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本編
10 気になること
しおりを挟む「……ただいま」
何だか重たい足取りで帰宅した。
慣れない事をしたせいだろう。
普段から人とぶつかる事は避けてきたのに。
多大なエネルギーを消費してしまった気がする。
「あ、おかえり」
居間に足を運ぶと、白花ハルはいつものようにソファに横になってスマホを触っていた。
違いがあるとすれば、ちゃんと返事がきたことだ。
それだけの事でも、かなりの変化のようにも感じてしまう。
「え、ええ……」
そして私も驚いて、言葉にならない返事をしてしまう。
何だか浮足だっている。
「もう家だから、だらしなくてもいいだろ?」
「……」
白花ハルは制服姿のままだった。
ブレザーを脱いだブラウスと短いスカートだけ。
「ま、そろそろ着替えるけど」
すると白花ハルは起きて、大きく伸びをした。
その一連の動作を見ていると、ブラウスの膨らんでいる部分に自然と目が行った。
いつも家ではゆるい服を着ているため分かりにくいが、こうして体に沿う服を着るとよく分かる。
以前も思ったが、白花ハルの胸はかなり大きい方だった。
「……どこ見てんの?」
「え、あ、ごめんなさい」
思わず反射的に謝ってしまう。
謝ってから、そんな謝るような行動でもないのではないかと自分に疑問を抱く。
「ちなみに、まだ成長中だぜ?」
「聞いてないわ」
白花ハルは自身の胸を触り、口の右端を上げながら悪い笑みを浮かべていた。
貴女も貴女で、どうしてそんな態度をとるのか。
意味が分からない。
「よく見られるんだよね、特に男共から」
「……まあ、でしょうね」
それだけ豊かな物を持って、尚且つそんな素肌を見せていれば視線は集まるだろう。
どちらかと言えば、白花ハルの方から視線を集めていると言った方が正しいのかもしれない。
「だから分かるんだけど、あんたも似た感じだったよ」
「……似てる?」
白花ハルはいつも説明不足で言葉が足りないから、その真意を測りかねる事が多い。
今も何を言っているのかよく分からなかった。
「性的な目」
「は?」
「おー、こわっ」
白花ハルはおどけたように自分の体を抱いて一歩後ろに下がる。
私はその発言に苛立った。
こっちは貴女の心配をしてここまで手心を加えたのに、どうしてそんなバカにされるような真似をされるのか。
「ふざけないで、誰がそんな目で見るものですか」
「ははっ、マジになってんじゃん。逆に怪しいんだけど?」
こいつ……私が声を荒げたのを逆手にとってきた。
落ち着け、水野澪。
白花ハルに乗せられるな。こいつは真面目な私を弄んで楽しんでいるだけだ。
いつもの自分を取り戻せ。
「噂になってるぜ、“水野澪は生徒会長の青崎梨乃にお熱だ”……ってな」
「……だから、何なのよ」
そんな噂くらい知っている。
クラスの注目を集める青崎先輩の近くにいるのだから、面白おかしく言われるのは覚悟していた。
問題なのは白花ハルはその噂を使って私が感情を荒げるのを楽しんでいることだ。
彼女の望む展開にさせてなるものか。
「案外、女だったら誰でもいいってか?」
「女同士でそんな感情になるわけがないでしょ」
「……へえ」
私が冷静さを取り戻している事がつまらなかったのか、白花ハルは素の表情に戻る。
私の何を探ろうとしているのか。
白花ハルの考えている事は、私にはよく分からない。
「別にいいんじゃね? 女同士でも、今時それくらいふつーでしょ」
こいつは煽ってみたり、同調しようとしてみたり。
手の平を返しすぎだ。
真意がどこにあるのか分かったもんじゃない。
「他人の色恋や価値観を否定はしないけれど。私はそうじゃないってだけ」
「なら、男が好きなんだ?」
……なんだこれは。
どうしていきなりこんなに饒舌になり始めたんだ。
しかもさっきから話題がおかしい。
こんな事を話す間柄じゃなかったはずだ。
「興味ないわね、恋愛なんて」
「……はは、なるほど」
白花ハルはまた笑う。
似たような会話を青崎先輩の時にもして、笑われたけど。
彼女のは私を小馬鹿にしているニュアンスがあった。
「そう言っておけばどっちでもないし、どっちにもなれるもんな。便利だな言葉って」
「……だから、何の話をしているのよ」
「いや、いいよ。あんたがどうしたいのかは分かった気がするから。……それより疲れてんだろ、飲む?」
白花ハルの前にあるローテーブルの上には、麦茶の入ったピッチャーが置かれていた。
今回は彼女の方から声を掛けてくれるだなんて。
どういう風の吹き回しだろうか。
「飲むわ」
しかし、喉は乾いていたので受け入れる。
グラスに注いで、喉を潤した。
「ていうか今日、帰って来るの早いじゃん」
それは私の通常の帰宅時間を比較しての発言。
つまり私を意識しているという証だ。
……ん。
意識しているから何だと言うのだろう。
そんなことをいちいち気にする私もおかしいな。
「ええ、ちょっと、ね」
貴女が原因で居心地は悪いし、気持ちも乱れて早く帰宅してしまった……だなんて。
そんな事は言えない。
勝手に早退するなと言ったのは私の方なのだから。
いや、まあ、学校の出席と生徒会活動では事情が違うだろうけど。
「あんたは生徒会が大好きだと思ってたんだけど。そういう日もあるのか」
「生徒会が大好きって何よ」
あまり聞かない言葉だ。
「あ、違うか。青崎が大好き?」
「……“さん”なり“先輩”をつけなさい」
青崎梨乃という存在を、うちの生徒で呼び捨てにするのは彼女くらいだろう。
「はぐらかすなよ。青崎が好きで生徒会にいるんだろ?」
白花ハルはどうして執拗に青崎先輩のことを聞いてくるのだろう。
呼び捨てにするくらいなのだから、友好的にも思ってないだろうに。
「私は役員として活動しているだけよ」
「そうかな」
「貴女の方こそ、何でそんな事ばかり聞いてくるのよ」
「気に入らないからな」
「気に入らない?」
白花ハルがまた一歩わたしに近づく。
その足先はピンクのネイルに染まっていた。
すっと伸びる指先と、艶やかな光沢感が妙に目についた。
「ああいうさ、“何でも知ってます”みたいな顔されんの。ムカつくんだよね」
「……少なくとも、貴女より知識はあると思うけど」
あの人は学年首位で、全国模試の結果もトップクラス。
希望する大学に好きなように行ける。
しかも人当たりまで良いという方を相手に、素行不良娘は気分を害したらしい。
謎すぎる。
「そーいうことじゃないんだよね。あたしを見下してる感じがね、癇に障る」
「……あの人に限って、そんなことないと思うけど」
生徒会として白花ハルが話題に挙がるのは確かだが、それと見下すはイコールではない。
青崎先輩は立場上、仕方なくそうしているだけ。
本来であれば誰にでも好意的な人だ。
「いや、違うね。アイツは全員のことを見下してやがる」
それこそ吐き捨てるように、白花ハルは顔を歪ませる。
どうやら相当気に入らなかったらしい。
「ま、だからさ。あんまりアイツの影響は受けない方がいいと思うぜ?」
白花ハルが私の瞳を覗き込む、身長差があるから彼女は屈んで訴えかけてきた。
……いやいや、待て待て。
さっきから青崎先輩を一方的に否定されているのに、何を私は聞き流しているのだろう。
どの口が言っているのかと、怒るべき所だろう。
そんな感情が沸き起こっていない自分に困惑した。
「貴女ね、発言には気をつけなさ……」
注意しようと思って、言葉に詰まる。
白花ハルが急に屈むものだから胸元が開いていたのだ。
胸の深い谷間と水色の下着が丸見えだった。
……そこはピンクじゃないのかと、意味不明な感想も沸き起こった。
「え、どこ見てんの?」
白花ハルは胸元の視線に鋭い。
さっきそれを学んだはずなのに、同じ過ちを繰り返してしまう。
反射的に見てしまったものだから、どうしようもなかったのだけれど。
「ど、どこも見てないわ」
気取られまいと、急いで顔を反らす。
反らして、この態度こそ答えているようなものだと再び後悔する。
「ははっ、副会長さんはクラスメイトの胸元が気になるやらしー人だったか」
カラカラと笑いながら白花ハルは楽しそうにしている。
私は弱みを握られたようで面白くない。
「気になってなんかいないわ」
“へえ、そうかい”
と続いて、話が終わるかと思いきや――
「……じゃあ、あんたは義妹のおっぱいに興奮するエッチな人だったか」
――余計に生々しく言われて、どうしてか焦るばかりだった。
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