66 / 78
66. すれ違いはどこまでも
しおりを挟む
宝箱の中の思い出の品を見ながらひとしきり語り合った後、私は旦那様に再びお礼を言って箱を持ち、立ち上がった。
「何度お礼を申し上げても足りませんが……本当にありがとうございました、旦那様。こうして手元に戻ってきたからには、一生大切にいたします」
感謝の気持ちを込めてそう伝えると、旦那様は少し困ったように微笑む。
「そうだね。大事に持っているといい。……もう行ってしまうのかい? 今日はまだ少し時間があるから、君さえよければ紅茶でも飲みながら話したかったのだが」
「えっ? あ、ありがとうございます。ですが、仕事がありますし……」
戸惑いながらそう答えると、旦那様は珍しくクスクスと声を出して笑った。
「君は本当に真面目だな。もう働く必要などないのに。……だがまぁ、君らしいな。好きにしているといい。私は早急に書類を整えよう」
(…………?)
書類……? 何の書類だろう。旦那様の仰っていることがよく分からない。それに、もう働く必要ないって……?
私が口を開くより先に、旦那様の方が私に尋ねた。
「……その服装も、気に入っているのか? それともまだ自分がメイドの立場だから、着なくてはと思っているのかな」
旦那様は私の頭のホワイトブリムに少し触れながら、そんなことを言う。ますます混乱しつつも、私は答えた。
「……は、はい。こちらの制服はとても可愛くて綺麗で、気に入ってもおります、し……。わ、私はメイドですから」
なんだか、おかしい。会話が噛み合っていない気がする。
私は先日、旦那様から「この手で君を守っていきたい」と……、つまり、雇用主として今後も私の生活を守っていきたいと、そう言っていただいた。はずだ。
それなのに、まるで私がこのメイドの制服を着ていることが間違っているかのように聞こえるのだけど……。
それについて尋ねようとした時、旦那様が言った。
「たしかに、君はメイドの制服を着ていてもとても愛らしいが、今後は違う衣装が必要になってくる。……早急に仕立て屋を呼ぼう」
「……??」
それから数日後、再び旦那様に呼ばれて私室を訪ねると、そこには数人の見知らぬ女性たちの姿があった。旦那様が私を近くに呼び寄せる。
「ミシェル、この者たちはハリントン公爵家が代々贔屓にしている服飾店のデザイナーや仕立て職人らだ。君のドレスをいくつか作ることにしたから、今日は採寸やそのデザインを決めていく」
「ド、ドレス、でございますか……っ!?」
なぜ!? なぜ突然ドレスを!?
私が驚いていると、目の前の女性たちが恭しく挨拶をくれる。
「お初にお目にかかります、ミシェル様」
「どうぞよろしくお願い申し上げます、ミシェル様」
「では、頼む。くれぐれも露出の多いデザインだけは避けてくれ。この可憐な美貌を引き立てる、清楚で気品漂うドレスがいい」
「承知いたしました、ハリントン公爵閣下」
旦那様の注文とともに、女性たちが私を取り囲み採寸を始めた。
(…………??)
「あ、あのっ。旦那様……。なぜ急に、私のドレスを? 私、そんな高価なものを買うようなお金は……」
体中を測られながら首だけ旦那様の方を振り返り、私は訴えた。すると旦那様はまた困ったように笑いながら答える。
「君は金銭のことなど一切気にしなくていい。今後はドレスが必要となる場面も多く出てくるだろう。早めに準備を始めておかなくてはな」
「で、ですから……なぜ急にドレスが……?」
「今後は社交の場に出ることが何度もある。まさか君を、ハリントン公爵家のメイドの制服で人前に出すわけにもいかないだろう?」
……社交の場……?
(あ……そうか。旦那様は私が貴族の娘だと知ったから、今後は貴族としてそういった場に出ることがあると、そう仰っているのね)
「ですが、旦那様……。私はこれまで一度もパーティーや夜会などに出席したことはございません。ご存じの通りエヴェリー伯爵家ではずっと使用人として生活しておりましたし、社交界デビューさえしていなくて……。私をそのような場に招待してくださるような知り合いも、誰一人おりませんし」
「大丈夫だ。君は何も心配しなくていい。エスコートするのは私なのだから。どのような集まりでも、安心して私のそばに立っていればいい。皆への紹介も、この私がする。君に心細い思いなどさせるものか」
「っ? だ、旦那様が、私をエスコート……ですか……?」
「無論」
その言葉に、私はますます混乱する。こちらをジッと見守る旦那様の視線を感じながら、体中を何人もの女性たちの手に預け、私はめまぐるしく頭を回転させた。
(旦那様が、私をエスコート……。もしかして旦那様は、私の後見人になってくださるおつもりなのかしら。私を社交界の皆様に紹介し、貴族として生きていくための基盤を作ろうとしてくださってる……? えぇ……い、いいんだけどな、私は今のままで……。たとえ両親が貴族家の出身だったとしても、私はずっと平民として生きてきたわけだし、ここでメイドとして働く生活で充分なのだけど……)
「こちらの生地はいかがでしょうか?」
「それはミシェルには少し濃すぎる。彼女にはもっと、淡い色味の方がいい」
「ではこの生地には……」
「そちらのレースを合わせてくれ。刺繍は特に繊細な柄を」
「公爵閣下、こちらの生地でこのようなマーメイドラインのドレスを仕立てるのもよろしいかと存じますが……」
「ダメだ。すまないが、あまり体のラインが目立つものも控えてくれ。……背中もそんなに開いていなくていい」
もっとよく話し合いたいのだが、旦那様は向こうの方でデザイナーの女性たちと白熱した議論を交わしはじめていて、とても口を挟める雰囲気ではなくなった。
何かがおかしい。
漫然とした不安を抱え、けれど私は私のためのドレスを真剣に選んでいる旦那様の横顔をただ見守っていることしかできなかった。
「何度お礼を申し上げても足りませんが……本当にありがとうございました、旦那様。こうして手元に戻ってきたからには、一生大切にいたします」
感謝の気持ちを込めてそう伝えると、旦那様は少し困ったように微笑む。
「そうだね。大事に持っているといい。……もう行ってしまうのかい? 今日はまだ少し時間があるから、君さえよければ紅茶でも飲みながら話したかったのだが」
「えっ? あ、ありがとうございます。ですが、仕事がありますし……」
戸惑いながらそう答えると、旦那様は珍しくクスクスと声を出して笑った。
「君は本当に真面目だな。もう働く必要などないのに。……だがまぁ、君らしいな。好きにしているといい。私は早急に書類を整えよう」
(…………?)
書類……? 何の書類だろう。旦那様の仰っていることがよく分からない。それに、もう働く必要ないって……?
私が口を開くより先に、旦那様の方が私に尋ねた。
「……その服装も、気に入っているのか? それともまだ自分がメイドの立場だから、着なくてはと思っているのかな」
旦那様は私の頭のホワイトブリムに少し触れながら、そんなことを言う。ますます混乱しつつも、私は答えた。
「……は、はい。こちらの制服はとても可愛くて綺麗で、気に入ってもおります、し……。わ、私はメイドですから」
なんだか、おかしい。会話が噛み合っていない気がする。
私は先日、旦那様から「この手で君を守っていきたい」と……、つまり、雇用主として今後も私の生活を守っていきたいと、そう言っていただいた。はずだ。
それなのに、まるで私がこのメイドの制服を着ていることが間違っているかのように聞こえるのだけど……。
それについて尋ねようとした時、旦那様が言った。
「たしかに、君はメイドの制服を着ていてもとても愛らしいが、今後は違う衣装が必要になってくる。……早急に仕立て屋を呼ぼう」
「……??」
それから数日後、再び旦那様に呼ばれて私室を訪ねると、そこには数人の見知らぬ女性たちの姿があった。旦那様が私を近くに呼び寄せる。
「ミシェル、この者たちはハリントン公爵家が代々贔屓にしている服飾店のデザイナーや仕立て職人らだ。君のドレスをいくつか作ることにしたから、今日は採寸やそのデザインを決めていく」
「ド、ドレス、でございますか……っ!?」
なぜ!? なぜ突然ドレスを!?
私が驚いていると、目の前の女性たちが恭しく挨拶をくれる。
「お初にお目にかかります、ミシェル様」
「どうぞよろしくお願い申し上げます、ミシェル様」
「では、頼む。くれぐれも露出の多いデザインだけは避けてくれ。この可憐な美貌を引き立てる、清楚で気品漂うドレスがいい」
「承知いたしました、ハリントン公爵閣下」
旦那様の注文とともに、女性たちが私を取り囲み採寸を始めた。
(…………??)
「あ、あのっ。旦那様……。なぜ急に、私のドレスを? 私、そんな高価なものを買うようなお金は……」
体中を測られながら首だけ旦那様の方を振り返り、私は訴えた。すると旦那様はまた困ったように笑いながら答える。
「君は金銭のことなど一切気にしなくていい。今後はドレスが必要となる場面も多く出てくるだろう。早めに準備を始めておかなくてはな」
「で、ですから……なぜ急にドレスが……?」
「今後は社交の場に出ることが何度もある。まさか君を、ハリントン公爵家のメイドの制服で人前に出すわけにもいかないだろう?」
……社交の場……?
(あ……そうか。旦那様は私が貴族の娘だと知ったから、今後は貴族としてそういった場に出ることがあると、そう仰っているのね)
「ですが、旦那様……。私はこれまで一度もパーティーや夜会などに出席したことはございません。ご存じの通りエヴェリー伯爵家ではずっと使用人として生活しておりましたし、社交界デビューさえしていなくて……。私をそのような場に招待してくださるような知り合いも、誰一人おりませんし」
「大丈夫だ。君は何も心配しなくていい。エスコートするのは私なのだから。どのような集まりでも、安心して私のそばに立っていればいい。皆への紹介も、この私がする。君に心細い思いなどさせるものか」
「っ? だ、旦那様が、私をエスコート……ですか……?」
「無論」
その言葉に、私はますます混乱する。こちらをジッと見守る旦那様の視線を感じながら、体中を何人もの女性たちの手に預け、私はめまぐるしく頭を回転させた。
(旦那様が、私をエスコート……。もしかして旦那様は、私の後見人になってくださるおつもりなのかしら。私を社交界の皆様に紹介し、貴族として生きていくための基盤を作ろうとしてくださってる……? えぇ……い、いいんだけどな、私は今のままで……。たとえ両親が貴族家の出身だったとしても、私はずっと平民として生きてきたわけだし、ここでメイドとして働く生活で充分なのだけど……)
「こちらの生地はいかがでしょうか?」
「それはミシェルには少し濃すぎる。彼女にはもっと、淡い色味の方がいい」
「ではこの生地には……」
「そちらのレースを合わせてくれ。刺繍は特に繊細な柄を」
「公爵閣下、こちらの生地でこのようなマーメイドラインのドレスを仕立てるのもよろしいかと存じますが……」
「ダメだ。すまないが、あまり体のラインが目立つものも控えてくれ。……背中もそんなに開いていなくていい」
もっとよく話し合いたいのだが、旦那様は向こうの方でデザイナーの女性たちと白熱した議論を交わしはじめていて、とても口を挟める雰囲気ではなくなった。
何かがおかしい。
漫然とした不安を抱え、けれど私は私のためのドレスを真剣に選んでいる旦那様の横顔をただ見守っていることしかできなかった。
843
お気に入りに追加
2,035
あなたにおすすめの小説

初夜に大暴言を吐かれた伯爵夫人は、微笑みと共に我が道を行く ―旦那様、今更擦り寄られても困ります―
望月 或
恋愛
「お前の噂を聞いたぞ。毎夜町に出て男を求め、毎回違う男と朝までふしだらな行為に明け暮れているそうだな? その上糸目を付けず服や装飾品を買い漁り、多大な借金を背負っているとか……。そんな醜悪な女が俺の妻だとは非常に不愉快極まりない! 今後俺に話し掛けるな! 俺に一切関与するな! 同じ空気を吸ってるだけでとんでもなく不快だ……!!」
【王命】で決められた婚姻をし、ハイド・ランジニカ伯爵とオリービア・フレイグラント子爵令嬢の初夜は、彼のその暴言で始まった。
そして、それに返したオリービアの一言は、
「あらあら、まぁ」
の六文字だった。
屋敷に住まわせている、ハイドの愛人と噂されるユーカリや、その取巻きの使用人達の嫌がらせも何のその、オリービアは微笑みを絶やさず自分の道を突き進んでいく。
ユーカリだけを信じ心酔していたハイドだったが、オリービアが屋敷に来てから徐々に変化が表れ始めて……
※作者独自の世界観満載です。違和感を感じたら、「あぁ、こういう世界なんだな」と思って頂けたら有難いです……。

思い出してしまったのです
月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。
妹のルルだけが特別なのはどうして?
婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの?
でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。
愛されないのは当然です。
だって私は…。
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。
無一文で追放される悪女に転生したので特技を活かしてお金儲けを始めたら、聖女様と呼ばれるようになりました
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
スーパームーンの美しい夜。仕事帰り、トラックに撥ねらてしまった私。気づけば草の生えた地面の上に倒れていた。目の前に見える城に入れば、盛大なパーティーの真っ最中。目の前にある豪華な食事を口にしていると見知らぬ男性にいきなり名前を呼ばれて、次期王妃候補の資格を失ったことを聞かされた。理由も分からないまま、家に帰宅すると「お前のような恥さらしは今日限り、出ていけ」と追い出されてしまう。途方に暮れる私についてきてくれたのは、私の専属メイドと御者の青年。そこで私は2人を連れて新天地目指して旅立つことにした。無一文だけど大丈夫。私は前世の特技を活かしてお金を稼ぐことが出来るのだから――
※ 他サイトでも投稿中

【完結】愛しき冷血宰相へ別れの挨拶を
川上桃園
恋愛
「どうかもう私のことはお忘れください。閣下の幸せを、遠くから見守っております」
とある国で、宰相閣下が結婚するという新聞記事が出た。
これを見た地方官吏のコーデリアは突如、王都へ旅立った。亡き兄の友人であり、年上の想い人でもある「彼」に別れを告げるために。
だが目当ての宰相邸では使用人に追い返されて途方に暮れる。そこに出くわしたのは、彼と結婚するという噂の美しき令嬢の姿だった――。
これは、冷血宰相と呼ばれた彼の結婚を巡る、恋のから騒ぎ。最後はハッピーエンドで終わるめでたしめでたしのお話です。
第22回書き出し祭り参加作品
2025.1.26 女性向けホトラン1位ありがとうございます
2025.2.14 後日談を投稿しました
廃妃の再婚
束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの
父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。
ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。
それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。
身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。
あの時助けた青年は、国王になっていたのである。
「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは
結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。
帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。
カトルはイルサナを寵愛しはじめる。
王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。
ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。
引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。
ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。
だがユリシアスは何かを隠しているようだ。
それはカトルの抱える、真実だった──。

私は既にフラれましたので。
椎茸
恋愛
子爵令嬢ルフェルニア・シラーは、国一番の美貌を持つ幼馴染の公爵令息ユリウス・ミネルウァへの想いを断ち切るため、告白をする。ルフェルニアは、予想どおりフラれると、元来の深く悩まない性格ゆえか、気持ちを切り替えて、仕事と婚活に邁進しようとする。一方、仕事一筋で自身の感情にも恋愛事情にも疎かったユリウスは、ずっと一緒に居てくれたルフェルニアに距離を置かれたことで、感情の蓋が外れてルフェルニアの言動に一喜一憂するように…?
※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。

一途な皇帝は心を閉ざした令嬢を望む
浅海 景
恋愛
幼い頃からの婚約者であった王太子より婚約解消を告げられたシャーロット。傷心の最中に心無い言葉を聞き、信じていたものが全て偽りだったと思い込み、絶望のあまり心を閉ざしてしまう。そんな中、帝国から皇帝との縁談がもたらされ、侯爵令嬢としての責任を果たすべく承諾する。
「もう誰も信じない。私はただ責務を果たすだけ」
一方、皇帝はシャーロットを愛していると告げると、言葉通りに溺愛してきてシャーロットの心を揺らす。
傷つくことに怯えて心を閉ざす令嬢と一途に想い続ける青年皇帝の物語
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる