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15.どうしようもなく(※sideエルド)
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国王陛下の素行は悪くなる一方だった。
元々がこういう性質の人だったのだろう。これまでは厳しかった先代国王の手前、大人しくしていただけなのだ。それでも先代の目を盗んで陰で何をしていたかは分かったものじゃない。
アリア様はもはや鬼気迫る勢いだった。余計なことは一切考えまいとしているかのように日夜公務に励むかたわら、空いた時間で本を読み漁り机にかじりつくように勉強していた。たしかに、学ぶことはいくらでもあるのだろう。それにしても…、このままではそのうち倒れてしまうのではないか。周りの者はまだ誰も気付いていないようだが、日々その姿を見ていた俺には分かった。ここに来られた時よりほんの少し痩せられたし、顔色も違う。…気がする。
「…あまり無理をなさらないでください」
その日、いつものように書庫に向かうアリア様に同行した俺は、本を選ぶ彼女に向かって思わずそう声をかけてしまった。
アリア様は驚いたように俺を見た。出過ぎたことを言ってしまったとすぐに自覚した。一介の護衛騎士の分際で、俺は余計な真似を…。
だがどうにか気丈にふるまおうと必死な様子のアリア様を見ていると、黙っていることができなかった。
「…私なら大丈夫なのよ、エルド。別にそんなに落ち込んでないわ」
痛々しいほどに無理をしながら、アリア様はそう言うと次々と本を手に取る。それらを俺に渡しながら、こんなのは何てことないのだと、分かっていたことだと何度も言い募る。まるで、自分自身に言い聞かせるように。
しょうがないわ。殿方ってそういうものでしょう?手に入れた女には興味を失くし、新しい人に目が行くのよね…、などと、悲しいことを呟く。
そうしているうちにふいに我に返ったのだろう。アリア様はいつの間にか俺の手元に大量の本を積み重ねていたことに気付き、慌てふためきながら赤面した。それらを半分ほどせっせと棚に戻すと、部屋に戻ろうと言った。
書庫を出る前に、俺は彼女の後ろ姿にもう一度声をかける。
「…俺たちがついています、アリア様。あなたはお一人じゃない。…何かあったら、頼ってください」
何故お前なんぞにそんなことを言われなければならないのかと思われるかもしれない。ただの護衛騎士に同情されているのかと不愉快に感じるだろうか。
それでも、言葉をかけずにはいられなかった。
一生懸命に虚勢を張っているアリア様は、あまりにも愛らしく、憐れで、切なげで…、
何故だかどうしようもなく、抱きしめたくなった。
「…ふふ、どうもありがとう。じゃ、戻りましょう」
俺の言葉を聞いたアリア様は、ほんの一瞬動きを止めた後そう言って書庫を出、いつもよりも早い足取りで部屋まで歩いていったのだった。
ほどなくして、ジェラルド国王は側妃を娶った。
相手は見るからに品のない、色気だけは十二分にある小娘。先代国王の側妃にもこの手の女性が何人かいた。やはり親子だ。アリア様に付き従い国王陛下の部屋までついて行き、陛下がアリア様にその側妃を紹介しているのを見ながら俺は心底うんざりした。不敬の極みであることは承知の上で、内心陛下を罵倒していた。
こんなにもひたむきに努力している可愛い人がそばにありながら、何故このような女に心を奪われるのか。
自ら望んであれほど強引に妃に迎えた大切な人じゃないのか。
呆れてものが言えない。…言える立場でもないが。
陛下の後ろに黙って立っている側近のアドラム公爵令息は、何も感じていないのだろうか。
ちょうど公務に一区切りついたところで、久しぶりにこれからお気に入りのガゼボでティータイムを楽しむ予定だったアリア様だが、そんな気分はすっかりなくしてしまったらしい。陛下の前を辞して部屋に戻られるなり、目まいがするから少し休むと言って寝室に入っていってしまった。
その後ろ姿があまりにも切ない。
アリア様を寝室に見送った後、侍女や護衛らは皆重苦しい空気を纏い沈黙していた。アリア様の側近くで仕える者たちは皆彼女の人柄に触れ、尊敬と親しみを持って接していた。
その苦しみを思えば、空気が重くなるのも当然だった。
日が沈む頃ようやく寝室から姿を現したアリア様の目は真っ赤に充血し、顔色は悪かった。誰にも見せまいとした涙を、一人でどれほど流されたのか。胸を掻きむしりたくなるほどの焦燥感が押し寄せる。こんな時にただ見守ることしかできない自分が歯痒かった。何かして差し上げたいのに、俺にはただその御身を守ること以外にできない。
「…今夜の護衛には俺がつきます。一晩中扉の外に控えておりますので、何かあったらお声をかけてください」
どうしてもアリア様のおそばを離れる気にはなれなかった。アリア様は俺がずっと連勤していることに気付き、気遣う言葉をかけてくださる。確かに、ここ最近休みを全く取っていなかった。…この方のそばにいたかったからだ。公務と勉強に打ち込み、日毎に自分自身を必死に奮い立たせているこの方から目が離せないでいた。
それなりに休んでいると言い張り、俺はその夜の護衛を買って出た。
「無理はしないでね、エルド」
「無理など。私は王妃陛下の護衛筆頭です。職務遂行のための体調管理こそ大事な任務の一つと心がけておりますので、ご安心くださいアリア様」
「…ふふ。分かったわ。じゃあよろしくね。…おやすみなさい」
「お休みなさいませアリア様。…どうぞ、良い夢を」
こんな言葉をかけることしかできない自分の立場がもどかしい。
どうかせめて、あなたが今宵ゆっくりと休むことができますように。
その傷付いた心が、少しでも早く癒やされますように。
今ここに誰が現れようと、アリア様の静かな夜は俺が守る。
陛下への怒りをそんな決意に変えて、俺はアリア様の眠る寝室の外にいた。
しかし。
アリア様の心が安らかであってほしいと願う気持ちに偽りはない。ないのだが、この頃の俺は夫婦の寝室に陛下が何ヶ月も姿を見せず、アリア様が一人きりでお休みになる日々が続いていることに、内心どこか安堵していた。
だがそんな自分の気持ちの正体に絶対に気付いてはいけないと、あえて目を逸らし続けていたのだった。
元々がこういう性質の人だったのだろう。これまでは厳しかった先代国王の手前、大人しくしていただけなのだ。それでも先代の目を盗んで陰で何をしていたかは分かったものじゃない。
アリア様はもはや鬼気迫る勢いだった。余計なことは一切考えまいとしているかのように日夜公務に励むかたわら、空いた時間で本を読み漁り机にかじりつくように勉強していた。たしかに、学ぶことはいくらでもあるのだろう。それにしても…、このままではそのうち倒れてしまうのではないか。周りの者はまだ誰も気付いていないようだが、日々その姿を見ていた俺には分かった。ここに来られた時よりほんの少し痩せられたし、顔色も違う。…気がする。
「…あまり無理をなさらないでください」
その日、いつものように書庫に向かうアリア様に同行した俺は、本を選ぶ彼女に向かって思わずそう声をかけてしまった。
アリア様は驚いたように俺を見た。出過ぎたことを言ってしまったとすぐに自覚した。一介の護衛騎士の分際で、俺は余計な真似を…。
だがどうにか気丈にふるまおうと必死な様子のアリア様を見ていると、黙っていることができなかった。
「…私なら大丈夫なのよ、エルド。別にそんなに落ち込んでないわ」
痛々しいほどに無理をしながら、アリア様はそう言うと次々と本を手に取る。それらを俺に渡しながら、こんなのは何てことないのだと、分かっていたことだと何度も言い募る。まるで、自分自身に言い聞かせるように。
しょうがないわ。殿方ってそういうものでしょう?手に入れた女には興味を失くし、新しい人に目が行くのよね…、などと、悲しいことを呟く。
そうしているうちにふいに我に返ったのだろう。アリア様はいつの間にか俺の手元に大量の本を積み重ねていたことに気付き、慌てふためきながら赤面した。それらを半分ほどせっせと棚に戻すと、部屋に戻ろうと言った。
書庫を出る前に、俺は彼女の後ろ姿にもう一度声をかける。
「…俺たちがついています、アリア様。あなたはお一人じゃない。…何かあったら、頼ってください」
何故お前なんぞにそんなことを言われなければならないのかと思われるかもしれない。ただの護衛騎士に同情されているのかと不愉快に感じるだろうか。
それでも、言葉をかけずにはいられなかった。
一生懸命に虚勢を張っているアリア様は、あまりにも愛らしく、憐れで、切なげで…、
何故だかどうしようもなく、抱きしめたくなった。
「…ふふ、どうもありがとう。じゃ、戻りましょう」
俺の言葉を聞いたアリア様は、ほんの一瞬動きを止めた後そう言って書庫を出、いつもよりも早い足取りで部屋まで歩いていったのだった。
ほどなくして、ジェラルド国王は側妃を娶った。
相手は見るからに品のない、色気だけは十二分にある小娘。先代国王の側妃にもこの手の女性が何人かいた。やはり親子だ。アリア様に付き従い国王陛下の部屋までついて行き、陛下がアリア様にその側妃を紹介しているのを見ながら俺は心底うんざりした。不敬の極みであることは承知の上で、内心陛下を罵倒していた。
こんなにもひたむきに努力している可愛い人がそばにありながら、何故このような女に心を奪われるのか。
自ら望んであれほど強引に妃に迎えた大切な人じゃないのか。
呆れてものが言えない。…言える立場でもないが。
陛下の後ろに黙って立っている側近のアドラム公爵令息は、何も感じていないのだろうか。
ちょうど公務に一区切りついたところで、久しぶりにこれからお気に入りのガゼボでティータイムを楽しむ予定だったアリア様だが、そんな気分はすっかりなくしてしまったらしい。陛下の前を辞して部屋に戻られるなり、目まいがするから少し休むと言って寝室に入っていってしまった。
その後ろ姿があまりにも切ない。
アリア様を寝室に見送った後、侍女や護衛らは皆重苦しい空気を纏い沈黙していた。アリア様の側近くで仕える者たちは皆彼女の人柄に触れ、尊敬と親しみを持って接していた。
その苦しみを思えば、空気が重くなるのも当然だった。
日が沈む頃ようやく寝室から姿を現したアリア様の目は真っ赤に充血し、顔色は悪かった。誰にも見せまいとした涙を、一人でどれほど流されたのか。胸を掻きむしりたくなるほどの焦燥感が押し寄せる。こんな時にただ見守ることしかできない自分が歯痒かった。何かして差し上げたいのに、俺にはただその御身を守ること以外にできない。
「…今夜の護衛には俺がつきます。一晩中扉の外に控えておりますので、何かあったらお声をかけてください」
どうしてもアリア様のおそばを離れる気にはなれなかった。アリア様は俺がずっと連勤していることに気付き、気遣う言葉をかけてくださる。確かに、ここ最近休みを全く取っていなかった。…この方のそばにいたかったからだ。公務と勉強に打ち込み、日毎に自分自身を必死に奮い立たせているこの方から目が離せないでいた。
それなりに休んでいると言い張り、俺はその夜の護衛を買って出た。
「無理はしないでね、エルド」
「無理など。私は王妃陛下の護衛筆頭です。職務遂行のための体調管理こそ大事な任務の一つと心がけておりますので、ご安心くださいアリア様」
「…ふふ。分かったわ。じゃあよろしくね。…おやすみなさい」
「お休みなさいませアリア様。…どうぞ、良い夢を」
こんな言葉をかけることしかできない自分の立場がもどかしい。
どうかせめて、あなたが今宵ゆっくりと休むことができますように。
その傷付いた心が、少しでも早く癒やされますように。
今ここに誰が現れようと、アリア様の静かな夜は俺が守る。
陛下への怒りをそんな決意に変えて、俺はアリア様の眠る寝室の外にいた。
しかし。
アリア様の心が安らかであってほしいと願う気持ちに偽りはない。ないのだが、この頃の俺は夫婦の寝室に陛下が何ヶ月も姿を見せず、アリア様が一人きりでお休みになる日々が続いていることに、内心どこか安堵していた。
だがそんな自分の気持ちの正体に絶対に気付いてはいけないと、あえて目を逸らし続けていたのだった。
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