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怠惰な神官
怠惰な神官6
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彼を視線で見送った私は再びアームチェアーに座る彼女に視線を戻した。
「あの……、あの子は何者なんですか?」
「彼は元異能管理官補よ。ベッドで眠っているのが管理室室長の平崎咲、私は管理官のリサ・ナイトレイ、よろしくね」
彼女は白くすらりと長い手を差し出して握手を求めてきた。私はその手を握る。彼女の手はひんやりと冷え切っていた。
「よ、よろしくお願いします。あ、あの……」
「なにかしら?」
「さっき彼は〝政府を掌握しに行く〟なんて言っていました。本当にそんなことできるんでしょうか?」
「そうね、もしあの子に出来なかったら私たちの未来はないかもね。そうなったら……私が跡形もなく吹き飛ばすだけよ……」
彼女は右手で塞ぐように両目を覆い、姿勢を崩すとアームチェアーに深く背中を預けた。漏れ聞こえてきた深い吐息から疲労が溜まっていることがうかがえる。
「……あ、あの、リサさん」
「リサでいいわよ」
「じゃ、じゃあ、リサ……その、私が見張ってるから、少し休んでください。お風呂も広くて気持ちいいですよ」
「ありがとう、そうさせてもらうわ」
ふらりと立ち上がったリサは浴室に向かわず、リビングのカウチソファーに横になって瞳を閉じた。
私は何か食べ物がないかと、キッチンカウンターの奥にある巨大な両開き冷蔵庫を開ける。だけど、照明で照らされた庫内はモノの見事に空だった。さっき彼が持っていた水のペットボトルが三本あるのみだ。
人間は水だけで一か月近く生きることができる、そんなウンチクを誰だったか授業で話していた気がする。もし彼が戻ってこなければ、それが私の余命ということになるのか……。餓死は嫌だな……いや、その前に明日の朝になれば看護師に見つかってしまうかもしれない。
仕方なく私はペットボトルを一本取り出し、寝室に戻ってガラス張りの窓から瞬く星を見上げた。
視界を覆う夜空は、ただ美しかった。
空がこんなにも深く、綺麗だったなんてことに私は生まれて初めて気付いたのだ。
大袈裟かもしれないけど、生命の危機に陥ったことで、私の感性は研ぎ澄まされているのかもしれない。
アームチェアーに座り、背中をもたれ、ぼんやりと高い天井に向かって手を伸ばす。指先の血液がゆっくりと重力に引っ張られて下がってくる。
しばらくそのままでいると指先が冷たくなってきた。生きている証拠だ。
先の見えない不安感と焦燥感が胸中に渦巻いていた。
これから私はどうなってしまうのだろう……。
普通に考えればテロリストの仲間になったことになる。
テロリスト?
なんて現実味のない単語なのかしら……。
乾いた笑いが漏れてきた。
もう後戻りはできない。
覚悟を決めるしかない。
―――なんの覚悟?
戦う覚悟だ。
―――誰と戦うの?
政府? それとも国と?
―――戦った先に何があるの?
……分からない。
けれど、もう現実は私の理想とかけ離れてしまった。現実は私を置き去りにして勝手に走り出してしまった。
いつだって人生は思い通りにならず、制御できない。これが諸行無常という物なのか…………、いや、ちょっと違うかな……。
くだらない独り言を心の中で呟いていた。それだけ冷静さを取り戻したという証拠なのだろう。
「奈々子……」
友人を思い出し、私の目から涙が込み上げてきた。
私はあの場所で彼女を探すべきだったのだ。一人で逃げ出さず、可能性を信じて彼女を探すべきだった……。
私は奈々子を見殺しにしたのだ。
殺した。彼らと同じように殺した。見殺しにした。
―――タタタタッタタッ!
連続する銃声に私は体を起こした。隣室で寝ているリサの元へと急ぐ。
カウチソファーで横になっていたリサはハンドガンを手に取り、周囲の警戒を始めていた。
「リ、リサ、何の音!?」
彼女は視線を前後左右に動かした後、足元を見つめた。まるで床の下で展開される人の動きを探るように彼女の瞳は動いていく。
「どうやら侵入者みたいね。ロビーで照の兵士たちが交戦している……、けど……、一人だけ?」
目を見開いたリサの顔が蒼白に染まる。
「嘘よ……、なんてことなの……、そんな……人間の動きじゃない……」
「ど、どうしたんですか?」
「敵はたった一人……だけど、とんでもないスピードで動き回ってる。銃弾を避けている!?」
床に視線を向けたままリサが答えた。
「銃弾を避ける?」
リサの視線が少し上がった。
「いつの間に三階にいる!? どうやら、病室を確認して回っているみたい……。私たちの場所までは特定できてないってことね」
リサはソファーの背もたれに掛けてあったショルダーホルスターに腕を通す。
「あなたはここにいて、それからこれは預けておくから、いざって時に使いなさい」
ショルダーホルスターから別の拳銃を取り出したリサが、銃のスライドを引いて私に差し出してきた。
反射的に両手で受け取った私の手は、鉄塊の重量を受けて沈み込む。
彼女はドアを開けて病室から出て行ってしまった。
取り残された私は呆然と立ち尽くす。
どうしよう……。
いくら管理官でも彼女一人に任せていいの?
私だって傷を治すくらいはできる。
一人で戦うより私がサポートした方がいいに決まっている。
それに彼女が殺されたら、どのみち私も、そして寝室の少女も殺されてしまう。
震える両手で拳銃を強く握り締めた私はドアを開けて、彼女の後を追った。
「あの……、あの子は何者なんですか?」
「彼は元異能管理官補よ。ベッドで眠っているのが管理室室長の平崎咲、私は管理官のリサ・ナイトレイ、よろしくね」
彼女は白くすらりと長い手を差し出して握手を求めてきた。私はその手を握る。彼女の手はひんやりと冷え切っていた。
「よ、よろしくお願いします。あ、あの……」
「なにかしら?」
「さっき彼は〝政府を掌握しに行く〟なんて言っていました。本当にそんなことできるんでしょうか?」
「そうね、もしあの子に出来なかったら私たちの未来はないかもね。そうなったら……私が跡形もなく吹き飛ばすだけよ……」
彼女は右手で塞ぐように両目を覆い、姿勢を崩すとアームチェアーに深く背中を預けた。漏れ聞こえてきた深い吐息から疲労が溜まっていることがうかがえる。
「……あ、あの、リサさん」
「リサでいいわよ」
「じゃ、じゃあ、リサ……その、私が見張ってるから、少し休んでください。お風呂も広くて気持ちいいですよ」
「ありがとう、そうさせてもらうわ」
ふらりと立ち上がったリサは浴室に向かわず、リビングのカウチソファーに横になって瞳を閉じた。
私は何か食べ物がないかと、キッチンカウンターの奥にある巨大な両開き冷蔵庫を開ける。だけど、照明で照らされた庫内はモノの見事に空だった。さっき彼が持っていた水のペットボトルが三本あるのみだ。
人間は水だけで一か月近く生きることができる、そんなウンチクを誰だったか授業で話していた気がする。もし彼が戻ってこなければ、それが私の余命ということになるのか……。餓死は嫌だな……いや、その前に明日の朝になれば看護師に見つかってしまうかもしれない。
仕方なく私はペットボトルを一本取り出し、寝室に戻ってガラス張りの窓から瞬く星を見上げた。
視界を覆う夜空は、ただ美しかった。
空がこんなにも深く、綺麗だったなんてことに私は生まれて初めて気付いたのだ。
大袈裟かもしれないけど、生命の危機に陥ったことで、私の感性は研ぎ澄まされているのかもしれない。
アームチェアーに座り、背中をもたれ、ぼんやりと高い天井に向かって手を伸ばす。指先の血液がゆっくりと重力に引っ張られて下がってくる。
しばらくそのままでいると指先が冷たくなってきた。生きている証拠だ。
先の見えない不安感と焦燥感が胸中に渦巻いていた。
これから私はどうなってしまうのだろう……。
普通に考えればテロリストの仲間になったことになる。
テロリスト?
なんて現実味のない単語なのかしら……。
乾いた笑いが漏れてきた。
もう後戻りはできない。
覚悟を決めるしかない。
―――なんの覚悟?
戦う覚悟だ。
―――誰と戦うの?
政府? それとも国と?
―――戦った先に何があるの?
……分からない。
けれど、もう現実は私の理想とかけ離れてしまった。現実は私を置き去りにして勝手に走り出してしまった。
いつだって人生は思い通りにならず、制御できない。これが諸行無常という物なのか…………、いや、ちょっと違うかな……。
くだらない独り言を心の中で呟いていた。それだけ冷静さを取り戻したという証拠なのだろう。
「奈々子……」
友人を思い出し、私の目から涙が込み上げてきた。
私はあの場所で彼女を探すべきだったのだ。一人で逃げ出さず、可能性を信じて彼女を探すべきだった……。
私は奈々子を見殺しにしたのだ。
殺した。彼らと同じように殺した。見殺しにした。
―――タタタタッタタッ!
連続する銃声に私は体を起こした。隣室で寝ているリサの元へと急ぐ。
カウチソファーで横になっていたリサはハンドガンを手に取り、周囲の警戒を始めていた。
「リ、リサ、何の音!?」
彼女は視線を前後左右に動かした後、足元を見つめた。まるで床の下で展開される人の動きを探るように彼女の瞳は動いていく。
「どうやら侵入者みたいね。ロビーで照の兵士たちが交戦している……、けど……、一人だけ?」
目を見開いたリサの顔が蒼白に染まる。
「嘘よ……、なんてことなの……、そんな……人間の動きじゃない……」
「ど、どうしたんですか?」
「敵はたった一人……だけど、とんでもないスピードで動き回ってる。銃弾を避けている!?」
床に視線を向けたままリサが答えた。
「銃弾を避ける?」
リサの視線が少し上がった。
「いつの間に三階にいる!? どうやら、病室を確認して回っているみたい……。私たちの場所までは特定できてないってことね」
リサはソファーの背もたれに掛けてあったショルダーホルスターに腕を通す。
「あなたはここにいて、それからこれは預けておくから、いざって時に使いなさい」
ショルダーホルスターから別の拳銃を取り出したリサが、銃のスライドを引いて私に差し出してきた。
反射的に両手で受け取った私の手は、鉄塊の重量を受けて沈み込む。
彼女はドアを開けて病室から出て行ってしまった。
取り残された私は呆然と立ち尽くす。
どうしよう……。
いくら管理官でも彼女一人に任せていいの?
私だって傷を治すくらいはできる。
一人で戦うより私がサポートした方がいいに決まっている。
それに彼女が殺されたら、どのみち私も、そして寝室の少女も殺されてしまう。
震える両手で拳銃を強く握り締めた私はドアを開けて、彼女の後を追った。
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