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26.あっさり空の彼方へと(※sideラフィム)

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 苛立ちが収まらない。
 あの女は明らかにこの俺を避け、国外にまで逃亡した。
 不愉快極まりない。俺を誰だと思っているのか。無礼で可愛げのない女だ。……しかし、あの顔と髪の美しさだけは天下一品だ。

 ステファニー・カニンガム。公爵家の一人娘で幼少の頃から何度も顔を合わせていた。子どもの頃は女のことなんて何も考えていなかったが、もっとちゃんとあいつに目を付けておくんだった。父に言って無理矢理にでもあの女と婚約させてもらっていれば、今頃あのプラチナブロンドは俺のもの、俺の好きにできたというのに。
 カニンガム公爵家には他に子どもができなかった。そのためカニンガム家の娘と俺との婚約の話は進まなかったらしい。代わりにちょうど良い年頃のロドニー侯爵家の黒髪の娘が俺の婚約者ということになった。

 イレーヌもまた、ステファニーに引けを取らぬ賢さと美しさを兼ね備えていた。先の王太子妃として相応しい能力の持ち主であり、努力家でもあった。明るく快活な性格は民からも広く愛されるであろう。

 しかしあの地味な黒髪は気に入らなかった。女の美しい髪に執着がある俺は、そのためかイレーヌに対して特別な感情を抱くことがなかった。これまでも浮気願望はあったのだが、学園で久しぶりにステファニー・カニンガムの美しい姿を偶然目にした時、俺の心に稲妻が走った。

 それは入学から数年経ち、普段は使わない学園の食堂に気まぐれに足を踏み入れた日のことだった。そこで昼食をとったことはなかったが、まぁ一度ぐらい行ってみるかというくだらない気まぐれだったのだ。ついてくる取り巻き連中たちと何気なく入り口付近の席に陣取り食事をしながら喋っていると、ふと食堂へ入ってきた美女が目に付いた。

 ほんの一瞬、目があった。

(……あれは……、ステファニー・カニンガム公爵令嬢……。そういえば入学以来顔を合わせていなかったな。……随分美しく成長したじゃないか)

 よく見ていなかったが、どこぞの男と共に奥の席に歩いていく彼女。その後ろ姿を見守る。プラチナブロンドの艶やかな髪を、もったいないことにしっかりまとめ上げていた。

(……何故下ろさないんだろうか。あれほど美しく輝いているというのに)

 遠くの席に座り、向かい合って男と何やら楽しげに会話しながら食事をする横顔をずっと見ていた。
 ふいに、あの髪を解いて触れたい衝動にかられた。

(……綺麗だな……。……俺のものにしたい)

 一度そう思ってしまうと、もう駄目だった。俺はその日から四六時中ステファニー・カニンガムのことばかり考えるようになっていた。どうにかしてあの女を俺のものにしたい。後日よく出入りしていると聞いた図書室で彼女の姿を見かけた時、俺は迷いなく背後に近づき髪をまとめていたリボンを解いた。
 惚れ惚れするほど美しくきらめくプラチナブロンドがふわりと広がり、その時の彼女の姿はまるで天使のようだった。
 思わずこちらが驚くほどに、驚愕の表情を浮かべ息を呑み、俺から距離をとろうとするステファニー。
 なんだ……緊張しているのか?可愛らしいじゃないか。その初心な反応がますます気に入り、指にその髪を絡めて弄ぶ。滑らかな感触がたまらなく気持ちいい。
 よし、決めた。この女は俺のものにする。上手い言い訳を考えて、イレーヌとの婚約を解消しよう。そしてステファニーを俺の婚約者にするのだ。ステファニーは優秀であり、あのカニンガム公爵家の人間。父上も反対などすまい。娘が俺と結婚したならしたで、カニンガム家は養子でもとればいいだけの話だ。

 しかし。

 あろうことか、ステファニーはランチェスター公爵家の次男とあっさり結婚してしまった。それはあっという間のことだった。

 結婚?結婚だと?ふざけるな。婚約ならいくらでも解消させられるが、すでに籍を入れてしまった夫婦となると簡単に離婚させることなどできるはずがない。今イレーヌとの婚約を解消したところで、どこぞの他の令嬢と結婚させられるだけだ。

 腹立ち紛れに俺はステファニーを人気のない場所に連れ込み、その唇を強引に塞いだ。怒りが収まらずその場で何もかも奪ってやろうかと思ったが、あろうことか頬を叩かれ思わず怯んだ。
 クソ。やってくれる。どこまでも俺を、王太子であるこの俺を愚弄して。何が何でも俺のものにするからな。せめて一度はあいつを好きにしないことには気持ちが収まらない。

 しかしステファニーは、今度は隣国へ留学するという手段をとった。そうか。そこまでして俺から逃げたいか。面白い。通常通り試験を受けて進級する条件として、在学中の留学は最長一年間と決められている。どうせ一年後にはここに戻ってくるわけだ。
 せいぜい逃げまわればいいさ。隣国で俺のことばかり考えているといい。彼女が旅立つ前に、俺はしっかり脅しておいた。絶対にこのまま諦めることはしないと、再びあの女の唇にしっかり刻んでおいた。
 一年間怯え続けていろ。そして早く帰ってこい。その時は今度こそ、もうどこにも逃がしはしない。

 しかしそうは言ってもステファニーが素直に身を委ねることなく国外逃亡したことで、俺はどうしようもなく苛立っていた。一年は長い。一年間、あのプラチナブロンドに触れることができないのか。
 手に入れられなかったことが余計に俺の執着心を増長させた。

 苛立ちを発散するように、俺はイレーヌにきつく当たった。もう一切隠し立てすることもなく、他の女たちと遊び回った。そのことに気が付き傷付いた顔をするイレーヌを見るのが愉快で、そのたびに俺はほんの少し溜飲を下げた。

「……地味だな」
「……?……え?」
「お前のその黒髪だ。あまりに地味で俺の隣に立つには釣り合いがとれていない。そうは思わないか」
「……っ、……殿下……」
「いっそ染めてみたらどうだ?最近はそういう薬剤が出回っているそうじゃないか。酒場で働く女たちがよく使っているそうだぞ」
「……。」

 女の美しい髪が好きな俺のために、イレーヌが自分の髪の手入れを怠っていないことを知っていながら、俺はそんな辛辣な言葉を吐いて彼女を傷付けた。全てはただのストレス発散。俺に従順なイレーヌはちょうど良い八つ当たりの道具になった。



 毎日毎日、帰ってきたステファニーをどうやってモノにしてやるか、そればかり考えていた。ランチェスター公爵やカニンガム公爵の待遇を持ち出して脅すのが一番手っ取り早いか。どちらも大臣として王宮で勤めている。俺に逆らえば父親たちが今の立場でいられなくなるようにチラつかせるか。脅されて泣く泣く俺に組み敷かれるあの女を好きにするのも悪くない。



 しかし。



 俺のそんなどす黒い執着心は、彼女の帰国のタイミングとともにあっさり空の彼方へと飛んでいったのだった。

 新入生たちが、……タニヤ・アルドリッジ伯爵令嬢が入学してきたことによって。




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