2 / 69
02 挨拶は程々に
しおりを挟む――ヴェリテ女学院
丘の上の森の奥を抜けた先にある、人里離れた俗世とは隔絶された世界。
そこには名家の令嬢達が集い、淑女になるための教養を身につける。
今日も少女たちはこの学び舎でそれぞれの夢を思い描く。
「……という設定だったなぁ」
いよいよ足を踏み入れる事になった白一色の校舎を前に息を呑む。
いざ目の前にするとその清廉とした空気に圧倒された。
どうにも落ち着かないあたしは身なりを軽く整える。
制服は黒のブレザーに赤いリボン、グレーのスカート。
華美な装飾もないシンプルな見た目だが、それは当然だ。
百合という大輪の花が咲くのに、過剰なデコレーションは必要ないからだ。
そうに決まっている。※個人の意見です。
「楪柚稀になってしまったのは残念だけど、それでもフルリスの世界を追体験できるなんて……すごすぎ……」
覚悟を決めて、あたしは乙女の花園へと足を踏み入れた。
楪柚稀は一年生であり、季節は夏頃を迎えているようだった。
新学期を終え、人間関係も出来上がってくる時期だ。
前世のプレイ済みの記憶か、楪柚希の記憶かははっきりしないが、教室の場所も把握出来ている。
扉の前で、足を止める。
「この先にいるのよね、ヒロインが」
心臓の拍動が増していくのが分かる。
期待と緊張、そのどちらもがあたしの鼓動を高鳴らせる。
決意を固め、扉を開けて踏み入れた。
「……!?」
教室には女の子しかいない。
当然の事ではあるが、ここは女学院で乙女の園。
その生徒の誰もが清廉とした佇まいをしている。
クラスメイトの子と目が合った。
あたしはすかさず口を開く。
「ごきげんよう」
ふふっ、挨拶も完璧だ。
お嬢様学校では挨拶は“ごきげんよう”なのだ。
百合で女学院と言えば相場が決まっているのだ。理由はさっぱり分からないが。
一度は言ってみたいセリフ個人的トップ10には入っている。
念願叶って嬉しい。
「え、あ、うん……?」
おほほ、あたしの完璧な挨拶にクラスメイトの子も動揺を隠せていないようね。
この滲み出る品性に尻込みしているのかもしれない。
「どうかなされました?」
こういう時、お嬢様は優雅に問いかけるのだ。
戸惑う女の子を優しく誘う。
うん、正しい百合像である。
「いえ、あの、楪さんの方から挨拶して下さるのが珍しいなと思いまして……」
「ん?」
なんですと?
「そんなに珍しいですか?」
「はい、それに……いつも朝は頑なに“おはよう”と返されてましたし」
「……そんな事もあったような、なかったような」
「“挨拶にごきげんようとか、日本でもここだけ。マジ異常、普通に喋れ”なんて言われたことも」
「お、おほほっ!!」
うん、そうだよね。
結局は楪柚稀だもんね、悪女だもん。
流れを壊すのが役目だもん。
普段の生活からぶっ壊れているキャラなのだ。
こんな付け焼刃のお嬢様キャラなど、もうとっくに通用しないくらい、その個性は浸透してしまっている。
このタイミングでキャラ変を始めた痛いヤツと思われる方が致命傷だ。
今後の学院生活に間違いなく悪影響を及ぼす
よって慣れない言葉遣いはやめる事にする。
あたしの憧れのお嬢様キャラは数秒でお別れとなった。
悲しい。
「……ここね」
楪柚稀の席は、最後尾の窓際の右隣である。
そして窓際の席……あたしの左隣の席は空白である。
こんな最高の立地条件がどうして空いているのか?
答え合わせは朝のHRにすぐに訪れた。
「はーい、それじゃあ今日から学院生活を共に送る転入生を紹介しますね」
突然の転入生、こんなの物語が動くに決まっている。
「では、挨拶をお願いね?」
「は、はいっ」
先生の隣には、委縮しながら肩に力が入りすぎている少女がいた。
黒髪ボブにつぶらな瞳、小柄な体躯を更に小さくさせて怯えるように緊張している少女。
「こ……小日向明璃と言います。よろしくお願い致します」
そうしてぺこりと頭を下げる。
――小日向明璃
彼女こそが、このフルリス世界においての主人公である。
どうやらあたしはゲーム本編開始当日に前世の記憶を取り戻したようだ。
「それじゃ小日向さんは……あ、一番後ろ窓際の席が空いてるからそこ座って」
「は、はいっ」
そうなのです。
最後尾の窓際が空いていたのは、明璃ちゃんの席だったからなのです。
小さな歩幅を早めながら席に辿り着いた明璃ちゃんは椅子に腰を下ろす。
そうしてあたしは思案する。
これからの展開をどうしようかと。
「あ、あの小日向明璃です……よろしくお願いします」
すると明璃ちゃん自らあたしに話しかけてくる。
人見知りの彼女が自分から知らない人に話しかけるなんて相当な勇気を振り絞っている。
それだけ、この学院生活で自分を変えようという思いがあるのだ。
しかし、楪柚稀はその彼女の勇気を一蹴してしまう。
◆◆◆
『は? 誰あんた?』
『……え、あの、こ、こひなた……』
『知らないわね、そんなヤツ』
『ですから、じ、自己紹介を……』
『あんたの親、事業で失敗したそうじゃない。なのに、この学院に入れたのは学院長との交友があったからなんでしょ?』
『ど、どうしてそれを……』
『あーあ、ヴェリテ女学院に庶民が入って来るなんて嘆かわしい。庶民が移るから話しかけないでもらえる?』
『……ううっ』
◆◆◆
そうして、明璃ちゃんが振り絞った勇気は楪柚稀の心無い言葉によって粉々にされてしまう。
自分がこの場に似つかわしくない存在だと感じている明璃ちゃんにとって、その言葉でハートがブレイクしてしまうのは必然。
「あ、あのー?」
隣で明璃ちゃんは困惑していた。
楪柚稀はどのエンディングを迎えても最終的には学校を追い出される破滅の道しか残されていない。
どう考えてもそれは避けたい。
そうなれば、あたしに出来る事は何か?
「……」
「え、えっと……?」
無言を貫く。
基本的に楪柚稀は、主人公やヒロインと関わる気はない。
接触を初めから無くし、安全な所から主人公とヒロインとの恋物語を応援するのだ。
「あ、あのっ」
「……」
「こ、小日向、明璃、ですっ」
「……」
「も、もしもーし?」
「……」
「あれ、わたしの声小さいかな? 聞こえてない?」
いや、無視してんの……!
気づいてよっ……!
「小日向明璃ですっ、あなたの名前を聞いてもいいですかっ」
「……」
「もしかして、返事してくれてるのかな? わたしが聞こえてないだけ?」
「……っ!?」
何を思ったのか、明璃ちゃんは身を乗り出して耳を近づけてくる。
やけに距離が近い。
なんで、そっちから近づいてくるのかなぁ……!?
「小日向明璃です、あなたのお名前は?」
「……」
「え、何か言いました?」
あたしは何も言ってない……! 完全に幻聴!
この主人公、天然だったのを忘れていた……!
ヒロインたちには、その天然ぷりが良い方向に作用するのだが、楪柚稀とは馬が合わず直接罵倒されるので明璃ちゃんも傷ついてしまうのだが。
放っておいたらこんなにもマイワールドを展開するキャラだったのか……!
こっちサイドに立つと、強烈なんだけどっ。
「お、おはようございますっ。わたしは小日向明璃ですっ」
「……」
こ、壊れたロボットなのか、この子は……!?
え? もしかして返事するまでこの調子なの?
主人公と絡まないと先に進まない仕様?
あたしには破滅の道しか残されてないってこと?
「挨拶は……この学院では“ごきげんよう”……よ」
とりあえず、これだけは伝えておく。
大恥をかく前に直したらいいよ、さっきのあたしみたいになっちゃうからね。
「あ、ありがとうございますっ!」
「いえ、いいの……」
頭をぶんぶん振ってお礼をしてくる明璃ちゃん。
純粋すぎる。
この明璃ちゃんの天然鈍感ぷりが、楪柚稀の暴言がストレートになっていく理由なのだとこの立場になって初めて理解する。
「それで、お名前は?」
……ま、もう答えるしかないか。
答えて、この会話を終わらせよう。
「楪柚稀」
「……ゆずゆず?」
距離感バグりすぎ。
誰か助けて。
0
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
学園の美人三姉妹に告白して断られたけど、わたしが義妹になったら溺愛してくるようになった
白藍まこと
恋愛
主人公の花野明莉は、学園のアイドル 月森三姉妹を崇拝していた。
クールな長女の月森千夜、おっとり系な二女の月森日和、ポジティブ三女の月森華凛。
明莉は遠くからその姿を見守ることが出来れば満足だった。
しかし、その情熱を恋愛感情と捉えられたクラスメイトによって、明莉は月森三姉妹に告白を強いられてしまう。結果フラれて、クラスの居場所すらも失うことに。
そんな絶望に拍車をかけるように、親の再婚により明莉は月森三姉妹と一つ屋根の下で暮らす事になってしまう。義妹としてスタートした新生活は最悪な展開になると思われたが、徐々に明莉は三姉妹との距離を縮めていく。
三姉妹に溺愛されていく共同生活が始まろうとしていた。
※他サイトでも掲載中です。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
保健室の秘密...
とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。
吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。
吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。
僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。
そんな吉田さんには、ある噂があった。
「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」
それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。
美人四天王の妹とシテいるけど、僕は学校を卒業するまでモブに徹する、はずだった
ぐうのすけ
恋愛
【カクヨムでラブコメ週間2位】ありがとうございます!
僕【山田集】は高校3年生のモブとして何事もなく高校を卒業するはずだった。でも、義理の妹である【山田芽以】とシテいる現場をお母さんに目撃され、家族会議が開かれた。家族会議の結果隠蔽し、何事も無く高校を卒業する事が決まる。ある時学校の美人四天王の一角である【夏空日葵】に僕と芽以がベッドでシテいる所を目撃されたところからドタバタが始まる。僕の完璧なモブメッキは剥がれ、ヒマリに観察され、他の美人四天王にもメッキを剥され、何かを嗅ぎつけられていく。僕は、平穏無事に学校を卒業できるのだろうか?
『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』
百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話
釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。
文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。
そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。
工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。
むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。
“特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。
工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。
兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。
工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。
スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。
二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。
零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。
かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。
ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる