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怠惰な神官

怠惰な神官2

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 看護学部棟三階の講堂では生理学の授業が行われていた。
 多くの学生が教員の講義に耳を傾ける中、隣に座る奈々子が体を寄せてきた。
 微笑んでいるが含みのある顔だ。嫌な予感がする。

「ねえねえ、今日も集まりがあるみたいなんだけど行かない?」

「もう止めた方がいいって、先週の集会のときも捕まってたじゃん」
 私は前方を向いたまま小声で答えた。

「あんなのたまたまよ。それに去年に比べたら逮捕者がすごい減ってるみたいよ。あの官邸襲撃事件が影響しているんじゃないかって言ってたし」
 奈々子は得意げに語る。

「でもそれって普通に考えて変よ……、あんな事件があったんだからこそどんどん逮捕していくんじゃないの?」

 できる限り行きたくないオーラを出してみたものの、奈々子を止められそうもない私は早々に交渉を諦めることにした。


 主語が隠されたセリフに彼女の本当の目的が含まれていることに私は気付いていた。

 どうやら奈々子はあのグループの中に意中の男がいるようだ。恋愛に疎い私にはそれが誰だか分からないし、そこまで興味がある訳じゃない。

 行きたければ一人でいけばいいのにと思うけど、そこは女特有の社会性を重んじなければならない。

 私も彼女といるとなにかと都合の良いこともある。
 その理由の一つは、私に寄ってくる男はみんな快活な彼女があしらってくれるからだ。

 どういう訳か私は男を引き寄せるらしい。大学生になってから異様に言い寄られるようになったことは事実だ。

 確かに周囲の人より胸は多少大きいけれど、見てくれは普通……、というよりも地味だし、身長も女子としては高めで愛想も良くないときている。

 菜々子曰く、「処女臭が男を惹きつける」とのことだ。

 でも私はモテたくないしヤリたくもない。注目されたくないし、寄ってくる男に対してはうっとおしいとしか思わない。ほっといてほしい。だから度の入っていない眼鏡をわざわざ掛けて、より一層地味に磨きを掛け寡黙な女を装っている。

 私の正体は何事にも冷めていて、興味も持たず、趣味もなく、やる気のない怠惰な人間なのだ。

 だけど、面倒くさいことにまったく無欲という訳でもない。

 私の人生訓は〝厄介事は少ない方がいい〟だが、願いは〝そこそこの人生を送り、それなりの幸福を得たい〟なのだ。

 そんな私の本性を知ってか知らずか奈々子は、何かと私に降りかかる面倒事を引き受けてくれる。

 彼女は私を利用しているだけかもしれないけど、私も彼女を利用しているのは同じだ。互いの利害が一致していることには変わりない。

 そんな訳で、私は数少ない友人の願いを無下にすることはできなかった。


 場所は前回と同じライブハウス、開場は午後九時ということで最後の講義を終えた私たちは、買い物をしたり夕飯を食べたりと時間を潰してから会場に向かった。

 地下に続く階段を降りた私が防音扉を開けると、ひしめき合うように人でごった返していた。ライブハウスは満員御礼で、前回よりも人数がかなり増えている。

 これだけの異能者が一か所に集うのは異能取締法が施行されて以来初めてのことではないだろうか。

 それだけに私は不安を隠せなかった。

 私の心配をよそに、例の青年がマイクを握って舞台に上がると歓声が沸き上がった。
 
 私はいつもの指定席に付き、彼の頭部に注目する。
 残念ながら、変化はないようだ。
 私の今日の楽しみは終わってしまった。

 割れんばかりの拍手が鳴り止むと演説が始まった。
 饒舌だが丁寧な語り口、そして耳障りの良い単語を吟味し、聴衆の心を掴まんとするその姿はまるで政治家、いや、彼に敬意を評するならば革命家といったところだろう。

 再び観客の声が沸き上がったそのとき、防音扉が突然開き、黒いプロテクターを纏った集団が雪崩れ込んできた。
 呆気に取られる私たちを置き去りにして銃声が鳴り響く。

 最初に犠牲になったのは、扉付近に立っていた集会運営スタッフたちだった。
 撃たれた人垣は将棋倒しになって私が座っていたスツールをなぎ倒し、私は彼らの下敷きになってしまった。

 押しつぶされ、呼吸もままならず、動くことができない状況で私の脳裏に〝死〟が過る。

「う、撃たないでくれ! 抵抗はしない!」

 叫んだのは舞台上の青年だ。マイクを通し彼の叫びが会場内に響き渡る。

 しかし、返ってきた返事は人の言葉ではなく無機質な銃声だった。

 扉から無差別に放たれる銃弾はフクロノネズミとなった異能者たちを一方的に殺害していく。 

 数名が異能で反撃を試みるが、ローランカーの異能より銃弾の方が遥かに殺傷能力も破壊力も高い。抵抗虚しく死体の山が築かれていく。

 私は折り重なる死体の下で震えていた。

 この銃声が鳴り止んだ後、彼らは殺し損ねた異能者を見つけようとするはず。だから私は息を殺しジッと耐えた。溢れだした生暖かい他者の血が私の髪を、顔を、手を、全身を濡らしていく。

 銃声が鳴り止んでからも生きた心地がしなかった。
 だけど、幸運なことに機動隊員たちは異能者が一通り一掃されたことを目視で確認しただけで、すぐに去っていったのだ。

 完全に気配が消えてから私は重く圧し掛かかった死体を退かし、なんとかそこから這い出した。

「……な、奈々子?」

 擦れた声で囁くように友人の名を呼ぶ。
 だけど返事はなかった。
 私の声だけが小さく反響する。

 会場にいる全ての人間が、二百人に及ぶ人間が動きを止めていた。
 呻き声も呼吸音の一つもせず、活動を停止させている。

 私は自分だけが生き残ったことを悟った。

「あ、ああ……、そんな……、なんでこんなことに……、私たちの命なんて、価値がないの?」

 自分の腕が、服が、血に染まっていることに気付いた私は慌てて体を確かめた。シャツを捲り素肌に触れる。
 どこも傷付いてはいなかった。付着していたのは全て犠牲になった彼らの血だったのだ。

 さっきまで人間だった肉塊が隙間なく床を覆う。私は死体を踏みつけて、ふらつきながらも階段を上った。

 外に出ると月が見えた。綺麗な満月が夜空に輝いている。
 我に帰った私は慌てて周囲を見回した。ビル群のあちらこちらから白い煙が上がっている。何度か弾かれるような銃声が響き、夜の街は再び静寂を取り戻していた。

 
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