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42 不器用
しおりを挟む「え、えっと、柚希ちゃん……?」
突然のあたしの拒絶的な態度に、明璃ちゃんも困惑を隠せていなかった。
「あ、ご、ごめん、小日向……」
だけど、あたしが明璃ちゃんとの距離を縮めようとした途端に膨れ上がったのは、楪柚希の小日向明璃に対する執拗な思いだった。
「ちょっと調子悪くてさ、休んでくる」
「あ、はい……お大事にして下さい」
普段なら率先してあたしを保健室に連れて行きそうな彼女だが。
あたしの雰囲気を察してくれたのか、心配そうにしながらもそのまま見送ってくれた。
だけど気分が悪かったのも事実で、あたしには気持ちを整理する時間が必要だった。
◇◇◇
「ふぅ……」
保健室のベッドに横たわり休ませてもらう。
外部の音から遮断されている静寂さと、飾り気のない無機質な部屋は少しだけ落ち着く。
時間が経つにつれ、波打っていた気持ちも安定してきた。
「どうして楪柚稀は、あんなにも明璃ちゃんに固執してたのかなとは思ってたけど……」
楪柚希はとにかく小日向明璃の邪魔をする。
ヒロインとの関わりがある度に、悪事を働くのだ。
そんな楪柚稀に対する心理描写などはなく、彼女が向ける一方的な悪意にプレイしているあたしもヘイトを溜めていた。
「だけど、今なら少し分かるな……」
楪柚希の小日向明璃に対する感情の根本は、羨望だった。
愛は憎しみに変わると言うが、彼女はそれを体現していた。
楪柚稀にとって問題だったのは、小日向明璃の主人公としての在り方にあった。
フルリスにおいて小日向明璃という主人公は、“何者でもない”という事に意味がある。
ルナ・マリーローズは、多才がゆえに孤独になり。
涼風千冬は、野心がゆえに孤独になり。
羽金麗は、万能がゆえに孤独になる。
各々のヒロインが、孤独の葛藤を抱えている。
だから小日向明璃という存在は、そういった概念に縛られない価値観を彼女達に提示する。
それはヴェリテ女学院においては異質であり、輝く個性足り得えていた。
だが、それが唯一、楪柚希にとってだけは許し難い事実になる。
「柚希にとって明璃は全てを持っている憧れの人だった……。だから、“何も持たない者”としてヒロインに認められていくのが、柚希だけは我慢できなかったんだ」
だから楪柚希は、小日向明璃がヒロインと関わる度に邪魔をしてしまうのだ。
“小日向明璃は持たざる者ではない”、と。
楪柚希がここまで明確な意図を持っていたかは分からない。
けれど、潜在意識にはその認識が必ずあったはずだ。
それを知って尚、思うのだが。
「不器用過ぎるって、楪柚稀よぉ……」
その一言に尽きる。
どうしてその感情を素直に言葉に出さなかったのか。
その欠片でも伝えていれば、二人の関係性は変わっていたのかもしれないのに。
どうして嫌がらせという表現しか出来なかったのだろう。
その奥底には好意があったはずなのに。
「それであたしが仲良くしようと思ったらこの拒絶反応だもんなぁ……愛が重すぎる楪柚稀よ」
きっと、意識の奥底に眠る楪柚稀としての意志があたしの行動を止めたのだろう。
過去の記憶が突然蘇ったのも、それだけ強烈な感情の動きがあったからかもしれない。
「……さて、どうしよう」
胸の奥にあるドロリとした生暖かい感情。
これをどうにかしなければ、あたしは消化不良でおかしくなってしまいそうだ。
楪柚稀が辿る追放エンディングは、やはり彼女にとって何の救いにもなっていない。
きっと自分の感情が何であるかも分からないまま、学院を去っていったんだ。
だから、もっとより良い未来があったはずなんだ。
「おい、素直になれって柚稀よ。本当はどうしたかったんだ……? 明璃ちゃんと仲良くなりたかったんじゃないのか?」
そう思うと、胸がぐわああっと締め付けられる。
この頑なで意固地で融通の利かない感情が、彼女をおかしくさせたのだろう。
「やれやれ……本当に分からずやだね、君は」
あたしは状況の整理がついた所で、保健室を後にした。
この救いようのないアホをどうにしかないとさ。
「……はぁ」
とは言え、原因が分かったからと言って何か出来るとは別問題。
こんなメンヘラ悪女をあたしが手懐ける事は出来るのだろうか?
非常に難題な課題である。
「かと言って無視もできないしなぁ」
あたし個人の感情としても、この問題を素通りするのは気分が悪いし。
フルリスにおいても主人公とヒロインのパイプを繋げるために、明璃ちゃんとの距離を縮める事は必要だ。
どっちの意味でも、あたしは楪柚稀を助ける必要があると思う。
「おや、保健室から溜め息混じりに出てくるなんて……もしかしてサボりかい?」
すると優雅な足取りで黄金色の髪をなびかせる少女 羽金麗が、あたしの前に立っていた。
「サボりじゃないです……ちゃんと体調不良です」
「あはは、ごめんごめん。なかなかこの学院で“サボり”なんて単語も使えないからね、つい」
「改心しましたから」
「感心だね」
信じてくれるのかいないのか、どちらともとれる軽快な返事だった。
「でも、心を曇らせているようにも見えたけどね? 何かあったのかい?」
「えっと……」
軽快な語り口でおどけつつも、あたしの様子はしっかりと見ていたらしい。
抜け目ない人だなほんと。
「ありきたりな人間関係の悩みですよ」
メンヘラ女子がどうしたら素直になるのか考え中です。
「ふむ……じゃあ、ありきたり続きで、ここは先輩に相談してみるのはどうだろう?」
「悪いですよ、羽金先輩忙しいですから」
「ふふ、可愛い後輩に先輩風を吹かせられないのなら、私は忙しさの方を捨てるよ」
大人の余裕がすごい……。
あたしはその心遣いに甘える事にした。
「単純な話ですよ。久しぶりに会った推しが昔とは違う姿になっていて、古参のファンが怒ってるんです」
「ほう……そういう楪くんはどっち側なんだい?」
「古参ファンです」
小日向明璃という推しに裏切られたと思っている、楪柚稀という古参ファン。
「変わってしまった推しを、受け入れられないんだね」
「そうなりますね」
「なら、その推しの人が変わってしまった過程を知れたらいいよね」
「過程……ですか?」
「うん、過程を辿れば必ず根幹に辿り着くけど、人の根っこは案外と変わらない。そして根を深く知る内に、その先にある枝葉が愛おしくなってしまうのもまた人さ」
確かに、あたしはヴェリテ女学院に転入してからの小日向明璃しか知らない。
楪柚稀も、この学院に至るまでの空白の数年間に関しては知らないまま。
その表面だけを見て、変わってしまったと決めつけている。
楪柚稀もっと対話をしてお互いの事を知るべきだったんだ。
「……ありがとうございます、やる事が見えてきました」
「お役に立てたなら本望だよ」
頼りになる先輩のアドバイスを胸に、あたしは楪柚稀と向き合う覚悟を決めた。
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