11 / 20
11. アマンダの衝撃
しおりを挟む
そうだ。全身をくまなく洗うということは……。
この髪の染め粉が、全部流れ落ちてしまうということなのだ。
(ど……どうしよう。姿を偽っていたことがバレてしまう……)
そう思って、ふと気付いた。……そうだ。別にもう私の本当の髪色を他の人に見られたところで、困ることなんかないじゃない。私がこんなに汚く髪を染めていたのはエヴェリー伯爵夫人にそうしろと命じられていたからで、その伯爵夫人ともエヴェリー伯爵家とも、もう縁は切れてしまったわけだし。
(ただ……ビックリされるだろうなぁ……。湯浴み前と湯浴み後で、まるっきり違う髪の私が現れたら……)
そのことだけが、少し気がかりだった。
エヴェリー伯爵家ではいつも一日の終わりに、冷たい水で髪を洗い流していた。どうせ次の朝にはまた染めなくてはいけないし、ただの水で洗ったところでどんなに時間をかけても染め粉が完全に落ちるわけじゃない。洗っても洗わなくても汚いことに変わりはないんだけど、一日でも洗わないと頭が痒くてたまらなくなるのだ。そりゃそうよね。炭やら安物の薬品やら香油やらベタベタ塗りたくって、汗だくで一日中働くわけだから。
だけどこの湯浴み場には、とてもいい匂いのする石鹸が置いてあって、温かいお湯もある。洗えば洗うほど、どんどん染め粉は流れ落ち、私は必死で頭を擦った。中途半端に染め粉が残っていたら、またワンピースや顔を汚してしまう。
まぁ、ワンピースはもうどうしようもないほどに汚れきってボロボロなんだけど。
ようやく全身を洗い終わり、汚してしまった湯浴み場もできる限り綺麗に洗い流して外に出ると、脱衣場の向こうからすぐさま私に呼びかけるアマンダさんの声がした。
「ミシェルさん!? 大丈夫なの?」
「あ、はい! 大丈夫です。すみません、遅くなってしまって……」
「ああ! よかったぁ……。あまりにも遅いから心配したのよ。もし中で具合が悪くなっていたらどうしようって。お湯を使っている音は聞こえてくるし、倒れてはいないと思ったんだけど……。ね、新しいワンピースを用意してあるから、着替えだけ手伝ってもいいかしら?」
アマンダさんのその言葉に、私はホッとした。なんてありがたいんだろう。せっかく綺麗にさせてもらったこの体に、またあのボロボロのワンピースを着て公爵様の前に出るのかと思い、気持ちが重くなっていたのだ。
いつかアマンダさんにはちゃんとお礼がしたい。
「ありがとうございますアマンダさん。はい、じゃあお願いします」
「ええ。入るわね」
そう言ってアマンダさんが、脱衣場の中に入ってきた。
そして。
「…………」
私の顔を見た途端、カチッと固まった。
……いや、正確には、きっと髪だろう。
私の髪を見て、固まっている。
「…………。誰?」
「ミ、ミシェルです」
訝しげに眉をひそめてそう尋ねるアマンダさんに、私はおずおずと答えた。アマンダさんは私にぐっと顔を近付けて、しばらく無言で私のことを見つめている。
そして。突然後ろに飛び退いた。
「え……えぇぇっ!? ミシェルさん……? 本当に!? な、なんて可愛らしいのあなた……別人じゃないの! それに、その髪……!」
か、可愛らしい……?
その褒め言葉は想定外でした。はい。
「あ、ありがとう、ございます……。随分長いこと、湯浴みなんてしていなかったものですから……」
髪色がガラリと変わったことに対する苦しい言い訳をしている間、アマンダさんは口をあんぐりと開け、まばたきもせずに私のことを見つめていた。
「……それにしても驚いたわぁ。湯浴み前と後では違う人みたいなんだもの。一瞬何が起こったのかと頭が真っ白になったわ。ふふ」
「お、驚かせてしまってごめんなさい、アマンダさん」
ようやく気持ちが落ち着いたらしいアマンダさんに清潔なワンピースを着せてもらいながら、私は妙な気恥ずかしさを感じつつ謝った。
「いいのよ。……きっと本当に長いこと苦労してきたのね。身寄りはないの?」
「……っ、……はい。両親が亡くなってからは、一人です」
その質問にドキリとしながらも、私はそう誤魔化した。エヴェリー伯爵家を追い出されてここに辿り着いたという話をしてしまうと、もしかしたら伯爵邸に送り返されてしまうかもしれない。そんなことになったら、どれほどのあの一家の怒りを買うことか。
「じゃあ、若いあなたが一人きりで路上で生きてきたの? よくこれまで無事に命があったわね。その……、いろいろと、危ない目にも遭ったのではなくて……?」
「あ……、い、いえ、まぁ」
「どこかの施設の門を叩くことは考えなかったの? ……やだ、ごめんなさい、私ったら。いろいろと詮索しすぎよね。……さぁ、これで出来上がりよ。うん、いい感じね」
私が言い淀んでいるから気遣ってくれたのだろう。アマンダさんは次々と湧いてきているはずの疑問に蓋をして、私の両肩をポンと叩いた。
姿見を見てみると、さっきまで私が着ていたものとは段違いに質の良いワンピースを着た私が映っている。と言っても、貴族令嬢が着るような華やかなものではないけれど。品の良い落ち着いたベージュのワンピースには、ところどころ白いレースの装飾があって可愛らしい。
「素敵……。ありがとうございます。あの、このワンピースはアマンダさんの……?」
「ええ。私の私物よ。あなたにあげるわ。……んー、やっぱり少し大きいわね。あなたはとても痩せているから。でもまぁ、おかしくはないわ」
「何から何まで、本当に……。いつか必ずご恩返しさせてください!」
私がそう言うと、アマンダさんは少し目を見開いてクスクスと楽しそうに笑った。
「ふふ。その気持ちだけで充分よ。……さぁ、そろそろ行きましょう。旦那様にはあなたが湯浴みをしている間に許可をとってあるわ。きっとお待ちかねよ」
そう言われて一気に緊張が高まる。
私はドキドキしながらアマンダさんに続いて部屋を出たのだった。
この髪の染め粉が、全部流れ落ちてしまうということなのだ。
(ど……どうしよう。姿を偽っていたことがバレてしまう……)
そう思って、ふと気付いた。……そうだ。別にもう私の本当の髪色を他の人に見られたところで、困ることなんかないじゃない。私がこんなに汚く髪を染めていたのはエヴェリー伯爵夫人にそうしろと命じられていたからで、その伯爵夫人ともエヴェリー伯爵家とも、もう縁は切れてしまったわけだし。
(ただ……ビックリされるだろうなぁ……。湯浴み前と湯浴み後で、まるっきり違う髪の私が現れたら……)
そのことだけが、少し気がかりだった。
エヴェリー伯爵家ではいつも一日の終わりに、冷たい水で髪を洗い流していた。どうせ次の朝にはまた染めなくてはいけないし、ただの水で洗ったところでどんなに時間をかけても染め粉が完全に落ちるわけじゃない。洗っても洗わなくても汚いことに変わりはないんだけど、一日でも洗わないと頭が痒くてたまらなくなるのだ。そりゃそうよね。炭やら安物の薬品やら香油やらベタベタ塗りたくって、汗だくで一日中働くわけだから。
だけどこの湯浴み場には、とてもいい匂いのする石鹸が置いてあって、温かいお湯もある。洗えば洗うほど、どんどん染め粉は流れ落ち、私は必死で頭を擦った。中途半端に染め粉が残っていたら、またワンピースや顔を汚してしまう。
まぁ、ワンピースはもうどうしようもないほどに汚れきってボロボロなんだけど。
ようやく全身を洗い終わり、汚してしまった湯浴み場もできる限り綺麗に洗い流して外に出ると、脱衣場の向こうからすぐさま私に呼びかけるアマンダさんの声がした。
「ミシェルさん!? 大丈夫なの?」
「あ、はい! 大丈夫です。すみません、遅くなってしまって……」
「ああ! よかったぁ……。あまりにも遅いから心配したのよ。もし中で具合が悪くなっていたらどうしようって。お湯を使っている音は聞こえてくるし、倒れてはいないと思ったんだけど……。ね、新しいワンピースを用意してあるから、着替えだけ手伝ってもいいかしら?」
アマンダさんのその言葉に、私はホッとした。なんてありがたいんだろう。せっかく綺麗にさせてもらったこの体に、またあのボロボロのワンピースを着て公爵様の前に出るのかと思い、気持ちが重くなっていたのだ。
いつかアマンダさんにはちゃんとお礼がしたい。
「ありがとうございますアマンダさん。はい、じゃあお願いします」
「ええ。入るわね」
そう言ってアマンダさんが、脱衣場の中に入ってきた。
そして。
「…………」
私の顔を見た途端、カチッと固まった。
……いや、正確には、きっと髪だろう。
私の髪を見て、固まっている。
「…………。誰?」
「ミ、ミシェルです」
訝しげに眉をひそめてそう尋ねるアマンダさんに、私はおずおずと答えた。アマンダさんは私にぐっと顔を近付けて、しばらく無言で私のことを見つめている。
そして。突然後ろに飛び退いた。
「え……えぇぇっ!? ミシェルさん……? 本当に!? な、なんて可愛らしいのあなた……別人じゃないの! それに、その髪……!」
か、可愛らしい……?
その褒め言葉は想定外でした。はい。
「あ、ありがとう、ございます……。随分長いこと、湯浴みなんてしていなかったものですから……」
髪色がガラリと変わったことに対する苦しい言い訳をしている間、アマンダさんは口をあんぐりと開け、まばたきもせずに私のことを見つめていた。
「……それにしても驚いたわぁ。湯浴み前と後では違う人みたいなんだもの。一瞬何が起こったのかと頭が真っ白になったわ。ふふ」
「お、驚かせてしまってごめんなさい、アマンダさん」
ようやく気持ちが落ち着いたらしいアマンダさんに清潔なワンピースを着せてもらいながら、私は妙な気恥ずかしさを感じつつ謝った。
「いいのよ。……きっと本当に長いこと苦労してきたのね。身寄りはないの?」
「……っ、……はい。両親が亡くなってからは、一人です」
その質問にドキリとしながらも、私はそう誤魔化した。エヴェリー伯爵家を追い出されてここに辿り着いたという話をしてしまうと、もしかしたら伯爵邸に送り返されてしまうかもしれない。そんなことになったら、どれほどのあの一家の怒りを買うことか。
「じゃあ、若いあなたが一人きりで路上で生きてきたの? よくこれまで無事に命があったわね。その……、いろいろと、危ない目にも遭ったのではなくて……?」
「あ……、い、いえ、まぁ」
「どこかの施設の門を叩くことは考えなかったの? ……やだ、ごめんなさい、私ったら。いろいろと詮索しすぎよね。……さぁ、これで出来上がりよ。うん、いい感じね」
私が言い淀んでいるから気遣ってくれたのだろう。アマンダさんは次々と湧いてきているはずの疑問に蓋をして、私の両肩をポンと叩いた。
姿見を見てみると、さっきまで私が着ていたものとは段違いに質の良いワンピースを着た私が映っている。と言っても、貴族令嬢が着るような華やかなものではないけれど。品の良い落ち着いたベージュのワンピースには、ところどころ白いレースの装飾があって可愛らしい。
「素敵……。ありがとうございます。あの、このワンピースはアマンダさんの……?」
「ええ。私の私物よ。あなたにあげるわ。……んー、やっぱり少し大きいわね。あなたはとても痩せているから。でもまぁ、おかしくはないわ」
「何から何まで、本当に……。いつか必ずご恩返しさせてください!」
私がそう言うと、アマンダさんは少し目を見開いてクスクスと楽しそうに笑った。
「ふふ。その気持ちだけで充分よ。……さぁ、そろそろ行きましょう。旦那様にはあなたが湯浴みをしている間に許可をとってあるわ。きっとお待ちかねよ」
そう言われて一気に緊張が高まる。
私はドキドキしながらアマンダさんに続いて部屋を出たのだった。
551
お気に入りに追加
1,497
あなたにおすすめの小説
身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~
湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。
「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」
夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。
公爵である夫とから啖呵を切られたが。
翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。
地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。
「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。
一度、言った言葉を撤回するのは難しい。
そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。
徐々に距離を詰めていきましょう。
全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。
第二章から口説きまくり。
第四章で完結です。
第五章に番外編を追加しました。
公爵閣下に嫁いだら、「お前を愛することはない。その代わり好きにしろ」と言われたので好き勝手にさせていただきます
柴野
恋愛
伯爵令嬢エメリィ・フォンストは、親に売られるようにして公爵閣下に嫁いだ。
社交界では悪女と名高かったものの、それは全て妹の仕業で実はいわゆるドアマットヒロインなエメリィ。これでようやく幸せになると思っていたのに、彼女は夫となる人に「お前を愛することはない。代わりに好きにしろ」と言われたので、言われた通り好き勝手にすることにした――。
※本編&後日談ともに完結済み。ハッピーエンドです。
※主人公がめちゃくちゃ腹黒になりますので要注意!
※小説家になろう、カクヨムにも重複投稿しています。
大嫌いな幼馴染の皇太子殿下と婚姻させられたので、白い結婚をお願いいたしました
柴野
恋愛
「これは白い結婚ということにいたしましょう」
結婚初夜、そうお願いしたジェシカに、夫となる人は眉を顰めて答えた。
「……ああ、お前の好きにしろ」
婚約者だった隣国の王弟に別れを切り出され嫁ぎ先を失った公爵令嬢ジェシカ・スタンナードは、幼馴染でありながら、たいへん仲の悪かった皇太子ヒューパートと王命で婚姻させられた。
ヒューパート皇太子には陰ながら想っていた令嬢がいたのに、彼女は第二王子の婚約者になってしまったので長年婚約者を作っていなかったという噂がある。それだというのに王命で大嫌いなジェシカを娶ることになったのだ。
いくら政略結婚とはいえ、ヒューパートに抱かれるのは嫌だ。子供ができないという理由があれば離縁できると考えたジェシカは白い結婚を望み、ヒューパートもそれを受け入れた。
そのはず、だったのだが……?
離縁を望みながらも徐々に絆されていく公爵令嬢と、実は彼女のことが大好きで仕方ないツンデレ皇太子によるじれじれラブストーリー。
※こちらの作品は小説家になろうにも重複投稿しています。
【完結】後妻に入ったら、夫のむすめが……でした
仲村 嘉高
恋愛
「むすめの世話をして欲しい」
夫からの求婚の言葉は、愛の言葉では無かったけれど、幼い娘を大切にする誠実な人だと思い、受け入れる事にした。
結婚前の顔合わせを「疲れて出かけたくないと言われた」や「今日はベッドから起きられないようだ」と、何度も反故にされた。
それでも、本当に申し訳なさそうに謝るので、「体が弱いならしょうがないわよ」と許してしまった。
結婚式は、お互いの親戚のみ。
なぜならお互い再婚だから。
そして、結婚式が終わり、新居へ……?
一緒に馬車に乗ったその方は誰ですか?
つがいの皇帝に溺愛される幼い皇女の至福
ゆきむら さり
恋愛
稚拙な私の作品をHOTランキング(7/1)に入れて頂き、ありがとうございます✨読んで下さる皆様のおかげです🧡
〔あらすじ〕📝強大な魔帝国を治める時の皇帝オーブリー。壮年期を迎えても皇后を迎えない彼には、幼少期より憧れを抱く美しい人がいる。その美しい人の産んだ幼な姫が、自身のつがいだと本能的に悟る皇帝オーブリーは、外の世界に憧れを抱くその幼な姫の皇女ベハティを魔帝国へと招待することに……。
完結した【堕ちた御子姫は帝国に囚われる】のスピンオフ。前作の登場人物達の子供達のお話。加えて、前作の登場人物達のその後も書かれておりますので、気になる方は、是非ご一読下さい🤗
ゆるふわで甘いお話し。溺愛。ハピエン🩷
※設定などは独自の世界観でご都合主義となります。
◇稚拙な私の作品📝にお付き合い頂き、本当にありがとうございます🧡
婚約者が王子に加担してザマァ婚約破棄したので父親の騎士団長様に責任をとって結婚してもらうことにしました
山田ジギタリス
恋愛
女騎士マリーゴールドには幼馴染で姉弟のように育った婚約者のマックスが居た。
でも、彼は王子の婚約破棄劇の当事者の一人となってしまい、婚約は解消されてしまう。
そこで息子のやらかしは親の責任と婚約者の父親で騎士団長のアレックスに妻にしてくれと頼む。
長いこと男やもめで女っ気のなかったアレックスはぐいぐい来るマリーゴールドに推されっぱなしだけど、先輩騎士でもあるマリーゴールドの母親は一筋縄でいかなくて。
脳筋イノシシ娘の猪突猛進劇です、
「ザマァされるはずのヒロインに転生してしまった」
「なりすましヒロインの娘」
と同じ世界です。
このお話は小説家になろうにも投稿しています
殿下、側妃とお幸せに! 正妃をやめたら溺愛されました
まるねこ
恋愛
旧題:お飾り妃になってしまいました
第15回アルファポリス恋愛大賞で奨励賞を頂きました⭐︎読者の皆様お読み頂きありがとうございます!
結婚式1月前に突然告白される。相手は男爵令嬢ですか、婚約破棄ですね。分かりました。えっ?違うの?嫌です。お飾り妃なんてなりたくありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる