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43.月明かりの下で(※sideエルド)
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「……これはまた、見事な…」
外に出て改めて夜空を見上げると、その神々しいまでの青い光に言葉を失う。
今宵の月は格別に美しい。青く照らし出された夜の世界に導かれるように、俺はゆっくりと離宮を目指して歩きはじめた。
離宮の裏手にはアリア様がお好きな中庭があり、いつも季節の花々が咲き誇っている。その中庭からアリア様の寝室の窓が見えるのだ。
(…やはりもう眠っておられるのだな)
別世界に辿り着いたかと感じさせる幻想的な青白い花々を背に、俺はアリア様の寝室の窓を見上げた。バルコニーの奥、カーテンのかかった窓の灯りはすでに消えている。
(…ゆっくり休んでくれているといいのだが)
あんなに日々朝から晩まで真剣に公務に取り組み、勉強に励み、己の立場に慢心することなく誠実に生きている方が、ここへ来てから辛い目にばかり遭われている。どんなに気丈にふるまっていても、その瞳の奥に悲しげに揺れるものを見たり、日に日に細くなっていく指先を見るたびに、俺は胸を掻きむしりたくなる。そしてあの方を…、この腕の中に強く抱きしめ、全てのものから守りたいとさえ…。
しかし、相手はこの俺などが不用意に触れていいお方じゃない。この大国の正妃、ラドレイヴン王国の国王陛下の妃なのだから。
(分かっている。生涯実ることなどない想いだ)
だが今更どうしようもない。日に日に強くなっていくあの方への恋情は、今や俺自身の体を焼き尽くしてしまうほどの熱量で、誰にも悟られないようにと抑え込むのにも苦労しているほどなのだ。今更なかったことにはできない。
狂おしいほどの想いを小さなため息に変えて、ほんの少しだけ外に逃がす。ああ、クソ…。あの男め…。大切にしないのなら、何故わざわざ自分の正妃として娶ったのだ。あの美しい人を生まれ育った国から強引に嫁がせ、こんな淋しい場所に閉じ込めて、飼い殺しにして…。
たとえ他の男のものであっても、せめて幸せに笑ってくれているのならまだよかった。あの方が満ち足りた笑顔で日々を過ごせるのならば、俺自身の叶わぬ恋に破れた心など、どんなに痛もうとも耐えてみせたのに……。
(……アリア様……)
その時だった。
未練がましく見上げていたバルコニーに、白いドレス姿の愛おしい人が、ふいに現れたのだ。
「─────……っ!!」
青い月の光に照らし出されて突然現れたアリア様は、その美しいピンクブロンドの長い髪を幻想的な色味に輝かせ、まるで夜の女神のようだ。
彼女もよほど驚いたのだろう。目を見開いて俺のことを見つめている。
「……っ、」
もう、他の何も目に入らなかった。
俺の瞳はただ彼女のことだけを捉え、その喜びに体中の血が沸き立つような感覚を覚えた。心臓が早鐘を打ちはじめる。
まさか今ここで、あなたの姿を見ることができるなんて。
青い月明かりに照らし出されたアリア様は途方もなく美しく、俺は軽い目まいを覚えた。
「…………。」
「…………。」
彼女は何も言葉を発しない。ただその瞳は、俺のことだけをずっと見つめている。
手を伸ばしたい。許されるのなら、今すぐ両手を広げてあなたに叫びたい。あなたを愛している。この胸に飛び込んできてくれ、と。俺があなたの全てを受け止める。どうか信じてくれ、幸せにしてみせるから、俺と一緒にどこかへ行こう、と。
そんなことが言える立場であったなら、どんなによかっただろう。
だが現実は、あの方はこの王国の国王の妃で、俺はその身を守るただの騎士だ。
この想いを伝えることさえ、決して許されない。
アリア様はただ俺のことを、俺のことだけを見つめている。この美しい人の視線を、今俺だけが独り占めしている。
さっきは早く朝になれなんて思っていたくせに、今はもうこの月明かりの下で、あなたと永遠に二人きりでいられたら、なんて、叶うはずもない夢を見ている。
「…そこで何をなさっておられるのですか、アリア様」
「…ね、…眠れなくて…。月明かりがとても美しかったから、少しだけ、外を見てみようかなって…、…それで…」
可愛い。か細く震える声。愛しい人の声を今日初めて聞けて、俺の心は少し温かくなる。
「…夜は冷えます。そんな格好でバルコニーに出ては、風邪をひいてしまいますよ」
彼女が現れた瞬間は白いドレス姿だと思っていたが、よく見れば薄いネグリジェのようだ。また体調を崩してはいけない。
「あ…、あなたこそ…、そんな薄着で…。…いつからそこにいたの…?」
同じように俺を気遣ってくださる言葉に、また心が満たされていく。これだけの会話が、こんなにも俺を幸福な気持ちにさせる。
「…さっき来たばかりです。休む前に、離宮の周りを見回っておりました」
「…そう…」
もうお部屋に戻るよう促さなくては。頭では分かっているのに名残惜しく、俺はただひたすらに彼女の姿を目に焼き付けていた。
ああ…、この人は……
「…アリア様。本当に美しいですね」
「……え……っ」
アリア様が目を丸くする。…しまった。つい口に出してしまった。
「…今夜の月です。とても幻想的だ」
「…ええ。そうね。とても、綺麗だわ」
咄嗟に言い繕うと、アリア様はそう答えて嬉しそうに微笑んだ。
「珍しいわよね、こんな青い月。見られてよかったわ」
「ええ、本当に。…俺も見られてよかったです」
あなたと一緒に、見られてよかった。
青い月明かりの下のあなたは、いつにも増して夢のような美しさだった。
「…そろそろお戻りください、アリア様。あなたに風邪をひいてほしくない」
無理矢理言葉を絞り出し、俺はこの二人きりの時間に別れを告げた。
「…そうね。もう戻るわ。…おやすみなさい、エルド」
「おやすみなさいませ、アリア様。…今宵もどうぞ、良い夢を」
愛しています。アリア様。
このひと時が少しでもあなたの癒やしとなり、あなたが穏やかな朝を迎えられることを願っています。
決して口にすることなど許されない想いを胸の内で呟きながら、俺は最後まで彼女の姿を見守り続けた。バルコニーから後ろ姿が見えなくなった後も、俺はしばらくその場から離れることができなかった。
外に出て改めて夜空を見上げると、その神々しいまでの青い光に言葉を失う。
今宵の月は格別に美しい。青く照らし出された夜の世界に導かれるように、俺はゆっくりと離宮を目指して歩きはじめた。
離宮の裏手にはアリア様がお好きな中庭があり、いつも季節の花々が咲き誇っている。その中庭からアリア様の寝室の窓が見えるのだ。
(…やはりもう眠っておられるのだな)
別世界に辿り着いたかと感じさせる幻想的な青白い花々を背に、俺はアリア様の寝室の窓を見上げた。バルコニーの奥、カーテンのかかった窓の灯りはすでに消えている。
(…ゆっくり休んでくれているといいのだが)
あんなに日々朝から晩まで真剣に公務に取り組み、勉強に励み、己の立場に慢心することなく誠実に生きている方が、ここへ来てから辛い目にばかり遭われている。どんなに気丈にふるまっていても、その瞳の奥に悲しげに揺れるものを見たり、日に日に細くなっていく指先を見るたびに、俺は胸を掻きむしりたくなる。そしてあの方を…、この腕の中に強く抱きしめ、全てのものから守りたいとさえ…。
しかし、相手はこの俺などが不用意に触れていいお方じゃない。この大国の正妃、ラドレイヴン王国の国王陛下の妃なのだから。
(分かっている。生涯実ることなどない想いだ)
だが今更どうしようもない。日に日に強くなっていくあの方への恋情は、今や俺自身の体を焼き尽くしてしまうほどの熱量で、誰にも悟られないようにと抑え込むのにも苦労しているほどなのだ。今更なかったことにはできない。
狂おしいほどの想いを小さなため息に変えて、ほんの少しだけ外に逃がす。ああ、クソ…。あの男め…。大切にしないのなら、何故わざわざ自分の正妃として娶ったのだ。あの美しい人を生まれ育った国から強引に嫁がせ、こんな淋しい場所に閉じ込めて、飼い殺しにして…。
たとえ他の男のものであっても、せめて幸せに笑ってくれているのならまだよかった。あの方が満ち足りた笑顔で日々を過ごせるのならば、俺自身の叶わぬ恋に破れた心など、どんなに痛もうとも耐えてみせたのに……。
(……アリア様……)
その時だった。
未練がましく見上げていたバルコニーに、白いドレス姿の愛おしい人が、ふいに現れたのだ。
「─────……っ!!」
青い月の光に照らし出されて突然現れたアリア様は、その美しいピンクブロンドの長い髪を幻想的な色味に輝かせ、まるで夜の女神のようだ。
彼女もよほど驚いたのだろう。目を見開いて俺のことを見つめている。
「……っ、」
もう、他の何も目に入らなかった。
俺の瞳はただ彼女のことだけを捉え、その喜びに体中の血が沸き立つような感覚を覚えた。心臓が早鐘を打ちはじめる。
まさか今ここで、あなたの姿を見ることができるなんて。
青い月明かりに照らし出されたアリア様は途方もなく美しく、俺は軽い目まいを覚えた。
「…………。」
「…………。」
彼女は何も言葉を発しない。ただその瞳は、俺のことだけをずっと見つめている。
手を伸ばしたい。許されるのなら、今すぐ両手を広げてあなたに叫びたい。あなたを愛している。この胸に飛び込んできてくれ、と。俺があなたの全てを受け止める。どうか信じてくれ、幸せにしてみせるから、俺と一緒にどこかへ行こう、と。
そんなことが言える立場であったなら、どんなによかっただろう。
だが現実は、あの方はこの王国の国王の妃で、俺はその身を守るただの騎士だ。
この想いを伝えることさえ、決して許されない。
アリア様はただ俺のことを、俺のことだけを見つめている。この美しい人の視線を、今俺だけが独り占めしている。
さっきは早く朝になれなんて思っていたくせに、今はもうこの月明かりの下で、あなたと永遠に二人きりでいられたら、なんて、叶うはずもない夢を見ている。
「…そこで何をなさっておられるのですか、アリア様」
「…ね、…眠れなくて…。月明かりがとても美しかったから、少しだけ、外を見てみようかなって…、…それで…」
可愛い。か細く震える声。愛しい人の声を今日初めて聞けて、俺の心は少し温かくなる。
「…夜は冷えます。そんな格好でバルコニーに出ては、風邪をひいてしまいますよ」
彼女が現れた瞬間は白いドレス姿だと思っていたが、よく見れば薄いネグリジェのようだ。また体調を崩してはいけない。
「あ…、あなたこそ…、そんな薄着で…。…いつからそこにいたの…?」
同じように俺を気遣ってくださる言葉に、また心が満たされていく。これだけの会話が、こんなにも俺を幸福な気持ちにさせる。
「…さっき来たばかりです。休む前に、離宮の周りを見回っておりました」
「…そう…」
もうお部屋に戻るよう促さなくては。頭では分かっているのに名残惜しく、俺はただひたすらに彼女の姿を目に焼き付けていた。
ああ…、この人は……
「…アリア様。本当に美しいですね」
「……え……っ」
アリア様が目を丸くする。…しまった。つい口に出してしまった。
「…今夜の月です。とても幻想的だ」
「…ええ。そうね。とても、綺麗だわ」
咄嗟に言い繕うと、アリア様はそう答えて嬉しそうに微笑んだ。
「珍しいわよね、こんな青い月。見られてよかったわ」
「ええ、本当に。…俺も見られてよかったです」
あなたと一緒に、見られてよかった。
青い月明かりの下のあなたは、いつにも増して夢のような美しさだった。
「…そろそろお戻りください、アリア様。あなたに風邪をひいてほしくない」
無理矢理言葉を絞り出し、俺はこの二人きりの時間に別れを告げた。
「…そうね。もう戻るわ。…おやすみなさい、エルド」
「おやすみなさいませ、アリア様。…今宵もどうぞ、良い夢を」
愛しています。アリア様。
このひと時が少しでもあなたの癒やしとなり、あなたが穏やかな朝を迎えられることを願っています。
決して口にすることなど許されない想いを胸の内で呟きながら、俺は最後まで彼女の姿を見守り続けた。バルコニーから後ろ姿が見えなくなった後も、俺はしばらくその場から離れることができなかった。
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