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5.タニヤ・アルドリッジ伯爵令嬢
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彼女の容姿はとても華やかで際立って可愛らしく、入学するやいなや学園中の令息たちの注目の的となった。
「ついにアルドリッジ伯爵家のタニヤ嬢が入学してきたぞ……!」
「これからは毎日のようにあの子の姿が見られるわけだ。眼福だな」
「本当に可愛らしい。スタイルも抜群だし、……何なんだろうな、あの小悪魔的な魅力は」
「あの猫のような金色の瞳がいけないんだ。あの目で見つめられるともう骨抜きになってしまうよ、俺は」
「本当だよな!もうとにかく可愛いし、胸もデカ……、……失礼」
誰も彼もが浮き足立っていて、彼女が姿を見せると目を輝かせて見つめている。
タニヤ嬢はふわふわの栗色の髪にきめ細かい白い肌の持ち主で、猫のように蠱惑的な瞳は不思議な輝きを放っていた。
(たしかに魅力的で可愛い人ね…)
すれ違う時に近くで彼女を見て、私も感心したものだった。
「ステファニー、今日は先に王宮に戻れ。俺は用事があるからまだ学園に残る」
「え……?さようでございますか。ですが殿下、それでしたら私も……」
「いいんだ。お前は先に帰れ」
「……承知いたしました」
新入生たちが入学してきて三ヶ月ほど経った頃、毎日一緒に帰っていた殿下が突然そんなことを言った。有無を言わせぬ物言いに、私は大人しく引き下がり、その日は先に王宮へ戻ったのだった。
(……一体何の用事があるのかしら……)
気にはなったけれど、根掘り葉掘り尋ねるとご機嫌を損ねてしまうかもしれない。私はその後そのことには特に触れなかった。
しかしそれ以来、同じようなことが度々起こるようになった。帰りだけではなく、休み時間も私と過ごさずに一人でふらりとどこかへ行ってしまうことが多くなった。だんだん気になってしかたがなくなってきた私は、ある日ついに尋ねてみることにした。
「殿下、最近お一人で過ごされる時間が多いようですが、何かございましたか?」
「……。大丈夫だ。お前には何も関係のないことだ。一人でボーッとしたり、勉強したりしている。疲れているからな。そういう、静かな時間が欲しくなるんだ」
「……さようでございますか」
明らかに嘘をついていると直感で分かった。そもそも殿下はそんなに勉強家ではない。私が一生懸命促して渋々机に向かうくらいだ。わざわざ一人の静かな空間を作ってまで自発的に勉強したりはしない。それはここ数年で充分分かっていた。
仮にもこの国の王太子殿下だ。人に見られて困るような疚しいことをしているはずはないだろうが、何を抱えていらっしゃるのかはものすごく気になる。何か、私に言いづらい問題でもあるのだろうか。
…妻として、知っておくべきかもしれない。
その日も殿下は講義が終わると私と離れ、どこかへ行ってしまった。皆次々に講義室を出て帰っていく。私も皆に挨拶をしながら帰るそぶりを見せ、タイミングを見計らって殿下の後を追った。
(絶対に見つからないようにしなくては……)
知られたくないことを後をつけてまで探ろうとしたと分かれば、きっと殿下はお怒りになるだろう。私は心臓をバクバクさせながらも、離れたところから殿下の姿を追い続けた。
階段を上がり、廊下を歩き、殿下は学舎内を進み続ける。一体どこを目指しているのだろうか。すっかり人気がなくなった最上階の奥の講義室に入っていくのを遠目に確認すると、私は少しの逡巡の後、足音を忍ばせてその部屋にそっと近付いた。
(……今ドアが開いて殿下が出てくれば、一巻の終わりね……)
シーンと静まり返った廊下を、物音を立てないように細心の注意を払いながら早足で奥の講義室の前まで行く。心臓が痛いほどに暴れている。見つかりませんように……怒られませんように……。
その時、
「…………ぁ……」
(……っ!)
講義室の中から人の声が聞こえた気がして、私はピタリと動きを止める。気のせいだろうか。高く細い、女の子の声のような……。聞き間違い……?
私は息をひそめて、気配だけで中の様子を覗う。
「…………あ、……でんか…………だめ……」
(──────っ!!)
聞き間違いではない。やはり女の子……女性の声だ。心臓がドクンッと大きく跳ね上がり、指先が冷たくなる。この部屋の中で、殿下は今女性と一緒にいるのだ。……おそらくは、二人きりで……。
荒くなる呼吸を必死で抑え、私は震える体を自分の腕で抱きしめながら中から聞こえてくる声に意識を集中した。
「……なぜ……、いいだろう、タニヤ……。君を愛しているんだ……。ほら、こっちを向いて……」
「……でも、殿下……、いけませんわ、こんなこと……。殿下には奥様が……」
「考えないでくれ、今は……。俺にはもう君しか見えないんだよ、タニヤ。……君だってそうだろう……?だからこうして、俺に会いに来てくれる」
「……そ……それは……っ、あっ……、んん……っ!」
「…………っ、」
グラリと大きく目まいがして、私は両手で自分の口元を押さえた。途切れた会話。何をしているかは、明白だった。
「……愛しているよ、タニヤ。……君が欲しい。どうしても……」
「……で……殿下……っ」
もうこれ以上は聞いていられない。私はすっかり硬直してしまった体をどうにか動かして、その場を離れた。
長い廊下は永久に続いているようだった。自分の心に鞭打って一歩一歩進みながら、私はただ苦しくて、虚しくて……
悲しかった。
「ついにアルドリッジ伯爵家のタニヤ嬢が入学してきたぞ……!」
「これからは毎日のようにあの子の姿が見られるわけだ。眼福だな」
「本当に可愛らしい。スタイルも抜群だし、……何なんだろうな、あの小悪魔的な魅力は」
「あの猫のような金色の瞳がいけないんだ。あの目で見つめられるともう骨抜きになってしまうよ、俺は」
「本当だよな!もうとにかく可愛いし、胸もデカ……、……失礼」
誰も彼もが浮き足立っていて、彼女が姿を見せると目を輝かせて見つめている。
タニヤ嬢はふわふわの栗色の髪にきめ細かい白い肌の持ち主で、猫のように蠱惑的な瞳は不思議な輝きを放っていた。
(たしかに魅力的で可愛い人ね…)
すれ違う時に近くで彼女を見て、私も感心したものだった。
「ステファニー、今日は先に王宮に戻れ。俺は用事があるからまだ学園に残る」
「え……?さようでございますか。ですが殿下、それでしたら私も……」
「いいんだ。お前は先に帰れ」
「……承知いたしました」
新入生たちが入学してきて三ヶ月ほど経った頃、毎日一緒に帰っていた殿下が突然そんなことを言った。有無を言わせぬ物言いに、私は大人しく引き下がり、その日は先に王宮へ戻ったのだった。
(……一体何の用事があるのかしら……)
気にはなったけれど、根掘り葉掘り尋ねるとご機嫌を損ねてしまうかもしれない。私はその後そのことには特に触れなかった。
しかしそれ以来、同じようなことが度々起こるようになった。帰りだけではなく、休み時間も私と過ごさずに一人でふらりとどこかへ行ってしまうことが多くなった。だんだん気になってしかたがなくなってきた私は、ある日ついに尋ねてみることにした。
「殿下、最近お一人で過ごされる時間が多いようですが、何かございましたか?」
「……。大丈夫だ。お前には何も関係のないことだ。一人でボーッとしたり、勉強したりしている。疲れているからな。そういう、静かな時間が欲しくなるんだ」
「……さようでございますか」
明らかに嘘をついていると直感で分かった。そもそも殿下はそんなに勉強家ではない。私が一生懸命促して渋々机に向かうくらいだ。わざわざ一人の静かな空間を作ってまで自発的に勉強したりはしない。それはここ数年で充分分かっていた。
仮にもこの国の王太子殿下だ。人に見られて困るような疚しいことをしているはずはないだろうが、何を抱えていらっしゃるのかはものすごく気になる。何か、私に言いづらい問題でもあるのだろうか。
…妻として、知っておくべきかもしれない。
その日も殿下は講義が終わると私と離れ、どこかへ行ってしまった。皆次々に講義室を出て帰っていく。私も皆に挨拶をしながら帰るそぶりを見せ、タイミングを見計らって殿下の後を追った。
(絶対に見つからないようにしなくては……)
知られたくないことを後をつけてまで探ろうとしたと分かれば、きっと殿下はお怒りになるだろう。私は心臓をバクバクさせながらも、離れたところから殿下の姿を追い続けた。
階段を上がり、廊下を歩き、殿下は学舎内を進み続ける。一体どこを目指しているのだろうか。すっかり人気がなくなった最上階の奥の講義室に入っていくのを遠目に確認すると、私は少しの逡巡の後、足音を忍ばせてその部屋にそっと近付いた。
(……今ドアが開いて殿下が出てくれば、一巻の終わりね……)
シーンと静まり返った廊下を、物音を立てないように細心の注意を払いながら早足で奥の講義室の前まで行く。心臓が痛いほどに暴れている。見つかりませんように……怒られませんように……。
その時、
「…………ぁ……」
(……っ!)
講義室の中から人の声が聞こえた気がして、私はピタリと動きを止める。気のせいだろうか。高く細い、女の子の声のような……。聞き間違い……?
私は息をひそめて、気配だけで中の様子を覗う。
「…………あ、……でんか…………だめ……」
(──────っ!!)
聞き間違いではない。やはり女の子……女性の声だ。心臓がドクンッと大きく跳ね上がり、指先が冷たくなる。この部屋の中で、殿下は今女性と一緒にいるのだ。……おそらくは、二人きりで……。
荒くなる呼吸を必死で抑え、私は震える体を自分の腕で抱きしめながら中から聞こえてくる声に意識を集中した。
「……なぜ……、いいだろう、タニヤ……。君を愛しているんだ……。ほら、こっちを向いて……」
「……でも、殿下……、いけませんわ、こんなこと……。殿下には奥様が……」
「考えないでくれ、今は……。俺にはもう君しか見えないんだよ、タニヤ。……君だってそうだろう……?だからこうして、俺に会いに来てくれる」
「……そ……それは……っ、あっ……、んん……っ!」
「…………っ、」
グラリと大きく目まいがして、私は両手で自分の口元を押さえた。途切れた会話。何をしているかは、明白だった。
「……愛しているよ、タニヤ。……君が欲しい。どうしても……」
「……で……殿下……っ」
もうこれ以上は聞いていられない。私はすっかり硬直してしまった体をどうにか動かして、その場を離れた。
長い廊下は永久に続いているようだった。自分の心に鞭打って一歩一歩進みながら、私はただ苦しくて、虚しくて……
悲しかった。
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