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第二部
9 心に空いた穴
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瞬時に上体を左に倒した八重山照の側頭部を金属バットが掠める。摩擦によって生まれた熱に彼は顔を歪めた。
バンダナ男が再びバットを振り上げた直後、テレビの電源が切断されたかの様に意識を失い倒れていった。
彼女はほっと胸を撫で下ろす。そして自分が安堵していることに気付いた。
―――なぜ?
目の前で誰かが傷つくことは気持ちのいい物ではない。だが、これはそれとはまるで別の感情……。
この感情は一体なに?
彼女は倒れた暴漢から視線を移す。八重山照は自分を襲った暴漢ではなく、彼女のことを見つめていた。互いの視線が交錯する。
まるであり得ないモノを見る様に、彼は驚愕と困惑が入り混じる表情で真っ直ぐに彼女を見つめていた。
ベンチから立ち上がった八重山照が向かってくることに彼女はたじろいだ。
いつもは姿を見せた途端に逃走を図っていた彼が自分から向かってきている。
想定外の行動に彼女の思考は鈍化する。そして同時に彼女の胸は高鳴っていた。それはまるで待ち焦がれた誰かを迎えるような現状にそぐわない感情―――。
向かってくる彼の表情にいつもの軽薄さは皆無だった。真剣というよりも鬼気迫っている。
八重山照は彼女の目の前で立ち止った。その距離は歩数にして二歩程度、彼は彼女の翠瞳を見据えている。
今の彼女にとってまともに彼の声を聴いたのはおそらくこれが初めてだろう。
「もう僕に関わるな」
彼は厳しい口調で言い放った。
「え……」
彼女の胸はズキンと痛んだ。
悲しみが溢れだしそうな、喉の奥から込み上げてきそうな感情をグッと呑み込む。
「な、何を言っているのですか? あなたを監視するのが私の職務です。あなたが監視対象である以上―――」
彼女の言葉を塞ぐように彼は強い口調で言葉を被せる。
「いい加減にうざいんだよ。分からないのか? 毎日毎日毎日付きまとわれる僕の身になって考えてみろ!」
抑揚の効いた強い語気に彼女は言葉を失っていた。彼から視線を逸らした瞬間、涙が零れ落ちてしまいそうだった。だから眼にグッと力を籠めて目の前の男を睨みつけた。
深い溜め息を吐いた八重山照は続ける。
「僕は普通に暮らしている。何も問題は起こしていない。もう監視対象から外してもいいんじゃないのか?」
「そ、それは私の一存では……」
震える声を抑えて、なんとか言葉を紡いだ彼女に彼は畳みかける。
「なら君の上司に直接掛け合う。君との話はこれで終わりだ。さようなら」
八重山照は怒りをあらわにしながら彼女の横を通り過ぎて夜の街に消えていった。
◇◇◇
それから数日後、八重山照が監視対象から外された。
例の公園に行くこともなくなった彼女はポッカリと空いた心の穴を埋めるように率先してレイドに参加するようになっていた。
深夜だろうと早朝だろうと土曜日だろうと日曜日だろうと祝日だろうと、戦って戦って戦って敵を打ちのめすことで胸の深部に刻まれた疼痛を希釈するように自分を追い込んだ。
そんな日々は一か月も続いた。
だが、どれだけ仕事に身を投じても心の穴は埋まることはなく、逆に彼女の心は荒んでいった。
その結果、普段の彼女ならあり得ないミスを引き起こしたのだ。
廃病院を拠点にする異能集団のレイド中に彼女はちょっとした気の緩みから、広い院内でチームからはぐれてしまった。
異能グループはほぼ壊滅状態にあり、後は一人ずつ拘束していくだけの単純作業だったが、手負いの者ほど慎重かつ確実に事を運ばなければこちらが致命傷を負うこともあり得る。だからこそ終盤はチームで動く必要があるのだ。
彼女の異能は他の者のサポートがあってこそ初めて真価を発揮する部分がある。しかも連日のレイドの疲れが抜けず、思ったよりも異能が使用できなくなるリミットが早くきてしまっていた。
さらに、仲間と連絡を取りたくても今日に限ってデバイスの充電を怠ってしまったため、途中で電源が切れてしまう。
彼女に残された武器は腰にぶら下がるトンファーのみである。
―――初歩的なミスの連鎖は慢心していた証拠、管理官失格だ……。
自らを戒める様に唇を噛みしめた彼女はトンファーを握り締めて、慎重に割れたガラスが散らばる薄暗い屋内階段を降りていく。
パキ……。
ガラスの破片がブーツで踏まれた音―――。
パキ、パキパキ……。
音は徐々に増えてくる。階段の下からも上からも、そして同じ階層からも、徐々に大きくなり、彼女を包囲するように近づいてくる。
パキパキパキパキッ!
ジャリッ!
暗闇から彼女を凝視する獣のような視線と翠瞳が交錯する。
既に、彼女は異能集団の残党に囲まれていた。
バンダナ男が再びバットを振り上げた直後、テレビの電源が切断されたかの様に意識を失い倒れていった。
彼女はほっと胸を撫で下ろす。そして自分が安堵していることに気付いた。
―――なぜ?
目の前で誰かが傷つくことは気持ちのいい物ではない。だが、これはそれとはまるで別の感情……。
この感情は一体なに?
彼女は倒れた暴漢から視線を移す。八重山照は自分を襲った暴漢ではなく、彼女のことを見つめていた。互いの視線が交錯する。
まるであり得ないモノを見る様に、彼は驚愕と困惑が入り混じる表情で真っ直ぐに彼女を見つめていた。
ベンチから立ち上がった八重山照が向かってくることに彼女はたじろいだ。
いつもは姿を見せた途端に逃走を図っていた彼が自分から向かってきている。
想定外の行動に彼女の思考は鈍化する。そして同時に彼女の胸は高鳴っていた。それはまるで待ち焦がれた誰かを迎えるような現状にそぐわない感情―――。
向かってくる彼の表情にいつもの軽薄さは皆無だった。真剣というよりも鬼気迫っている。
八重山照は彼女の目の前で立ち止った。その距離は歩数にして二歩程度、彼は彼女の翠瞳を見据えている。
今の彼女にとってまともに彼の声を聴いたのはおそらくこれが初めてだろう。
「もう僕に関わるな」
彼は厳しい口調で言い放った。
「え……」
彼女の胸はズキンと痛んだ。
悲しみが溢れだしそうな、喉の奥から込み上げてきそうな感情をグッと呑み込む。
「な、何を言っているのですか? あなたを監視するのが私の職務です。あなたが監視対象である以上―――」
彼女の言葉を塞ぐように彼は強い口調で言葉を被せる。
「いい加減にうざいんだよ。分からないのか? 毎日毎日毎日付きまとわれる僕の身になって考えてみろ!」
抑揚の効いた強い語気に彼女は言葉を失っていた。彼から視線を逸らした瞬間、涙が零れ落ちてしまいそうだった。だから眼にグッと力を籠めて目の前の男を睨みつけた。
深い溜め息を吐いた八重山照は続ける。
「僕は普通に暮らしている。何も問題は起こしていない。もう監視対象から外してもいいんじゃないのか?」
「そ、それは私の一存では……」
震える声を抑えて、なんとか言葉を紡いだ彼女に彼は畳みかける。
「なら君の上司に直接掛け合う。君との話はこれで終わりだ。さようなら」
八重山照は怒りをあらわにしながら彼女の横を通り過ぎて夜の街に消えていった。
◇◇◇
それから数日後、八重山照が監視対象から外された。
例の公園に行くこともなくなった彼女はポッカリと空いた心の穴を埋めるように率先してレイドに参加するようになっていた。
深夜だろうと早朝だろうと土曜日だろうと日曜日だろうと祝日だろうと、戦って戦って戦って敵を打ちのめすことで胸の深部に刻まれた疼痛を希釈するように自分を追い込んだ。
そんな日々は一か月も続いた。
だが、どれだけ仕事に身を投じても心の穴は埋まることはなく、逆に彼女の心は荒んでいった。
その結果、普段の彼女ならあり得ないミスを引き起こしたのだ。
廃病院を拠点にする異能集団のレイド中に彼女はちょっとした気の緩みから、広い院内でチームからはぐれてしまった。
異能グループはほぼ壊滅状態にあり、後は一人ずつ拘束していくだけの単純作業だったが、手負いの者ほど慎重かつ確実に事を運ばなければこちらが致命傷を負うこともあり得る。だからこそ終盤はチームで動く必要があるのだ。
彼女の異能は他の者のサポートがあってこそ初めて真価を発揮する部分がある。しかも連日のレイドの疲れが抜けず、思ったよりも異能が使用できなくなるリミットが早くきてしまっていた。
さらに、仲間と連絡を取りたくても今日に限ってデバイスの充電を怠ってしまったため、途中で電源が切れてしまう。
彼女に残された武器は腰にぶら下がるトンファーのみである。
―――初歩的なミスの連鎖は慢心していた証拠、管理官失格だ……。
自らを戒める様に唇を噛みしめた彼女はトンファーを握り締めて、慎重に割れたガラスが散らばる薄暗い屋内階段を降りていく。
パキ……。
ガラスの破片がブーツで踏まれた音―――。
パキ、パキパキ……。
音は徐々に増えてくる。階段の下からも上からも、そして同じ階層からも、徐々に大きくなり、彼女を包囲するように近づいてくる。
パキパキパキパキッ!
ジャリッ!
暗闇から彼女を凝視する獣のような視線と翠瞳が交錯する。
既に、彼女は異能集団の残党に囲まれていた。
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