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72. 穏やかな光景
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「…うわ、ここにも傷があるぜ。ひでぇなぁ全く…。こんな小さい生き物相手によぉ…」
「まぁっ!本当だわ!可哀相に…。…おぉよしよし。大丈夫、大丈夫でちゅよぉ~」
「アゥゥゥゥ~……アンッ!アンッ!」
「キャゥンッ!ウゥー!」
「……。クゥー…」
放っておけなくて連れてきた三匹の灰色…、いや、白い子犬たち。
ひとまず汚れきってしまっている体を綺麗にしてあげようと、私は離宮の使われていない大きな浴場にその子たちを連れてきた。
アリア様自らなさらなくても私と使用人たちでやりますから…、とリネットは何度も言ってくれたけど、どうしても私が自分の手でお世話したかった。手持ちの服の中で一番質素なワンピースに着替えて、嫌がって暴れる子犬たちをどうにか宥めながら時間をかけてその柔らかい体を洗い流していく。
エルドや他の専属護衛たちまで総出で手伝ってくれることになった。大の大人たちが、小さな子犬三匹を相手に大苦戦中だ。
「アリア様、俺が抱いて押さえてますから、今のうちに」
「あ、ありがとうエルド」
アンアンと吠えて一際強く抵抗し、小さな可愛らしい歯を剥き出しにする威勢のいい子を、エルドが大きな両手で抱いてくれている。そこに手を伸ばして泡立てた石けんで優しく洗っていくのだけど…、
(き……、距離が、近い……っ)
可愛い子犬に集中しようにも、エルドとの距離があまりに近くて意識せずにはいられない。気を付けていても時折指先が触れてしまうし…。
しかも……
(…気のせいかしら…。な、何か…、ずっとこっち見てない…?)
動揺した顔を見られたくなくてずっと子犬にだけ視線を注いでいるのだけれど、視界の端に映るエルドが私の顔を凝視している気がしてならない。一度そう感じてしまうと、何だかもう…、き、緊張で顔が強張ってしまう…。
「……あ、ここにも…」
その時、子犬の足の付け根に血の塊のようなものがこびりついていることに気付いた。そこを刺激しないように避けつつ一際優しく洗いながら、悲しさと怒りが込み上げる。…可哀相に…。この国に連れてこられて以来、一体どれほど辛い目に遭ってきたのだろう。
「…知らなくて、ごめんね…。もう大丈夫だからね。安心して。あなたたちがのんびり過ごせる場所を作ってあげるから」
「…アリア様は動物にもお優しいのですね」
「……優しいというか…」
エルドの言葉に何と答えていいか分からず言い淀む。この子たちの境遇を他人事とは思えないのだ。突然強引にこの国に連れてこられ、しかも大事にされるどころか飽きたら捨て置かれ、さらに酷い目に遭わされて…。きっとこの子たちは日々恐ろしさと寂しさばかりを感じていたはず。
(嫌でも自分と重ねてしまうわ…)
あの二人にとっては正妃も珍しい犬も大して変わらなかったのだろう。諦めと失望のため息が漏れた。
「ふふっ、可愛らしい。部屋中のものが気になって仕方ないようですね」
すっかり真っ白になった三匹の子犬たちを見て、リネットがニコニコしている。お湯と石けんから解放されて余裕が出てきたのか、三匹は私の部屋のあらゆるところの匂いを嗅いだり歩き回ったりしている。
「ははっ。何か綿の塊がコロコロ動き回ってるみたいだな」
「おーい。こっち来い、ほら。……あ痛っ!ひでぇな噛むなよ」
「アゥゥ……」
騎士たちも皆すっかり子犬たちの愛らしさに夢中だ。その光景があまりにも穏やかで優しくて、私の唇はいつの間にか微笑みの形を浮かべていた。
(まるで現実の世界ではないみたい…)
現実は、もうすぐこの大国は終焉を迎えるかもしれない。少なくとも今日に至るまでの長い年月の在り方とは全く違った国になっていくだろう。
この人たちは、何を望むだろうか。私がここに来て以来、ずっとそばで支えてくれていた大切な人たちは。
(…聞いてみなくては。たとえ私がここに一人きりで残ることになったとしても)
冷遇され王宮から追い出され、腐っていく国王を止められなかった至らぬ王妃を今日まで守ってくれていた彼らに、最良の道を選んでもらいたい。
その夜、私はまず筆頭護衛騎士であるエルドを部屋に呼び寄せた。
「まぁっ!本当だわ!可哀相に…。…おぉよしよし。大丈夫、大丈夫でちゅよぉ~」
「アゥゥゥゥ~……アンッ!アンッ!」
「キャゥンッ!ウゥー!」
「……。クゥー…」
放っておけなくて連れてきた三匹の灰色…、いや、白い子犬たち。
ひとまず汚れきってしまっている体を綺麗にしてあげようと、私は離宮の使われていない大きな浴場にその子たちを連れてきた。
アリア様自らなさらなくても私と使用人たちでやりますから…、とリネットは何度も言ってくれたけど、どうしても私が自分の手でお世話したかった。手持ちの服の中で一番質素なワンピースに着替えて、嫌がって暴れる子犬たちをどうにか宥めながら時間をかけてその柔らかい体を洗い流していく。
エルドや他の専属護衛たちまで総出で手伝ってくれることになった。大の大人たちが、小さな子犬三匹を相手に大苦戦中だ。
「アリア様、俺が抱いて押さえてますから、今のうちに」
「あ、ありがとうエルド」
アンアンと吠えて一際強く抵抗し、小さな可愛らしい歯を剥き出しにする威勢のいい子を、エルドが大きな両手で抱いてくれている。そこに手を伸ばして泡立てた石けんで優しく洗っていくのだけど…、
(き……、距離が、近い……っ)
可愛い子犬に集中しようにも、エルドとの距離があまりに近くて意識せずにはいられない。気を付けていても時折指先が触れてしまうし…。
しかも……
(…気のせいかしら…。な、何か…、ずっとこっち見てない…?)
動揺した顔を見られたくなくてずっと子犬にだけ視線を注いでいるのだけれど、視界の端に映るエルドが私の顔を凝視している気がしてならない。一度そう感じてしまうと、何だかもう…、き、緊張で顔が強張ってしまう…。
「……あ、ここにも…」
その時、子犬の足の付け根に血の塊のようなものがこびりついていることに気付いた。そこを刺激しないように避けつつ一際優しく洗いながら、悲しさと怒りが込み上げる。…可哀相に…。この国に連れてこられて以来、一体どれほど辛い目に遭ってきたのだろう。
「…知らなくて、ごめんね…。もう大丈夫だからね。安心して。あなたたちがのんびり過ごせる場所を作ってあげるから」
「…アリア様は動物にもお優しいのですね」
「……優しいというか…」
エルドの言葉に何と答えていいか分からず言い淀む。この子たちの境遇を他人事とは思えないのだ。突然強引にこの国に連れてこられ、しかも大事にされるどころか飽きたら捨て置かれ、さらに酷い目に遭わされて…。きっとこの子たちは日々恐ろしさと寂しさばかりを感じていたはず。
(嫌でも自分と重ねてしまうわ…)
あの二人にとっては正妃も珍しい犬も大して変わらなかったのだろう。諦めと失望のため息が漏れた。
「ふふっ、可愛らしい。部屋中のものが気になって仕方ないようですね」
すっかり真っ白になった三匹の子犬たちを見て、リネットがニコニコしている。お湯と石けんから解放されて余裕が出てきたのか、三匹は私の部屋のあらゆるところの匂いを嗅いだり歩き回ったりしている。
「ははっ。何か綿の塊がコロコロ動き回ってるみたいだな」
「おーい。こっち来い、ほら。……あ痛っ!ひでぇな噛むなよ」
「アゥゥ……」
騎士たちも皆すっかり子犬たちの愛らしさに夢中だ。その光景があまりにも穏やかで優しくて、私の唇はいつの間にか微笑みの形を浮かべていた。
(まるで現実の世界ではないみたい…)
現実は、もうすぐこの大国は終焉を迎えるかもしれない。少なくとも今日に至るまでの長い年月の在り方とは全く違った国になっていくだろう。
この人たちは、何を望むだろうか。私がここに来て以来、ずっとそばで支えてくれていた大切な人たちは。
(…聞いてみなくては。たとえ私がここに一人きりで残ることになったとしても)
冷遇され王宮から追い出され、腐っていく国王を止められなかった至らぬ王妃を今日まで守ってくれていた彼らに、最良の道を選んでもらいたい。
その夜、私はまず筆頭護衛騎士であるエルドを部屋に呼び寄せた。
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