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12 心の距離

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 連絡先を交換して、放課後の時間を過ごす。

 それだけではなく、互いの事を名前で呼び合う。

 それが日奈星ひなせさんの言う、友達としての距離。

 それは、そうなのかもしれないけれど。

「名前で呼ぶの……?」

「うん、それが自然でしょ」

 わたしが日奈星さんのことを凛莉りりと呼ぶ。

 想像するだけでも違和感しかなかった。

 あまりにも馴れ馴れしいし、おこがましいような気もする。

「日奈星さんがわたしを呼ぶ分には構わないけど……」

涼奈すずなは呼んでくれないの?」

 息もつかせぬ間で、日奈星さんがわたしの名前を呼んでくる。

 たったそれだけのことなのに、急に距離感が変わったように感じてしまう。

 でもその距離には違和感がある。

 いまの日奈星さんがわたしに体を寄せているように、あまりに近い。

「わたしは……なんか、ちょっと違う気が……」

「なにが違うの?」

 向こうから来る分にはまだいいけど、自分からそれを出来るかと言われるとちょっと違う。

「わたしが日奈星さんを名前で呼ぶのは抵抗があると言うか、まだそこまで近くなってないような気が……」

「幼馴染にお弁当を作るとか、そっちの方がよっぽど近いと思うけど。それに比べたら友達同士で名前を呼び合うとか普通じゃん」

 さっきから日奈星さんは進藤くんの話題をしきりに持ち出す。

 日奈星さんの雰囲気が変わったのもそのタイミングだった。

 意味が分からない。

 どこが相談事は気軽なんだろう、話と違うじゃないか。

「ほら言ってよ、あたしだけじゃ一方通行じゃん」

 どん、と日奈星さんの腕がわたしの顔の横を通り抜け壁に手をつく。

 まるで彼女に囚われてしまったみたいだ。

 自由を奪われたようで、息苦しい。

「なんでそんなにこだわるの?呼びやすい方でいいと思うんだけど」

「涼奈は黙ってたらずっとそのままでしょ?だからこうして近づこうとしてるの」

「よく分かんない……。そんな近寄ろうとしなくてもいいと思う」

「距離っていうのはね。自分から歩み寄らないと縮まらないんだよ」

 当たり前のようなことを言ってるようで、ちょっとおかしなことを日奈星さんは真面目な顔で言ってくる。

「いや、日奈星さんがこうして寄れば近くなってるじゃん。これ以上わたしが近づこうとしたらくっついちゃうよ」

「いいんだよ、それで」

「変、そんなの絶対変」

「どこからが“近い”かなんて関係性によるんだよ」

 いよいよ意味が分からない。

 つまり友達なら、これくらいは近い範囲にはならないとでも?

 この距離が普通だとでも言うのか。

 だとしたら、わたしにはやっぱり友達というのは難しい気がしてくる。

「それとも涼奈は、あたしのことは何とも思ってないってこと?」

 ……その言い方は、卑怯だと思う。

 さっきまで強い口調だったのに、急にそんな弱々しい声で。

 そんな不安そうな表情で見られたら、わたしだって困る。

 そんなふうにさせたいわけじゃない。

 まるでわたしが悪いことをしているみたいじゃないか。

「……わかった」

「じゃあ、呼んでよ」

 先延ばしは許されない。

 日奈星さんはすぐに答えを求めてくる。

 その速さが、わたしには駆け足のように感じるけれど。

 ちょっとだけ間を空けて、息を整える。

「……凛莉りり……さん」

「……さん、いらないんだけど」

「名前で呼んだ」

「でも、“さん”はいらない」

「そんなこと言ってなかった」

「いや、でもそれは邪魔でしょ。まだ他人みたいじゃん」

 日奈星さんはワガママだ。

 わたしだって頑張って言う事を聞いたのに、それじゃダメだとか横柄だ。

「じゃあ、もういい。他人でいい、日奈星さん」

「あ、ちょっと、不貞腐れないでよ」

「頑張った、わたし頑張ったもん」

「ならもうちょっと頑張ってよ、あともう一息じゃん」

 ……名前を呼ばないと、日奈星さんは離してくれそうにない。

 これ以上求めるとか、友達ってそういうものなのだろうか。

「凛莉、ちゃん」

「……“ちゃん”はいらな――」

「日奈星さん、わたしもうここから出る」

 もう耐えられない。

 わたしは日奈星さんの腕を払いのけようと力を込める。

「ああ!わかった、分かったよ!ちゃんでいいから、名前で呼んでね!?」

「……わかった」

 ようやく認めてくれた……凛莉ちゃんが、わたしを解放してくれる。

 こうして彼女はわたしとの距離を詰めてくる。

 それは許せる範囲ではあったけど、今度はそれをわたしにまで求めてきた。

 友達の距離感を、上手く掴めている実感はない。


        ◇◇◇


「えへへ……」

 音楽室を出ると、凛莉ちゃんは上機嫌だった。

 さっきまでの張り詰めた空気が嘘のようだ。

「なんでそんなに嬉しそうなの」

「涼奈があたしの名前を呼んでくれるから」

「それだけ?」

「それだけ」

 ……まあ、言葉を発する労力自体は変わっていない。

 それでこれだけ喜んでくれるなら、頑張ってよかったのかもしれないと思える。

「涼奈は?いや?」

「……わたしは――」

 嫌ではない。

 進藤くんに涼奈と呼ばれるのには抵抗があったが、凛莉ちゃんにその抵抗感は感じていない。

 それが答えなんだと思う。

「――まあまあ、かな」

「えー。喜んでよ」

 凛莉ちゃんの言う事は難しい。

 人それぞれ感じ方は違うんだから、多少反応が変わっていても許して欲しい。

「ていうか、相談したのに何も答えになってないんだけど。いつの間にか名前を呼び合う話になってるし」

「あ、あはは……そうだね」

 凛莉ちゃんがバツが悪そうに頬を掻いている。

 自分で言い出した手前、立つ瀬がないのだろう。

「あ、考えたんだけどさ。ここなに料理を直接教えてあげればいいんじゃない?」

 凛莉ちゃんは閃いたと言わんばかりに声を弾けさせる。

 絶対今考えた。それまでわたしの相談なんて絶対忘れていた。

 ……でも、考えてくれたから良しとする。

「料理を教える、か――」

 確かにそれなら進藤くんを介さないから、わたしの好感度が上がることはない。

 それでいて、ここなちゃんの料理の腕前が上がれば彼女との好感度は向上するだろう。

 悪くない作戦のように思えた。

「――でも問題があるよ、それ」

「なに?」

「誰が料理を教えるかってこと」

 それを聞いた凛莉ちゃんは、不思議そうに目を丸くした。

「いや、涼奈でしょ」

「……やっぱり?」

「当たり前じゃん。他に誰がやんの」

 いや、確かにそうなんだけど。

 記憶は共有してるけど、わたし自身は料理をしたことがないから出来るか怪しい。

「……凛莉ちゃんが、ここなちゃんに教えてくれたり?とか」

 日奈星凛莉には家庭的な一面がある。

 ギャルでありつつ、家事全般をこなせるスキルがあるのだ。

「ないない。なんであたしがよく知らないクラスメイト、それも妹に料理教えないといけないの。向こうだって嫌でしょ」

 至極真っ当なことを言われる。

 逆の立場ならわたしだってお断りする。

「じゃあ、わたしが料理するとこ動画で撮ってそれ見せればいいかな?」

「いや……それもないでしょ」

 凛莉ちゃんは呆れた顔をしていた。

「え?」

「それで済むならとっくに上手くなってるでしょ。直接教えなきゃ意味ないって」

「……ビデオ通話とかで?」

「なんで毎回、画面越しなの?直接って言ってんじゃん」

 それってわたしが、ここなちゃんとコミュニケーションをとらないといけないってことだ。

「……めんどくさい」

 雨月涼奈は好かれてないから、何だか疲れそうだし。

 そもそも人に物を教えるとか、だいぶ喋らなきゃいけない。

 面と向かってそれを続けるのは、中々にストレスだ。

「やりたいのか、やりたくないのかどっちなの?」

「やりたくない」

「……涼奈って不思議ちゃんなところあるよね」

「そう?」

「進藤にお弁当作ってたの急にやめて、ここなが作り始めたのを心配したかと思えば教えるのは面倒なんでしょ?なかなか不思議だよ」

 そう言われると確かにそうなんだけど。

 それもこれも雨月涼奈のせいと言うべきか、生まれ変わってしまったわたしのせいと言うべきか。

 説明できないのが残念だ。

「そんな意味不明なわたしと、よく凛莉ちゃんは友達になってくれたね」

 そのもどかしい気持ちを皮肉に込めて凛莉ちゃんに返す。
 
 若干の八つ当たりだ。

「うえへへ……当たり前じゃん」

 ……でも、彼女はそんなことは意に介さない。

 それよりも“凛莉ちゃん”と呼ばれるたびに、顔の力を緩ませ笑顔を浮かべるのだった。
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