54 / 84
53.カイルの本心
しおりを挟む
「……アドラム公爵令息」
「……。」
ジェラルド様の部屋を出てエルドたち護衛を伴ったまま、私はカイル様についていく形で廊下を歩いていた。何度か声をかけるけれど彼は振り返るそぶりすらない。ただ前だけを見てスタスタと歩き続ける。だんだん苛立ってきた。
「聞こえていますか?アドラム公爵令息。さっきからずっと話しかけてます。あなた…、何とも思わないのですか?そんなはずがありませんよね?なぜ?なぜあなたも宰相閣下も、陛下のあの有り様を見ていながら野放しにしているのですか?」
「……。」
「最もそば近くで仕え、信頼を置いているはずのあなたが進言すれば、陛下も聞く耳を持つのではないですか。あなたは知っていたのではなくて?今の逼迫した状況を」
「妃陛下。少し黙って歩けませんか。ひとまずあなた様を離宮にお連れいたします。それまで私からお話することは何もありません」
「……っ、」
愛想の欠片もないつっけんどんな口調でそう言うと、彼は一切こちらを振り返ることなく、その真っ直ぐな銀髪をキラキラと靡かせながら歩き続ける。…前から思ってたけど、この人本当失礼よね…。私が王妃だって分かってるのかしら…。別の人が王妃だったらもう何かしらの処分は受けてると思うわよ、絶対。
チラリとエルドの方を振り返ると、彼は突き刺すような鋭い視線でカイル様の背中を睨みつけていた。
「…では、私はこれで。お茶でもお飲みになりどうぞお心を静められてはいかがでしょうか」
離宮の私の部屋に着くなりカイル様はようやくくるりと振り返りそう言うと、そのまま出て行こうとした。何しにここまで来たのよ。本当に送ってきただけ…?
「ち、ちょっと待ってちょうだい!」
私が声をかけると途端にピタリと足が止まる。まるで引き止められることを分かっていたみたいに。
無機質にも思えるほどの静かなグレーの瞳がようやく私の方を向いた。
「…ね、さっきから何度も尋ねているけど、あなたはどう思っているの?あの方のあの現状を日々そばで見ているのに何も感じないほど、あなたは愚鈍な人には見えないわ」
「……。…離縁なさったらどうですか?」
「…………え?」
突然ポツリと彼が呟いた言葉は予期せぬもので、私は思わず問い返しカイル様の顔を見つめた。
彼は私からスッと目を逸らすと、また口を開く。…この人はいつも私から目を逸らしている気がする。
「陛下もああ仰っていたことですし、もういっそ離縁なさって国に帰られてはいかがですか。どんなにあなたが必死になって働こうとも、改心を待ち望もうとも、あの方はもう駄目でしょう。あの側妃殿とおられる限り、もう変わることはきっとない」
「……。ねぇ、あなたたち、少し外していてくれるかしら?」
部屋の中にいたリネットや護衛たちがじっと聞き耳を立てこちらを見ていることに気付いて、私はやんわりと彼らを外に行かせた。この人たちがカイル様の言葉を誰かに告げ口することなんてないと思うけれど、あまり他人に聞かれていい会話じゃない。
「…エルド」
「俺はここにいます」
全員が部屋を出た後も微動だにせずカイル様を睨みつけているエルドに声をかけるけれど、どうやら外へ行く気はないらしい。私は諦めてカイル様に向き直った。
「…どうしてあなたまでそんなことを言うのです。私はこの国の正妃ですよ。陛下があんな調子だからこそ、その分私がやれることは全てやらなくては…」
「何故です。あなたは元々この国の人間ではない。迎え入れた国王自身があの調子なのだから、もはや何の義理もないでしょう。カナルヴァーラに戻り、かの国の王宮で優雅に暮らした方がよほど楽なのではありませんか。そのうちこんな結婚よりも遥かに幸せな結婚もできるでしょうし。何と言っても王女様であらせられるのだから」
「……。」
追い出したいのか、気遣ってくれているのか。淡々とした口調で突拍子もないことを言い出した彼の本心は全く読めない。
だけど…、気のせいかしら。今のカイル様には、私がこの国に嫁いできたばかりの頃に向けられていたような敵意や憎悪のようなものは感じられない……気がする。
「そんなことできるはずがありません」
「何故です」
「何故、って…」
たしかに、あの国王陛下とこの国を見限ってさっさとカナルヴァーラへ帰っていいと言うのなら、それが一番楽な方法だとは思う。国に帰れば大好きな家族にまた会えるし、温かく迎えてくれる人たちの中で幸せに暮らせるだろう。王宮の人々から冷たい視線を浴びながらこんな寂しい部屋でひっそりと暮らさなくてもよくなる。そしてやがてはカイル様の言う通り、父や母が選んだそれなりの家柄の殿方と結婚し、カナルヴァーラ王国の中で穏やかに生きていく日が来るのかもしれない。
だけど……
(そんなのは私の人生じゃない)
「私はこのラドレイヴン王国の王妃です。そう生きていくのだと、覚悟を持ってここへ嫁いできました。上手くいかないから、陛下に愛想を尽かされたから、見捨てられ冷遇されたからと言ってすごすごと逃げ帰ることなど絶対にしません。私が今そんなことをすれば、この国の民たちはどうなるのです」
「……え……」
「公務を放り出し、民の血税を自分たちのために湯水のように使うことを当然と思っている。あんな人に国政を委ねてここを見捨ててしまえば、遠くない将来この国は本当に窮地に陥ります。それだけは絶対に阻止しなければ。…それが今の私の、身命を賭して挑む仕事ですもの」
「……っ、」
私を見つめていたカイル様の目が見開かれる。その美しいグレーの瞳に初めて感情を見た気がして、私は少し驚いた。
「……。」
ジェラルド様の部屋を出てエルドたち護衛を伴ったまま、私はカイル様についていく形で廊下を歩いていた。何度か声をかけるけれど彼は振り返るそぶりすらない。ただ前だけを見てスタスタと歩き続ける。だんだん苛立ってきた。
「聞こえていますか?アドラム公爵令息。さっきからずっと話しかけてます。あなた…、何とも思わないのですか?そんなはずがありませんよね?なぜ?なぜあなたも宰相閣下も、陛下のあの有り様を見ていながら野放しにしているのですか?」
「……。」
「最もそば近くで仕え、信頼を置いているはずのあなたが進言すれば、陛下も聞く耳を持つのではないですか。あなたは知っていたのではなくて?今の逼迫した状況を」
「妃陛下。少し黙って歩けませんか。ひとまずあなた様を離宮にお連れいたします。それまで私からお話することは何もありません」
「……っ、」
愛想の欠片もないつっけんどんな口調でそう言うと、彼は一切こちらを振り返ることなく、その真っ直ぐな銀髪をキラキラと靡かせながら歩き続ける。…前から思ってたけど、この人本当失礼よね…。私が王妃だって分かってるのかしら…。別の人が王妃だったらもう何かしらの処分は受けてると思うわよ、絶対。
チラリとエルドの方を振り返ると、彼は突き刺すような鋭い視線でカイル様の背中を睨みつけていた。
「…では、私はこれで。お茶でもお飲みになりどうぞお心を静められてはいかがでしょうか」
離宮の私の部屋に着くなりカイル様はようやくくるりと振り返りそう言うと、そのまま出て行こうとした。何しにここまで来たのよ。本当に送ってきただけ…?
「ち、ちょっと待ってちょうだい!」
私が声をかけると途端にピタリと足が止まる。まるで引き止められることを分かっていたみたいに。
無機質にも思えるほどの静かなグレーの瞳がようやく私の方を向いた。
「…ね、さっきから何度も尋ねているけど、あなたはどう思っているの?あの方のあの現状を日々そばで見ているのに何も感じないほど、あなたは愚鈍な人には見えないわ」
「……。…離縁なさったらどうですか?」
「…………え?」
突然ポツリと彼が呟いた言葉は予期せぬもので、私は思わず問い返しカイル様の顔を見つめた。
彼は私からスッと目を逸らすと、また口を開く。…この人はいつも私から目を逸らしている気がする。
「陛下もああ仰っていたことですし、もういっそ離縁なさって国に帰られてはいかがですか。どんなにあなたが必死になって働こうとも、改心を待ち望もうとも、あの方はもう駄目でしょう。あの側妃殿とおられる限り、もう変わることはきっとない」
「……。ねぇ、あなたたち、少し外していてくれるかしら?」
部屋の中にいたリネットや護衛たちがじっと聞き耳を立てこちらを見ていることに気付いて、私はやんわりと彼らを外に行かせた。この人たちがカイル様の言葉を誰かに告げ口することなんてないと思うけれど、あまり他人に聞かれていい会話じゃない。
「…エルド」
「俺はここにいます」
全員が部屋を出た後も微動だにせずカイル様を睨みつけているエルドに声をかけるけれど、どうやら外へ行く気はないらしい。私は諦めてカイル様に向き直った。
「…どうしてあなたまでそんなことを言うのです。私はこの国の正妃ですよ。陛下があんな調子だからこそ、その分私がやれることは全てやらなくては…」
「何故です。あなたは元々この国の人間ではない。迎え入れた国王自身があの調子なのだから、もはや何の義理もないでしょう。カナルヴァーラに戻り、かの国の王宮で優雅に暮らした方がよほど楽なのではありませんか。そのうちこんな結婚よりも遥かに幸せな結婚もできるでしょうし。何と言っても王女様であらせられるのだから」
「……。」
追い出したいのか、気遣ってくれているのか。淡々とした口調で突拍子もないことを言い出した彼の本心は全く読めない。
だけど…、気のせいかしら。今のカイル様には、私がこの国に嫁いできたばかりの頃に向けられていたような敵意や憎悪のようなものは感じられない……気がする。
「そんなことできるはずがありません」
「何故です」
「何故、って…」
たしかに、あの国王陛下とこの国を見限ってさっさとカナルヴァーラへ帰っていいと言うのなら、それが一番楽な方法だとは思う。国に帰れば大好きな家族にまた会えるし、温かく迎えてくれる人たちの中で幸せに暮らせるだろう。王宮の人々から冷たい視線を浴びながらこんな寂しい部屋でひっそりと暮らさなくてもよくなる。そしてやがてはカイル様の言う通り、父や母が選んだそれなりの家柄の殿方と結婚し、カナルヴァーラ王国の中で穏やかに生きていく日が来るのかもしれない。
だけど……
(そんなのは私の人生じゃない)
「私はこのラドレイヴン王国の王妃です。そう生きていくのだと、覚悟を持ってここへ嫁いできました。上手くいかないから、陛下に愛想を尽かされたから、見捨てられ冷遇されたからと言ってすごすごと逃げ帰ることなど絶対にしません。私が今そんなことをすれば、この国の民たちはどうなるのです」
「……え……」
「公務を放り出し、民の血税を自分たちのために湯水のように使うことを当然と思っている。あんな人に国政を委ねてここを見捨ててしまえば、遠くない将来この国は本当に窮地に陥ります。それだけは絶対に阻止しなければ。…それが今の私の、身命を賭して挑む仕事ですもの」
「……っ、」
私を見つめていたカイル様の目が見開かれる。その美しいグレーの瞳に初めて感情を見た気がして、私は少し驚いた。
47
お気に入りに追加
2,316
あなたにおすすめの小説
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
[完結]いらない子と思われていた令嬢は・・・・・・
青空一夏
恋愛
私は両親の目には映らない。それは妹が生まれてから、ずっとだ。弟が生まれてからは、もう私は存在しない。
婚約者は妹を選び、両親は当然のようにそれを喜ぶ。
「取られる方が悪いんじゃないの? 魅力がないほうが負け」
妹の言葉を肯定する家族達。
そうですか・・・・・・私は邪魔者ですよね、だから私はいなくなります。
※以前投稿していたものを引き下げ、大幅に改稿したものになります。
妹と旦那様に子供ができたので、離縁して隣国に嫁ぎます
冬月光輝
恋愛
私がベルモンド公爵家に嫁いで3年の間、夫婦に子供は出来ませんでした。
そんな中、夫のファルマンは裏切り行為を働きます。
しかも相手は妹のレナ。
最初は夫を叱っていた義両親でしたが、レナに子供が出来たと知ると私を責めだしました。
夫も婚約中から私からの愛は感じていないと口にしており、あの頃に婚約破棄していればと謝罪すらしません。
最後には、二人と子供の幸せを害する権利はないと言われて離縁させられてしまいます。
それからまもなくして、隣国の王子であるレオン殿下が我が家に現れました。
「約束どおり、私の妻になってもらうぞ」
確かにそんな約束をした覚えがあるような気がしますが、殿下はまだ5歳だったような……。
言われるがままに、隣国へ向かった私。
その頃になって、子供が出来ない理由は元旦那にあることが発覚して――。
ベルモンド公爵家ではひと悶着起こりそうらしいのですが、もう私には関係ありません。
※ざまぁパートは第16話〜です
初耳なのですが…、本当ですか?
あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た!
でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。
あなたが選んだのは私ではありませんでした 裏切られた私、ひっそり姿を消します
矢野りと
恋愛
旧題:贖罪〜あなたが選んだのは私ではありませんでした〜
言葉にして結婚を約束していたわけではないけれど、そうなると思っていた。
お互いに気持ちは同じだと信じていたから。
それなのに恋人は別れの言葉を私に告げてくる。
『すまない、別れて欲しい。これからは俺がサーシャを守っていこうと思っているんだ…』
サーシャとは、彼の亡くなった同僚騎士の婚約者だった人。
愛している人から捨てられる形となった私は、誰にも告げずに彼らの前から姿を消すことを選んだ。
【完結】捨ててください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。
でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。
分かっている。
貴方は私の事を愛していない。
私は貴方の側にいるだけで良かったのに。
貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。
もういいの。
ありがとう貴方。
もう私の事は、、、
捨ててください。
続編投稿しました。
初回完結6月25日
第2回目完結7月18日
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる