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12.側妃
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その日は何の前触れもなく、突然訪れた。
ラドレイヴンに嫁いできて一年足らず。相変わらず公務を放り出しているジェラルド様の代わりに、私は忙しい日々を送っていた。
「お疲れ様でございました、アリア様。さ、お茶を入れましょう」
「ありがとうリネット」
国王の執務室で今日中に目を通さなくてはならない書類の全てを読んでサインをし部屋に戻ってくると、リネットがすぐさま私のために紅茶を入れてくれた。
「午後は時間が空いていますね。…そうだ。久しぶりに中庭のガゼボに行くのはどうですか?アリア様。美しいお花を眺めながらゆっくりと休憩されては」
「…そうね」
そういえば、最近あそこに行ってないな…。ジェラルド様が夫婦の寝室どころか執務室にさえも寄りつきもしなくなって、私の負担はますます増えていた。
(…アドラム公爵はちゃんとジェラルド様に進言してくれたのかしら…)
陛下の性格はよく分かっている、上手いことたしなめてみせるからとそんなことを言ってくれてはいたけれど、今のところジェラルド様の素行が改善される気配はない。本当に困ってしまう。
やはり直接話し合うべきかしら…。
そんなことをぼんやりと考えながら、私は重い腰を上げた。
リネットの言う通り、たまにはあの素敵なガゼボで美しい花々を見ながらゆったりと過ごす午後も悪くない。
「ありがとうリネット。…行ってみましょうか」
「お供いたします」
すぐさま今日の室内の護衛をしてくれているエルドとメルヴィンが反応する。
(…そういえば、エルドは最近毎日ずっといるわよね…)
他の護衛は私の部屋の中と外、そして非番の人と、毎日順番に入れ替わっているのに、よく考えてみたらエルドの顔だけは毎日ずっと見ている気がする。
…ちゃんとお休み取っているのかしら…。
私がそれについてエルドに尋ねようとした、その時だった。
「失礼いたしますアリア様。…陛下がお呼びでございます。至急陛下のお部屋に来るようにと」
「…えっ…?…分かったわ」
侍女長のラナの言葉に、思わず驚きの声を上げてしまった。だって…、夫とはいえここ数ヶ月ほとんど顔も合わせない、食事の席にも現れない、寝室にも来ない人だったんだもの。そのジェラルド様が、私を呼んでいる…?
(しかも至急、って…、何事かしら)
一体何についての話をするつもりなんだろう。もしかして…、宰相のアドラム公爵が上手く言い含めてくれて、ようやく目を覚ましたのかしら。
私に謝罪し、許しを請うつもりなのかもしれない。
そんな楽観的な考えが頭をよぎった。
「…陛下のお部屋に参ります」
チラリと鏡を見て身だしなみを確認すると、私はエルドたちとリネットを伴って部屋を出た。
(……誰……?)
ジェラルド様の部屋を訪ねた私は、自分の考えが間違っていたことにすぐ気付いた。
悠然とソファーに座るジェラルド様の真横には、その腕に自分の腕をしっかりと絡めて抱きついている一人の若い女性。赤茶色の波打つ長い髪と同じ色の瞳を持つその人は、敵対心むき出しのきつい視線を私に向けていた。
まるでジェラルド様を私に盗られまいとするように。
(…どう見ても、これまですまなかった、なんて話ではなさそうね…)
そう思った私は心の中で深いため息をつき、ジェラルド様の言葉を待った。実際に目の前でこうも大胆に他の女性との親密さを見せつけられると、やはり胸が強く痛んだ。
そんな私の気持ちなど全く意に介さない様子のジェラルド様は落ち着いた声で言った。
「アリア、これはマデリーン。ベレット伯爵家の娘だ。俺はこの者を側妃とすることに決めた。よくしてやってくれ」
「……っ、」
指先がすぅっと冷たくなっていく。突然頭を鈍器で殴りつけられたような衝撃を覚えた。
ああ、そうか。やっぱり…。
ジェラルド様も側妃を迎えるのね…。
覚悟はとうにしていた。ここ数ヶ月のこの人の素行を見て、誠実さや一途さなんてまるっきり期待してはいけない相手だと充分に理解していたから。遠くない将来この日が来るかもしれないと、一人で過ごす毎夜、自分にそう言い聞かせ続けて心の準備はしていたつもりだった。
愛しているわけじゃない、と思う。
突然決まった大国の国王との、感情の伴わない結婚。
だけど私は覚悟を持って嫁いできた。
ラドレイヴンの国王の妃となり、彼の治世を支え、共に生涯を歩んでいくのだと。人生をこの方と二人で過ごしていくのだと。
だからこそ、私にとってこの人はすでに特別な人だった。たった一人の、大切にするべき私の夫だった。
ゆっくりと長い時間をかけて、互いを想い合う夫婦になれたらと願っていた。
だけど私とこの人の気持ちは、きっと全く違うのだろう。
「…さようでございますか。アリアと申しますわ。これからよろしくお願いしますわね」
心とは裏腹に、私は機械じかけの人形のようにそう返事をしていた。ジェラルド様からは私を気遣う言葉も、私に全てを押し付けて日夜出歩いていることへの謝罪も何もない。何だか虚しくて、泣きたくて仕方がなかった。
「さ、マデリーン。アリアに挨拶をしろ。このラドレイヴン王国の正妃だ」
「…はじめましてぇ」
側妃に選ばれたその女性は、私から目を逸らし心底嫌そうにそう呟いた。そんな彼女の様子を、ジェラルド様は苦笑しながら見つめている。まるで年端のいかない我が子のたどたどしさを優しく見守る父親のように。咎めることも、怒ることもない。
ふと視線を上げると、部屋の奥に立っていたジェラルド様の側近のカイル様と目が合った。彼はほんの少しの間私を見つめると、そのままスッと目を伏せた。
「……。では、他にお話がなければ私は下がらせていただきます。まだ仕事が残っておりますので」
「ん?ああ、そうか。行っていい」
「…失礼いたします」
また私の方に視線を戻してジロジロと値踏みするように睨んでくる女性と、彼女を愛おしげに見つめるジェラルド様から目を背け、私はその部屋を後にした。
ラドレイヴンに嫁いできて一年足らず。相変わらず公務を放り出しているジェラルド様の代わりに、私は忙しい日々を送っていた。
「お疲れ様でございました、アリア様。さ、お茶を入れましょう」
「ありがとうリネット」
国王の執務室で今日中に目を通さなくてはならない書類の全てを読んでサインをし部屋に戻ってくると、リネットがすぐさま私のために紅茶を入れてくれた。
「午後は時間が空いていますね。…そうだ。久しぶりに中庭のガゼボに行くのはどうですか?アリア様。美しいお花を眺めながらゆっくりと休憩されては」
「…そうね」
そういえば、最近あそこに行ってないな…。ジェラルド様が夫婦の寝室どころか執務室にさえも寄りつきもしなくなって、私の負担はますます増えていた。
(…アドラム公爵はちゃんとジェラルド様に進言してくれたのかしら…)
陛下の性格はよく分かっている、上手いことたしなめてみせるからとそんなことを言ってくれてはいたけれど、今のところジェラルド様の素行が改善される気配はない。本当に困ってしまう。
やはり直接話し合うべきかしら…。
そんなことをぼんやりと考えながら、私は重い腰を上げた。
リネットの言う通り、たまにはあの素敵なガゼボで美しい花々を見ながらゆったりと過ごす午後も悪くない。
「ありがとうリネット。…行ってみましょうか」
「お供いたします」
すぐさま今日の室内の護衛をしてくれているエルドとメルヴィンが反応する。
(…そういえば、エルドは最近毎日ずっといるわよね…)
他の護衛は私の部屋の中と外、そして非番の人と、毎日順番に入れ替わっているのに、よく考えてみたらエルドの顔だけは毎日ずっと見ている気がする。
…ちゃんとお休み取っているのかしら…。
私がそれについてエルドに尋ねようとした、その時だった。
「失礼いたしますアリア様。…陛下がお呼びでございます。至急陛下のお部屋に来るようにと」
「…えっ…?…分かったわ」
侍女長のラナの言葉に、思わず驚きの声を上げてしまった。だって…、夫とはいえここ数ヶ月ほとんど顔も合わせない、食事の席にも現れない、寝室にも来ない人だったんだもの。そのジェラルド様が、私を呼んでいる…?
(しかも至急、って…、何事かしら)
一体何についての話をするつもりなんだろう。もしかして…、宰相のアドラム公爵が上手く言い含めてくれて、ようやく目を覚ましたのかしら。
私に謝罪し、許しを請うつもりなのかもしれない。
そんな楽観的な考えが頭をよぎった。
「…陛下のお部屋に参ります」
チラリと鏡を見て身だしなみを確認すると、私はエルドたちとリネットを伴って部屋を出た。
(……誰……?)
ジェラルド様の部屋を訪ねた私は、自分の考えが間違っていたことにすぐ気付いた。
悠然とソファーに座るジェラルド様の真横には、その腕に自分の腕をしっかりと絡めて抱きついている一人の若い女性。赤茶色の波打つ長い髪と同じ色の瞳を持つその人は、敵対心むき出しのきつい視線を私に向けていた。
まるでジェラルド様を私に盗られまいとするように。
(…どう見ても、これまですまなかった、なんて話ではなさそうね…)
そう思った私は心の中で深いため息をつき、ジェラルド様の言葉を待った。実際に目の前でこうも大胆に他の女性との親密さを見せつけられると、やはり胸が強く痛んだ。
そんな私の気持ちなど全く意に介さない様子のジェラルド様は落ち着いた声で言った。
「アリア、これはマデリーン。ベレット伯爵家の娘だ。俺はこの者を側妃とすることに決めた。よくしてやってくれ」
「……っ、」
指先がすぅっと冷たくなっていく。突然頭を鈍器で殴りつけられたような衝撃を覚えた。
ああ、そうか。やっぱり…。
ジェラルド様も側妃を迎えるのね…。
覚悟はとうにしていた。ここ数ヶ月のこの人の素行を見て、誠実さや一途さなんてまるっきり期待してはいけない相手だと充分に理解していたから。遠くない将来この日が来るかもしれないと、一人で過ごす毎夜、自分にそう言い聞かせ続けて心の準備はしていたつもりだった。
愛しているわけじゃない、と思う。
突然決まった大国の国王との、感情の伴わない結婚。
だけど私は覚悟を持って嫁いできた。
ラドレイヴンの国王の妃となり、彼の治世を支え、共に生涯を歩んでいくのだと。人生をこの方と二人で過ごしていくのだと。
だからこそ、私にとってこの人はすでに特別な人だった。たった一人の、大切にするべき私の夫だった。
ゆっくりと長い時間をかけて、互いを想い合う夫婦になれたらと願っていた。
だけど私とこの人の気持ちは、きっと全く違うのだろう。
「…さようでございますか。アリアと申しますわ。これからよろしくお願いしますわね」
心とは裏腹に、私は機械じかけの人形のようにそう返事をしていた。ジェラルド様からは私を気遣う言葉も、私に全てを押し付けて日夜出歩いていることへの謝罪も何もない。何だか虚しくて、泣きたくて仕方がなかった。
「さ、マデリーン。アリアに挨拶をしろ。このラドレイヴン王国の正妃だ」
「…はじめましてぇ」
側妃に選ばれたその女性は、私から目を逸らし心底嫌そうにそう呟いた。そんな彼女の様子を、ジェラルド様は苦笑しながら見つめている。まるで年端のいかない我が子のたどたどしさを優しく見守る父親のように。咎めることも、怒ることもない。
ふと視線を上げると、部屋の奥に立っていたジェラルド様の側近のカイル様と目が合った。彼はほんの少しの間私を見つめると、そのままスッと目を伏せた。
「……。では、他にお話がなければ私は下がらせていただきます。まだ仕事が残っておりますので」
「ん?ああ、そうか。行っていい」
「…失礼いたします」
また私の方に視線を戻してジロジロと値踏みするように睨んでくる女性と、彼女を愛おしげに見つめるジェラルド様から目を背け、私はその部屋を後にした。
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