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53.カイルの本心
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「……アドラム公爵令息」
「……。」
ジェラルド様の部屋を出てエルドたち護衛を伴ったまま、私はカイル様についていく形で廊下を歩いていた。何度か声をかけるけれど彼は振り返るそぶりすらない。ただ前だけを見てスタスタと歩き続ける。だんだん苛立ってきた。
「聞こえていますか?アドラム公爵令息。さっきからずっと話しかけてます。あなた…、何とも思わないのですか?そんなはずがありませんよね?なぜ?なぜあなたも宰相閣下も、陛下のあの有り様を見ていながら野放しにしているのですか?」
「……。」
「最もそば近くで仕え、信頼を置いているはずのあなたが進言すれば、陛下も聞く耳を持つのではないですか。あなたは知っていたのではなくて?今の逼迫した状況を」
「妃陛下。少し黙って歩けませんか。ひとまずあなた様を離宮にお連れいたします。それまで私からお話することは何もありません」
「……っ、」
愛想の欠片もないつっけんどんな口調でそう言うと、彼は一切こちらを振り返ることなく、その真っ直ぐな銀髪をキラキラと靡かせながら歩き続ける。…前から思ってたけど、この人本当失礼よね…。私が王妃だって分かってるのかしら…。別の人が王妃だったらもう何かしらの処分は受けてると思うわよ、絶対。
チラリとエルドの方を振り返ると、彼は突き刺すような鋭い視線でカイル様の背中を睨みつけていた。
「…では、私はこれで。お茶でもお飲みになりどうぞお心を静められてはいかがでしょうか」
離宮の私の部屋に着くなりカイル様はようやくくるりと振り返りそう言うと、そのまま出て行こうとした。何しにここまで来たのよ。本当に送ってきただけ…?
「ち、ちょっと待ってちょうだい!」
私が声をかけると途端にピタリと足が止まる。まるで引き止められることを分かっていたみたいに。
無機質にも思えるほどの静かなグレーの瞳がようやく私の方を向いた。
「…ね、さっきから何度も尋ねているけど、あなたはどう思っているの?あの方のあの現状を日々そばで見ているのに何も感じないほど、あなたは愚鈍な人には見えないわ」
「……。…離縁なさったらどうですか?」
「…………え?」
突然ポツリと彼が呟いた言葉は予期せぬもので、私は思わず問い返しカイル様の顔を見つめた。
彼は私からスッと目を逸らすと、また口を開く。…この人はいつも私から目を逸らしている気がする。
「陛下もああ仰っていたことですし、もういっそ離縁なさって国に帰られてはいかがですか。どんなにあなたが必死になって働こうとも、改心を待ち望もうとも、あの方はもう駄目でしょう。あの側妃殿とおられる限り、もう変わることはきっとない」
「……。ねぇ、あなたたち、少し外していてくれるかしら?」
部屋の中にいたリネットや護衛たちがじっと聞き耳を立てこちらを見ていることに気付いて、私はやんわりと彼らを外に行かせた。この人たちがカイル様の言葉を誰かに告げ口することなんてないと思うけれど、あまり他人に聞かれていい会話じゃない。
「…エルド」
「俺はここにいます」
全員が部屋を出た後も微動だにせずカイル様を睨みつけているエルドに声をかけるけれど、どうやら外へ行く気はないらしい。私は諦めてカイル様に向き直った。
「…どうしてあなたまでそんなことを言うのです。私はこの国の正妃ですよ。陛下があんな調子だからこそ、その分私がやれることは全てやらなくては…」
「何故です。あなたは元々この国の人間ではない。迎え入れた国王自身があの調子なのだから、もはや何の義理もないでしょう。カナルヴァーラに戻り、かの国の王宮で優雅に暮らした方がよほど楽なのではありませんか。そのうちこんな結婚よりも遥かに幸せな結婚もできるでしょうし。何と言っても王女様であらせられるのだから」
「……。」
追い出したいのか、気遣ってくれているのか。淡々とした口調で突拍子もないことを言い出した彼の本心は全く読めない。
だけど…、気のせいかしら。今のカイル様には、私がこの国に嫁いできたばかりの頃に向けられていたような敵意や憎悪のようなものは感じられない……気がする。
「そんなことできるはずがありません」
「何故です」
「何故、って…」
たしかに、あの国王陛下とこの国を見限ってさっさとカナルヴァーラへ帰っていいと言うのなら、それが一番楽な方法だとは思う。国に帰れば大好きな家族にまた会えるし、温かく迎えてくれる人たちの中で幸せに暮らせるだろう。王宮の人々から冷たい視線を浴びながらこんな寂しい部屋でひっそりと暮らさなくてもよくなる。そしてやがてはカイル様の言う通り、父や母が選んだそれなりの家柄の殿方と結婚し、カナルヴァーラ王国の中で穏やかに生きていく日が来るのかもしれない。
だけど……
(そんなのは私の人生じゃない)
「私はこのラドレイヴン王国の王妃です。そう生きていくのだと、覚悟を持ってここへ嫁いできました。上手くいかないから、陛下に愛想を尽かされたから、見捨てられ冷遇されたからと言ってすごすごと逃げ帰ることなど絶対にしません。私が今そんなことをすれば、この国の民たちはどうなるのです」
「……え……」
「公務を放り出し、民の血税を自分たちのために湯水のように使うことを当然と思っている。あんな人に国政を委ねてここを見捨ててしまえば、遠くない将来この国は本当に窮地に陥ります。それだけは絶対に阻止しなければ。…それが今の私の、身命を賭して挑む仕事ですもの」
「……っ、」
私を見つめていたカイル様の目が見開かれる。その美しいグレーの瞳に初めて感情を見た気がして、私は少し驚いた。
「……。」
ジェラルド様の部屋を出てエルドたち護衛を伴ったまま、私はカイル様についていく形で廊下を歩いていた。何度か声をかけるけれど彼は振り返るそぶりすらない。ただ前だけを見てスタスタと歩き続ける。だんだん苛立ってきた。
「聞こえていますか?アドラム公爵令息。さっきからずっと話しかけてます。あなた…、何とも思わないのですか?そんなはずがありませんよね?なぜ?なぜあなたも宰相閣下も、陛下のあの有り様を見ていながら野放しにしているのですか?」
「……。」
「最もそば近くで仕え、信頼を置いているはずのあなたが進言すれば、陛下も聞く耳を持つのではないですか。あなたは知っていたのではなくて?今の逼迫した状況を」
「妃陛下。少し黙って歩けませんか。ひとまずあなた様を離宮にお連れいたします。それまで私からお話することは何もありません」
「……っ、」
愛想の欠片もないつっけんどんな口調でそう言うと、彼は一切こちらを振り返ることなく、その真っ直ぐな銀髪をキラキラと靡かせながら歩き続ける。…前から思ってたけど、この人本当失礼よね…。私が王妃だって分かってるのかしら…。別の人が王妃だったらもう何かしらの処分は受けてると思うわよ、絶対。
チラリとエルドの方を振り返ると、彼は突き刺すような鋭い視線でカイル様の背中を睨みつけていた。
「…では、私はこれで。お茶でもお飲みになりどうぞお心を静められてはいかがでしょうか」
離宮の私の部屋に着くなりカイル様はようやくくるりと振り返りそう言うと、そのまま出て行こうとした。何しにここまで来たのよ。本当に送ってきただけ…?
「ち、ちょっと待ってちょうだい!」
私が声をかけると途端にピタリと足が止まる。まるで引き止められることを分かっていたみたいに。
無機質にも思えるほどの静かなグレーの瞳がようやく私の方を向いた。
「…ね、さっきから何度も尋ねているけど、あなたはどう思っているの?あの方のあの現状を日々そばで見ているのに何も感じないほど、あなたは愚鈍な人には見えないわ」
「……。…離縁なさったらどうですか?」
「…………え?」
突然ポツリと彼が呟いた言葉は予期せぬもので、私は思わず問い返しカイル様の顔を見つめた。
彼は私からスッと目を逸らすと、また口を開く。…この人はいつも私から目を逸らしている気がする。
「陛下もああ仰っていたことですし、もういっそ離縁なさって国に帰られてはいかがですか。どんなにあなたが必死になって働こうとも、改心を待ち望もうとも、あの方はもう駄目でしょう。あの側妃殿とおられる限り、もう変わることはきっとない」
「……。ねぇ、あなたたち、少し外していてくれるかしら?」
部屋の中にいたリネットや護衛たちがじっと聞き耳を立てこちらを見ていることに気付いて、私はやんわりと彼らを外に行かせた。この人たちがカイル様の言葉を誰かに告げ口することなんてないと思うけれど、あまり他人に聞かれていい会話じゃない。
「…エルド」
「俺はここにいます」
全員が部屋を出た後も微動だにせずカイル様を睨みつけているエルドに声をかけるけれど、どうやら外へ行く気はないらしい。私は諦めてカイル様に向き直った。
「…どうしてあなたまでそんなことを言うのです。私はこの国の正妃ですよ。陛下があんな調子だからこそ、その分私がやれることは全てやらなくては…」
「何故です。あなたは元々この国の人間ではない。迎え入れた国王自身があの調子なのだから、もはや何の義理もないでしょう。カナルヴァーラに戻り、かの国の王宮で優雅に暮らした方がよほど楽なのではありませんか。そのうちこんな結婚よりも遥かに幸せな結婚もできるでしょうし。何と言っても王女様であらせられるのだから」
「……。」
追い出したいのか、気遣ってくれているのか。淡々とした口調で突拍子もないことを言い出した彼の本心は全く読めない。
だけど…、気のせいかしら。今のカイル様には、私がこの国に嫁いできたばかりの頃に向けられていたような敵意や憎悪のようなものは感じられない……気がする。
「そんなことできるはずがありません」
「何故です」
「何故、って…」
たしかに、あの国王陛下とこの国を見限ってさっさとカナルヴァーラへ帰っていいと言うのなら、それが一番楽な方法だとは思う。国に帰れば大好きな家族にまた会えるし、温かく迎えてくれる人たちの中で幸せに暮らせるだろう。王宮の人々から冷たい視線を浴びながらこんな寂しい部屋でひっそりと暮らさなくてもよくなる。そしてやがてはカイル様の言う通り、父や母が選んだそれなりの家柄の殿方と結婚し、カナルヴァーラ王国の中で穏やかに生きていく日が来るのかもしれない。
だけど……
(そんなのは私の人生じゃない)
「私はこのラドレイヴン王国の王妃です。そう生きていくのだと、覚悟を持ってここへ嫁いできました。上手くいかないから、陛下に愛想を尽かされたから、見捨てられ冷遇されたからと言ってすごすごと逃げ帰ることなど絶対にしません。私が今そんなことをすれば、この国の民たちはどうなるのです」
「……え……」
「公務を放り出し、民の血税を自分たちのために湯水のように使うことを当然と思っている。あんな人に国政を委ねてここを見捨ててしまえば、遠くない将来この国は本当に窮地に陥ります。それだけは絶対に阻止しなければ。…それが今の私の、身命を賭して挑む仕事ですもの」
「……っ、」
私を見つめていたカイル様の目が見開かれる。その美しいグレーの瞳に初めて感情を見た気がして、私は少し驚いた。
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