上 下
19 / 74

18. 義妹の告げ口

しおりを挟む
「……は?」

 義妹の突拍子もない言葉に、私の口から呆けた声が漏れた。ラウル様が、浮気……?
 あまりの馬鹿馬鹿しさに、開いた口が塞がらない。

「……一体何を言い出すの? あなた。今のラウル様の態度が冷たく感じたのは、あなたが……、」
「違うってば! そうじゃないの。あのね、あたしも半信半疑だったから、お義姉さまの心を乱すようなことは安易に言えないと思って黙っていたんだけどね……、ほら、覚えてる? お義姉さまたちの結婚式の少し前に、あたしの友人宅のお茶会に一緒に行ったでしょ? あそこであたしの友人をお義姉さまに何人か紹介したじゃない。その中で、ちょっとオドオドした感じの、暗い子がいたの覚えてる? ……ほら、そばかすがある、赤毛の」
「……。分かるわよ」

 サリアの言葉を聞いていた私の脳内に、一人の気弱そうな令嬢の顔が浮かんできた。

『あ、あの……、は、初めまして……。……』
『……初めまして。オールディス侯爵家のティファナですわ。どうぞよろしくね』

 挨拶を交わしたけれど、その子は名乗ることさえしなかった。けれどその様子からとても緊張しているのだろうと思い、その無作法を責める気にもならなかったのだけど。
 サリアは言葉を続ける。

「ロージエっていう子なんだけどね。あのね、実はあの子、ラウル様と同じところでお仕事してるらしいのよ。王宮の文官として」
「……。……え? あの子が……?」

 嘘でしょう? まさか。
 なんて言ったらあまりにも失礼だから口には出さなかった。だけど、初対面のあの子の印象からするとあまりにも意外だった。王宮勤めで、しかも文官の仕事をしているなんて、信じられない。
 別に若い女性が王宮内で責任ある仕事に全く就いていないわけじゃない。男性の人数とは比べ物にもならないけれど、女性だって能力のある人は何人も働いている。けれど、正直あの子のあの雰囲気が、王宮の文官とはあまりにも程遠い印象だったのだ。

「意外でしょ?」

 サリアは私の心を見透かしたようにそう言った。

「……ええ、まぁ」
「あんなに愚鈍で気の弱い子なのにね。意外にも頭はいいのよ。バリバリ働いてるみたい。あたしもお義姉さまに紹介した時点では全然知らなくて。あの子ったら、あの時お義姉さまのそばを離れた後、あたしにこっそり言ってきたのよ。実はね、私あなたのお義姉さまの旦那様と同じ職場で働いてるのよって。ホントにビックリしたわ。……でね、続けてこう言ったの。実は私とラウル様って、愛しあってるのよ、って」
「……。馬鹿馬鹿しい……。くだらないわ。そんなはずないでしょう。その子の妄言よ」

 冷静を装ってそう答えつつも、私の心臓は痛いほど大きく脈打っていた。馬鹿馬鹿しい。そう。もしも私とラウル様の仲が結婚直前のあの穏やかで優しい関係のままだったら、確実にそう鼻で笑い飛ばしていられた。
 けれどラウル様は今、理由も分からぬままに突然私に冷たくなってしまっている。もしかして、と、その可能性が頭をよぎらなかったわけじゃない。……もしかして、他の女性に心を奪われてしまっているんじゃないかって。
 膨れ上がる私の不安に追い打ちをかけるかのように、サリアは言う。

「あの子、ロージエがね、あたしにコソコソと耳打ちしてきたの。あんたのお義姉さまって大したことないわねって。婚約者の心なんかすぐに奪えちゃったわよって。高位貴族の令嬢だからって澄ましかえって上品ぶってるけど、ラウル様はあんな女はお嫌いなのよ。だって言ってくれたもの。君みたいに素直に甘えて頼ってくれる子の方が断然可愛げがあっていいって。私の心はもう君だけのものだよって。……そう言ったの。だからあたし思いっきり怒ってやったわ! くだらない冗談は止めて! って。お義姉さまとラウル様は信頼しあっている素敵な夫婦なのよ。間違ってもラウル様にちょっかい出そうとしないでよ! って」
「…………」
「ね、お義姉さま。あたしはそう信じてたから、きっぱりロージエを怒ったのよ。だけど……、さっきのラウル様の態度、どう見てもおかしいわ。あの目、大切な女性に向ける目じゃないもの。大嫌いな女に向ける目よ。お義姉さまがラウル様に嫌われちゃったのなら、やっぱりロージエが原因なのかもしれないわ。ロージエがお義姉さまのことを、ラウル様に悪く言ってるのかもしれない……。あの二人ね、よく執務室に二人きりで残って残業したりしてるんですって。でも、本当にしてるのはお仕事じゃなくて……、……やだ。ここから先はあたしの口からはとても言えないわ。ロージエったら、本当に下品なんだから……」

 恥じらうそぶりを見せるサリア。その一言一言が私の心に鋭く突き刺さる。くだらない。そんなはずがない。そう思う一方で、サリアの言葉を完全には否定できない自分もいた。



『……残念だったな。私はもう騙されない。君の淑女然とした姿にも、その姑息な涙にも。……私は、自分の信じると決めた人を信じるのみだ。信じるに値する人だけをな』



 信じると決めた人。
 ラウル様の仰るそれが、私以外の誰かを指しているのは間違いない。
 サリアは私に容赦なく追い打ちをかける。

「ね、ちゃんと話さなきゃダメよお義姉さま! このままじゃ下級貴族の下品な娘にラウル様を盗られちゃうわよ! あ、あの子男爵家の娘なんだけどね。……ラウル様を問いただして。よその身分の低い令嬢と恋仲になってるのなら許さないわよって。このまま黙ってウジウジ見守ってたら、ラウル様、ロージエと結婚するって言い出すかもよ!? いいの? お義姉さま。お義父さまを失望させる結果になるかもよ!」

(─────っ!)

「……もういいから。帰ってちょうだい、サリア」

 一人になって、冷静に考えたかった。今は心が乱れすぎている。この子の言うことを全て真に受けるわけにはいかない。頭の中で一度状況を整理して、ちゃんと考えなくちゃ……。

 けれどサリアは目を丸くすると、さも当然のように言い放った。

「あら、あたし今夜はここに泊めてもらうわよ。もうクタクタだし、今からオールディス侯爵邸に帰ってたんじゃ真夜中になっちゃうわ。……うふふっ。楽しみだなぁ。お義姉さまと一緒に夕食を食べるの、久しぶりよねっ。ラウル様も戻ってこられるといいのだけど」

 キャッキャとはしゃぐサリアを見て、絶望するしかなかった。まさか明日の朝までこの子の相手をしなくてはいけないなんて。ラウル様もあんなに不愉快そうにしているっていうのに。どうしよう。

(……もういい。とにかく、この子が帰ってからゆっくり考えよう。ひとまず明日までは我慢するしかないわ……)

 早くラウル様にサリアの無作法を謝りたい。私が留守にしていたことも。そして誤解を解かなくては。私が呼び寄せて放置していたわけじゃなくて、サリアが連絡もなく勝手にやって来たこと、今後は絶対にさせないようにすること、それから……、今度こそ、ちゃんと話し合いたい。私たちのこと。ラウル様の態度がこうまで変わってしまった理由を、ちゃんと聞きたい。



 その夜はサリアと二人で食事をすることになった。

 サリアには、私からもラウル様のお部屋からも一番遠い客間を準備して、そこに泊まらせた。



 そしてその夜、ラウル様は帰ってこなかった。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「わかれよう」そうおっしゃったのはあなたの方だったのに。

友坂 悠
恋愛
侯爵夫人のマリエルは、夫のジュリウスから一年後の離縁を提案される。 あと一年白い結婚を続ければ、世間体を気にせず離婚できるから、と。 ジュリウスにとっては亡き父が進めた政略結婚、侯爵位を継いだ今、それを解消したいと思っていたのだった。 「君にだってきっと本当に好きな人が現れるさ。私は元々こうした政略婚は嫌いだったんだ。父に逆らうことができず君を娶ってしまったことは本当に後悔している。だからさ、一年後には離婚をして、第二の人生をちゃんと歩んでいくべきだと思うんだよ。お互いにね」 「わかりました……」 「私は君を解放してあげたいんだ。君が幸せになるために」 そうおっしゃるジュリウスに、逆らうこともできず受け入れるマリエルだったけれど……。 勘違い、すれ違いな夫婦の恋。 前半はヒロイン、中盤はヒーロー視点でお贈りします。 四万字ほどの中編。お楽しみいただけたらうれしいです。

ほらやっぱり、結局貴方は彼女を好きになるんでしょう?

望月 或
恋愛
ベラトリクス侯爵家のセイフィーラと、ライオロック王国の第一王子であるユークリットは婚約者同士だ。二人は周りが羨むほどの相思相愛な仲で、通っている学園で日々仲睦まじく過ごしていた。 ある日、セイフィーラは落馬をし、その衝撃で《前世》の記憶を取り戻す。ここはゲームの中の世界で、自分は“悪役令嬢”だということを。 転入生のヒロインにユークリットが一目惚れをしてしまい、セイフィーラは二人の仲に嫉妬してヒロインを虐め、最後は『婚約破棄』をされ修道院に送られる運命であることを―― そのことをユークリットに告げると、「絶対にその彼女に目移りなんてしない。俺がこの世で愛しているのは君だけなんだ」と真剣に言ってくれたのだが……。 その日の朝礼後、ゲームの展開通り、ヒロインのリルカが転入してくる。 ――そして、セイフィーラは見てしまった。 目を見開き、頬を紅潮させながらリルカを見つめているユークリットの顔を―― ※作者独自の世界設定です。ゆるめなので、突っ込みは心の中でお手柔らかに願います……。 ※たまに第三者視点が入ります。(タイトルに記載)

前略、旦那様……幼馴染と幸せにお過ごし下さい【完結】

迷い人
恋愛
私、シア・エムリスは英知の塔で知識を蓄えた、賢者。 ある日、賢者の天敵に襲われたところを、人獣族のランディに救われ一目惚れ。 自らの有能さを盾に婚姻をしたのだけど……夫であるはずのランディは、私よりも幼馴染が大切らしい。 「だから、王様!! この婚姻無効にしてください!!」 「My天使の願いなら仕方ないなぁ~(*´ω`*)」  ※表現には実際と違う場合があります。  そうして、私は婚姻が完全に成立する前に、離婚を成立させたのだったのだけど……。  私を可愛がる国王夫婦は、私を妻に迎えた者に国を譲ると言い出すのだった。  ※AIイラスト、キャラ紹介、裏設定を『作品のオマケ』で掲載しています。  ※私の我儘で、イチャイチャどまりのR18→R15への変更になりました。 ごめんなさい。

国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。

ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。 即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。 そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。 国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。 ⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎ ※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。

尾道小町
恋愛
登場人物紹介 ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢  17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。 ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。 シェーン・ロングベルク公爵 25歳 結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。 ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳 優秀でシェーンに、こき使われている。 コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳 ヴィヴィアンの幼馴染み。 アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳 シェーンの元婚約者。 ルーク・ダルシュール侯爵25歳 嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。 ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。 ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。 この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。 ジュリアン・スチール公爵令嬢18歳デビット王太子殿下の婚約者。 ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳 私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。 一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。 正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?

「あなたのことはもう忘れることにします。 探さないでください」〜 お飾りの妻だなんてまっぴらごめんです!

友坂 悠
恋愛
あなたのことはもう忘れることにします。 探さないでください。 そう置き手紙を残して妻セリーヌは姿を消した。 政略結婚で結ばれた公爵令嬢セリーヌと、公爵であるパトリック。 しかし婚姻の初夜で語られたのは「私は君を愛することができない」という夫パトリックの言葉。 それでも、いつかは穏やかな夫婦になれるとそう信じてきたのに。 よりにもよって妹マリアンネとの浮気現場を目撃してしまったセリーヌは。 泣き崩れ寝て転生前の記憶を夢に見た拍子に自分が生前日本人であったという意識が蘇り。 もう何もかも捨てて家出をする決意をするのです。 全てを捨てて家を出て、まったり自由に生きようと頑張るセリーヌ。 そんな彼女が新しい恋を見つけて幸せになるまでの物語。

処理中です...