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31.絶望にのたうち回る

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(……え……?)

 講義室に飛び込んでくるなりそう言ったクラスメイトの方に顔を向ける。皆が息を呑み、口々に驚きの声を漏らしている。

「それだけじゃない。なんと殿下は、あのタニヤ・アルドリッジ伯爵令嬢を新しい婚約者として迎えたらしい!!」

(──────っ!!)

 ……何ですって……?

「おい、それは確かなのか?!」
「ああ。今ラフィム殿下のクラスの前を通ってきたが、二人は一緒にいて周りの連中が皆口々に祝いの言葉を言っていた」
「ええっ?!」
「く……っ、クソッ……!もう取られたかタニヤ嬢を……っ!……あ、い、いや、失礼。何でもない」

 ずしん、と両肩に大きな重りが乗っかってきたような絶望を覚えた。ああ……やはりこうなったのか……。どうりでこちらに顔など出さないわけだ。やはり入学早々タニヤ嬢の可愛らしさの虜になった殿下は、イレーヌのことも私への執着もどうでもよくなったのだろう。

(……本当に、何度やり直したところでクズのような男のままね、あいつは)

 ふつふつと怒りが込み上げる。散々人を振り回しておいて。もう関わるべきではないのだろうが、何か一言言ってやらなくては気が済まない。どうしようかと思案していると、

「おはよう!皆さん」
「……っ?!」
「イ……」
「イレーヌ……ッ?!」

 なんとそこに、溌剌とした声で挨拶をしながら講義室に入ってくるイレーヌの姿があった。クラスメイトたちは皆驚いた様子でイレーヌのことを見ている。私も思わず立ち竦んだ。……相変わらずその顔色はひどい……。いや、今まで見た中で、一番ひどい。

「ステファニー、おはよう」
「……イレーヌ…」
「今日は来たわよ!ふふっ。だいぶ勉強が遅れてしまったわ。ロドニー侯爵家の娘がまさか卒業できずに留年なんてするわけにはいかないものね。また頑張らなくちゃ!」
「……。……ええ……」

 まるで見えない力で無理矢理動かされているマリオネットのようだ。異様な雰囲気のイレーヌに、何と声をかけていいか分からない。皆も同じらしく、心配そうに彼女を見つめながらも誰も何も言えずにいる。






 一日の講義がどうにか終わり、下校の鐘が鳴る。ここ最近ずっと上の空でぼうっとしていたイレーヌが、今日はやけに真剣に講義に取り組んでいて、逆に不安でたまらなくなる。お昼も一人で講義室に残って勉強していた。何も食べていない。本当に大丈夫なのだろうか。顔色はもうどす黒く見えるほどに悪い。 

「ステファニー、帰るだろう?馬車まで送るよ」

 先に帰り支度が終わったらしいマルセル様が迎えに来てくれた。

「……ええ……。ちょっと、待って……」

 鼻歌を歌いながら教科書や筆記具を片付けているイレーヌを見つめながら、おそるおそる声をかける。

「……ねぇ、イレーヌ」
「……ふふん……。……ふん……」
「イレーヌ。……ねぇ、イレーヌってば」
「……え?なぁに?ステファニー」
「……大丈夫なの?」
「え?ふふ。……ふふーん……ルルル……」

 やはり普通じゃない。イレーヌの様子をじっと見守っていたマルセル様が、講義室から他の皆が出て行ったのを見計らったように静かな声で話しかけた。

「……イレーヌ嬢。聞いたよ、ラフィム殿下とのこと。……大変だったね」

 その言葉を聞いたイレーヌは、鼻歌を止めてピタリと動きを止めた。

「……ふふ、ラフィム殿下……。……ふふ……あはははっ!うふふふふ」
「イレーヌ……?ねぇ、どうしちゃったのよイレーヌ……」

 突然高らかに笑い出したイレーヌの表情は強張り、その目からボロボロと涙が溢れ出した。

「うっふふふ……ほんと、おっかしい……ふふふふ……。あ、あ、……あんなに必死で……ずっと、が、頑張ってきて……。ふふふふ……。……がんばって、きたのよ……ねぇ……」

 イレーヌは床にぺたりと座り込んだかと思うと、今度はしゃくり上げて泣き出した。泣きながらも一生懸命声を絞り出す。

「ぜ、ぜんぶ…………殿下のため、だったのよ……っ!ひっ……、殿下の、ために……ずっと、き、妃教育も……、自分を磨いて、磨いて……あ、あの方の、妻に……、相応しい妻に、なる、ために……っ」
「……イレーヌ……」

 彼女はもう壊れる寸前だったのだ。あの男に愛されるために、あの男の役に立てるようにとずっと必死に頑張ってきたのに。この上なくひどい扱いを受けた挙げ句に、まるでゴミのように簡単に捨てられた。
 正気を保ってなどいられるはずがなかったのだ。

「……どうしてぇ……。私は……私は、何でもしたのに……。あ……あなたの、ため、なら、……ひぐっ……。どんなに、辛くても、た、大変でも、……これが、殿下のために、なるのならって、……あぁぁっ!!」

 体中がバラバラに千切れてしまうほど切ないその声は、かつて処刑される寸前に聞いた母の泣き叫ぶ声ととてもよく似ていた。
 絶望にのたうち回る、苦しみの声。

「か……髪だって……殿下が変えろって、言うから……。……買ってきて、染めたのよ、じ、自分で……っ!これで……っ、す、少し、でも、……ひく……っ、殿下が、優しくしてくれるならって……!なにも、いらなかったの。……あの人のためなら……大切な髪も、何もかも、失ってしまっても、よかったのにぃ……っ!!」

 床に手をつき声の限りに泣き叫ぶイレーヌの姿を、もう見ていられなかった。私は力いっぱい彼女を抱きしめ、共に泣いた。

 大切な人のこんな姿を見るために、私はこの二度目の人生をやり直していたのだろうか。今よりも婚約期間が短かった前の人生の時の方が、イレーヌの苦しみは少なかったのではないか。あの人生のままなら、他国の貴族の子息に嫁ぎ幸せにしてもらっていたのかもしれないのに。

(私のせいなの……?私が悪いの……?)

 処刑から逃れ、グレン様たちの無意味な死を回避するためにやり直しているつもりだった。だけど、これがその代償なのだろうか。

 運命を変えたしわ寄せが、イレーヌの苦しみとなって彼女に襲いかかっているのだろうか。



 どれだけの時間そうしていただろうか。

 ふいに、肩に優しく誰かの手が触れた。

 涙で濡れた顔を上げると、神妙な顔をしたマルセル様がいた。そしてその後ろには、

(……?……グレン様……)

 何故だかグレン様がいた。

「ステファニー嬢。……代わってくれるかい?」

(……?)

 グレン様にそう言われ、私はよく分からぬままにイレーヌから離れて立ち上がる。代わりに慰めていてくれるということだろうか。

 ……そうだ。行かなきゃ。

「……イレーヌをお願い、グレン様。……マルセル様、ごめんなさい。今日は先に帰ってて」
「えっ?だけど……、……ステファニー?!」

 私は講義室を飛び出し、あいつの元へ向かった。
 どうせいる。あの場所に。
 あいつがいつも薄汚い関係を楽しんでいたであろう、あの場所に。




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