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本編
62 悪女は信念が強い
しおりを挟む「……あの羽金先輩?」
「何かな、楪君?」
場所は寝室。
眼前に据えられたベッドを見て、思わずあたしは羽金先輩を呼びつけてしまった。
当の本人は理由が分からないようで、きょとんとした表情を浮かべているが、騙されてはいけない。
彼女は策士な一面もあるのだ。
「ベッドが一つしかありませんけど」
キングサイズのベッドが部屋の中央に位置し、足元には淡い暖色の間接照明の光が灯っている。
羽金麗を好きな人からすればたまらない環境だけど、今のあたしには受け入れ難い状況でもある。
「私達のベッドだよ?」
「昨日、二個用意するって言ってましたよね!?」
一人一つのベッドを用意すると確かに言っていたはずだ。
なぜ未だに巨大なベッドが一つだけなのか。
「んー。私も考えたんだけど、一つあれば十分じゃないかい? ほら大は小を兼ねるとも言うし」
「ベッドは兼ねませんよねっ!?」
空間とか居場所ってそんな単純じゃないよね?
そう思うのはあたしだけ?
「……酷いなぁ、楪君はそんなに私と眠るのが嫌なのかい?」
しょんぼりと先輩がうなだれてしまう。
あ、そ、そうだよね……。
いきなり来て、二日目で環境に口出すってデリカシーなかったよね……。
「あ、嫌という訳ではないんですが……」
「そうだよね、なら問題ないはずだ」
「切り替え早すぎですけどっ!?」
瞬間でケロッとしていた。
さっきのは演技なのかっ。
演技力にも長けているとか、死角がないっ。
「やっぱり、あたし一人じゃないと落ち着かないタイプと言うか……」
とは言え、このまま一緒に寝るのを良しとするわけにもいかない。
エッチな展開にならないとも限らないしねっ。
「緊張しているのかい? 大丈夫、優しくするよ」
「そうなんですけど、なんか違う意味に聞こえるんですがっ」
どうしてもアッチ方面な発言に聞こえて仕方ないのは、あたしの煩悩のせいだろうか……。
いや、でもとにかく今日はちゃんと寝ないとっ。
二夜連続で寝不足とか、具合悪いからっ。
肌の調子もなんか既にボロボロだしっ。
「ふふ、でも実際問題としてベッドは一つなのだから仕方ない。ここは大人しく眠るしかないね」
「……ぐぬぬ」
受け入れる他ないのか。
そもそも皆が憧れる羽金先輩と一緒に寝られるなんてチャンスでしかない。
その幸福を、あたしは噛み締めた方がいいのだろうか……。
「わ、分かりました……でも変な事はしないでくださいよ」
「変な事って、何かな?」
絶対分かってるのに、はぐからすのはずるいと思います。
「……あ、あのっ、半分からこっちには絶対に来ないで下さいねっ」
夜、身支度を整えベッドに二人で入ると、あたしは境界線を改めて再確認する。
「うーん、でも間違ってはみ出ちゃった時は?」
最初から守る気がない人の言い回しだ!
「これは国境ですっ、不可侵ですっ、超えたら戦争ですっ」
「なるほどね。恋は戦争とも言うし、それくらいの覚悟はあるよ」
「上手い事言わないで下さいっ、ダメったらダメなんですっ」
口では敵わないんだから、とにかく力づくで主張を繰り返す。
あたしは本気なんだぞという姿勢を見せれば、羽金先輩もさすがに自重するはずだ。
「ふふ、分かっているよ。その気がない子に手を出すほど、私は野暮じゃないよ」
「色々と手を出されそうな場面多かったですよねっ!?」
口では上手い事言ってますが、結構ギリギリの事多かったよねっ。
「だから、君がそれだけ“その気”があるように見えたって事さ」
「……」
ま、まずい。
思ったよりも言い返せなかった。
て、いけない。
先輩と口論に持ち込んではあたしが負けるに決まっているのだ。
「ね、寝るぞーっ!」
「そんな勢い任せの睡眠があるんだね……?」
ほ、ほら先輩も引いている。
これが最適解(?)だ。
強引に攻めるくらいがちょうどいいって事だね。
あたしは壁の方を向いて、先輩は視界に入れないようにする。
見ちゃうと色々と危ない気がするからねっ。
「……ふふ、やっぱり楽しいね君は」
こ、これすら楽しむあなたの懐が大きすぎるんですが……。
どう足掻いても好感度が上昇してしまう事に悩みつつも、あたしは昨日の寝不足もあって次第に夢の世界へと旅立って行った。
◇◇◇
しかし、困った。
現状フルリスはシナリオ崩壊。
主人公とヒロイン全員が楪柚稀に恋をするという、とんでもない状況になってしまった。
このシナリオを書き換えるのも、今となっては希望的観測でしかない事を感じ始めている。
「さっきから何を困ってんのよ」
「え、うおっ」
真っ暗な世界。
光源はないはずなのに、何故かはっきりと見える楪柚稀が仁王立ちであたしを睨んでいた。
どゆこと。
「“あんたはあたし”なんだから。夢なら出てこれるでしょ」
「……ああ、そうでしたね」
そんな事を言った時もありました。
「それであんたは何をずっと悩んでるのよ?」
腕を組みながら、吐き捨てるように問われる。
その仕草が実に悪女として様になっている、これが本物か。
「いや、皆があたしに好意を持ってくれてるのさ」
「……なんであんたと入れ替わっただけで、そんな現象が起きるの?」
「結局、人は中身って事かな?」
「ぶっとばすわよ」
じょ、冗談じゃん……。
怖いよ柚稀ちゃん……この前はあんなに仲良くしてくれたのに……。
「まぁいいわ、それなら簡単じゃない」
「え、嘘、解決方法あるの?」
「考えるまでもないわね」
まさか灯台下暗し。
答えは楪柚稀が持っていたのかっ。
「明璃ちゃんと付き合えばいいのよ、他の女はどうでもいいんだから」
「……」
全ヒロインから嫌われ追放される未来しかないはずの楪柚稀を、一瞬でも信頼したあたしが馬鹿だった。
「ふっ、言葉も出ないようね」
「分かった分かった、柚稀が明璃ちゃんを大好きなのは分かったから」
「ちょっと何よその態度……! 真面目に聞きなさいよっ!」
もうその事実は痛いほど分かってるから。
「あたしが明璃ちゃんと付き合ったら、他の皆はどうなるのさっ」
「はぁ……? どうとでもなるじゃない」
「明璃ちゃんしか、皆の心を救えないんだよっ」
その未来をあたし自ら奪う事はしたくはない。
しかし、あたしの意図が汲み取れないのか柚稀は首を傾げている。
「……単純に疑問なんだけど、聞いていい?」
「どーぞ」
「仮にあんたの言う事が正しかったとしてよ。じゃあ明璃ちゃんが三人のうちの誰か一人と付き合ったとして、残る二人はどうするのよ?」
「……え」
「え、じゃないわよ。明璃ちゃんは一人なんだから、マリーローズ・涼風・羽金のうち二人は救われない事になるわよね」
……た、確かに。
ゲームだと個別に攻略していくから意識の外だったけど。
主人公とヒロインとの恋が成就しても、その舞台裏では繋がらないヒロインも生まれているのだ。
フルリスの一つの世界線では、誰か一人しか救われていないのだ。
「どっちみちあんたの願望って無理なんだから、じゃあ明璃ちゃんを選べばいいんじゃない?」
「最後のはちょっと意味分かんないけど、でも柚稀の言ってる事は……一理あるね」
そもそもヒロイン全員の不幸を見たくないというあたしの願いそのものが、フルリスにもない世界だったのだ。
じゃあ、あたしは絶対に誰かを不幸にするしかないってこと……?
「……でも、あんたなら出来るんじゃない?」
「はい?」
またテキトーな事を言おうとしてる?
「だって皆から好かれてるんでしょ? じゃあ、あんたが全員に手を差し伸べればいいのよ」
「……いやいや、柚稀ちゃんよ。それは楽観的すぎだから、現実はそんな甘くないって」
物語は勿論、人の心はそう簡単に救える事なんて出来ないのに。
それをあたし如きが全員だなんて……夢のまた夢に決まっている。
「ふーん、あんたゴミね」
「シンプル悪口っ」
いきなりの暴言が過ぎる。
「結局さ、あんたの覚悟がそんなもんって事でしょ?」
「……なんですと?」
それはさすがに聞き捨てならない。
この物語を壊してしまったのはあたしだが、それでもこの物語を愛しているのもあたしだ。
最後まで諦めずに方法を模索しているのに、そんな言い方はされたくない。
「“皆の幸せを望んでます”とか聖女ぶってるけど? 実際のあんたは責任を取るのが怖いから、明璃ちゃん一人に擦り付けようとしているだけじゃない」
「……」
あれ、思ったより食らってるな……言い返す言葉がない。
「幸せを望んでるなら自分自身で掴み取りなさいよっ。何を人任せにしてんのよ、ダサいのよあんたはっ!」
柚稀はあたしの肩を叩いて無謀へ突き進めと言うのだ。
「いや、どう考えたって無理じゃん」
「なんであんたが無理だとか言うわけ?」
「だって、そんなの明璃ちゃんでも出来なかったのに……」
だと言うのに、柚稀は真っすぐにあたしの事を見つめ続ける。
その迷いのない瞳をどうしてあたしに向けてくるのか。
「楪柚稀はどう足掻いても駄目になる女だったんでしょ? そんな結ばれるはずのないあたしを明璃ちゃんと繋げてくれたのはあんたじゃない。その不可能を可能にした癖に、都合が悪い時だけ逃げようとしてんじゃないわよっ!」
「……っ!」
……やめてよねぇっ。
散々毒づいといて、最後にちょっとだけデレるとか反則だから。
「だから行けっ! あんたがやらないで誰がやんのよっ!」
「あ、痛いっ!」
そう言って柚稀に蹴られて、あたしは暗闇の中から抜け出していくのだった。
……悪女の励まし方は、スパルタだなぁ。
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