上 下
36 / 74

36. そわそわする旦那様

しおりを挟む
 私が指先に触れると、旦那様の手がピクリと反応した。

(……?)

「痛みがございますか? 旦那様」

 指先に触れたまま、私は旦那様の顔を見上げる。けれど目が合うと、旦那様はふいっと顔を背けてしまった。なんだか困ったような顔をしている気がする。

「……いや。大丈夫だ」
「そうですか? では、始めますね。ご不快でしたら仰ってください」

 そう言うと私は、旦那様の手を指先からゆっくりと揉みほぐしていく。ずっと使わずに固めていた腕の周辺の筋肉は、体を守るために硬くなっているという。指先から手、手首、さらにその上へと、優しい力を加えながら徐々に解していった。そして、関節の辺りに触れようとした、その時だった。

「……今日はもういい」
「……え?」

 旦那様がそう言って、腕を引っ込めてしまわれた。私は困惑し、彼を見上げる。

「ですが旦那様……、まだ始めたばかりですが」
「大丈夫だ」

 ……何が大丈夫なのだろう。
 咳払いをしながら立ち上がった旦那様は、再び執務机に戻っていってしまう。

「あの……、痛みましたか? 申し訳ございませんでした」

 少し落ち込みそう謝罪すると、旦那様はようやく私の顔を見た。

「いや、違う。むしろ君のマッサージはとても繊細で、気持ちが良かった。……だから余計に……」
「え?」

 何やらもごもごと呟く旦那様の言葉がよく聞こえず聞き返すと、旦那様はまた目を逸らした。

「……とにかく、今日はもう大丈夫だ。部屋に戻って休みなさい。……ありがとう」

 ……いいのだろうか。お医者様に教えられた通りのマッサージを毎日ちゃんとしないといけないと思うのだけど……。

「では、また明日の夜に伺いますね」
「……ああ。頼む」

 そう言ってみても拒絶はされなかったから、きっとものすごく嫌というわけではないのだろう。

「え? もう終わったんすか? 早っ。また明日なミシェル。お休みー」
「あ、はい。お休みなさいませ。旦那様、カーティスさん」



 やはり女性に対する嫌悪感から、受け入れがたいのかもしれないな……。
 執務室を出て自室に戻りながら、私はそんなことを考えた。

(……ううん。でもダメよ。長くギプスをつけていた、その体の緊張や強張りを早く改善するためにも、適切なマッサージが大事だとお医者様も言っていたもの。よし……明日からは多少嫌がられても、もう少し時間をかけてしっかりやっていこう!)

 それが旦那様のためなのだから。
 一日でも早く、旦那様の体を元の通りに動くようにしてさしあげたい。

 優しい旦那様のお役に立ちたいと、私の頭の中はそれだけでいっぱいだった。



 翌日から、夜私が旦那様の執務室を訪れて腕のマッサージをすることが日課となった。
 初日はあっという間に止めさせられてしまったけれど、二日目以降は一通りさせてもらえるようになった。ただ、やはり旦那様はこの時間があまりお好きではないらしい。ソファーに座る旦那様の前に跪きせっせと揉みほぐしながら、痛みはないか、ここも解して大丈夫かと逐一確認するのだけれど、そのたびに旦那様は気まずそうに「ああ」だの「問題ない」だの、小さな声で一言答えるだけだ。そして眉間に皺を寄せたり、咳払いをしたり、溜め息を漏らしたりする。……落ち着かないらしい。私は無駄口を叩かず、毎日集中してマッサージを行い、できる限り早く退散するようにしていた。

 そうして二週間ほどが経った、ある夜のことだった。
 その日執務室を訪れると、カーティスさんの姿がなかった。この時間に旦那様とここで二人きりになることはないので、少し緊張する。けれど、私はいつものように旦那様のそばに歩み寄り、マッサージを申し出た。

「旦那様、本日のマッサージを始めさせていただいてもよろしいでしょうか」
「ああ。頼む」

 旦那様も普段通りの様子で静かにそう答えると、執務机からソファーに移動した。私はいつもの手順で、黙々と腕を解していく。







しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈 
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

初夜に大暴言を吐かれた伯爵夫人は、微笑みと共に我が道を行く ―旦那様、今更擦り寄られても困ります―

望月 或
恋愛
「お前の噂を聞いたぞ。毎夜町に出て男を求め、毎回違う男と朝までふしだらな行為に明け暮れているそうだな? その上糸目を付けず服や装飾品を買い漁り、多大な借金を背負っているとか……。そんな醜悪な女が俺の妻だとは非常に不愉快極まりない! 今後俺に話し掛けるな! 俺に一切関与するな! 同じ空気を吸ってるだけでとんでもなく不快だ……!!」 【王命】で決められた婚姻をし、ハイド・ランジニカ伯爵とオリービア・フレイグラント子爵令嬢の初夜は、彼のその暴言で始まった。 そして、それに返したオリービアの一言は、 「あらあら、まぁ」 の六文字だった。  屋敷に住まわせている、ハイドの愛人と噂されるユーカリや、その取巻きの使用人達の嫌がらせも何のその、オリービアは微笑みを絶やさず自分の道を突き進んでいく。 ユーカリだけを信じ心酔していたハイドだったが、オリービアが屋敷に来てから徐々に変化が表れ始めて…… ※作者独自の世界観満載です。違和感を感じたら、「あぁ、こういう世界なんだな」と思って頂けたら有難いです……。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます

結城芙由奈 
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います <子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。> 両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。 ※ 本編完結済。他視点での話、継続中。 ※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています ※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります

探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?

雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。 最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。 ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。 もう限界です。 探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。

【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った

五色ひわ
恋愛
 辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。 ※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話

【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。

文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。 父王に一番愛される姫。 ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。 優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。 しかし、彼は居なくなった。 聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。 そして、二年後。 レティシアナは、大国の王の妻となっていた。 ※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。 小説家になろうにも投稿しています。 エールありがとうございます!

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

処理中です...