢、ウィリス侯爵令嬢、あなた方は本当に、王家を軽んじておられるのね」
「……え?」
「……は……?」

 二人のご令嬢はピタリと動きを止め、示し合わせたようにおそるおそる王妃陛下の方を向く。

「あなた方がどう理解していらっしゃるのかは知らないけれど、アリューシャ王女殿下は間違いなくこのレミーアレン王家の一員、王族です。それなのに随分とぞんざいな物言いをされますこと。あなた方にとって我が王家は、そんなにも軽い存在なのかしら」
「っ!い、いいえ……っ!いいえとんでもないことですわ、王妃陛下……っ!わ、私はただ、アリューシャ王女殿下の先ほどの言葉遣いがあまりにも……」

 口角を上げながらも少しも目が笑っていない、落ち着き払った王妃陛下の言葉に、オルブライト公爵令嬢が慌てて言い訳を始めようとした。けれど、

「言葉遣い?王族である彼女の言葉遣いが気に入らないと、一介の貴族家のあなたが咎めていらっしゃるの?黙って聞いていれば先ほどから、あなたの方こそ随分と無礼な口のきき方をなさっているように思うけれど。不敬と感じる私がおかしいのかしら」
「……っ、」

 あくまで穏やかな笑みを浮かべつつも、王妃陛下の口調は有無を言わせぬものだった。目の奥が冷え切っていて、まるで氷のよう。自分に言われているわけではないと分かっていても胃が縮むようだった。二人のご令嬢は一気に蒼白になり、強張った顔でアリューシャ王女に謝罪の言葉を述べる。

「……生意気なことを申し上げましたわ。どうぞお許しくださいませ、王女殿下」
「た、他意はございませんの。ただ、私たちの立場も分かっていただきたくて……」
「私たちの立場とは何です?ウィリス侯爵令嬢。ご自分がセレオンの婚約者候補であることを言っているのなら逆に、あなたはあくまでも候補者の一人でしかないと、そう言わせていただくわ。王太子妃に必要なのは、知識や良き出自だけではありません。我欲や本心は胸の内に抑え、この王国と民のために尽くすことのできる人間性こそを何より重要だと私は考えます。セレオンにもずっと、そのように言い聞かせてきたわ。……聡い彼ならば、真に自分の妃に相応しい人物を選ぶことでしょうね」
「…………っ!」

 王妃陛下が静かにそう語る間、広間は物音一つなく静まり返っていた。集まった高位貴族の女性たちの前で、二人の婚約者候補のご令嬢は王妃陛下から説教されたのだ。その顔は羞恥と屈辱、そして怒りに歪んでいた。けれど、もう二人がそれ以上何かを言うことはなかった。

「ごめんなさいね皆さん。このような席に相応しくないお話になってしまったわ。さ、話題を変えましょう。ふふ。アリューシャさん、ミラベルさん、さっきの続きを話してくださる?二人はどのようなお勉強の仕方をしているの?」

 王妃陛下が再び私たちに話題を振ると、周囲のご婦人方も、ええ、私も教えていただきたいわ、などと同調している。
 さっきまで興奮してしまっていたアリューシャ王女も、王妃陛下のご令嬢方へのお説教の間に冷静さを取り戻したようで、再び素敵な笑顔を浮かべながら私との日々の勉強について話しはじめた。

 王女殿下のお話に微笑みをたたえ頷いている高貴な女性たち。優しい目で見守る王妃陛下。だけどあの二人の顔には笑みなど欠片も浮かんでいない。自分たちが王妃陛下から良く思われていないことを大勢の人々に知られ、その上王太子殿下の婚約者として相応しくないと指摘されたのだ。さぞやプライドが傷付いていることだろう。この茶会でのさっきのやり取りは、きっと瞬く間に社交界に広まるはずだ。

 二人の令嬢から私とアリューシャ王女に向けられている冷え切った眼差しは、恐怖さえ感じるほどのものだった。





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