22 / 74
22. 領主の差
しおりを挟む
その日の夜には早速書面を交わし、私は公爵邸のメイドとして採用されることとなった。書面に記載されていたお給金の額に思わず目を見開く。さすがはハスティーナ王国一の資産を有するハリントン公爵家……。私のような末端の試用期間の者でも、こんなにいただけるなんて。
むしろ無給で働かせてもらいたいぐらいだった私は心底恐縮した。これが本当にご恩返しになるのだろうか。けれど公爵におそるおそるそのことを尋ねてみると「無給で労働など絶対にあり得ない」と仰り、私は引き下がるしかなかった。本末転倒な気がする。私が得をしている。
(し、しっかりと役に立たなくては……!)
と、私はますます燃え上がったのだった。
翌朝早くに目を覚ました私は、張り切って仕事を開始する。と言っても、まだ何の指示も与えられていないので、とりあえず勝手に玄関周りを箒で掃き、地下の掃除用具入れから引っ張り出してきた雑巾を使って玄関扉を磨き上げ、その後一階の窓の掃除に移った。窓の桟を細かく磨いていると、アマンダさんと数人の使用人の女性がやってきた。
「ミ……ミシェルさん……っ? え? 何してるの……? それに、その格好……」
「あ! おはようございます、アマンダさん」
そう返事をして、ふと気付いた。そうだ。アマンダさんには昨日ほとんど会えていなくて、まだ説明していないんだった。食事の時間に知らせに来てくれたのも、他の使用人の方だったっけ。
私は居住まいを正してアマンダさんと後ろにいる女性たちに挨拶をした。
「ハリントン公爵の許可をいただき、本日からこちらのメイドとして働かせていただくことになりました。と言っても、今は試用期間ですが……。ミシェルです。これからどうぞよろしくお願いいたします!」
はきはきとそう言うと、アマンダさんの後ろにいた少し年配の女性たちがまぁ、よかったわ、と口々に言いながら微笑んでくれる。
「働き手が増えるのは大歓迎よ。よろしくねミシェルさん」
「若くて元気な子がいてくれるとありがたいわ」
アマンダさんもクスリと笑う。
「それでメイドの制服を着ているのね。驚いたわ、本当に働くことになるなんて……。ふふ。こちらこそよろしくね、ミシェルさん」
そう言うと彼女たちは従業員用の食堂へと私を案内してくれた。歩きながら、女性たちに尋ねられて今朝の仕事の話をする。
「え? もう掃除を始めていたの?」
「はい。玄関周りと玄関扉はもう終わりました。あとで仕上がりを確認していただけると助かります」
「まぁ! そんな、日が昇る前からなんて働かなくていいのよ。もう少しゆっくりしてちょうだい」
「そうよ。あなた、ほんの数日前まで栄養失調で大変だったんでしょう? そんなにすぐに無理しちゃいけないわ」
皆すごく心配してくれる。ここの使用人の方々はいい人ばかりみたいだ。よかった。
改めて皆の制服を見回し、彼女たちと同じ制服を着ている自分を嬉しく思う。ハリントン公爵家のメイドの制服はとても可愛い。品のいいモスグリーンのワンピースは、金色のボタンが胸元や袖口にあしらわれ、その上から真っ白なエプロンを着けるのだ。
アマンダさんが隣を歩いている私の方を見て、怪訝な顔をする。
「? どうしたの? ミシェルさん。そんなに嬉しそうな顔をして」
「あ、いえ……。この制服、とても素敵だなと思って。ハリントン公爵家は使用人の方々も皆さん身綺麗にされていますよね」
私がそう言うと、アマンダさんが頷く。
「ええ。先代公爵夫妻はそういうところにとても気を遣われる方々だったの。屋敷で働く者たちは、お客様がお見えになった時に真っ先に目につくからって。公爵家の品位を保つためにも、全員身綺麗にしていなくてはいけないって。旦那様もそのお考えを受け継いでいらっしゃるのよ。汚れたエプロンやほつれた制服は、すぐに取り替えなきゃダメなの。覚えておいてね」
「……なるほど……。はい、分かりました」
頭の中で、またエヴェリー伯爵家と比べてしまう。向こうはそんなこと一切気にしていなかった。使用人たちは皆古い制服を着ていたし、明らかにサイズが合っていなくて不格好なまま働いている人たちもいた。私なんかその中でも一番汚かった。髪は染め粉で真っ黒、そのせいで頬も肩の辺りも真っ黒で、一番ボロボロのワンピースだった。
(当主によってこんなにも、使用人の扱いが違うものなのね……)
ここに来てまだほんの数日だけど、エヴェリー伯爵家の使用人たちが全然大切にされていなかったのが本当によく分かる。私ほどではないけれど、皆伯爵夫妻やパドマからひどい対応をされていた。時には見えないもののように扱われ、時には気分次第で怒鳴りつけられ……。
彼らは一体どれくらいのお給金をもらっているのだろう。あの様子じゃきっと、雀の涙に違いない。エヴェリー伯爵夫妻は、自分たちさえよければいいという考えの領主なのだから。
このハリントン公爵家で過ごしているうちに、私はエヴェリー伯爵家の環境の悪さをひしひしと実感するようになっていた。
むしろ無給で働かせてもらいたいぐらいだった私は心底恐縮した。これが本当にご恩返しになるのだろうか。けれど公爵におそるおそるそのことを尋ねてみると「無給で労働など絶対にあり得ない」と仰り、私は引き下がるしかなかった。本末転倒な気がする。私が得をしている。
(し、しっかりと役に立たなくては……!)
と、私はますます燃え上がったのだった。
翌朝早くに目を覚ました私は、張り切って仕事を開始する。と言っても、まだ何の指示も与えられていないので、とりあえず勝手に玄関周りを箒で掃き、地下の掃除用具入れから引っ張り出してきた雑巾を使って玄関扉を磨き上げ、その後一階の窓の掃除に移った。窓の桟を細かく磨いていると、アマンダさんと数人の使用人の女性がやってきた。
「ミ……ミシェルさん……っ? え? 何してるの……? それに、その格好……」
「あ! おはようございます、アマンダさん」
そう返事をして、ふと気付いた。そうだ。アマンダさんには昨日ほとんど会えていなくて、まだ説明していないんだった。食事の時間に知らせに来てくれたのも、他の使用人の方だったっけ。
私は居住まいを正してアマンダさんと後ろにいる女性たちに挨拶をした。
「ハリントン公爵の許可をいただき、本日からこちらのメイドとして働かせていただくことになりました。と言っても、今は試用期間ですが……。ミシェルです。これからどうぞよろしくお願いいたします!」
はきはきとそう言うと、アマンダさんの後ろにいた少し年配の女性たちがまぁ、よかったわ、と口々に言いながら微笑んでくれる。
「働き手が増えるのは大歓迎よ。よろしくねミシェルさん」
「若くて元気な子がいてくれるとありがたいわ」
アマンダさんもクスリと笑う。
「それでメイドの制服を着ているのね。驚いたわ、本当に働くことになるなんて……。ふふ。こちらこそよろしくね、ミシェルさん」
そう言うと彼女たちは従業員用の食堂へと私を案内してくれた。歩きながら、女性たちに尋ねられて今朝の仕事の話をする。
「え? もう掃除を始めていたの?」
「はい。玄関周りと玄関扉はもう終わりました。あとで仕上がりを確認していただけると助かります」
「まぁ! そんな、日が昇る前からなんて働かなくていいのよ。もう少しゆっくりしてちょうだい」
「そうよ。あなた、ほんの数日前まで栄養失調で大変だったんでしょう? そんなにすぐに無理しちゃいけないわ」
皆すごく心配してくれる。ここの使用人の方々はいい人ばかりみたいだ。よかった。
改めて皆の制服を見回し、彼女たちと同じ制服を着ている自分を嬉しく思う。ハリントン公爵家のメイドの制服はとても可愛い。品のいいモスグリーンのワンピースは、金色のボタンが胸元や袖口にあしらわれ、その上から真っ白なエプロンを着けるのだ。
アマンダさんが隣を歩いている私の方を見て、怪訝な顔をする。
「? どうしたの? ミシェルさん。そんなに嬉しそうな顔をして」
「あ、いえ……。この制服、とても素敵だなと思って。ハリントン公爵家は使用人の方々も皆さん身綺麗にされていますよね」
私がそう言うと、アマンダさんが頷く。
「ええ。先代公爵夫妻はそういうところにとても気を遣われる方々だったの。屋敷で働く者たちは、お客様がお見えになった時に真っ先に目につくからって。公爵家の品位を保つためにも、全員身綺麗にしていなくてはいけないって。旦那様もそのお考えを受け継いでいらっしゃるのよ。汚れたエプロンやほつれた制服は、すぐに取り替えなきゃダメなの。覚えておいてね」
「……なるほど……。はい、分かりました」
頭の中で、またエヴェリー伯爵家と比べてしまう。向こうはそんなこと一切気にしていなかった。使用人たちは皆古い制服を着ていたし、明らかにサイズが合っていなくて不格好なまま働いている人たちもいた。私なんかその中でも一番汚かった。髪は染め粉で真っ黒、そのせいで頬も肩の辺りも真っ黒で、一番ボロボロのワンピースだった。
(当主によってこんなにも、使用人の扱いが違うものなのね……)
ここに来てまだほんの数日だけど、エヴェリー伯爵家の使用人たちが全然大切にされていなかったのが本当によく分かる。私ほどではないけれど、皆伯爵夫妻やパドマからひどい対応をされていた。時には見えないもののように扱われ、時には気分次第で怒鳴りつけられ……。
彼らは一体どれくらいのお給金をもらっているのだろう。あの様子じゃきっと、雀の涙に違いない。エヴェリー伯爵夫妻は、自分たちさえよければいいという考えの領主なのだから。
このハリントン公爵家で過ごしているうちに、私はエヴェリー伯爵家の環境の悪さをひしひしと実感するようになっていた。
631
お気に入りに追加
1,913
あなたにおすすめの小説
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
初夜に大暴言を吐かれた伯爵夫人は、微笑みと共に我が道を行く ―旦那様、今更擦り寄られても困ります―
望月 或
恋愛
「お前の噂を聞いたぞ。毎夜町に出て男を求め、毎回違う男と朝までふしだらな行為に明け暮れているそうだな? その上糸目を付けず服や装飾品を買い漁り、多大な借金を背負っているとか……。そんな醜悪な女が俺の妻だとは非常に不愉快極まりない! 今後俺に話し掛けるな! 俺に一切関与するな! 同じ空気を吸ってるだけでとんでもなく不快だ……!!」
【王命】で決められた婚姻をし、ハイド・ランジニカ伯爵とオリービア・フレイグラント子爵令嬢の初夜は、彼のその暴言で始まった。
そして、それに返したオリービアの一言は、
「あらあら、まぁ」
の六文字だった。
屋敷に住まわせている、ハイドの愛人と噂されるユーカリや、その取巻きの使用人達の嫌がらせも何のその、オリービアは微笑みを絶やさず自分の道を突き進んでいく。
ユーカリだけを信じ心酔していたハイドだったが、オリービアが屋敷に来てから徐々に変化が表れ始めて……
※作者独自の世界観満載です。違和感を感じたら、「あぁ、こういう世界なんだな」と思って頂けたら有難いです……。
本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます
結城芙由奈
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います
<子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。>
両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。
※ 本編完結済。他視点での話、継続中。
※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています
※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります
【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。
文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。
父王に一番愛される姫。
ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。
優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。
しかし、彼は居なくなった。
聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。
そして、二年後。
レティシアナは、大国の王の妻となっていた。
※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。
小説家になろうにも投稿しています。
エールありがとうございます!
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?
雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。
最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。
ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。
もう限界です。
探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。
【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った
五色ひわ
恋愛
辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。
※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる