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56.互いの胸の内
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プレストン辺境伯邸の中庭は色とりどりの花々が見事に咲き誇り、たしかに見惚れるほどの美しさだった。真っ白な大理石で造られた広いガゼボは居心地が良く、プレストン辺境伯のコーデリア様への深い愛情を感じられた。
私とコーデリア様はそのガゼボの椅子に並んで腰かけ、運ばれてきた紅茶を飲みながらくつろいだ。
「とても素敵な場所ですわ。辺境伯は本当に、コーデリア様のことを大切に想っていらっしゃるのですね」
私がそう言うと、美しい所作で紅茶を口に運んでいたコーデリア様が柔らかく微笑んだ。カップを静かに置くと、ゆっくりとした口調で答える。
「ええ。夫は私より15も年上で、最初は上手くやっていけるのかとても不安でしたが…。あの通り穏やかな気質の、頼りになる人なんです。おかげで私も日々安らかな気持ちで過ごしていますわ。今はとても、幸せです。…ですから…、どうか安心なさってくださいね、アリア様」
そう言うと、コーデリア様は私の心の中を覗き込むかのようにじっと見つめてきた。その言葉に、私も思わず見つめ返す。
「…コーデリア様…」
「ふふ…。気にかけてくださっていることは、お会いした瞬間からあなた様のご様子ですぐに分かりました。わざわざ王宮からこちらまで足を運んで来られると聞いた時には、正直胸がざわつきました。国王陛下との婚約解消以来王都を離れ、あなた様に直接お会いしたこともない私は、時折話に聞くことはあってもあなた様がどのようなお方なのかを実際には知らなかったのですから。…でも…、今日はこうしてお会いできてよかった」
そう私に語りかけるコーデリア様の空色の瞳はどこまでも澄んでいて、慈愛に満ちた光を湛えていた。突然核心に触れられ動揺したはずの私は、その瞳を見て彼女が私に心を開いてくれていることに気付いた。そしてそれと同時に、私もまた、彼女と本心で語り合いたいという思いにかられた。
「…ええ。正直に申し上げますと、この王国に、陛下の元に嫁いできた時から、コーデリア様のことがずっと気にかかっておりました。どれほど辛い思いをされていることだろう、きっと私は深く恨まれているのだろう、と。ですから、今日こうしてこの地に足を運んできて、あなた様のお幸せそうな暮らしぶりをこの目で見ることができて、本当に安心いたしました。…プレストン辺境伯は、とても素敵な方ですわ」
コーデリア様は今日一番嬉しそうな笑顔を見せてくれる。
「あなた様を恨むだなんて、とんでもない。…ふふ。…私たちお互いにずっとお互いのことを気にしていたのですね。ありがとうございます、アリア様」
「こちらこそ。ファルレーヌ王国のユリシーズ殿下からコーデリア様が私のことを気にかけてくださっていると伺った時、とても嬉しかったですわ」
温かい感情で胸の中が満たされていく。この空色の瞳の中に偽りがないことが感じられて、私は心からホッとしていた。ずっと引っかかっていたコーデリア・デイヴィス侯爵令嬢という女性の今の幸せを確認できたことは、大きな喜びだった。
私たちはそれから、これまでずっと誰にも言えずに胸の奥に秘めていた思いを、互いにたくさん打ち明けあった。
「私はジェラルド様を…、…国王陛下を心から愛していました。だけどあの方はあなた様に恋をして、あっさりと私を捨てた。それなのに私の父が婚約解消のことを抗議した時には、“コーデリアは側妃でどうか”などと提案したそうなんです。…それだけは絶対に嫌だった。私にだってプライドはありますもの。長年の努力を無下にされたのに、この知識だけを必要とされ公務をこなしていくだけの便利な駒として扱われることは我慢できなかった。…だけど…、結局はあなた様がその役回りを背負う羽目になってしまったのですね」
コーデリア様の本心は痛いほどよく分かり、聞いているだけで当時の彼女の辛さを思いこちらの胸が苦しくなった。本当に…、あの方は、あの男は、何という愚か者なのだろう。
「…国王陛下は私と結婚して一年も経たないうちから、他の女性にうつつを抜かし公務さえ疎かにするようになりました。今ではご執心の側妃と怠惰な浪費ばかりの日々を送っておられます。…ええ、たしかに、今の私はコーデリア様が仰った“公務をこなしていくだけの便利な駒”そのものですわ」
「…ご苦労なさっておられるのですね、アリア様も…」
コーデリア様は労るようにそう呟いた。
「だけどあの方がどう変わろうと、私のことをどう扱おうと、私がこのラドレイヴン王国の王妃であることに変わりはありませんもの。ここで投げ出すつもりはありませんわ。どうにか現状を打開する術を考えなくては」
「…お強いんですのね、アリア様。さすがは我が大国の正妃様ですわ」
「強くなど。むしろ今日まで毎日いっぱいいっぱいでした。必死で虚勢を張って、誰にも弱みを見せまいと…。だからこうして、同年代の女性に初めて陛下の愚痴を零せて心が軽くなりましたわ」
「ふふ。誰に裏をかかれるかも分からない貴婦人たちの茶会などでは漏らせませんものね」
「あそこは魔物の巣窟ですわ」
私たちはついに声を出して笑いあった。こんなに楽しい気分になれたのはいつぶりだろう。互いに同じ気持ちでいることを感じながら、私たちはその後もたくさんの話をした。私は母国カナルヴァーラのことや、離宮での生活、日々の仕事のことや今の社交界について、コーデリア様はプレストン辺境伯のことやここでの毎日の暮らしぶり、領地の仕事、デイヴィス侯爵家のご家族のことや熱中している本などについて。
いつまでも戻ってこない私たちを心配したプレストン辺境伯が呼びに来るまで、飽きることなくお喋りを楽しんだ。
エルドやリネットたちは、離れたところからただ静かに見守ってくれていた。
私とコーデリア様はそのガゼボの椅子に並んで腰かけ、運ばれてきた紅茶を飲みながらくつろいだ。
「とても素敵な場所ですわ。辺境伯は本当に、コーデリア様のことを大切に想っていらっしゃるのですね」
私がそう言うと、美しい所作で紅茶を口に運んでいたコーデリア様が柔らかく微笑んだ。カップを静かに置くと、ゆっくりとした口調で答える。
「ええ。夫は私より15も年上で、最初は上手くやっていけるのかとても不安でしたが…。あの通り穏やかな気質の、頼りになる人なんです。おかげで私も日々安らかな気持ちで過ごしていますわ。今はとても、幸せです。…ですから…、どうか安心なさってくださいね、アリア様」
そう言うと、コーデリア様は私の心の中を覗き込むかのようにじっと見つめてきた。その言葉に、私も思わず見つめ返す。
「…コーデリア様…」
「ふふ…。気にかけてくださっていることは、お会いした瞬間からあなた様のご様子ですぐに分かりました。わざわざ王宮からこちらまで足を運んで来られると聞いた時には、正直胸がざわつきました。国王陛下との婚約解消以来王都を離れ、あなた様に直接お会いしたこともない私は、時折話に聞くことはあってもあなた様がどのようなお方なのかを実際には知らなかったのですから。…でも…、今日はこうしてお会いできてよかった」
そう私に語りかけるコーデリア様の空色の瞳はどこまでも澄んでいて、慈愛に満ちた光を湛えていた。突然核心に触れられ動揺したはずの私は、その瞳を見て彼女が私に心を開いてくれていることに気付いた。そしてそれと同時に、私もまた、彼女と本心で語り合いたいという思いにかられた。
「…ええ。正直に申し上げますと、この王国に、陛下の元に嫁いできた時から、コーデリア様のことがずっと気にかかっておりました。どれほど辛い思いをされていることだろう、きっと私は深く恨まれているのだろう、と。ですから、今日こうしてこの地に足を運んできて、あなた様のお幸せそうな暮らしぶりをこの目で見ることができて、本当に安心いたしました。…プレストン辺境伯は、とても素敵な方ですわ」
コーデリア様は今日一番嬉しそうな笑顔を見せてくれる。
「あなた様を恨むだなんて、とんでもない。…ふふ。…私たちお互いにずっとお互いのことを気にしていたのですね。ありがとうございます、アリア様」
「こちらこそ。ファルレーヌ王国のユリシーズ殿下からコーデリア様が私のことを気にかけてくださっていると伺った時、とても嬉しかったですわ」
温かい感情で胸の中が満たされていく。この空色の瞳の中に偽りがないことが感じられて、私は心からホッとしていた。ずっと引っかかっていたコーデリア・デイヴィス侯爵令嬢という女性の今の幸せを確認できたことは、大きな喜びだった。
私たちはそれから、これまでずっと誰にも言えずに胸の奥に秘めていた思いを、互いにたくさん打ち明けあった。
「私はジェラルド様を…、…国王陛下を心から愛していました。だけどあの方はあなた様に恋をして、あっさりと私を捨てた。それなのに私の父が婚約解消のことを抗議した時には、“コーデリアは側妃でどうか”などと提案したそうなんです。…それだけは絶対に嫌だった。私にだってプライドはありますもの。長年の努力を無下にされたのに、この知識だけを必要とされ公務をこなしていくだけの便利な駒として扱われることは我慢できなかった。…だけど…、結局はあなた様がその役回りを背負う羽目になってしまったのですね」
コーデリア様の本心は痛いほどよく分かり、聞いているだけで当時の彼女の辛さを思いこちらの胸が苦しくなった。本当に…、あの方は、あの男は、何という愚か者なのだろう。
「…国王陛下は私と結婚して一年も経たないうちから、他の女性にうつつを抜かし公務さえ疎かにするようになりました。今ではご執心の側妃と怠惰な浪費ばかりの日々を送っておられます。…ええ、たしかに、今の私はコーデリア様が仰った“公務をこなしていくだけの便利な駒”そのものですわ」
「…ご苦労なさっておられるのですね、アリア様も…」
コーデリア様は労るようにそう呟いた。
「だけどあの方がどう変わろうと、私のことをどう扱おうと、私がこのラドレイヴン王国の王妃であることに変わりはありませんもの。ここで投げ出すつもりはありませんわ。どうにか現状を打開する術を考えなくては」
「…お強いんですのね、アリア様。さすがは我が大国の正妃様ですわ」
「強くなど。むしろ今日まで毎日いっぱいいっぱいでした。必死で虚勢を張って、誰にも弱みを見せまいと…。だからこうして、同年代の女性に初めて陛下の愚痴を零せて心が軽くなりましたわ」
「ふふ。誰に裏をかかれるかも分からない貴婦人たちの茶会などでは漏らせませんものね」
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私たちはついに声を出して笑いあった。こんなに楽しい気分になれたのはいつぶりだろう。互いに同じ気持ちでいることを感じながら、私たちはその後もたくさんの話をした。私は母国カナルヴァーラのことや、離宮での生活、日々の仕事のことや今の社交界について、コーデリア様はプレストン辺境伯のことやここでの毎日の暮らしぶり、領地の仕事、デイヴィス侯爵家のご家族のことや熱中している本などについて。
いつまでも戻ってこない私たちを心配したプレストン辺境伯が呼びに来るまで、飽きることなくお喋りを楽しんだ。
エルドやリネットたちは、離れたところからただ静かに見守ってくれていた。
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