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59. 打ち明ける

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 サロンを出た旦那様は私の肩から手を離すと、そのまま私の手をそっと握った。そしてその手を引きながら、私を旦那様の私室へといざなう。
 何か話がある時はいつも、カーティスさんもいる執務室でしていた。だからまさか私室に連れてこられるなんて思ってもいなくて、私は少しドキドキする。
 旦那様は私を大きな革張りのソファーの真ん中に優しく座らせると、ご自分も私の真横に腰かけた。……なんだかすごく距離が近くて、そわそわする。手も握られたままだ。
 旦那様がもう片方の手で、私の頬をそっと拭う。その時ようやく、私は自分の頬に涙が流れていることを思い出した。
 やけに至近距離にいる旦那様が、その美しい青い瞳で私のことをジッと見つめる。いたたまれず、私はつい顔を伏せ、目を逸らしてしまう。

「……こんな、大騒ぎになってしまって……、た、大切なお茶会の席も、台無しにしてしまって……。本当に、申し訳ございませんでした、旦那様。それに……私はこれまで、旦那様に嘘を……」
 
 そう口にした、その時。旦那様の大きな手のひらが、再び私の頬に触れた。

「何かよほどの事情が君にあったことは、よく分かった。……話してくれるかい? ミシェル。これまでのこと。君の身に起こったことを。悪いようには、決してしないから」
 
 どこまでも優しく包み込むような旦那様の穏やかな声は、つい先ほどサロンでエヴェリー伯爵夫人たちに見せた厳しい表情や声とはまるで違っていて。
 私はついに、自分のこれまでの人生を旦那様に打ち明けた。

「……先ほどエヴェリー伯爵夫人が言っていたとおりです。私はフランドル男爵家の三男と、エヴェリー伯爵家の令嬢との間にできた娘でした。私の母は十六歳の時に、両親によって婚約者を決められたそうです。相手はとある大店の主で、潤沢な資金を持っていましたが、とても好色で、また暴力的で恐ろしい老人だったそうなのです────」

 花嫁修行としてその婚約者の店で仕事の仕方を教わりはじめた私の母シンシアは、すでに結婚前から何度も相手の老人に殴られていたそうだ。不慣れなために仕事で失敗をすれば、頬をぶたれ、杖で殴られ。その日の仕事が終わり屋敷に帰ろうとすると、突然猫なで声を出しては母の腰や尻をまさぐってきたという。

『厳しく躾けるのは、全てお前のためなのだぞ。よいな? 貴族の娘だからといって、家の中でのんびり過ごさせるわけではないのだからな。商家に嫁ぐ以上は、しっかりと働け。……お前が儂の元に嫁いでくるのが今から楽しみでたまらんわ』

 耳元に生臭い息をふきかけながら下卑た笑みを浮かべそう囁く婚約者への嫌悪感で、母シンシアは毎晩涙を流していたという。あの男の元へ嫁ぐのだけは嫌だ、どうか別の相手にして欲しい。一度だけ両親にそう懇願した母は、実の父親から顔が腫れ上がるほどぶたれたという。
 そんな母を救ってくれたのが、私の父だったのだ。
 母に恋をしていた父は、全てを捨て母を連れて逃げた。
 そして故郷から遠く離れた南の町で、母や私を守るために精一杯働いてくれていたのだ。亡くなってしまった、その日まで。そして母は、その二年後に病でこの世を去った。最後の最後まで、私のことを心配してくれていた。

『ミシェル……ごめんね。こんなに早く、あなたのそばを離れることになってしまって、ごめんね……。私たちが……親に逆らって、こんな風に二人きりで生きる道を選んだばかりに……これから先、あなたに苦労をさせてしまうかもしれない……。お母様が天国に行った後のことは、あなたの伯父様に頼んであるわ……。もしかしたら、辛く当たられることも、あるかもしれない……。だけど、どうか強く生きて、ミシェル……。私の可愛いミシェル……。ごめんね……』

 息を引き取る直前まで、母は私の手を握りベッドの上で詫び続けていた。胸が痛くて、苦しかった。心細くてたまらなくて、悲しかった。一人ぼっちになってしまうことが、どうしようもなく怖かった。
 けれど私は、母が両親の言うとおりにその老人と結婚していればよかったなんて、少しも思わなかった。幸せだったから。お父様とお母様の娘として生まれて、毎日大切に愛されて。
 思い出の中の父と母は、いつも笑顔だった。
 優しく温かな笑顔で、小さな私のことを見つめてくれていた。
 父に絵や字の書き方を教えてもらったこと。大きな手で頭を撫でてもらったこと。高く抱き上げられたり、肩車をしてもらったこと。母から毎朝優しい手つきで髪を結ってもらったこと。眠る時隣に寄り添って、頭や背中を撫でてくれたこと。焼き立てのパイを小さく切って、私の口元に持ってきてくれたこと────
 今思い出すのは大きな愛に満ちた日々の、そんなささやかな欠片ばかりだ。たくさんの幸せの欠片たち。私の宝物。

 両親の話を人に打ち明けたのは、これが初めてだった。
 旦那様は片時も私から目を逸らさず、けれど決して口を挟むこともなく、ただ私の手を握ったまま、静かに私の話を聞いてくれていた。








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