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最終章 決断
72 独白に気を付けましょう
しおりを挟む残りの汚れは自分で拭く事にしました。
そのままお願いしていると、冴月さんが狼さんになりそうだったので、防衛本能がそうしろと叫んでいたのです。
「ハンカチありがとうございます、これは洗ってお返ししますね」
お借りした物をそのまま返すのは失礼ですよね。
「別に、そこまでしなくていいって」
「いえいえ、申し訳ないですから」
「それくらいいっての」
「あっ」
有無を言わさず、冴月さんに取り上げられてしまいます。
「逆に面倒でしょ、わたしが保管しとくからいいのよ」
「……ん? 保管?」
なんか日本語おかしくないですか?
わたしが洗っとくわよ、とかじゃないんですか。
「あ、間違えた。うん、洗っとくから」
「……そ、そうですか」
そんな間違いあるのかなぁ、と思ったりもしますが。
他に使用目的もないですもんね。
ここは冴月さんの言葉を信じましょう。
「それでさ、あんたは月森たちとどうなりたいのよ」
少しだけ声のトーンを落とす冴月さん。
もしかしたら今日、それが聞きたかったのかもしれません。
「……正直、まだ現実味が湧かなくて。どうしようか困ってるっていうのが本音です」
「それはあんたで言う“推し”だからってこと?」
「そう、なんでしょうね」
遥か遠くにいる人たちだったのに、急に距離が縮まりすぎてどう整理していいのか分からないんだと思います。
「じゃあ、わたしはどうなのよ」
「冴月さんは……」
「すぐ恋愛感情を抱いてくれるとは思ってないけどさ、でも月森たちよりはずっと近い距離でいれたでしょ? あんたにとってはわたしは苦手なタイプかもしれないけど、それでも月森たちよりは親近感あるでしょ?」
確かに、そうかもしれません。
月森さんたちは学園のアイドルで、崇拝に近い感情。
冴月さんは陽キャの中心で、羨望に近い感情を抱いていたように思います。
どちらも遠い存在ではありましたが、冴月さんの方が親近感を抱いていたようには思います。
「だからさ、今すぐ選べなんて急かさないけど。でもよく考えて欲しいのね、月森みたいな他人から憧れるような存在と肩を並べるって息苦しいと思わない?」
「そう……でしょうね」
「あんたは何だかんだわたしには遠慮ないこと言ったりするし。上手くやれてんのはわたし達の方だと思うの」
そうして自分のことをアピールする冴月さんの原動力はわたしに対する想い、なのでしょう。
そのむず痒いような感覚も、ここまで真正面にぶつけられるとわたしも知らないふりは出来なくなってしまいます。
「どうして、冴月さんはそんなにわたしのことを想ってくれるんですか……?」
こんな何の取柄もない陰キャを、どうして冴月さんは気に入ってくれたのでしょう。
「あんたは不器用だけど、真っすぐでブレない所があるから……そういうところよっ」
と、そんなことを冴月さんの方こそ真っすぐに言うものですから。
「あ、あわわ……」
「反応に困るなら聞かないでよねっ!」
「は、恥ずかしくて……顔が熱いです」
「わたしのセリフなんだけど、それっ!!」
わたしたちは終始、ふわふわした空気で時間を過ごすのでした。
「あ、もうこんな時間……」
気付けば時刻は20時を過ぎようとしてしまいました。
「あ、もう帰る感じ?」
「そうですね」
「けっこー早いのね」
「え、そうですか?」
いつも終業時間が帰宅時間なので、その辺りの感覚はないんですけど。
「……そうして、あんたは月森たちの所に帰るわけね」
唇を尖らせて吐いたその言葉は、どこか棘があるように聞こえました。
「あ、えっと……すみません」
「何で花野が謝んのよ」
「そ、そうですよね……変ですよね」
ただ、冴月さんにとっては面白くない状況だなと思ってしまって。
それでもわたしは帰らなければいけないですけど、この後冴月さんは一人になるんだなと思うと、ちょっとだけ胸がチクリと痛むのでした。
「ま、いいけどさ」
とは言いつつ、冴月さんからはどこか口惜しそうな雰囲気を感じます。
「また来ますから……」
だから、今日は許してください。
という意味を込めて自然と言葉がこぼれました。
「え、今なんて?」
「わ、わわっ、すいませんっ。呼ばれてもないのにわたしから来ますとか偉そうでしたよねっ」
「いや、そうじゃなくて。あんたの方からまた来るって言ってくれたのよね?」
「え、あ、はい……」
「ってことは、わたしとの時間は嫌じゃなかったってことねっ?」
「も、もちろんですよ」
ここまで至れり尽くせりしてもらって、嫌なわけないじゃないですか。
わたしなんかと遊んでくれて、ありがとうの気持ちしかないですよ。
「よかった」
そうして、顔をほころばせる冴月さん。
その表情は安心感によるあどけなさも相まって、とても穏やかな笑顔でした。
こういう顔もするんだと、思わず見惚れてしまったのです。
◇◇◇
そうして、冴月さんとはいつかの約束をしてお別れします。
マンションを出ると、外は既に真っ暗で街灯の光が夜道を照らしています。
「今日は楽しい思い出ができました」
月森さん達とは違う、時間の過ごし方。
今まで一人だったわたしには、特別なものに感じられました。
人と時間を重ねるというのは、こういうことなのかもしれません。
「でも……」
この時間もわたしが冴月さんを選ばなければ失われてしまうのでしょうか?
……そうに決まっていますよね。
冴月さんは答えを出さないわたしを優しさで待ってくれているだけで、その根底には恋心が潜んでいるのです。
その想いが叶わないのなら、もうわたしとの時間を過ごしてくれるはずがありません。
その事実に、胸がズキズキと痛みを訴えかけていました。
「それは月森さん達も同じ、なんですよね……」
三姉妹の皆さんもきっと、わたしにそういう想いを抱いてくれているのです。
その気持ちを傷付けてしまうのではないかという怖さの方が、わたしには大きかったのです。
「わたしのせいで皆さんの笑顔を奪いたくありません……」
皆さんの幸せを願っているのですから。
「ただいまです」
玄関に入り、電気を点けます。
ローファーを脱いで、廊下に上がった所で違和感に気付きます。
「返事がありませんね……?」
いつもはリビングにいる誰かしらが、声を返してくれるのですが……。
それに、家が真っ暗なのです。
リビングの扉にも光が投射されず、そのガラスには暗闇しか映っていません。
「誰もいない……?」
いえ、この時間に誰もいないということはないと思うのですが……。
不思議な違和感を抱きつつ、わたしはリビングに入ります。
真っ暗な部屋の中、手探りで電気のスイッチを押します。
パッと明かりが灯り、部屋全体が照らされます。
「これは、どういうことかしら?」
ひい!?
突然の凍え上がるような冷たい声音っ。
リビングのテーブルには三姉妹の皆さんが座っていました……!
真っ暗の中、何をしていたのですか!?
「答えなさい、こんな時間までどこで何をしていたのかしら?」
テーブルの上座、そこには足を組んで、黒髪をくるくると指で巻きながら、その鋭い眼光を惜しみなくわたしに向ける千夜さんの姿がっ。
「千夜姉、だから言ったじゃん。今後は登下校一緒にさせないとダメだって」
頭を抱えながら、さらっとわたしの自由を奪おうとしている華凛さんっ。
「しくしく……明ちゃんが不良になってしまいました……しくしく……」
ハンカチで目元を拭いながら(涙は出てないように見えるのですが……)、悲嘆に暮れる日和さん。
……な、なんでしょうか、この画は。
「さあ、聞かせてもらいましょうか。返答次第では私達もそれ相応の対応をとらせてもらうから」
……と、とりあえず。
“皆さんの笑顔を奪いたくありません”とか偉そうにモノローグしていた数分前の自分を殴りたいです。
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