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04 夕食はどうする
しおりを挟む扉がある。
勝手知ったる我がマンションの部屋の前だ。
大学から田舎を出て上京し、一人暮らしを初めて早10年弱……。
こうして立ち止まって、扉を開けるのを躊躇したのは初めてだ。
理由は明白。
この扉の向こうに、今朝知り合ったばかりの謎の女子高生がいるからだ。
一人暮らしなのに、誰かが待っている。
この矛盾が怖い。
いや、単純に二人暮らしになっただけか……。
落ち着け私。
でも、やっぱり心構えは必要になる。
……。
って、なんで私の部屋なのにこんな考えなきゃいけないんだっ。
「帰りましたけどー!?」
自分の煮え切らなさに対する憤慨をバネに扉を開いたはいいものの、迷いも残ってしまい、怒声に敬語が混ざるという意味不明な状態になっていた。
すると居間の扉が開いて、雛乃が廊下をパタパタと駆け寄ってくる。
「お帰りなさーい」
およそ年上に対する緊張感などまるでなく、柔和な笑顔でお出迎え。
この反応だけ切り取ると、どちらが社会人で高校生なんだか分かりゃしない。
「なんか、変な言葉発してなかった?」
「い、いいでしょ別に、どう言っても」
やはりおかしかったようだ。
「普通に“ただいま”でよくない……?」
言われて見ると、そうだった。
そんなことも分からなくなるくらい、久しぶりに人に迎えられたからか、それとも緊張が強すぎたのか……。
まあ、深く考えるのはやめよう。
どちらにせよ情けない。
「ていうか、思ったより帰るの早いんだね」
「ん、そう?」
時刻は19時を過ぎている。
会社の定時は17時半なので、だいたいの社員は直帰すれば18時前には帰宅しているはずだ。
特別早いというわけではない。
「あ、何となくね。社会人って夜遅くまで働いているイメージだから」
「へえ……?」
むしろこのご時世、働き方改革によって定時での退社を推奨する所も増えた。
そんな今を生きる彼女でも、まだ社会に対してそんなイメージがあるのか。
大丈夫か日本。
……いや、この心配事は身の丈に合ってなさすぎる。
「何か買ってきたの?」
私が携えているポリ袋に気付き、雛乃が視線を向ける。
「あ、夜ご飯ね」
持ち上げてアピールする。
雛乃が何を好むか分からないため、ある程度対応出来るようお弁当やらホットスナックを買ってきたので、ボリュームがすごい。
「ああ、やっぱり上坂さんって料理しない感じ……?」
雛乃が訝しげに私を見つめてくる。
なんだその、“やっぱり”と私を透かしたような発言は。
勝手に住んだ挙句、私の手料理まで期待していたのか。
寮じゃないんだから、そんなことを期待しないで欲しい。
「こっちの方が楽で美味しいの」
「まあ、分かるけどね」
雛乃は何とも言えない苦笑いを浮かべている。
なんだ、若者なのにコンビニのご飯を嫌うのか?
ギャルなのに?
私が偏見を持ちすぎだろうか。
「まあまあ、上坂さんもお疲れでしょう。入って入って」
「え、ああ、おう……」
すると雛乃は私の手からコンビニ袋とバックを何気なく持ち、居間へと運んでくれる。
……頼んでないのに、こういう気の遣い方は出来る子なのか。
一人暮らしだと荷物は当然自分で運ぶしかないので新鮮ではある。
それに、帰って既に部屋に電気が点いているというのも不思議な感覚だった。
「なに、この匂い……?」
居間に入ると、何やら香ばしい香りが充満していた。
「あー……あはは。あたしも夜ご飯用意しちゃった的な?」
頭を掻き、眉をひそめながら苦々しい笑顔を浮かべる雛乃。
「え、作ったの?」
「うん、食べるかなぁと思って」
なるほど、確かに。
匂いは台所から香っている。
しかし、まさかそんなことまでしてくれているとは……。
それに、匂いも食欲をそそるもので美味しそうな予感がしている。
「でも、余計なことしちゃったね」
雛乃は苦笑いを浮かべ続ける。
なるほど、あたしのコンビニ弁当を見て反応が悪かったのはそれが原因だったのか。
「いや、いいよ。雛乃が作ってくれたご飯を食べよう」
「いいの……?」
「うん、別にコンビニ弁当は明日も食べられるし」
「そっか、ならそうしよう」
にへら、と含みのない笑顔をようやく浮かべる。
思っていたより、人に気を遣う部分があるのかもしれない。
「ん、あれ……?」
部屋の様子が朝と少しちがう気がする。
床に散乱させたままにした私のスーツがないのだ。
「あっ、スーツね。クローゼットに掛けといたよ」
「そっか……ありがとう」
“全然いいよー”と雛乃は軽い返事をしてくる。
ま、まあ……彼女も床にスーツが散らばったままでは移動もままならなかっただろう。
邪魔が先行して片付けたに違いない。
「とりあえず私、着替えるから」
「あ、オッケー。その間にご飯準備しとくねー」
雛乃は軽快な足取りで台所へと向かう。
この部屋は1LDKになっており、部屋にクローゼットが配置されている。
部屋に入り、クローゼットのスライドドアを開く。
朝には欠けていたスーツ一式がハンガーに掛けられていた。
何となく手に取ってみて、違和感。
「皺が、ないような……」
グシャグシャのまま数時間は床に放置されていたスーツが、こんなに綺麗になっているはずがない。
「ま、まさかねぇ……」
さすがにそこまで手が行き届いたりはしないだろう。
社会人の私がズボラなのに、ギャルでJKな雛乃がそこまで出来る女なはずがない。
ていうかそんな出来る子が家出をしたり、体を売るような真似をするはすがない。
……まあ、責任は私にもあるのであまり大きくは言えないが。
肩の重みも感じながら、私は部屋着のスウェットに着替えた。
「はい、どうぞー」
居間に戻ると、雛乃がローテーブルの上に料理を配膳してくれていた。
そこにはご飯とお味噌汁、生姜焼き、キャベツの千切りがあった。
「いやあ、冷蔵庫の中マジ豚肉くらいしかなかったから、これくらいしか作れなかったんだけど……」
「他のは?」
キャベツなんて家にはないし、お味噌汁に入ってるワカメとか豆腐も初見だ。
「ないから、買って来たよねぇ」
「わざわざ……?」
「まあ、さすがにお肉だけはねえ?」
「……ほほう」
どうしよう。
私の中で雛乃の好感度が急上昇している。
いや、待て。
これはヤンキー効果だ。
普段は荒っぽい子が見せる家庭的で優しいギャップにやられているだけだ。
「見ても仕方ないよ、食べないの?」
「あ、うん……」
何はともあれ、作ってもらったのだから頂くことにする。
「いただきます」
箸で生姜焼きを摘まみ、口に含む。
豚肉の淡白で歯切れのいい食感と、甘じょっぱい味わいが広がる。
サラダのキャベツもしっかりシャキシャキしている。
ご飯とお味噌汁に関しては、インスタントじゃないものはこんなに味の深みがあったんだと思い出し、驚かされた。
「……ど、どう?」
そんな私の様子を、雛乃は上目遣いで伺ってくる。
感想が気になっているらしい。
「美味しい、けど」
どもる口調とは裏腹に、心は素直にそう思っていた。
「そっか、よかったぁ」
安堵したように雛乃は胸をなでおろす。
そんな緊張するような事だろうか。
しかし、美味しいことには変わりないのでありがたく食べ進める。
「片付けてくれたスーツなんだけどさ、なんか皺がないような気がしたんだけど」
無言の食卓というのも居心地が悪い。
私は思い出した話題を振ってみる。
「アイロンかけといたよ」
「出来るの?」
「まあ、普通にあてるだけなら」
実家を出る時に母に渡されたアイロン、面倒で私が使ったことは一度もない。
なんというか、この子。
私より遥か上に家事能力が高い。
歳の差など、この場においてはまるで通用していない。
「それは、どうもありがとう……」
なんか立つ瀬がなく、ぺこりと自然と頭を下げる。
「い、いいって。それくらい」
それくらいも出来やしない私なのだが。
雛乃は照れ臭そうに笑うのだった。
そう言えば、家で一人じゃない食事をとるのも久しぶりだなぁ……。
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