56 / 61
56. 糾弾と虚言
しおりを挟む
サロンの中は水を打ったように静まり返った。全員の視線が一斉に私に突き刺さる。戸惑った表情のハリントン前公爵夫人。そして────
「……一体何の話だ。なぜそこでミシェルの名が出る。それに……フランドルとは……?」
真っ先に声を上げたのは旦那様だった。
勝ち誇ったように微笑むブレイシー侯爵令嬢が、扇で口元を隠し私を見据える。同様に強気な笑みを浮かべたエヴェリー伯爵夫人はスッと立ち上がり、このサロンにいる全員に言い聞かせるよう声を上げた。
「今から全てをご説明いたしますわ、ハリントン公爵閣下、そしてハリントン前公爵夫人。そちらにおります娘は、我が夫エヴェリー伯爵の実妹であるシンシア・エヴェリーの産んだ一人娘なのでございます。その相手の男は、両親の意向を無視して駆け落ち同然に結婚したフランドル男爵家の三男。しかし聞いたところによるとミシェルは、自分を身寄りのない哀れな平民だと偽り、公爵閣下に近付いたそうではありませんか。ミシェル・フランドルは、閣下を騙してこの公爵邸に入り込んでいるのです」
旦那様が振り返り、ゆっくりと私の方を見る。驚きに満ちたその表情を見た瞬間、私の胸が激しく痛んだ。
自分の口で説明したい。けれど、喉がつかえたように言葉が出ない。
エヴェリー伯爵夫人はサロンに響き渡るほど大きな声で、まだ話し続けている。
「これまでのことを、順を追ってご説明いたしますわ。まずミシェルの父親であるそのフランドル男爵家の三男、この者とシンシア・エヴェリーは駆け落ちした後ミシェルを授かり、王国南方の小さな町で平民として暮らしていたようです。そしてフランドル男爵家の三男は、建設現場での労働中に不運な事故によって命を失いました。その二年後、今度はシンシアが病のために儚くなったのです。……罰が下ったのでしょう。その時すでに八歳になっていたミシェルは、我が夫エヴェリー伯爵が引き取ることになりました。すでにエヴェリー伯爵家からは見限られていたシンシアではありましたが、夫はミシェルを見捨てることはできないと。例え身勝手に駆け落ちした妹の娘とはいえ、血の繋がりのある大切な身内なのだからと……そう言って、慈悲をかけたのです。南方の町まであの娘を迎えに行き、我がエヴェリー伯爵邸に迎え入れました。……ですが……、これが我が家の不幸のはじまりだったのです」
エヴェリー伯爵夫人はそう言うと、苦しげに顔をしかめ、ふぅっと息をついた。隣の席に座っているパドマも、全く同じ仕草をする。
「ミシェルは……やはりそのような両親の元で育ったためでしょうか。とにかく素行の悪い娘でした。屋敷の中のものを次々盗み出しては勝手に売り飛ばし、その金で自分の欲しいものを買い漁り、ここにいるパドマのこともいじめ抜きました。淑女教育を施そうにもとにかく勉強が嫌いで、なぜこんな退屈なことをさせようとするのかと反抗ばかり。学園にも絶対に通わないと駄々をこね、そして何か気に入らないことがあるたびに私共の目を盗んではパドマに八つ当たりをし……。とにかく昔から虚言が多く、我が儘で……そして、好色で多情な娘でした」
そう言うとエヴェリー伯爵夫人は苦しげなうめき声を漏らし、両手で顔を覆った。隣のパドマはクスンクスンと鼻を鳴らしている。
「……ミシェル、さん……」
すぐそばから、アマンダさんの気遣わしげな小さな声が聞こえる。けれど私は動けなかった。私を糾弾する伯爵夫人の嘘が心を抉り、視界がぼんやりと滲む。
「母親に似たのでしょうか……ミシェルはとにかく殿方に色目を使いたがるのです。あまりに不埒な内容ばかりですので、ここでは明言を控えますが、ただ一つ……ミシェルが、ここにおります我が娘パドマの長年の婚約者であるスティーブ・ヘイゼル伯爵令息を自室に連れ込み、事に及ぼうとしているのを娘が見てしまったことだけが、本当に可哀想で……。娘はあの日以来、深い心の傷を抱えずっと苦しんでいるのでございます」
「う……うぅ……っ」
突然、パドマが両手で顔を覆って泣き出した。集まった女性たちの息を呑む気配で、サロンの空気は一気に張りつめる。誰もがエヴェリー伯爵夫人の言葉を信じているのは明白だった。
旦那様は微動だにせず、エヴェリー伯爵夫人の方を見ている。堪えきれずに、私の瞳からは涙がポロリとこぼれ落ちた。
「……夫と私は、さすがに今回のことは看過できないと。ヘイゼル伯爵令息とのことは、私たちが駆けつけたおかげで未遂に終わりましたが、だからと言って許せることではございませんでした。主人はミシェルを規律の厳しい修道院に行かせようと決断いたしました。それがミシェルのためにもなると思ったのでございます。ですが……ミシェルは激高し、反発しました。そしてそれをきっかけに、私たちの屋敷を飛び出してしまったのでございます」
「……うそ、です……。ちがいます……」
もう聞いていられなかった。たしかに私は、素性を偽ってこのハリントン公爵邸で働いている。そのことへの罪悪感はずっと心にあった。けれど、だからと言ってあまりにもひどい。それ以外のほとんどは出鱈目ばかりだった。
私の発した弱々しい声に、サロンの全員が再びこちらを向く。
旦那様の真っ青な美しい瞳と視線がぶつかった。
「……一体何の話だ。なぜそこでミシェルの名が出る。それに……フランドルとは……?」
真っ先に声を上げたのは旦那様だった。
勝ち誇ったように微笑むブレイシー侯爵令嬢が、扇で口元を隠し私を見据える。同様に強気な笑みを浮かべたエヴェリー伯爵夫人はスッと立ち上がり、このサロンにいる全員に言い聞かせるよう声を上げた。
「今から全てをご説明いたしますわ、ハリントン公爵閣下、そしてハリントン前公爵夫人。そちらにおります娘は、我が夫エヴェリー伯爵の実妹であるシンシア・エヴェリーの産んだ一人娘なのでございます。その相手の男は、両親の意向を無視して駆け落ち同然に結婚したフランドル男爵家の三男。しかし聞いたところによるとミシェルは、自分を身寄りのない哀れな平民だと偽り、公爵閣下に近付いたそうではありませんか。ミシェル・フランドルは、閣下を騙してこの公爵邸に入り込んでいるのです」
旦那様が振り返り、ゆっくりと私の方を見る。驚きに満ちたその表情を見た瞬間、私の胸が激しく痛んだ。
自分の口で説明したい。けれど、喉がつかえたように言葉が出ない。
エヴェリー伯爵夫人はサロンに響き渡るほど大きな声で、まだ話し続けている。
「これまでのことを、順を追ってご説明いたしますわ。まずミシェルの父親であるそのフランドル男爵家の三男、この者とシンシア・エヴェリーは駆け落ちした後ミシェルを授かり、王国南方の小さな町で平民として暮らしていたようです。そしてフランドル男爵家の三男は、建設現場での労働中に不運な事故によって命を失いました。その二年後、今度はシンシアが病のために儚くなったのです。……罰が下ったのでしょう。その時すでに八歳になっていたミシェルは、我が夫エヴェリー伯爵が引き取ることになりました。すでにエヴェリー伯爵家からは見限られていたシンシアではありましたが、夫はミシェルを見捨てることはできないと。例え身勝手に駆け落ちした妹の娘とはいえ、血の繋がりのある大切な身内なのだからと……そう言って、慈悲をかけたのです。南方の町まであの娘を迎えに行き、我がエヴェリー伯爵邸に迎え入れました。……ですが……、これが我が家の不幸のはじまりだったのです」
エヴェリー伯爵夫人はそう言うと、苦しげに顔をしかめ、ふぅっと息をついた。隣の席に座っているパドマも、全く同じ仕草をする。
「ミシェルは……やはりそのような両親の元で育ったためでしょうか。とにかく素行の悪い娘でした。屋敷の中のものを次々盗み出しては勝手に売り飛ばし、その金で自分の欲しいものを買い漁り、ここにいるパドマのこともいじめ抜きました。淑女教育を施そうにもとにかく勉強が嫌いで、なぜこんな退屈なことをさせようとするのかと反抗ばかり。学園にも絶対に通わないと駄々をこね、そして何か気に入らないことがあるたびに私共の目を盗んではパドマに八つ当たりをし……。とにかく昔から虚言が多く、我が儘で……そして、好色で多情な娘でした」
そう言うとエヴェリー伯爵夫人は苦しげなうめき声を漏らし、両手で顔を覆った。隣のパドマはクスンクスンと鼻を鳴らしている。
「……ミシェル、さん……」
すぐそばから、アマンダさんの気遣わしげな小さな声が聞こえる。けれど私は動けなかった。私を糾弾する伯爵夫人の嘘が心を抉り、視界がぼんやりと滲む。
「母親に似たのでしょうか……ミシェルはとにかく殿方に色目を使いたがるのです。あまりに不埒な内容ばかりですので、ここでは明言を控えますが、ただ一つ……ミシェルが、ここにおります我が娘パドマの長年の婚約者であるスティーブ・ヘイゼル伯爵令息を自室に連れ込み、事に及ぼうとしているのを娘が見てしまったことだけが、本当に可哀想で……。娘はあの日以来、深い心の傷を抱えずっと苦しんでいるのでございます」
「う……うぅ……っ」
突然、パドマが両手で顔を覆って泣き出した。集まった女性たちの息を呑む気配で、サロンの空気は一気に張りつめる。誰もがエヴェリー伯爵夫人の言葉を信じているのは明白だった。
旦那様は微動だにせず、エヴェリー伯爵夫人の方を見ている。堪えきれずに、私の瞳からは涙がポロリとこぼれ落ちた。
「……夫と私は、さすがに今回のことは看過できないと。ヘイゼル伯爵令息とのことは、私たちが駆けつけたおかげで未遂に終わりましたが、だからと言って許せることではございませんでした。主人はミシェルを規律の厳しい修道院に行かせようと決断いたしました。それがミシェルのためにもなると思ったのでございます。ですが……ミシェルは激高し、反発しました。そしてそれをきっかけに、私たちの屋敷を飛び出してしまったのでございます」
「……うそ、です……。ちがいます……」
もう聞いていられなかった。たしかに私は、素性を偽ってこのハリントン公爵邸で働いている。そのことへの罪悪感はずっと心にあった。けれど、だからと言ってあまりにもひどい。それ以外のほとんどは出鱈目ばかりだった。
私の発した弱々しい声に、サロンの全員が再びこちらを向く。
旦那様の真っ青な美しい瞳と視線がぶつかった。
561
お気に入りに追加
2,021
あなたにおすすめの小説
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
王妃から夜伽を命じられたメイドのささやかな復讐
当麻月菜
恋愛
没落した貴族令嬢という過去を隠して、ロッタは王宮でメイドとして日々業務に勤しむ毎日。
でもある日、子宝に恵まれない王妃のマルガリータから国王との夜伽を命じられてしまう。
その理由は、ロッタとマルガリータの髪と目の色が同じという至極単純なもの。
ただし、夜伽を務めてもらうが側室として召し上げることは無い。所謂、使い捨ての世継ぎ製造機になれと言われたのだ。
馬鹿馬鹿しい話であるが、これは王命─── 断れば即、極刑。逃げても、極刑。
途方に暮れたロッタだけれど、そこに友人のアサギが現れて、この危機を切り抜けるとんでもない策を教えてくれるのだが……。
本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます
結城芙由奈
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います
<子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。>
両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。
※ 本編完結済。他視点での話、継続中。
※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています
※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります
愛想を尽かした女と尽かされた男
火野村志紀
恋愛
※全16話となります。
「そうですか。今まであなたに尽くしていた私は側妃扱いで、急に湧いて出てきた彼女が正妃だと? どうぞ、お好きになさって。その代わり私も好きにしますので」
何を間違った?【完結済】
maruko
恋愛
私は長年の婚約者に婚約破棄を言い渡す。
彼女とは1年前から連絡が途絶えてしまっていた。
今真実を聞いて⋯⋯。
愚かな私の後悔の話
※作者の妄想の産物です
他サイトでも投稿しております
【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。
文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。
父王に一番愛される姫。
ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。
優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。
しかし、彼は居なくなった。
聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。
そして、二年後。
レティシアナは、大国の王の妻となっていた。
※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。
小説家になろうにも投稿しています。
エールありがとうございます!
大嫌いな幼馴染の皇太子殿下と婚姻させられたので、白い結婚をお願いいたしました
柴野
恋愛
「これは白い結婚ということにいたしましょう」
結婚初夜、そうお願いしたジェシカに、夫となる人は眉を顰めて答えた。
「……ああ、お前の好きにしろ」
婚約者だった隣国の王弟に別れを切り出され嫁ぎ先を失った公爵令嬢ジェシカ・スタンナードは、幼馴染でありながら、たいへん仲の悪かった皇太子ヒューパートと王命で婚姻させられた。
ヒューパート皇太子には陰ながら想っていた令嬢がいたのに、彼女は第二王子の婚約者になってしまったので長年婚約者を作っていなかったという噂がある。それだというのに王命で大嫌いなジェシカを娶ることになったのだ。
いくら政略結婚とはいえ、ヒューパートに抱かれるのは嫌だ。子供ができないという理由があれば離縁できると考えたジェシカは白い結婚を望み、ヒューパートもそれを受け入れた。
そのはず、だったのだが……?
離縁を望みながらも徐々に絆されていく公爵令嬢と、実は彼女のことが大好きで仕方ないツンデレ皇太子によるじれじれラブストーリー。
※こちらの作品は小説家になろうにも重複投稿しています。
〖完結〗旦那様には出て行っていただきます。どうか平民の愛人とお幸せに·····
藍川みいな
恋愛
「セリアさん、単刀直入に言いますね。ルーカス様と別れてください。」
……これは一体、どういう事でしょう?
いきなり現れたルーカスの愛人に、別れて欲しいと言われたセリア。
ルーカスはセリアと結婚し、スペクター侯爵家に婿入りしたが、セリアとの結婚前から愛人がいて、その愛人と侯爵家を乗っ取るつもりだと愛人は話した……
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
全6話で完結になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる