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72 知らないことを知る
しおりを挟む「何も上手く行かない……」
体育委員の仕事を終えたわたしはグラウンドの隅っこにある木陰で休憩する。
何だか嫌になって、体育座りで膝の中に顔をうずめた。
スピーカーを通した大音量の実況と、盛り上がった歓声が響いてくる。
そんな熱狂の中に、わたしはひどく不釣り合いだ。
結局、何をしても進藤くんとヒロインとの親密度は上がらなかった。
そればかりか、その原動力は凛莉ちゃんが起因していることを二葉先輩に気付かされた。
「それってどういうことなんだろ……」
一人になるのは寂しいと思っていたけれど、ここまで行動する理由になっていたなんて自分でも驚いた。
わたしは一体何がしたいんだろう。
自分で自分がよく分からない。
「涼奈ー」
遠くから凛莉ちゃんの声。
バタバタと足音が近づいて来ると、いつの間にか隣に座っていた。
「……」
「あれ、仕事に疲れちゃった感じ?」
「……いろいろ」
「テンション低っ」
「いつもだよ」
「いつも以上じゃん、何あったのさ」
何がと言われると、説明しづらい……。
いつまで進藤くんとのエンディングに怯え、それを話せない日々が続くのだろう。
「なんか借り物競争とかで色んな人と絡んでたけど、その関係?」
「……見てたの?」
だとすれば、いつも何かしら口を出してくる凛莉ちゃんが黙って傍観していたことになる。
それは珍しい。
「涼奈が仕事頑張ってると思って応援してたんだよ」
「あ、そういうこと。……ありがと」
気遣ってくれていたんだ。
でも純粋な思いで仕事をしていたわけじゃないから、その気遣いには心苦しさも感じる。
「それで、何があったのさ」
「……」
「言わないと、涼奈の写メとってSNSにあげるよ?」
「……なにその脅し」
「そういうのイヤでしょ?」
「いや」
デジタルタトゥーじゃん。
「じゃあ言いなよ」
「言わないと終わらない感じ……?」
「当然、友達の悩みは共有してなんぼでしょ」
そうなの……?
いや、まて。友達の悩みを共有するのに脅してくるなんて変な話だぞ……。
でも言わないと冴えないわたしが本当にネットに晒されそうだ。
全世界の皆様にわたしなんかの姿で目を汚して欲しくない。
「……進藤くんのことなんだけどさ」
凛莉ちゃんの前で進藤くんの名前を出すのは、色々思うことがあって気が引ける。
「幼馴染の進藤ね」
でも、凛莉ちゃんは思っていた以上に普通に接してくれて、気が少しだけ楽になる。
「うん。わたしは進藤くんに誰かと付き合って欲しいと思ってるんだよね」
「……そんなこと考えてたんだ」
もし、凛莉ちゃんが進藤くんのことを好きだとしたら。
これは面白くない発言だろう。
「変かな」
「好きだった人にする行動ではないと思う」
進藤を好きだったのは雨月涼奈で、雪月真白ではないからだ。
けれど、進藤くんの話をする凛莉ちゃんを見たくないと思う自分もいる。
でも、この会話はもう避けて通れない。
「……そうだね。でも本当の雪月真白は進藤くんにそこまでの思いはなかったんだ。だからこそ、進藤くんを誰かと結び付けるために動けるんだよ」
それがこのゲームにおける彼と彼女らの幸せであり、わたし個人の幸せに繋がると思っていた。
「好きだと思ってたけど、本当はちがったってこと?」
「まあ、そんな感じ」
凛莉ちゃんは、ふーんと生返事をする。
「で、結果が惨敗だと」
「……そう」
「分かんないんだけどさ、何で涼奈がそんな他人のために頑張るの?」
「それは……」
わたしとのエンディングを避けるためであり……凛莉ちゃんから進藤くんを遠ざけるため。
でもそんなこと言えるわけない。
「それ多分、いつまでも上手く行かないよ?」
「……え」
凛莉ちゃんは断言していた。
「だってさ、進藤に対して感情はもうないんでしょ?」
「そうだけど……」
「好きでもない人を紹介して誰かとくっつけようなんて上手く行くわけないじゃん」
「そうかな……?」
「そうだよ。その人に魅力があると思うから相手にも伝わるわけじゃん。涼奈が何とも思わないのに、その紹介をいいと思う人なんていないでしょ」
……そうかもしれない。
それでも成立すると思っていたのは、彼が主人公で彼女たちがヒロインだからだ。
だから、感情は関係なしにきっかけさえあればいつか結ばれると思っていたのだけれど……。
「感情がないのに伝えようとしても、伝わるのはやっぱり“ない”ことなんだよ」
そうだ。
雨月涼奈の存在から既にイレギュラーは始まっていた。
誰よりも進藤くんに尽くしてきた彼女が、雪月真白になることで一切の興味を失う。
そんな変化が起きているのに、他のヒロインたちには原作通りの展開を望んでいたのが間違っていたのかもしれない。
変化というのは人づてに伝わっていく。
わたしが変わったのだから、他の人も変わるのは必然だった。
「もうちょっとツッコむけどさ。涼奈って……今、誰かを好きになってたりする?」
凛莉ちゃんは言い淀みながら聞いて来た。
「わたしが誰かを好きに……?」
「うん、どうなのかなって」
人を好きになったり愛したりすること。
そういう感情があることは知っている。
でもそれを雪月真白が経験してきたかと問われれば、答えは変わる。
「……ない、かな」
この人が好きだと、愛していると思ったことはない。
「……そっか」
どこか重たい空気と一緒に凛莉ちゃんが言葉を吐き出す。
「だとしたらさ、他の人に恋させようなんて難しくない?」
凛莉ちゃんはわたしの本質を見抜く。
だから上手く行かないのだと言い当てられてしまった。
「……そうだね」
「だから涼奈は人のことより、もっと自分の感情に目を向けるべきなんだよ」
「わたしの感情?」
「そう、何でもいいんだけどさ。今で言うなら恋とか愛とかってやつ」
それは、わたしが最も欠落した感情なのかもしれない。
そして分からない理由も、分かってしまった。
凛莉ちゃんが教えてくれたことだ。
『感情がないのにあるフリして伝えようとしても、伝わるのはやっぱり“ない”ことなんだよ』
感情は人を介することで伝わっていく。
それなら恋とか愛とか、そういったものを渡してくれなかった人間は、いつその感情を知ることが出来るのだろう?
「涼奈……?」
「だって、わたしはずっと一人だよ?それでどうやって愛を知るの?」
これは雨月涼奈の話ではなく、雪月真白の話。
わたしは両親からおやすみと言われたことも、愛していると囁かれたこともない。
ただ、義務のように育てられた。
両親はわたしにどういう感情を抱いているのか、ずっと疑問だった。
“興味そのものを持たれていない”
そう結論づけた時、わたしは心に蓋をした。
何も詰まっていない伽藍洞のわたしを、隠したのだ。
だからこの世界に居場所を求めたこと自体が間違っていた。
それがようやく分かった気がした。
……なのに。
「そっか。やっぱり涼奈はあたしと同じだったんだね」
そんなわたしの結論を無視するように、頬に暖かいぬくもりが伝わってくる。
凛莉ちゃんの手だった。
「え……」
そのまま抱かれるように引き寄せられる。
さっきまで自分の膝ばかり見つめていた視界は、凛莉ちゃんの胸の中に変わった。
ふわりと彼女の甘い香りがする。
「涼奈の気持ち分かるよ、あたしも一人だったから」
「凛莉ちゃんも……?」
思い返してみれば、凛莉ちゃんの家は彼女の部屋以外はあまりに殺風景だった。
人の気配がしない家。
両親は別の場所で暮らし、豪華な家だけを渡され、使い切ることのできない伽藍洞の家。
「うん、でも大丈夫だよ。いつかきっと分かる日がくるよ」
「そう……なの?」
「だってあたしが分かったんだから。涼奈が分かんないわけないじゃん」
そうなのだろうか。
そう思える根拠がわたしにはない。
けれど、凛莉ちゃんのその言葉を否定する勇気も覚悟も、弱いわたしにはない。
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