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33. 旦那様の怒り

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 私はショックを受け、あまりの動揺に震える声で必死に反論する。

「ちっ……違います! そんなはずがありません! 本当に、たまたまその時に……」
「嘘をおっしゃい! しらを切り通すつもり!? お優しいロイド様を騙してよくもまぁ、上手いことやったじゃないの。そのか弱げな見目と珍しい髪の色で、籠絡する気満々なんでしょう? いやらしい。汚らわしいわ!」
「ですから! 本当に違うんです! 私はただ、自分にできる仕事をさせていただくためだけにここにいます! 出ていけと言われればいつでも出ていきますし、でも、旦那様のお役に立てることが私にあるのなら、と……!」

 すると突然、ブレイシー侯爵令嬢がグシャッと顔を歪め、扇を持つ手をサッと振り上げた。

「黙りなさい! 誰に向かって口をきいてるの!? 生意気ね!」
「……っ!」

(叩かれる────!)

 そう思って肩を竦め目を閉じた、その時だった。

「きゃあ……っ!」

(……。……あ、あれ?)

 ご令嬢の小さな叫び声に、おそるおそる目を開ける。驚いたことに、私とブレイシー侯爵令嬢の間には旦那様が立っており、彼女の手首を掴んでいたのだ。
 旦那様はまるで汚いもののようにその手をパッと離すと、突然私の肩に左手をかけ、そのままご自分の胸に強く抱き寄せた。

(…………っ!?)

 間近で感じる、旦那様の体温。甘く爽やかな香りが鼻腔をくすぐり、心臓が痛いほど大きく跳ねた。息が止まる。

「な……っ、何をなさいますの!? ロイド様! 痛いじゃありませんか!」

 ご令嬢の抗議の声に続き、旦那様の低い声が私の頭上から響く。

「こちらの台詞だ、ブレイシー侯爵令嬢。君は今、私の家の者に手を上げようとした。見過ごすことはできない行為だ」
「い……家の者と言っても……、ただのメイドでしょう!? 私の話を聞いてくださってましたの? ロイド様! どこの馬の骨とも知れないその娘は、あなた様に近付くためにわざと森の中なんかにいたのですわ! それがお分かりになりませんの!? 殿方は見目の愛らしい女には、そうやってすぐに騙されてしまいますのよね。ですが……女は違いますわよ。分かるんです。あざとさというものが。その者は卑しく、そして浅ましい。あなた様の地位とお金だけが目的の、このお屋敷の不穏分子ですわ。即刻追い出してくださいませ!」
「もういい。黙れ」

 喚き立てるブレイシー侯爵令嬢の声を、より一層低い旦那様の声が遮った。その声には計り知れない怒りがこもっているようで、私の肩がビクッと跳ねた。
 旦那様は私を安心させるかのように、背中を抱いていた左の手のひらを優しく動かし、そっと撫でてくれた。そしてもう一度、強く抱きしめる。

「誰が何と言おうと、私はこの子を信じる。さっきも言ったはずだ。自分の目で見て判断をした、と。それを……、君はこの子をひどく罵りながら、この私のことも愚弄したな」
「……え、い、いえ、その……」

(……旦那様……)

 こんな冷たい声は聞いたことがない。冷静沈着で少し無愛想だけれど、穏やかで優しい。そんないつもの旦那様とはまるで別人のようだった。そっと見上げてみるけれど、私の顔は旦那様の胸に強く押し付けられていて、その表情まで窺うことはできない。胸板が厚くて硬い。……一体いつ鍛えていらっしゃるのだろうか。
 なんだかものすごく、ドキドキする。

「私がこの子の可愛らしさに簡単に騙された愚かな男だと、君はそう言いたいのだな。心底不愉快だ。この子が日々どれほど真面目に働いてくれているか、どれほど細やかな気遣いで私を癒してくれているかを知りもせずに、我々を貶め、侮辱するとは。……君の方こそ、先入観と自分の気分次第で物事を決めつけすぎているのではないのか」

(……い……癒し……?)

 旦那様の些細な言葉を、私の耳が敏感にとらえた。
 癒して……? 私、旦那様を癒して差し上げられているの……っ!? すごい。ちょっと嬉しい……。
 妙なところで感動している間にも、二人のピリピリとした会話は続く。昂ぶる感情を押し殺したような、ブレイシー侯爵令嬢の低く震える声が、空気の張りつめた部屋に響く。

「……失言でしたわ。申し訳ございませんロイド様。あなた様のことが心配なあまりに、過剰に責め立てすぎてしまいました。お許しあそばして」
「いや、もう結構。ブレイシー侯爵家のご令嬢だからと、これまで多少なりとも遠慮してきたが、もうそんな気遣いは止めさせてもらう。ブレイシー侯爵令嬢、君には今後一切我が屋敷への出入りを禁じる」
「な……っ!! ロイド様!?」
「屋敷で働く者に暴力を振るおうとしたのだ。当然のことだろう。今はあくまで私の口頭での注意に留めておくが、今後もし一度でも私に接触を図ったり、この屋敷に近付こうとするならば、ブレイシー侯爵に正式に苦情を入れさせてもらう」

 ご令嬢の息を呑む気配がした。しばらくすると、ブレイシー侯爵令嬢は黙ったまま執務室を出ていった。






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