77 / 84
76. この人だけを
しおりを挟む
その後、ジェラルド国王は磔にされ数日間民衆の前に晒された後、斬首された。刑が執行されるまでの間、彼は何度も私の名を呼び、私に謝罪したい、会わせてほしいと懇願していたらしい。幾度かその報告を受けていたけれど、私は毛頭会う気もなかったので無視した。
離宮に隠居していた王太后は、国王が捕われ幽閉されたことを聞いた時点で自ら毒杯を飲み、命を断ったという。
もう一人の諸悪の根源である宰相のザーディン・アドラムもまた、国王に次いで処刑されることとなった。断頭台に上がる彼の足は自分の力で立っていられないほどにガクガクと震え、顔面は蒼白であったいう。両脇を兵士たちに抱えられながらギロチンの下に運ばれた彼は、最後の最後まで無様な命乞いを続けていたそうだ。
アドラム公爵家は当然、彼の代で潰えることとなった。
その息子カイル・アドラムは、自ら平民に下ることを願い出た。私は彼を手元に置いて今後の治世を手助けしてほしかったけれど、彼自身がそれを受け入れなかった。父親や愚王に言われるがまま従い、過ちを犯してきたこれまでの償いをしなければ気が済まないという。彼は全てを手放して身一つで人生をやり直そうとしていた。
「……以前から、平民たちの間にも大きな貧富の差があることが気にかかっておりました。この経済状況の悪化で、元々貧困に喘いでいた者たちはますます苦しい生活を強いられております。私は彼らの目線に立ち、その生活を助けるために自分にできることをやろうと思います」
そんなカイルに、私は領主を失ったとある男爵領を運営することを命じた。
「気候にあまり恵まれないあの男爵領は、元々領内の治安も景気もよくないと聞きます。それこそ立て直しには根気と才覚が必要でしょう。ですが、あなたならきっとやり遂げてくれると信じています。領内に住まう人々の生活を向上させ、貧しさに苦しむ民たちを助けてあげてください。…互いに別の場所で、この大国の再建に力を尽くしましょう。そして…、あなたにはいつか必ず、この王宮に戻ってきてもらうわ」
「……ありがたいお言葉、感謝いたします」
カイルは噛み締めるようにそう答えると、深々と礼をした。
「近隣諸国の指導者たちは皆、アリアがこの国の君主として留まることに賛同し、強く支持している。これまでのお前の功績が実を結んでいるのだろう」
その日。兄のルゼリエは緊急で開かれた国際会議の後で私にそう言った。旧ラドレイヴン王国は当面の間カナルヴァーラの保護国として、これまでの国土を保ち国民の暮らしの立て直しを最優先事項とすることとなった。
私はその新しい国の王として、全責任をこの手に引き受ける立場となる。今この王宮の謁見の間には兄が訪れていて、今後の国政について相談に乗ってくれていた。
私の後ろには、当然のようにエルドたち護衛騎士が控えてくれている。
「ありがたいことです。皆様の期待に応えなくては」
「お前の下でなら力を振るうこともやぶさかでないと言う者たちがいるはずだ。カナルヴァーラへ逃れてきた有力者たちに、俺からも打診してみよう」
兄は穏やかに微笑むと、優雅な仕草で紅茶を口に運んでから一息ついて言った。
「アリアをそばで支えてくれる伴侶も選ばなければな。お前と共に再建を目指して国を治めることのできる確かな実力を持ち、また権威もある家柄の、立派な男を。……もうあのような大馬鹿者は懲り懲りだ」
「……っ、」
伴侶。
その言葉に体が強張った。
「……お兄様、私は……、もう結婚は考えられません」
おそるおそるそう口にすると、兄はほんの一瞬怪訝な顔をした。しかしすぐに頷くと、
「……まぁ、そうだろうな。あの愚か者に嫁いできたがために酷い扱いを受けたんだ。今は次の伴侶のことなど考えたくもないか。悪かった。早急過ぎたな。しかし、お前がいつまでも独り身というわけにはいくまい。いずれは…、」
「お兄様、違います。前国王との結婚で傷付いたから二度と結婚をしたくないとか、そういう理由ではないのです。ただ、もう……、私は自分の気持ちにそぐわない殿方と連れ添うことは嫌なのですわ」
後ろめたい恋心を、ずっと隠して過ごしてきた。
たとえ一方通行の叶わぬ想いであったとしても、もうこの気持ちを道ならぬもの、不道徳なあさましいものにしたくはない。
ただエルドのことだけを、大切に想っていたい……。
「……誰か、想いを寄せる男でもいるのか?」
「……えっ?!い、いえ、その…」
私の心の中を覗き見たような兄の鋭い質問に驚き、思わず声が裏返る。どうしよう。こんなこと、エルドの前で話したくない。
背後に立っているはずの彼の存在を意識して、一瞬視線が泳ぐ。
「……そ、そういうわけでは、ありません、けど……。世継ぎのことは、たしかに今後の課題の一つですわね。ですが別に私の産んだ子にこだわる必要はありませんわ」
無理矢理話を逸らしてみるけれど、兄はただジーッと私の顔を見ている。……穴が空くほど見ている。
「……まぁいい。その件は追々考えるとしよう」
「……ええ」
それからしばらくの間今後の様々な課題について二人で話し合い、意見を交わした。
「疲れたろう、アリア。今日は一旦ここまでにしよう」
「ええ。お兄様、後でご一緒に夕食を…」
「ああ」
そんな会話を交わしながら立ち上がり部屋を出ようとした時、エルドがそっと声をかけてきた。
「アリア様、こちらを…」
「…あ、」
気付かぬうちに扇を落としていたらしい。エルドが少し屈みながら、私に視線を合わせるようにしてそれを差し出してくれていた。
「…ありがとう、エルド」
「いえ」
ドキドキしながら彼の手から扇を受け取る。ほんの少しだけ、指先が触れた。
(…やだな。たったこれだけのことで、こんなに胸が…)
エルドがそばにいるだけで、体中が喜びの声を上げる。心臓がトントンと音を立てて騒ぎ出し、声が震え、頬が熱を帯びる。
こんなにも好きでたまらない。
この人だけを、こうしてずっと想っていたい。
他の人との結婚なんて、もう考えられるはずもなかった。
チラリとその翠色の瞳を見上げると、エルドが優しく微笑んでくれる。
それだけで心がじんわりと満たされる。
少し離れたところで、私たちのその束の間のやり取りを兄がじっと見つめていたことなど、私は全く気付かずにいた。
離宮に隠居していた王太后は、国王が捕われ幽閉されたことを聞いた時点で自ら毒杯を飲み、命を断ったという。
もう一人の諸悪の根源である宰相のザーディン・アドラムもまた、国王に次いで処刑されることとなった。断頭台に上がる彼の足は自分の力で立っていられないほどにガクガクと震え、顔面は蒼白であったいう。両脇を兵士たちに抱えられながらギロチンの下に運ばれた彼は、最後の最後まで無様な命乞いを続けていたそうだ。
アドラム公爵家は当然、彼の代で潰えることとなった。
その息子カイル・アドラムは、自ら平民に下ることを願い出た。私は彼を手元に置いて今後の治世を手助けしてほしかったけれど、彼自身がそれを受け入れなかった。父親や愚王に言われるがまま従い、過ちを犯してきたこれまでの償いをしなければ気が済まないという。彼は全てを手放して身一つで人生をやり直そうとしていた。
「……以前から、平民たちの間にも大きな貧富の差があることが気にかかっておりました。この経済状況の悪化で、元々貧困に喘いでいた者たちはますます苦しい生活を強いられております。私は彼らの目線に立ち、その生活を助けるために自分にできることをやろうと思います」
そんなカイルに、私は領主を失ったとある男爵領を運営することを命じた。
「気候にあまり恵まれないあの男爵領は、元々領内の治安も景気もよくないと聞きます。それこそ立て直しには根気と才覚が必要でしょう。ですが、あなたならきっとやり遂げてくれると信じています。領内に住まう人々の生活を向上させ、貧しさに苦しむ民たちを助けてあげてください。…互いに別の場所で、この大国の再建に力を尽くしましょう。そして…、あなたにはいつか必ず、この王宮に戻ってきてもらうわ」
「……ありがたいお言葉、感謝いたします」
カイルは噛み締めるようにそう答えると、深々と礼をした。
「近隣諸国の指導者たちは皆、アリアがこの国の君主として留まることに賛同し、強く支持している。これまでのお前の功績が実を結んでいるのだろう」
その日。兄のルゼリエは緊急で開かれた国際会議の後で私にそう言った。旧ラドレイヴン王国は当面の間カナルヴァーラの保護国として、これまでの国土を保ち国民の暮らしの立て直しを最優先事項とすることとなった。
私はその新しい国の王として、全責任をこの手に引き受ける立場となる。今この王宮の謁見の間には兄が訪れていて、今後の国政について相談に乗ってくれていた。
私の後ろには、当然のようにエルドたち護衛騎士が控えてくれている。
「ありがたいことです。皆様の期待に応えなくては」
「お前の下でなら力を振るうこともやぶさかでないと言う者たちがいるはずだ。カナルヴァーラへ逃れてきた有力者たちに、俺からも打診してみよう」
兄は穏やかに微笑むと、優雅な仕草で紅茶を口に運んでから一息ついて言った。
「アリアをそばで支えてくれる伴侶も選ばなければな。お前と共に再建を目指して国を治めることのできる確かな実力を持ち、また権威もある家柄の、立派な男を。……もうあのような大馬鹿者は懲り懲りだ」
「……っ、」
伴侶。
その言葉に体が強張った。
「……お兄様、私は……、もう結婚は考えられません」
おそるおそるそう口にすると、兄はほんの一瞬怪訝な顔をした。しかしすぐに頷くと、
「……まぁ、そうだろうな。あの愚か者に嫁いできたがために酷い扱いを受けたんだ。今は次の伴侶のことなど考えたくもないか。悪かった。早急過ぎたな。しかし、お前がいつまでも独り身というわけにはいくまい。いずれは…、」
「お兄様、違います。前国王との結婚で傷付いたから二度と結婚をしたくないとか、そういう理由ではないのです。ただ、もう……、私は自分の気持ちにそぐわない殿方と連れ添うことは嫌なのですわ」
後ろめたい恋心を、ずっと隠して過ごしてきた。
たとえ一方通行の叶わぬ想いであったとしても、もうこの気持ちを道ならぬもの、不道徳なあさましいものにしたくはない。
ただエルドのことだけを、大切に想っていたい……。
「……誰か、想いを寄せる男でもいるのか?」
「……えっ?!い、いえ、その…」
私の心の中を覗き見たような兄の鋭い質問に驚き、思わず声が裏返る。どうしよう。こんなこと、エルドの前で話したくない。
背後に立っているはずの彼の存在を意識して、一瞬視線が泳ぐ。
「……そ、そういうわけでは、ありません、けど……。世継ぎのことは、たしかに今後の課題の一つですわね。ですが別に私の産んだ子にこだわる必要はありませんわ」
無理矢理話を逸らしてみるけれど、兄はただジーッと私の顔を見ている。……穴が空くほど見ている。
「……まぁいい。その件は追々考えるとしよう」
「……ええ」
それからしばらくの間今後の様々な課題について二人で話し合い、意見を交わした。
「疲れたろう、アリア。今日は一旦ここまでにしよう」
「ええ。お兄様、後でご一緒に夕食を…」
「ああ」
そんな会話を交わしながら立ち上がり部屋を出ようとした時、エルドがそっと声をかけてきた。
「アリア様、こちらを…」
「…あ、」
気付かぬうちに扇を落としていたらしい。エルドが少し屈みながら、私に視線を合わせるようにしてそれを差し出してくれていた。
「…ありがとう、エルド」
「いえ」
ドキドキしながら彼の手から扇を受け取る。ほんの少しだけ、指先が触れた。
(…やだな。たったこれだけのことで、こんなに胸が…)
エルドがそばにいるだけで、体中が喜びの声を上げる。心臓がトントンと音を立てて騒ぎ出し、声が震え、頬が熱を帯びる。
こんなにも好きでたまらない。
この人だけを、こうしてずっと想っていたい。
他の人との結婚なんて、もう考えられるはずもなかった。
チラリとその翠色の瞳を見上げると、エルドが優しく微笑んでくれる。
それだけで心がじんわりと満たされる。
少し離れたところで、私たちのその束の間のやり取りを兄がじっと見つめていたことなど、私は全く気付かずにいた。
111
お気に入りに追加
2,310
あなたにおすすめの小説
【完結】都合のいい女ではありませんので
風見ゆうみ
恋愛
アルミラ・レイドック侯爵令嬢には伯爵家の次男のオズック・エルモードという婚約者がいた。
わたしと彼は、現在、遠距離恋愛中だった。
サプライズでオズック様に会いに出かけたわたしは彼がわたしの親友と寄り添っているところを見てしまう。
「アルミラはオレにとっては都合のいい女でしかない」
レイドック侯爵家にはわたししか子供がいない。
オズック様は侯爵という爵位が目的で婿養子になり、彼がレイドック侯爵になれば、わたしを捨てるつもりなのだという。
親友と恋人の会話を聞いたわたしは彼らに制裁を加えることにした。
※独特の異世界の世界観であり、設定はゆるゆるで、ご都合主義です。
※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。教えていただけますと有り難いです。
貴方の愛人を屋敷に連れて来られても困ります。それより大事なお話がありますわ。
もふっとしたクリームパン
恋愛
「早速だけど、カレンに子供が出来たんだ」
隣に居る座ったままの栗色の髪と青い眼の女性を示し、ジャンは笑顔で勝手に話しだす。
「離れには子供部屋がないから、こっちの屋敷に移りたいんだ。部屋はたくさん空いてるんだろ? どうせだから、僕もカレンもこれからこの屋敷で暮らすよ」
三年間通った学園を無事に卒業して、辺境に帰ってきたディアナ・モンド。モンド辺境伯の娘である彼女の元に辺境伯の敷地内にある離れに住んでいたジャン・ボクスがやって来る。
ドレスは淑女の鎧、扇子は盾、言葉を剣にして。正々堂々と迎え入れて差し上げましょう。
妊娠した愛人を連れて私に会いに来た、無法者をね。
本編九話+オマケで完結します。*2021/06/30一部内容変更あり。カクヨム様でも投稿しています。
随時、誤字修正と読みやすさを求めて試行錯誤してますので行間など変更する場合があります。
拙い作品ですが、どうぞよろしくお願いします。
裏切りの先にあるもの
マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。
結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。
愚かな側妃と言われたので、我慢することをやめます
天宮有
恋愛
私アリザは平民から側妃となり、国王ルグドに利用されていた。
王妃のシェムを愛しているルグドは、私を酷使する。
影で城の人達から「愚かな側妃」と蔑まれていることを知り、全てがどうでもよくなっていた。
私は我慢することをやめてルグドを助けず、愚かな側妃として生きます。
忙しい男
菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。
「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」
「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」
すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。
※ハッピーエンドです
かなりやきもきさせてしまうと思います。
どうか温かい目でみてやってくださいね。
※本編完結しました(2019/07/15)
スピンオフ &番外編
【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19)
改稿 (2020/01/01)
本編のみカクヨムさんでも公開しました。
【完結】美しい人。
❄️冬は つとめて
恋愛
「あなたが、ウイリアム兄様の婚約者? 」
「わたくし、カミーユと言いますの。ねえ、あなたがウイリアム兄様の婚約者で、間違いないかしら。」
「ねえ、返事は。」
「はい。私、ウイリアム様と婚約しています ナンシー。ナンシー・ヘルシンキ伯爵令嬢です。」
彼女の前に現れたのは、とても美しい人でした。
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
自分勝手な側妃を見習えとおっしゃったのですから、わたくしの望む未来を手にすると決めました。
Mayoi
恋愛
国王キングズリーの寵愛を受ける側妃メラニー。
二人から見下される正妃クローディア。
正妃として国王に苦言を呈すれば嫉妬だと言われ、逆に側妃を見習うように言わる始末。
国王であるキングズリーがそう言ったのだからクローディアも決心する。
クローディアは自らの望む未来を手にすべく、密かに手を回す。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる