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最終話. 妻への想い・後編(※sideジェレミー)
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早まったかもしれない。押しが強い男だと思われただろうか。彼女に余計な警戒心を持たせてしまったかもしれない。せっかくこんなに親しくなれたというのに……。
彼女と別れ一人になった後、私は悶々と後悔していた。あぁぁ……失敗だっただろうか。どうしよう。万が一フィオレンサに嫌われてしまったら……。
しかし内心ではそんな風に女々しく悶えていることなどおくびにも出さず、私は極力これまでと変わらない態度で彼女と接した。フィオレンサの戸惑いや怯えは、私にも痛いほど伝わってきた。
もうこれ以上は止めよう。絶対に急かしたり、無理強いすることはしない。私の告白に困っているにも関わらず、誘えばこうしてデートに応じてくれている。それだけで充分だ。今は静かに待とう。フィオレンサが一歩踏み出す勇気を持ってくれる日が来るのを。
自分をそう律し、私は言葉に出さないまま行動で自分の想いを静かに伝え続けた。
いつかこの想いを彼女が受け取ってくれると信じて。
そしてついに、あの日がやって来たのだ。
私の人生最良の日が。
「……ジ、ジェレミー様」
「ん?」
その日のデートの帰り。フィオレンサは耳まで真っ赤になりながら、自分の想いを懸命に私に伝えてくれた。
「……その……、わ、私……、新しい道に、進んで行こうと思うのです。……この手を、握っていていただけますか?……ずっと……」
「……っ!フィオレンサ……」
夢を見ているのかと思った。彼女への愛しさが胸に溢れ、思わずそのか細い体を引き寄せ、抱きしめた。
私の腕の中で涙を流す彼女の胸に去来する思いは、何だったのか。
それを察しながら、私は心の中で誓った。
大丈夫だよ、フィオレンサ。私は君を決して傷付けない。安心しておくれ。
私の人生を、この命をかけて、君を生涯守り抜いていくから。
子どもの頃から想い続けたフィオレンサとのそれからの日々は、全てが幸せな思い出だ。
プロポーズをした日の、彼女の涙。
慌ただしく入籍し、南方の屋敷で過ごした二人きりの時間。
初めて肌を重ねた夜。甘い吐息。シーツの上で波打つ美しい髪。潤んだ瞳で私を見上げながら手を伸ばし、私の首を抱きしめたフィオレンサ。
皆から祝福された結婚披露パーティー。フィオレンサの美しいドレス姿。
新しい命が宿ったことを知った時の、彼女の喜びに満ちた顔……。
子どもが産まれて忙しくなってからも、彼女はいつも婿入りした私の仕事をサポートしてくれていた。屋敷でのんびり過ごしてくれればいいと言っているのに、いつの間にか溜まってきた書類は片付けられているし、領地の隅々にまで気を配ってくれている。執事が「私が仕事をする暇がございませんよ、奥様」と言うほどだった。
「……。ふ……」
執務室で仕事をしながら、いつの間にか私は、彼女と共に歩んできたこれまでの人生に思いを馳せていた。
彼女を得てからというもの、私の人生は幸せ一色だ。良妻賢母とはまさにフィオレンサのことだ。私ほどの果報者がこの世にいるのだろうか。
それも本を正せば……、
「失礼いたします、旦那様。かの旧男爵領から、また支援についての嘆願書が……」
「……ああ、来たか」
執事から書簡を受け取り、目を通す。
「……。」
(相変わらず悲惨な状況らしい。まぁ、あの奥方はこちらの妻と違って、賢さは欠片もない。領地の経営に関して、何かしらのサポートや、状況を少しでも改善するための良きアイデアを出してくれることなどないだろうしな。……いや、それ以前にご本人が無能すぎるのだが……)
旧モンクリーフ男爵領に追いやられてしまった、かつての王太子と王太子妃。
あれから何年も経つが、かの領地はいまだにひどい財政難のままで、領民たちの生活も相当に苦しいようだ。
国王陛下はとうにあの夫婦を見放してしまっており、救いの手を差し伸べる気は全くないらしい。そんな王家の様子を見てか、どこの貴族も同じような対応だ。
だが、私はこうして嘆願書が送られてくれば、ブリューワー公爵に相談の上、彼らが飢え死にしない程度には援助を続けている。決して多すぎず、あくまで死なない程度に、だが。
(……どれほど惨めな思いを味わっていることだろうか。失ってしまったことが惜しくてならないフィオレンサを得たこの私に、度々こうして支援を願い出るしかないとはな)
せいぜい長く生き延びて、この屈辱を味わい続ければいい。
そう思う気持ちと、あの愚かな男がフィオレンサを手放してくれたおかげで、今の私たちのこの幸福があるのだという、わずかばかりの感謝の気持ち。
この相反する二つの思いから、私はこれからもあの男に施しを続けるつもりでいる。
「……さて。今日はそろそろ戻るか」
愛する妻の顔が早く見たい。可愛い子供たちの顔も。
お帰りなさい、あなた。
そう言って微笑みかけてくれるフィオレンサの優しい眼差しを思い浮かべながら、私は執務室を後にした。
ーーーーー end ーーーーー
彼女と別れ一人になった後、私は悶々と後悔していた。あぁぁ……失敗だっただろうか。どうしよう。万が一フィオレンサに嫌われてしまったら……。
しかし内心ではそんな風に女々しく悶えていることなどおくびにも出さず、私は極力これまでと変わらない態度で彼女と接した。フィオレンサの戸惑いや怯えは、私にも痛いほど伝わってきた。
もうこれ以上は止めよう。絶対に急かしたり、無理強いすることはしない。私の告白に困っているにも関わらず、誘えばこうしてデートに応じてくれている。それだけで充分だ。今は静かに待とう。フィオレンサが一歩踏み出す勇気を持ってくれる日が来るのを。
自分をそう律し、私は言葉に出さないまま行動で自分の想いを静かに伝え続けた。
いつかこの想いを彼女が受け取ってくれると信じて。
そしてついに、あの日がやって来たのだ。
私の人生最良の日が。
「……ジ、ジェレミー様」
「ん?」
その日のデートの帰り。フィオレンサは耳まで真っ赤になりながら、自分の想いを懸命に私に伝えてくれた。
「……その……、わ、私……、新しい道に、進んで行こうと思うのです。……この手を、握っていていただけますか?……ずっと……」
「……っ!フィオレンサ……」
夢を見ているのかと思った。彼女への愛しさが胸に溢れ、思わずそのか細い体を引き寄せ、抱きしめた。
私の腕の中で涙を流す彼女の胸に去来する思いは、何だったのか。
それを察しながら、私は心の中で誓った。
大丈夫だよ、フィオレンサ。私は君を決して傷付けない。安心しておくれ。
私の人生を、この命をかけて、君を生涯守り抜いていくから。
子どもの頃から想い続けたフィオレンサとのそれからの日々は、全てが幸せな思い出だ。
プロポーズをした日の、彼女の涙。
慌ただしく入籍し、南方の屋敷で過ごした二人きりの時間。
初めて肌を重ねた夜。甘い吐息。シーツの上で波打つ美しい髪。潤んだ瞳で私を見上げながら手を伸ばし、私の首を抱きしめたフィオレンサ。
皆から祝福された結婚披露パーティー。フィオレンサの美しいドレス姿。
新しい命が宿ったことを知った時の、彼女の喜びに満ちた顔……。
子どもが産まれて忙しくなってからも、彼女はいつも婿入りした私の仕事をサポートしてくれていた。屋敷でのんびり過ごしてくれればいいと言っているのに、いつの間にか溜まってきた書類は片付けられているし、領地の隅々にまで気を配ってくれている。執事が「私が仕事をする暇がございませんよ、奥様」と言うほどだった。
「……。ふ……」
執務室で仕事をしながら、いつの間にか私は、彼女と共に歩んできたこれまでの人生に思いを馳せていた。
彼女を得てからというもの、私の人生は幸せ一色だ。良妻賢母とはまさにフィオレンサのことだ。私ほどの果報者がこの世にいるのだろうか。
それも本を正せば……、
「失礼いたします、旦那様。かの旧男爵領から、また支援についての嘆願書が……」
「……ああ、来たか」
執事から書簡を受け取り、目を通す。
「……。」
(相変わらず悲惨な状況らしい。まぁ、あの奥方はこちらの妻と違って、賢さは欠片もない。領地の経営に関して、何かしらのサポートや、状況を少しでも改善するための良きアイデアを出してくれることなどないだろうしな。……いや、それ以前にご本人が無能すぎるのだが……)
旧モンクリーフ男爵領に追いやられてしまった、かつての王太子と王太子妃。
あれから何年も経つが、かの領地はいまだにひどい財政難のままで、領民たちの生活も相当に苦しいようだ。
国王陛下はとうにあの夫婦を見放してしまっており、救いの手を差し伸べる気は全くないらしい。そんな王家の様子を見てか、どこの貴族も同じような対応だ。
だが、私はこうして嘆願書が送られてくれば、ブリューワー公爵に相談の上、彼らが飢え死にしない程度には援助を続けている。決して多すぎず、あくまで死なない程度に、だが。
(……どれほど惨めな思いを味わっていることだろうか。失ってしまったことが惜しくてならないフィオレンサを得たこの私に、度々こうして支援を願い出るしかないとはな)
せいぜい長く生き延びて、この屈辱を味わい続ければいい。
そう思う気持ちと、あの愚かな男がフィオレンサを手放してくれたおかげで、今の私たちのこの幸福があるのだという、わずかばかりの感謝の気持ち。
この相反する二つの思いから、私はこれからもあの男に施しを続けるつもりでいる。
「……さて。今日はそろそろ戻るか」
愛する妻の顔が早く見たい。可愛い子供たちの顔も。
お帰りなさい、あなた。
そう言って微笑みかけてくれるフィオレンサの優しい眼差しを思い浮かべながら、私は執務室を後にした。
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