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本編
03 放課後は先輩と
しおりを挟む放課後になると、私は生徒会室を訪れる。
生徒会室は校舎の中にはなく、一度外に出る必要がある。
スクールバックを持って、玄関まで足を運ぶ。
帰宅する生徒や、部活動に励む人たちの中に紛れて校舎を出た。
夕方と言えど、風はほんのりと熱を持っていて初夏の訪れを感じさせた。
校庭から離れた茂みの奥に、生徒会室の建物がある。
木々の葉に視界を埋め尽くされ、学校の敷地内とは思えない。
ちょっとした森の中を歩いているような気分になる。
風に揺れる草木の音を聞いていると、学校の喧騒は遠のいていった。
「やぁやぁ、奇遇だね」
すると、後ろから撫でるような声が聞こえてくる。
心臓が跳ねそうになったのを、それとなく隠して振り返る。
「青崎先輩……驚かさないでください」
「私は何もしていないよ?」
草木の葉音に耳を奪われていたとは言え、足音一つ聞こえなかった。
わざと忍ばせていたとしか思えない。
「こんな場所で出会えた運命を祝うべきじゃないかな?」
「運命じゃありません」
「澪は現実主義者だったか」
「そうじゃなくて、生徒会役員は皆ここを通るんですから遭遇する確率はかなり高いです。必然に近いです」
この道を通る者のほとんどが生徒会役員だ。
それを運命だなんて言っていたら、世の中のほとんどは運命ということになってしまう。
「それでも澪とこの道で会ったのは初めてなんだから、私はそれが嬉しいな」
「……何言ってるんですか」
一瞬、何と返せばいいのか困ってしまった。
こんな軽口に、何を心を揺るがせているのかと自分の浅はかさを戒める。
愛想の悪い返事しかしていないのに、今日も先輩はにこやかだ。
「澪と話すのは楽しいね」
「否定しかしてませんけど」
そんなマイナス方向なコミュニケーションを望んでいるのだろうか。
私ならもっと肯定的な会話をしたいけれど。
それが分かっていて出来ないのは、私の歪んだ性格のせいだ。
「うーん、そうだね。皆は私の意見を尊重してくれるから、澪みたいに突き放してくれるのは新鮮」
先輩は誰からも好かれる。
力の抜けたような日常会話はあるが、大事な場面は要所でしっかり意見を述べる。
その発言が間違っていることは少なく、彼女の能力の高さを垣間見せる。
だから、そんな先輩を否定ばかりする私の方がおかしいのだ。
「生意気な後輩ですみません」
自嘲しているようで、どこか先輩への当てつけのような言葉。
謝る時ですら、私は素直になれない。
「可愛い後輩だよ」
だと言うのに、この人は全てを飲み込んでいく。
私の意地の悪さなど、青崎梨乃の前では意味を成さないと言わんばかりに。
その懐の深さに、私は居心地の良さを見出して抜け出せなくなるのが怖い。
彼女の隣に立ちたいと思っている人間は、それこそ山のようにいるのだから。
道を抜けると開けた景色が広がっていく。
ぽつんと佇む古びた木造の建物は、かつて保管庫として使われていたらしい。
こんな離れにあるのは以前の旧校舎はこの位置に隣接していたからなんだとか。
この建物だけが時代の流れに取り残されたように切り取られ、そして今は生徒会室として使われている。
「今日は書記のお二人さん、用事で来れないってさ」
青崎先輩が鍵を差しこんで扉を開ける。
なるほど、本当に誰も来ていないらしい。
つまり今日の生徒会室は私と先輩しかいないということだ。
……それはそれで、浮足立ち始める私もよく分からない。
「今日は仕事何かあるんですか?」
「そうだねぇ。書類の整理は昨日、澪がたくさんやってくれたから――」
玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。
来客用の物とは別に、生徒会役員は各々で自分のスリッパを使うのが慣例となっている。
学校の備品や、上靴でも良いのではないかと思うのだけど。
なかなかどうして脈々と培われてきたものを自分だけを脱するというのも難しい。
同調圧力のようなものに屈する方が人は楽なのだ。
私は灰色の綿素材、青崎先輩は藍色の麻素材の物を使っている。
「――お茶でもする?」
にやりと、悪い笑顔を浮かべていた。
「それ、サボりって言うんじゃないんですか?」
「息抜きって言って欲しいな」
「まだ何もしてませんよ」
息を抜くも何もない。
「いいのいいの。毎日根詰めて仕事して成果が本当に出るのなら、日本は今頃もっと豊かな国のはずでしょ?」
何とも否定のし難い俯瞰的な物言いを突然する。
そういう緩急の差に、思わず言葉を失ってしまった。
部屋の隅には簡易的な作りの台所があり、ポッドなども置かれている。
年季は入っているが、学校の所有物なので手入れはちゃんとされていて使用するのに全く問題はない。
「じゃあ、私が淹れますよ」
私は蛇口をひねり、水道水をポッドに注ぐ。
ある程度溜まったら、ケーブルを繋いでお湯を沸かしていく。
「お、共犯」
結局サボりというのを認めたような発言だ。
まあ、それに加担しているのも私なのだし。
誰に咎められるわけでもないのだから、受け入れよう。
「お茶を飲みながらでも、仕事は出来ますし」
「えー。ちゃんと味わう方が大事だと思うけどー?」
「先輩は味わってその日を終わるじゃないですか」
「それが私の仕事なのさ」
「そんな生徒会長聞いたことありません」
そんな軽口を叩きながら、私は食器棚の前に移動する。
戸棚の中には様々な食器が収納されている。
「先輩は何飲みます?」
「店長のおすすめで」
「真面目に聞いてます」
「あはは、紅茶にしようかな」
引き出しを引くと、そこには色々な種類のティーバッグが並んでいる。
紅茶を一つ手に取る。
もう一つはコーヒーにしようと思っていたが、やめて同じ紅茶を手に取った。
カップにティーバッグを入れ、お湯を注いでいく。
赤色に染まっていく水と、花のような香りが広がっていく。
淹れ終わったら、先輩の前にティーカップを運ぶ。
「どうぞ」
「ありがとう」
先輩がカップに口をつける。
その仕草一つで随分と様になるなと感心する。
私が飲めばただの水分補給なのに、先輩が飲むと何か神々しさのようなものを帯びる。
同じ行動をとっているのに、どうしてこうも受け取り方というのは変わるのだろう。
「うん、澪の淹れてくれた紅茶は美味しいね」
私はただお湯を注いだだけ。
でも、まあ、そう言ってもらえて悪い気はしない。
誰でも出来ることだけど、先輩に飲んでもらえるのは誰でも出来る事ではないのだから。
「ありがとうございます」
「お茶菓子が欲しくなるね」
「完全にお茶を楽しもうとしてるじゃないですか」
やっぱり生徒会の仕事をする気はないらしい。
「せっかくなら美味しく味わった方がいいでしょ。何も悪いことはないはずだけど?」
「先輩だとそれで今日が終わりそうだから悪くなるんです」
「ふふ、いいじゃない。生徒会そのものは順調なんだからさ」
そうして二口目に口をつけて、カップから唇を離す。
その仕草だけでも艶っぽく映るのは、きっと先輩だからだかろう。
「後は、白花ハルが大人しくしてくれたら言う事なし。なんだけどねぇ」
紅茶の味わいを忘れるように、物憂げな言葉を漏らす先輩。
その名前を聞いて、私はそれ以上に重い何かを背負わされたような錯覚を覚えた。
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